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CASE1:磯優美 その2

 予期せぬ遭遇の約一週間前の朝。


 静也がクラスに入ると、同級生達が一瞬静まり返った。視線が静也へと集中する。それらに込められているのは嫌悪、侮蔑、憐憫――いずれも負の感情だった。


 静也はアウェーをものともせず、遠慮のない足取りで教室内を進んでいく。


 次第に、朝礼前の教室が元の喧騒を取り戻していった。


 いつもの事である。静也は舌打ちを一つして自分の席に着いた。くっきりとした卵型の童顔。顔立ちそのものは優しげだが、鋭利な刃物のごとく目尻のツリ上がった三白眼と怨霊じみた陰のある雰囲気が全てを台無しにしていた。


 周囲は友人達と雑談に興じている中、静也は別世界の住人であるかのごとく、人を寄せ付けない。他にする事もないので、一限の授業の準備を始める。


「――あっれぇえええ!? ウザ也君だ! 今朝も登校してきたの?」


 そこに甲高く耳障りな声がかかった。


 一人の女子が取り巻きを引き連れて静也の席に近づく。


「友達もいないのに、毎日毎日ゴクローサマ! ねえ、人生楽しいの?」

「……またテメーか、初見」


 静也はうんざりとばかりため息を一つ、自分を取り囲んだ女子グループのリーダー格たる初見夏希はつみなつきの顔を見上げた。


「ハア!? その態度は何様なワケ? せっかくウチがボッチのアンタを気遣って話しかけてあげてんのに!」


 夏希は派手な身なりをしていた。日サロにでも通っているのか、浅黒く焼けた肌に厚化粧を塗り固めている。セミロングのストレートヘアを金髪に染め、チャラチャラとアクセサリーを身につけ、制服をだらしなく着崩していた。


 朝の陽ざしの照り返しを受けて、金髪やアクセサリーがキラキラと輝いている。目が痛くなるような――もっとも静也の身体はその手の刺激に反応しないが――典型的ギャルだった。昔から目立つタイプだったので、この路線に落ち着いたのは自然の成り行きだろう。


 夏希が眉間にシワを寄せる。


「ナマイキなんですけど!? アンタ、ウチに恨みでもあんの!?」

「ウザ也のくせに!」

「ウザ也の分際で!」

「夏希カワイソー……」

「夏希に謝れよ!」


 夏希に続いて、取り巻き軍団が子犬のごとくキャンキャンまくしたてる。


 やかましくてしょうがない。喧嘩腰に絡んできておいて「恨みがあるのか」とは笑わせる。静也は口元に冷笑を刻んだ。


「誰も頼んでねーよ……ってか勘弁してくれ。朝からテメーらを見てると、胸ヤケするわ」


 もっとも、本当の意味では胸ヤケなど久しく感じていないけれど。静也はシッシと追い払うように手を振った。


 取り巻き軍団が侮蔑もあらわに静也を見下ろす。それぞれ大仰な身振り手振りを始めた。


「ウザ……マジでウッザ……!」

「夏希さあ、もう放っとこう?」

「なんで、こんなヤツにいつも声かけんの?」


 口々に静也を罵りながら、元いた場所へ戻ろうとする。


 そんな中、夏希だけが静也のそばを離れなかった。


「……なんでよ? なんでアンタはいつも――」

「その辺にしといた方がいいぜ」


 野太い声が夏希の言葉を中途で遮った。


 大柄でガラの悪い男が夏希の肩にゴツい手を置く。


「……公徳」


 ビクッと振り返った夏希へと、野獣じみた笑みを浮かべた。


「こんなカス野郎の相手するなんざ時間の無駄だろ?」


 この強面の少年の名は安富公徳やすとみきみのり。男子のトップカーストグループのリーダー。女子トップカーストグループを率いる夏希と交際していると、もっぱらの噂だ。


「それより、俺達とあっちで駄弁ろうぜ」


 背中を向けているので、夏希の表情はうかがえない。しかし、心なしか肩が震えているように見えた。自分の彼氏に対する反応としてはいささか奇妙だ。


 安富が静也へと視線を移した。一転して虫ケラを見るような眼差しを注ぐ。


「ウザ也、てめえ……俺の女にちょっかい出したら承知しねえぞ」


 唸るように告げた。


 静也は安富を睨み返す。話しかけてきたのは夏希の方から。言いがかりにもホドがある。


 少しトサカにきた。わざとらしく肩をすくめる。


「よお、朝から元気だな……ボス猿」


 静也は人格面にいささか問題を抱えている。とにかく口が減らないのだ。煽られると煽り返さねば気が済まない。そのせいで周囲から浮いてしまっていると、わかっていても。


「心配しなくてもそんな女、こっちから願い下げだよ。勝手に向こうでサカってろや」


 途端、安富のこめかみに青筋が浮いた。


「てめえ、誰にモノ言ってんのか……わかってンだろうな!」

「テメーだよ、安富」


 安富は筋肉質な体つきをしていた。対して静也は中肉中背。とくに鍛えている訳でもない。喧嘩になれば勝ち目などなかった。


 しかし静也はわずかも怯む事なく立ち上がる。暴力など恐れるに値しない。


「ムカついたか? なら、殴れよ。遠慮はいらねー。オレは一切抵抗しない――ただ、この事はキッチリ学校側に報告させてもらうがな」


 目にも止まらぬ早業でスマホを取り出した。滑らかな指遣いでスマホの動画撮影機能をオンにして、安富へと向ける。


「これでテメーの蛮行は一部始終、証拠に残る」

「て、てめえ……それ渡せ!」


 安富が静也のスマホへと手を伸ばした。


 静也は安富の手をヒョイと躱す。


「おっと無駄だぜ。撮影後、データが自宅のPCへと即転送されるよう設定済みだ。スマホを取りあげられる前に、撮影機能をオフにしちまえば……たとえ、直接的な暴行シーンを収められずとも、直前のやり取りだけで状況証拠にはなるだろーさ」


 安富がたじろぐ。ギリリと歯噛みした。


(バカが……この程度で動揺してんじゃねーよ。安い奴だな)


 静也は軽薄な笑みを張りつけたまま周囲を見渡した。騒ぎを聞きつけた安富の取り巻きがぞろぞろと集まってくる。他の生徒達が怯えて遠巻きに眺めていた。


「このチクリ野郎が! 高校生にもなって教師にすがりつくなんざ……恥ずかしくねーのかよ!」

「はァ? お前ナニ言ってんの? 一人を寄って集ってボコろうとするヤツらの方がよほど恥知らずだろ。バカなの? いやバカなんだな」


 静也は殺気立つ安富軍団を前に声を張り上げた。


「そんな湧いたアタマじゃ、これからの人生シンドいと思うぜ。同情するわ」


 あまつさえ、親しげに安富の肩を叩いてやる。安富が乱暴に静也の手を振り払った。


 かなり強めに叩かれたというのに、静也は痛がる素振りを見せない。


 一触即発の張りつめた空気の中、誰もが固唾を飲んでいる。平然と汗一つかいていないのは静也だけ。


「――君達、なにをしている?」



 険悪な雰囲気を拭い去るかのごとく、新たにクラスへ入ってきた長身の女子が清涼な声を発した。


 同級生達が一斉に振り返る。


 その先に美名子が立っている。鼻梁の通った面長な顔立ちを彩るのは太く濃い眉毛。切れ長の双眸が意思の強さを感じさせた。サラサラの長い黒髪を後頭部で一つにまとめている。


 女性らしい細身の体躯は、しかし頼りなさを微塵も感じさせない。彼女の内面から『貫禄』とでも評すべき迫力がにじみ出ているからだろう。


 美名子がトラブルの渦中へと躊躇いなく進んでいく。


「荒事の気配がする……感心せんな」


 静也と安富達の間に割って入った。


 たちまち、安富ら不良達が美名子の眼光に射竦められたかのように後ずさる。


「チッ……オイ、いくぞ!」


 踵を返した安富に、慌てて取り巻き達が追随した。


 快刀乱麻を断つような活躍ぶりに、同級生達が美名子へと尊敬の眼差しを注いでいる。


「宮本さん……相変わらずカッコいい……!」「惚れる……私、女だけどゾッコンだわー!」「さすが現代の女武蔵だな!」


 しかし静也だけは忌々しげに美名子を睨みつけていた。


 美名子が静也へと振り返る。


「また君か、名和」


 その声には責めるような響きがあった。


「一応、言っておくが……喧嘩を売ってきたのはアイツらだからな?」

「承知している」

「オレを責めるのは筋違いだとわかってんなら、それでいい」


 静也は自分の席に戻ろうとする。


「待ちたまえ」


 美名子が静也を呼び止めた。


「『売られたケンカは買え』――高名な空手家が遺した言葉にあるように、背中を見せない姿勢そのものは尊重しよう……だが、君のやり方はいつも陰険過ぎるぞ」

「ハッ! 正々堂々、いざ尋常に――ってか! サムライ気取りのテメーには許しがたいかよ? けどな、他にどーすりゃオレがあのバカ共に対抗できんだ? こっちは孤立無援だぞ?」


 静也は美名子の事を心底嫌っていた。


 静也はこういう性分であるから、面倒な連中に絡まれる機会には事欠かない。その度、学校の火消し役を自任する美名子がトラブルを解決していくのだ。


 誰も頼んでいないのに。負傷はしたかもしれないが、自力で切り抜けられたのに。


「君に後ろ暗いところがないのであれば、もっと胸を張れる手段を取るべきだ。卑しい行いは人の信頼を失わせる。逆に、正当で誠実、高潔な行為は人の心を動かす」


 なにより気に喰わないのは、こうして説教まがいの講釈をクドクド垂れてくるところだ。


「アホか! クラス一の――いや、学校一の嫌われ者であるところのオレがなにを言ったところで聞く耳持つ奴も、味方になってくれる奴も、いやしねーよ!」

「そんな状況に陥らないように、日頃から清く正しく振る舞うべきだとは思わないか?」

「今更手遅れだし、そんな気はサラサラねーな。オレは自分が間違っているとは微塵も思えねー」


 虫唾が走るのだ。したり顔で絵に描いたような理想を口にできる神経が。脳みそまで筋肉でできた美名子ならば、どんな相手にも敢然と真正面から立ち向かっていくのだろう。


 美名子は強い。とにかく強い。武芸百般を体現し、一年の頃から剣道部でエースを張っている。生半な男では束になろうと太刀打ちできまい。


 だが、静也は違うのだ。激しい運動すらできず体育の授業は免除されている。そんな雑魚にできる事は卑劣と蔑まれるような盤外戦術で敵を翻弄する事くらい。


 バカにされっぱなしでは、舐められっぱなしでは、心が痛い。それは今の静也にとってなにより耐えがたい事だった。


 美名子が嘆息する。


「君は手強いな。一年の頃から同じクラスだが、未だに君の心の扉の前に立ててもいない」


 寂しそうに呟いた。俯いたかと思いきや、すぐさま顔を上げる。


「しかし諦めん! 『敵対心を無くし、自分と相手の間で生じることを全て気ととらえ、相手と自分の気を合わせる。こうなれば相手は抵抗力を自然と失い、協力状態となる』――かつて『生ける伝説』とまで称された武道家が和合の道をそのように説かれている。体当たりでぶつかっていけば、いつか君ともわかり合えると信じているぞ」


 それに、と前置きしてから話を続ける。


「手遅れだと言ったが、そんな事はない。少なくとも、私はいつでも君の改心を期待している。困った事があれば、いつでも相談に乗ろう」


 言いたい事だけ言うと、美名子が自分の席へと向かった。自然と周囲に人が集まっていく。花の蜜に群がる羽虫のように。


 静也は同級生達と談笑する美名子へと射殺さんばかりの視線を送っていた。夏希や安富などより遥かに、美名子の存在が癪に障る。


 別に人気者に嫉妬している訳ではない。静也は孤独が苦にならない人種だ。自分を曲げてまで周囲と迎合するなど、どれだけ痛めつけられようがゴメンである。


 意図せずして、美名子との出会いの場面が脳裏に蘇った。


 ■ ■ ■


 一年と少し前、二天高校に入学した静也は周囲の連中を冷めた目で眺めていた。皆一様に新生活への期待と不安を胸に抱き、ソワソワと浮足立っている。


 中学時代、友人など一人もできなかった。それはおそらく高校でも変わるまい。二人の幼馴染達もこの学校に入ったはずだが、ずいぶんと前から疎遠になっている。


 安定のボッチライフの始まりだ――そんな達観を抱いて配属された教室の自席に座る静也の姿はさぞかし奇異に映った事だろう。殺人鬼を彷彿とさせる目つきの悪さも災いしてか、話しかけてくる者はいない。


 しかし浮いているのは静也だけではなかった。一人だけピンと背筋を伸ばして着席し真正面を一心に見つめる女子がいる。まるでなんらかの脅威と対峙しているかのように毅然とした佇まいだった。


 静也は自然と目がその女子に吸い寄せられていた。


 しばらくして担任の教師がやってくる。登校初日という事で今後の説明を簡潔に行った後、生徒同士の自己紹介を促す。


 一人一人、教壇の上に立って自分をアピールしていった。多くの者達が引かれないような、それでいて興味を惹かれるような、無難かつ少しだけ個性的な内容を述べる。第一印象が今後の生活を左右する以上、話しかけやすいキャラ作りは大事だ。


 自分がどんな挨拶をしたのか、もはや記憶が定かでない。確か、名前と卒業した中学校の名前を告げ、これからよろしくと締め括った気がする。


 積極性に欠け、無味乾燥。自分の事を知ってもらおうという気概が感じられない。当然、同級生達にスルーされた。


 そして遂に、例の女子の番がきた。容姿が整っている事もあり、周囲の期待感が否応なく高まる。当の本人はそんな空気に気付いた風もない。同級生達を見渡し、


「『精力善用、心身の持つすべての力を最大限に生かして、社会のために善い方向に用いる』――生前、名の知れた柔道家がそのように語ったという」


開口一番、訳のわからない言葉を紡いでいた。


 同級生達が目を丸くしている。


「私は高校生活をより良いものにしたい! その為には、蔓延する不条理や理不尽と戦わねばならん! 私は……宮本美名子は全ての不正、あらゆる差別に立ち向かう事をここに誓う! 皆どうか、私に力を貸してほしい! 悔しいが、未熟な私では目と手の届く範囲が限られる。その代わり、皆が危難に際した時には遠慮なく頼ってくれ! 及ばずながら私が力になろう!」


 深々とお辞儀をしてから自分の席に戻った。


 同級生達があ然となる。それは静也も同様だ。顎が外れんばかりに大口を開けていた。


(……アイツはいったいなにと戦っているんだ?)


 末期の中二病患者じみた台詞を素面で口にする。いわゆるデンパの類かと、静也は自分を無理矢理納得させた。


 しかし美名子が口先だけの人物ではないと、すぐにわかった。


 美名子は学校の相談役を自称し、様々なトラブルに首を突っ込んでいったのだ。暴れる不良達を竹刀一本で鎮圧し、時には更生へと導き、悩みを抱える生徒達を助けた。


 最初は美名子と距離を置いていた同級生達も徐々に美名子の事を認めるようになった。


 美名子は芳しくなかった第一印象を自力で払拭してみせたのだ。本人言うところの「正当で誠実、高潔な行為は人の心を動かす」を地で行き。


 まったく不快な女である。

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