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CASE1:磯優美 その3

 思い出したくもない記憶を呼び起され、静也は苦虫を噛み潰したような渋面を浮かべる。


 美名子はまるで時代劇に登場する正義の侍であるかのように振る舞う。


 静也は他の人間とはあらゆる意味で違うのだ。健常な者達とわかり合えるはずもない。


 だというのに、美名子はそんな静也さえ変われると、周囲に受け入れられると、抜かす――それがなによりも許せなかった。


 いい加減、我慢の限界である。美名子の化けの皮を剥いでやらねば気がすまない。


 その日から静也は放課後、美名子の後を付け回すようになった。同じ社会集団に属している者であれば、対象者の動向を把握するのはさほど難しくない。まず剣道部の練習日を確かめた。どうやら、週五で活動しているらしい。休みは水曜日と日曜日。


 部活動終了時刻を見計らい、校内道場前の廊下の陰に何気ない風を装って立つ。


 しばらくすると美名子が部活仲間達と共に廊下に姿を現した。


 静也は一定の距離を保ちながら美名子達を追いかける。尾行などした事がなかったので覚束ない動きだったが、問題ない。失敗しても機会はいくらでもある。


 やはり、初めはなかなか上手くいかなかった。美名子が野生の獣じみたカンの鋭さを発揮したのだ。こちらの視線に気付いたかのように周囲を警戒する仕草を見せる。


 その度、静也は引き際だと弁え、尾行を中止した。


 繰り返し繰り返し美名子の後をつけ、その帰宅路を調べる。徐々に目的地までの道程が明らかになっていった。美名子が仲間達と別れ、一人になる地点までは辿り着く。


 やっている事はストーカーそのものだが、静也は美名子に好意を持っている訳ではない。万が一バレたとしても、恋愛感情がなければストーカー規制法は適応されない。また、静也はある意味同情を買いやすい境遇だったので、決定的な瞬間をおさえられなければ大事にはなるまい。そんな打算があった。


 四月現在、円明市内は比較的穏やかな気候が続いている。


 しかし初夏になれば、静也にとって受難の日々が続く。外出中は天気予報アプリで現在の気温を逐一チェックし、水分補給および冷却パックを欠かせない。


 幾度目かの試行を経て、遂に静也は美名子の住所を突き止めた。この間、警察に通報される事も、職務質問を受ける事も、なかった。案外、人は他人の事に無関心なのだろう。


 とあるアパートの一室に入っていく美名子を遠目に眺め、静也は昏い笑みを浮かべた。


 そして、来る水曜日。放課後になり、美名子が教室を出た。本日、部活は休みである。


 静也は掃除当番をこなした後、一人で学校を後にする。自宅へ向かう道から外れ、美名子の帰宅路を進んだ。


 住宅街の一角に佇むアパートの手前で立ち止まる。ここを訪れるのは二度目だった。


 静也は美名子の部屋の様子を外から観察する。灯りもついていないし、物音もしない。予想通りの無人。美名子が『とある事情』から部活がなくともまっすぐ帰宅しない事と一人暮らしをしている(詳しい事情は不明)事を知っていた。都合がいい事に通行人の姿もない。今ならば侵入経路を存分に探れる。


 そして、いずれは中に上がり込み、なんとしてもあの女の本性をつまびらかにするのだ。取り澄ました顔の裏にどんな黒い一面を抱えているか知れたものではない。自宅にならばその証拠が残されているだろう。抑えきれぬ情動に突き動かされた。念の為に手袋を嵌めてから、まず玄関脇の植木鉢の下を検めて――いきなり当たりを引く。


「嘘だろ、オイ……」


 そこにあったのは小さく硬質な物体。薄く延ばされた金属板が先端へ向かうにつれ、細く尖って伸びている。


 植木鉢をどけると、そこに合鍵が置かれている――こんな展開、ドラマでしかお目にかかれないと思っていた。女の一人暮らしだというのに危機管理意識はどうなっているのか。


 とにかく、これで中に入れる。いささか出来過ぎな気もするが。


 さすがに緊張した。大きく深呼吸してから扉を解錠する。


 室内へと足を踏み入れる。玄関の先には居間兼寝室が広がっていた。全体的に整理整頓が行き届いている。几帳面な美名子の印象そのままで、それが腹立たしい。


 いかにも、それらしい私物がそこかしこに見受けられる。畳み張りの床に文机が置かれ、その上に書道用具一式が鎮座している。本棚には物々しい装丁の武術書や随筆、教養書、史書、評論、伝記などがビッシリと詰まっていた。武道家のポスターや書の掛け軸が壁に貼り付けられている。


 正に質実剛健、色っぽさの欠片もない。よくこんな場所で寝起きできるものだ。


 静也は仏頂面で物色を始めた。戸棚の引き出しを次々と開けていく。下着の類が出てきた時は慌てて引き出しを閉めた。断じて、そういう目的で部屋をあさっている訳ではない。自分の中で譲れない一線があった。めぼしいモノはなに一つ見当たらない。焦れて引き出しの一番下に手をかける。そこは文房具一式を収めるスペースだった。


「へえ……おあつらえ向きのモノがあるじゃねーか」


 静也はほくそ笑む。引き出しの底に日記帳らしきノートを見つけた。


 ペラペラとページをめくっていく。丁寧な字で、日々感じた事や思った事を徒然なるままに書き連ねていた。なんとも彼女らしい内容。


『○月○日。本日の学校は大過なく終了。仲良き事は美しき哉……しかし、ある女子の様子がおかしかった。なにか悩みでもあるのだろうか? 明日にでもそれとなく尋ねよう』


 仁――他者を慈しみ、


『○月○日。ある女子が厄介な悩みを抱えている。ささいな理由から、恋人とギクシャクしているらしい。私はこの手の問題を不得手としている。それにそもそも、これは犬も食わぬというやつで、第三者が口を挟んでいい話ではないのかもしれん……なんとか力になれないものだろうか?』


 義――筋道を弁え、


『○月○日。最近、クラスのある男子がよく遅刻する。生活習慣が乱れているようだ。気をつけるよう忠告した。また、私も己を戒めねばならない。規則を守れぬ者に、違反を指摘する資格などないのだから』


 礼――ルールを遵守し、


『○月○日。あるクラスで揉め事が起こった。争う者達の話をそれぞれ聞く。どちらにも分があり非がある。お互いの非を認め合わせ和解へと導いた。最後には皆、笑顔であれた事が非常に喜ばしい』


 智――物事をしっかりと見定め、


『○月○日。ある女子の意外な一面を見た。日頃の浮ついた態度からは考えられないほど、真摯に部活動に打ち込んでいる。どうやら私は彼女の事を色眼鏡で見ていたようだ。猛省せねば!』


 忠――誠実に振る舞い、


『○月○日。一年のクラスでとある女子の所持品の盗難騒ぎが起こる。私が駆け付けた時ある男子が犯人として槍玉に挙がっていた。しかし当人は頑として否定している。私の目には彼が嘘をついているようには見えなかった。そこで件の女子から詳しく話を聞き、今日一日の行動を振り返ってみると、移動教室に所持品を置き忘れただけという真相が明らかになった。彼女には所持品回収後、彼に真摯に謝罪してもらった。本日の事は彼にとって嫌な思い出となるのだろうが、腐らず真っ直ぐ生きていってほしい。そう願っている』


 信――他者を信じ、


『○月○日。最近、先輩方はより一層気合を入れて稽古に勤しんでおられる。最後の大会が近いからだろう。私も負けていられない。後を任せるに足る者である事を示し、心残りなく卒業していただこう!』


 悌――年長者を敬う。


 ゲスな内面を表すような記述など一つもない。このままでは、美名子は外面通りの人物であると再確認しただけの結果となってしまうではないか!


 静也は躍起になって日記帳を参照する。その内、不快な記述に目を留めた。


『彼は相変わらずだ。どうすれば、彼に心を開いてもらえるだろうか。正直、見当もつかない……弱音を吐くなど情けない。精進せねば!』


 件の『彼』とは間違いなく静也の事を指している。あれだけ突き放した態度を取ってもなお、美名子は静也の事を嫌っていないというのか。


「ふざけんな……そんなワケあるか!」


 ページをめくる手が止まらない。


『彼はどこか遠い世界を見るかのような目を周囲へ向けている。なにが彼をそうさせているのだろうか?』


 胸中にドス黒い感情が堆積していくとわかっていても。


『彼にとって、己と周囲とは隔絶したものなのだろうか? 私はそうは思わない。彼は誰彼構わず牙を向く狂犬とは違う。自分を害そうとする者へ過剰な攻撃性を見せているだけ。つまり分別がある。些細なきっかけさえあれば、彼もクラスに溶け込めるはず――』


 バンと勢いよく日記帳を閉じた。


「……この辺で失礼するか」


 静也は美名子の私物を元あった場所へと戻していく。侵入の痕跡を消してから立ち上がり、踵を返そうとする。


「――何者だ?」


 そこへ鋭い声が飛んだ。


 静也はビクリと身を強張らせる。


 ほどなく、左手奥の扉が勢いよく開け放たれた。


 現れたのは今ここには存在しないはずの人物。家主たる美名子がバスタオル一枚の姿で竹刀を片手に仁王立ちしていた。


 ■ ■ ■


「な、なな……なんでテメーが……! 誰も、いなかったんじゃ!?」


 静也は美名子に尋ねた。声の震えを抑えきれない。


 剣先がまっすぐ静也の喉笛へと向けられている。


 美名子の強さは知っている。その気になれば、数メートルの距離など一瞬で詰め、静也を制圧してしまうだろう。


「私の家に誰がいようがいなかろうが、君に関わりのない事ではないか?」


 正論である。


「そもそも、なぜ君が我が家にいる……招待した覚えはないぞ?」


 美名子がなにかを閃いたようにポンと手を叩く。


「泥棒か?」

「違う!」

「ふむ……となると、目的が不明瞭だな。不法侵入を犯したという事は後ろ暗い事情があるという事。ならば……ああ、つまり――」


 一呼吸おいてから、


「――君は私のストーカーか?」


静也にとって致命的な一言を発した。


「…………」


 静也はとっさになにも言えなかった。ここで弁解できねば、人生が詰むとわかっているのに。この状況を打開しうる冴えた言い訳など、そうそう思いつくものではない。


 静也が必死に頭を巡らせる内、美名子の方が先に動いた。大きくかぶりを振る。


「いや、それはないな。私のような無骨な女にそこまで異性を惹きつける魅力などない。自意識過剰だろう」


 竹刀を下ろした。


 ……というか、そもそもなぜ竹刀を手にしているのだろう。つい先程まで入浴中ではなかったのか? まさか、更衣室にまで持ち込んでいるというのか?


(コイツ……常在戦場の構えを実践してやがる……!)


 静也は美名子の異質な感性に別の意味で戦慄していた。


「すまない。なにせ不意な事だったので、こちらも警戒してしまったのだ。無礼を許してほしい」


 悪いのは静也なのに、なぜか美名子が頭を下げる。あまりにチグハグな状況だった。


「ひとまず……こんなみっともない姿で立ち話するのもはばかられる。着替えてくるから、そこで待っていてくれないか? ゆっくり話を聞かせてもらおう。念の為に言っておくが、覗かないでくれよ?」


 そう言い置くと、美名子が更衣室へと引っ込んだ。


 事態の目まぐるしい変化についていけず、静也は間抜け面を晒し立ち尽くす。一瞬、逃げてしまおうかという思いが過ぎるも、この期に及んで詮無い事と踏みとどまる。


 数分も経たぬ内に、美名子が私服姿で再度居間へと顔を出した。


 静也は美名子に促され、文机の手前に着席する。


 美名子がお茶を淹れ静也に差し出してから、文机を挟んだ向かいに腰を落ち着ける。


「ロクなもてなしもできず、すまない」


 静也は現状に疑問を感じずにいられなかった。


 美名子がそれで、と切り出す。


「結局、君の目的はなんだ?」

「――ッ! そ、れは……」

「答えられない、か。やはり、君はやましい事情を抱えているらしい」


 静也は苦し紛れに話をそらそうとする。


「そもそも、テメー……なんで今日に限って早めに帰宅した? いつもなら例のお悩み相談をしてる頃合いだろーが」


 毎週水曜日、美名子は無償の奉仕活動を行っている。具体的には放課後、生徒指導室を貸し切って生徒を待ち受け、悩みの解決に助力しているのだ。美名子は教師陣からも絶大な信頼を寄せられ、生徒指導室のスペアキーを預けられている。


 ところが、今日はどうだ。美名子は気まぐれで日課をサボるような人間ではないので、純粋に不思議だった。


「業者の方々が生徒指導室の点検整備を行っているそうだ。そこでやむなく、中止とした。私に助けを求める者達には申し訳ないが」


 しまった。そういう点も事前にチェックしておくべきだったのだ。静也は己の詰めの甘さを呪い、文机の下で拳を強く握りしめる。


「在宅中なら、なんで電気もつけてなかった? 物音もしなかったぞ?」

「今はまだ午後だ。灯りなど日差しで十分。電気代がもったいない……それに、私は湯船に浸かっている時、瞑想――イメージトレーニングを行うようにしている。今日は思いの外はかどってね。おかげで君がいる事に気付くのが遅れてしまった。鍛練中とはいえ、他への注意を疎かにするなど……己の未熟に恥じ入るばかりだよ」

「ああ、そうかよ……」


 様々な要因が折り重なって、この状況が作り出された訳だ。合鍵をアッサリ見つけた時は思わぬ幸運に小躍りしたくなったが、真実は真逆。


 美名子が急に静也の事をまじまじと見つめる。


「これはいい機会だ。私は常々、君と腹蔵なく話をしたいと思っていた。どうして君はああなのか、教えてもらえないだろうか。なにかしらの事情があってゆえの事なのだろう?」

「……どうして、そう思う? 単に、生まれつきひねくれているだけかもしれないぞ?」

「君は無闇に周囲を妬み嫉むような輩ではない。周囲を寄せ付けないそのスタンスからは信念めいた一貫性を感じる。まるで自分は周囲とは違う生き物だと主張するかのように――そもそも本当に生まれつきだというなら、自分から問いかけたりはしないだろう?」


 挙げ足を取られ、静也は舌打ちした。


「テメーが知ったところで、どうにかできる話じゃねーよ」

「君がそう思い込んでいるだけではないか? 『不可能とは、自らの力で世界を切り開くことを放棄した臆病者の言葉だ』――かつて伝説的な拳闘家はそう言った」

「またお得意の引用かよ……」

「誰もが大なり小なり問題を抱えているものだ。人に打ち明けてみれば、存外大した事ではないかもしれん」


 この女はどうしてこう、静也の神経を絶妙に逆撫でするのか。なにも知らないくせに。


「どうしてオレなんかに構う? 他の連中みたいにテキトーに見下してりゃいいだろ」

「寂しい事を言わないでくれ。せっかく、この広い世界で巡り合えた間柄じゃないか。私は一つ一つの縁を粗末に扱いたくないのだ」


 どうすれば、この女を黙らせられる? ふと、静也の脳裏に名案が浮かんだ。


「テメー、一人暮らししてるらしいな。家族はどうした?」


 問いを発した直後、美名子が面白いように表情を変えた。顔からサッと血の気が引く。


「ああ……まあ、色々あってね」


 あれだけ饒舌だったというのに、言葉を濁した。


 静也はニヤニヤ笑いながら畳みかける。


「聞かせろよ。『人に打ち明けてみれば、存外大した事ではない』かもしれねーだろ? オレが指差して笑ってやる」


 美名子が咎めるような厳しい目つきになる。


「君は本当に性悪だな。そんな調子では誰からも相手にされなくなるぞ」

「もう、なってるだろーが」


 付き合いきれないとばかり、静也は腰を上げる。美名子にクルリと背を向け、そのまま玄関へと向かう。


「名和、待ちたまえ!」


 美名子が制止の声を上げた。何度も静也に呼びかける。


 無視している内に、やがて声が途絶えた。静也は玄関の前で立ち止まる。


「ところで質問だけどよ。もしオレがテメーを襲うつもりだったと言ったらどうする?」


 振り返り、意地悪な問いを口にした。


 美名子がキョトンとした顔になる。しかし、すぐにたまらずといった感じで吹き出した。


「プッ……アハハ! 君はそんな人ではないよ。偽悪的な振る舞いは似合わんぞ」

「どこまで脳みそお花畑なんだよ!」


 思惑が外れ、静也は吐き捨てた。


 美名子が静也の剣幕をどこ吹く風と受け流している。


「そうだな。仮に君が襲ってきたしても、さしたる問題はなかったんじゃないか?」


 静也は返事の代わりに扉を叩きつけるように閉めた。滾る怒りを表すがごとく、大股で歩いていく。


(アイツ、アタマおかしいんじゃねーか!?)


 どうにか誤魔化せたとはいえ、普通ならあの反応はあり得ない。問答無用で静也を警察に突き出すところだろう。要は、美名子は静也を見逃したのだ。


 屈辱の極みである。静也は忸怩たる思いを抱いて帰路についた。

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