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CASE4:宮本美名子 その5

 意識を取り戻した時、静也は身体の自由が利かない事に気付いた。薄暗い屋内で手足を縛られ椅子の上に括りつけられている。どうやら気絶させられた後、廃屋かどこかに運び込まれたらしい。


 前に垂らしていた顔を上げ、対面に座る吉岡を睨みつけた。


 吉岡が静也に焦点を定める。


「おや、目が覚めたのかい?」

「ここはどこだ、とかそんな事はどうでもいい。一つ確認をさせろ――ナツキとカオルに手を出してねーだろうな?」

「ヒヒッ! 自分より女の子達の身を案じるなんて……カッコイイねえ、キミ――名和静也君?」


 吉岡が片手に持った静也の生徒手帳をプラプラと揺らした。


「安心しなよ。あの子達には指一本触れてない。目的はキミ一人だったからねえ」

「テメーがこれほど向こう見ずだとは思っていなかったぞ……おかげで二度も似たような不覚を取っちまった――が、白昼堂々の犯行、目撃者もいる……テメーが捕まるのは時間の問題だ」


 破滅を間近に控えているというのに、吉岡はまったく動じていない。


「だろうねえ……で、それがどうしたのぉ? そもそも、キミは前提を間違えている。ボクは逃げも隠れもしない」

「……覚悟の上って事か。テメー、なにがしてーんだ?」

「キミは『撒き餌』さ。あの子達には宮本への言伝を頼んだ。一人でこの場所まで来い、とね。警察を連れてきたりなんかしたら静也君を躊躇なく殺す、と警告した上で……全ては宮本を潰すため。後がどうなろうと……構わないんだよォオオオオオ――ッ!」


 吉岡が猛々しく咆えた。その声には美名子への深い憎悪がにじみ、必殺してやろうという気迫に満ちている。ただの自暴自棄ではありえない。


「色々と回りくどい手段を取ったみてーだが……なんだってアイツに拘泥してやがる?」


 吉岡が目を血走らせながら静也に詰め寄り、その胸倉を掴む。


「わからない? 本当にわからないのォ? キミはボクの同類なのに……宮本美名子という女がボク達にとって、どれだけ害悪か……わからないのかなァ!?」


 身動きのできない静也の上半身を前後に思うさま揺さぶった。


「子供の頃から『痛み』というものが理解できなかった! ちょっと手を切ったり膝を擦り剥いたりしたくらいでワーワー泣き出す同年代の子達がバカみたいだったよ! 彼らはそんなボクを気味悪がって仲間外れにした! なら、思うしかないじゃないか……ボクは彼らと違う生き物なんだって!」


 察するに、吉岡は先天性の無痛症なのだろう。後天性の静也と違い、そもそも痛みという感覚がわからない。それがどれだけ周囲と軋轢を生んできたかは想像に難くなかった。


「周囲の同調圧力に負け、息を殺して生きるのはゴメンだった! だから必死に探したよ! ボクだからこそ活躍できる『場』を……そうして見つけたのが剣道だった! 武器を持って戦えるという点が素晴らしい! 素手だと手加減できずにボク自身の身体を壊してしまう危険性があるからねえ」


 無痛症ほど試合に有利な体質もあるまい。痛みを理解できないから、対敵を傷付ける事を躊躇しないし、対敵の攻撃を恐れずに踏み込める。


「少し小突いただけで、普段ボクを見下していた連中が動けなくなるんだよぉ。『痛い痛い痛い痛ァーい!』って、やかましく泣き叫んで! その姿がもう……滑稽でざまあなくてさあ! キ、キヒヒ……ギャハッ! ギャハハアアアァ――ッ!」


 吉岡がひとしきり笑ってから、一転して忌々しげに明後日の方向を睨み始めた。


「健常者サマをいたぶる時間がボクの至福だった――のに、水を差す輩が現れた!」


 それが誰なのかは聞くまでもない。


「去年の大会の会場で、いきなりボクの前に現れ、ありがたいお説教を垂れてくださったんだよォ! 『卑怯な振る舞いはするな。自分自身を貶めるだけだ』『実力は確かなのに、正当に評価されないのはあまりに惜しい』『好敵手たる君には敬意を払うに足る人でいてほしい』――などなど、頼んでもいないにペラペラと、ねえ!」


 静也は内心で吉岡に頷いていた。


(ああ……アイツなら、そうするだろうな……)


 自分の時と同じように、吉岡にもお節介を焼く姿が目に浮かぶよう。


 今ようやく理解できた。吉岡は静也と同じなのだ。体質のみならず、心の在り様までも。攻撃的な性格から孤立して、そんな自分自身に疑問すら抱かなかった。


 だが、美名子と出会ってしまった。自分なんかと正面から向き合おうとする他人は初めてで……輝きが強すぎて無視などできなかった。


「ボクは宮本を叩きのめそうとした――けど、ルールに縛られた試合場ではあの子の方が一枚上手だ。ボクは許さない。なにも知らないくせにボクの心を土足で踏み荒らそうとした罪を!」


 吉岡が実際にどのような心境の変化を辿ったのかは知らないが、美名子への鬱屈した思いを爆発させたからこその今がある。


「だからキミをここまで運び込んだのさ、静也君。宮本は私闘を受けるタイプじゃない。人質でも取らない限りは、ね」

「馴れ馴れしく名前で呼ぶんじゃねーよ」


 静也は渋い顔で屋内の入口を眺める。


 おそらく、美名子は静也なんかを助ける為にノコノコやってくるはずだ。


 自分のせいで美名子を危険に晒してしまう。それは静也にとって不快極まる事態だった。


 来ないでくれと願いながら、吉岡に対し虚勢を張る。


「もしアイツが来なかった場合も、オレを殺すのか? 好きにしろよ。オレは命乞いなんかしねーぞ! 最後までテメーを呪ったままくたばってやる!」

「ヒャハハ……この状況で宮本が現れない訳ないじゃないか! 自分の事を時代劇の主人公かなにかと勘違いしてる痛い子だよ?」


 吉岡の言葉に応じるかのごとく、硬質な床を叩く複数の足音が部屋の外から反響して聞こえてきた。


「ホラね」


 吉岡が得意げに笑む。


 静也は歯噛みした。


(来るな……)


 足音が止む。


(来るなよ……!)


 扉が勢いよく放たれた。


「吉岡ァ――!」


 美名子が怒号と共に室内へ飛び込む。


「待っていたよ、宮本ォ……!」


 吉岡がのそりと立ち上がった。


「よく来たね――と言いたいところだけど、ボクは一人で来いと指定したはずだよお?」


 美名子に遅れて、夏希と薫が姿を現す。


「彼女らには手出しをさせん。名和を離せ! 私が来た以上、用済みだろう!? 望み通り相手になってやる!」

「もちろん、約束は守るさ」


 吉岡が美名子へ向けて歩を進めた。


 入れ替わりに、夏希と薫が静也に駆け寄る。


「ちょっと、アンタ……大丈夫?」

「ひどい事されてない?」


 静也の縄を解いた。


 吉岡はもはや静也達など眼中にない。試合では見せなかった特異な構えをしている。四つん這いのごとき猫背の前傾姿勢で木刀を腰だめに構え、美名子を挑発するように剣先ごと全身を大きく揺らしている。


 対する美名子は正眼の構えを少し崩した形。木刀の剣先を少しもブレさせる事なく、伏せた吉岡の頭部に向けている。


 両者がすり足でジリジリと間合いを詰めていた。


 戦端が開かれる前に、静也は呼びかける。


「美名子、ソイツも無痛症だ! 気をつけろ!」


 同時、吉岡が口火を切った。地を滑るように踏み込む。


 美名子が機先を制するように木刀を吉岡の肩へと突き下ろした。


「ジャアアアアァァァ――ッ!」


 吉岡が肩に食い込んだ一撃を物ともせず、木刀を横に薙ぐ。


 間一髪、美名子が後ろに飛んで足払いを回避した。


 吉岡が追撃に乗り出す。更に一歩踏み込み、木刀を切り返して逆袈裟の一撃を放った。


「ゴウルァァアアアッ!」


 美名子がしゃがみ込むように横へ逃れ、空いた吉岡の胴体へと木刀を突き出す。


「シィィイイイイ――ッ!」

「ヒヒ、イヒヒィッ!」


 木刀での迎撃が間に合わないと悟るや、吉岡が自らの木刀をアッサリ手放した。美名子の刀身を捉え、片手で掴む。


「くっ……!」


 美名子が木刀を引き戻そうとした。


 しかし吉岡がそれを許さない。


「これは稽古や試合じゃないんだよ? 反則上等、なんでもアリのケンカなんだから……さあアアアァァ――!」


 木刀ごと美名子を手元に引き寄せ、返す刀でレバーブローを打ち込む。


「があ、ハッ――!」


 美名子の身体が九の字に折れた。たまらず呻き声を漏らす。


 だが、やられてばかりではない。押し出される勢いを利用し、木刀を捻って引っ張り、吉岡の手から引きはがした。そのまま後退する。


 吉岡が自分の木刀を拾い上げた。


「静也君の言う通り、ボク相手に苦痛を与えて制圧しようとするのは愚策だよお? 痛くないんだからさあ」


 ふと、自らの掌に目を落とす。美名子の木刀を強引に握ったせいで皮が破けて血がにじんでいた。次の瞬間、掌を掻きむしって更に傷を抉っていく。


「いた、い……? 痛い? 痛い痛い痛い痛い痛い痛いィイイイ……イヒ、ヒハハ……アーハッハッハァアアアアッ!」


 健常者を見下すように哄笑を上げた。


 夏希と薫が吉岡の狂態を目の当たりにして冷や汗をかく。


「アイツ……マジでやばいよ!」

「狂ってる……!」


 確かに、普通の人間にとって吉岡の姿は脅威にしか映らないだろう。しかし静也はそう思わなかった。


「違う」

「え?」


 小さな呟きを耳にして、夏希達が静也へと振り向く。


「痛みを知らないって事がなにより『痛い』んだ」


 静也は戦う当事者達を一心に見つめていた。


 吉岡が恐れを知らない突進を繰り返す。


 美名子が闘牛士のように吉岡をさばいて、いなした。


 次第に生傷が増えていくが、吉岡が堪えた様子はない。


「殺すつもりでかかってこないと、ボクは止まらないよ? ちなみに、ボクもキミを殺す気だから遠慮はいらない」


 美名子が青あざの浮かぶ吉岡の顔を痛ましげに見つめる。


「私は人を傷付ける為に、武道を学んでいるのではない」


 吉岡が眉をひそめた。


「出たー……オトナ達がよく口にする建前だ! そんな綺麗事を吐くなんて、いい子ちゃんぶったキミらしいねえ。武道なんて、どう取り繕っても人を殺す技術でしかないのに」

「殺人術を精神修養の道へと昇華させた先人達の労苦を笑うな!」


 図ったように両者が駆け出す。猛虎のごとき躍動を見せる美名子。毒蛇が地を這うかのごとく低重心のまま疾走する吉岡。ほんの一拍で互いを互いの間合いに捉える。


 美名子が面打ちを放たんとする。


「メェェエエエエエン――!」


 それに先んじて、吉岡が右足で美名子の懐へ飛び込んだ。脇を抜けざま胴打ちを放つ。


「ゼイヤアアアァァァ――!」


 美名子が自らと横薙ぎの一撃の間に木刀を滑り込ませガードした。


 しかし吉岡が止まらない。すばやく前後に足を入れ替え、左足を軸として右の中段回し蹴りを放つ。


「オラアアアァァッ――!」


 美名子が身を投げ出すように後ろへ飛び、脇腹を狙った蹴りをかろうじて躱した。


 更に、吉岡が右足を振り切った勢いを殺さず左に一回転、今度は逆に右足を軸として左の後ろ回し蹴りを繰り出す。


「死ンねえェェェエエエエ――ッ!」


 旋風のような三連撃に、さすがの美名子も対応しきれない。腹部に吉岡の踵を喰らい、大きく吹っ飛ばされる。


「ぐ、ううぅ……オオォォ――ッ!」


 美名子がよろよろと起き上がった。


「これほどの腕を持ちながら……なぜ卑劣な振る舞いに堕する!?」

「だーかーらッ、そういうお説教がウザッたいんだよォ!」


 吉岡が構えを変える。例の三所防御とやらいう体勢へと。


「突きを打ってきなよ。この前みたいにさァ!」


 決勝戦の焼き直したる状況を作り出した。

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