CASE3:古藤田薫 その2
静也は薫のイメージ向上の為、動き出した。まず事務所の許可を取り、薫のSNS公式アカウントを作成する。HPで宣伝されるなど事務所側のバックアップを受け、スムーズなSNSデビューの運びとなった。
薫の性格のキツさを知る事務所側からはコメントの内容に細心の注意を払うように厳命される。そこでSNSを利用する際は必ず静也が立ち合い、文面を検閲する事にした。
翌日の放課後、静也は薫と待ち合わせて近所のネットカフェに赴く。個室に入り、設置されたデスクトップパソコンを起動させた。
ちなみに美名子は部活があるのでこの場にはいない。正確には、ついてこようとするのを静也が強引に拒否した。いよいよ誰の相談室なのか、わからない状況である。
SNSにサインインすると、大勢のユーザー達からの批判的なメッセージが雨あられと送られてきているのが確認できた。
「こ、この……ダサメンども! ネットにかじりついている時間の十分の一でも自分磨きの為に使ってみなさいよ!」
デスクの前に座った薫が声を荒げる。怒りに任せてメッセージを書き込もうと指を動かした。
静也はそれを制止する。
「落ち着け。キレて暴言を吐いたところでオマエ自身が損をするだけだ。アンチの思い通りだぞ」
薫が一転、矛先を変えた。静也に火を吹く勢いで喰ってかかる。
「なぜあたしが我慢しなければならないの!?」
「我慢する必要はねーよ……ただ、言葉を選んで反論しろ」
薫をなだめながら、静也は違和感を抱いていた。
アンチの反応が早すぎる。薫はアカウントを作成したばかりだ。薫の知名度はティーンガールの間ではそこそこだが、まだまだ全国区とは言い難い。短期間にこれほどメッセージを寄せられるなど有り得るだろうか? 何者かの作為的な悪意を感じる。
とはいえ、まずは消火作業を行わねば。静也は疑問を一先ず置き、薫に指示を出していった。まず、SNSを始めたという旨の挨拶を書き込ませる。次に、低姿勢な態度で件の炎上事件について言及させた。
『あたしが例の雑誌に寄せたコメントについて……皆さん、色々と思うところがあるのではないでしょうか? 辛辣な言葉で読者の方々を傷付けてしまった事を深く謝罪します――が、あたしの方にも言い分があります。どうか耳を傾けてはいただけないでしょうか?』
薫の『弁解』が始まる。投稿してきた読者のファッションのどこがダメだったのか、詳細に解説する事でキツいコメントにもまともな理由があった事を示した。雑誌の誌面では文字数が足りなかったという論調で。
SNSユーザー達はそんな薫の事を面白がった。薫を煽って煽って煽りまくる。
その度に激発しかける薫を静也は懸命になだめた。あくまで冷静に身だしなみの大切なポイントを説いていく。
『ファッションで重要なのは体型、年齢、流行、季節、場所、配色など――それらを総合したバランスです。アイテム一つ一つは悪くなくても組み合わせ次第で台無しになります。勿体ないとは思いませんか?』
『当然、衣服のメンテナンスも欠かせません。毛玉を取る、アイロンがけしてシワを伸ばす、伸びた襟と袖と裾を元に戻す、など色々と手間をかけねばなりません。そうしなければ不潔に見えたり、だらしなく思われて、他者からの信頼を損ねてしまいます』
『一つ一つは細かく小さい事かもしれませんが、全てを完璧にこなし、また毎日続けている人はオシャレを自負する方々の中でも少ないのです』
中にはファッションや美容に造詣の深い者もいて、いつしか薫に賛意を示し始めた。
その最中、妙な意見が飛び出す。
『そこまで自信があるなら……俺のファッションチェックもやってもらおうじゃないの!』
自分達の事も批評してくれと、写真データを薫に送りつけてくるようになったのだ。
画面と睨めっこしていた薫が困惑気味に静也へと振り向く。
「名和……コレ、どうすれば?」
「ふむ、これは想定外だな」
静也は顎に手を当てて思案し始めた。少しの間を置いて口を開く。
「お望み通り、徹底的にダメ出ししてやれ」
「……本当にいいのね?」
静也が頷くと、薫はパソコンに向き直った。
『では、希望者の方々は私に写真を送ってください。ですが、ファッションには数学のように「これしかない」という唯一解は存在しません。私がサジェストできるコーディネートはあくまで一例にすぎないという事をあらかじめご了承ください』
挑戦者達をちぎっては投げ、ちぎっては投げていく。具体的な改善案も添えて。一方的にやり込められたショックでそのままフェードアウトする者達が続出する。
しかし中には勉強になったと礼を述べる者もいた。
『カオルたん! 僕は高校生のオタクなんですけど……その風貌から同級生達に馬鹿にされています! 人を見た目で判断するなんてひどい連中だと思いませんか?』
『そうですね。ひどいかもしれません――ですが、あなたはどうなのでしょう。人を見た目で判断した事がないと断言できますか? ゲームや漫画に好みではないヒロインが登場した時、厳しく批判するのでは? 人は第一印象や外見が重要なのです。心の中は覗けませんから。ファッションとはマナーです。違反者の事なんて誰も相手にしてくれません。横着しないで、多少は身だしなみに気を使ってみてはいかがでしょう? あたしでよければ、アドバイスさせて頂きます』
薫が絡んでくる者達に厳しくも誠実な言葉で対応していく。
『カオルたんにはカレシとかいるの?』『好きなタイプと嫌いなタイプを教えてー』
時折、炎上の件とはまったく無関係のメッセージが届いた。
生真面目な性分ゆえか、薫が一つ一つ質問に答えていく。そこらへんは昔と変わらないようだ。
『学業と仕事に手一杯で、恋愛している余裕なんかありません――それと、好きなタイプは無骨だけど優しい人、嫌いなタイプは朴念仁です』
薫の反応を受け、ユーザー達が下世話な話で大いに盛り上がっている。
『処女宣言キタコレ!』
『処女かどうかはわかんねーだろ。今はフリーなだけで』
『ところで、カオルたんの好きなタイプと嫌いなタイプって紙一重じゃね?』
薫が画面に汚物を見るような目を向けていた。
「不快だわ。まるでケダモノね」
一応、これだけは言っておくべきだろうか。静也は躊躇いがちに薫に声をかける。
「なあ……別に、全ての質問に回答する必要はない……から、な?」
途端、薫の頬にサッと赤みがさした。
「――ッ! あなたに言われるまでもないわよ!」
そうこうしている内に、すっかり夜になっていた。
「……っと、もうこんな時間か。古藤田、そろそろ出るぞ」
静也はパソコン画面脇の時刻表示を目にして、薫に呼びかけた。
薫が静也に背を向けたまま頷く気配を見せた。SNS内で今日はお終いだと宣言する。
それに対する反応は様々だった。「逃げるのか?」と挑発的な言葉を投げかける者もいれば、薫が去るのを惜しむ声も挙がっている。
薫が送られてくるメッセージを呆然と見つめている。
「どうよ、久しぶりに他人と交流してみた感想は?」
「…………」
「眉をひそめるような発言をしたヤツもいれば、案外まともな事を言ってたヤツだっている。コイツらだって、見下したもんじゃねーだろ?」
「ふん……こんな短期間で、相手がどんな人間かなんてわかる訳ないでしょう?」
「その通り。だからオマエはこれからもコミュニケーションを取っていく必要がある。オマエが相手を理解する為に、相手にオマエを理解してもらう為に――それがわかっただけでも、今日は収穫だな」
薫がそっぽを向く。
「あなたの術中に嵌まっているかと思うと……いささか以上に癪ね」
取りつく島もない様に、静也は肩をすくめた。
■ ■ ■
人の心など、すぐに変わってしまう――それが十数年の人生の中で古藤田薫の得た教訓であり諦観だった。
子供の頃、薫は引っ込み思案で気弱な性格だった。とにかく自分に自信がなかったのだ。
そんなザマだったからイジメの恰好の標的となった。薫自身も惨めな境遇を甘んじて受け入れていた。自分なんかイジメられても仕方ない、と。
しかしある時、そんな事はないと言ってくれる人達が現れた。
『彼』と『彼女』はイジメっ子達を前に泣く事しかできない薫の下へ駆け寄り、イジメっ子達を追い払ってくれた。それが彼、名和静也および彼女、初見夏希との出会いである。
薫は二人にベッタリになった。どこへ行くのにも三人一緒で、こんな日々がいつまでも続けばいいと愚かにも願っていた。
やがて破局の時が訪れる。あの落盤事故以来、静也は薫と夏希の事を避けるようになった。薫が何度謝ろうとも、振り向いてくれない。
静也が心の拠り所であった薫はたちまちパニックに陥った。そして、夏希に対し許されざる一言を吐いてしまう。
「ナッちゃんが洞窟に行こうと言い出したから……シズ君はああなっちゃったんだよ!」
あまりに恥知らずな言葉。そもそも夏希はどこの間抜けの為にそんな提案をしたのか?
薫は自分自身の醜悪さを目の当たりにして夏希に合わせる顔がなくなった。三人が完全にバラバラになった瞬間である。
それからの日々は失望の連続だった。思春期を迎えた薫は必死にオシャレを覚え、劇的な変貌を遂げる。すると、どうだ。自分をイジメてきた男子達が掌を返すように媚を売ってきたではないか。
お前達はどれだけ薄っぺらいのかと、薫は憤った。
しかし他人の事ばかり言えない。薫自身、心の弱さに負けて大切な友達を傷付けた。
人の内面など信じるに値しないと思い知らされ、薫は心を閉ざした。
信じられるのは外面のみ。薫が容姿を磨く事に取り憑かれていくのは必然の流れだった。もともとは誰に自分の事を見て欲しくて綺麗になろうと努めたのか。そこから目をそらし。
だが最近になって、過去の方から薫を追いかけてきた。
■ ■ ■
静也の作戦を開始してから、またたく間に数日が過ぎていった。
現在は日曜日の夕方。薫はテーブルに頬杖をつき、真横を向いてガラス張りの壁を漫然と眺めている。物憂げな様子が絵になっていた。
ガラスの向こうに歩道が広がっている。斜陽に照らし出されたそこを仲睦ましげな子供達が通り過ぎた。
彼らの様子を目にして、薫はいつかどこかの光景を――
「ねえ、カオル……私の話、ちゃんと聞いてる?」
ふと話しかけられ、バネ仕掛けのような勢いで前を向く。
対面に座った友人、海保亜衣が可愛らしく頬を膨らませていた。
「もうっ! カオルってば、すっかりうわの空なんだもんなあ……」
「ご、ごめんなさい……アイ」
どうやら、会話の途中で物思いに耽ってしまったらしい。薫は申し訳なさそうにうな垂れる。
「あははっ……そんな気にしなくていいよ! 最近、色々あって疲れてるだろうし」
亜衣が快活に笑って薫を許す。花の綻ぶような笑顔が魅力的だった。
彼女は同じ事務所に属するモデル仲間である。明朗かつサバサバした気性から多くの人達に慕われており、すっかり人間不信に陥った薫が家族以外で唯一心を開く相手だった。
事務所で本日の打ち合わせを終えた後、薫は亜衣に誘われ、このファミレスに足を運んでいた。そして、つい先程まで他愛もない世間話に花を咲かせていたのだ。
亜衣がそういえば、と話を切り出す。
「イメージアップを図ってSNSを始めたんでしょ? 反響はどうなの?」
「おかげさまで順調よ」
ここ数日の地道な成果か、薫のイメージは少しずつ改善の方向へ向かっていた。
SNSユーザー達は薫とのやり取りをお祭り扱いしているらしく、半ばファッションのお悩み相談コーナーと化している。やはり、現役のファッションモデルの意見を直に聞けるという点が大きいのだろう。
「これは、やっぱりアレ? 例のカレのおかげかなぁ?」
亜衣が悪戯っぽく片目をつぶった。
薫はギクリと身を強張らせる。
「そ、それは……」
「あんたも水臭いよねぇ。そういう相手がいるんなら教えてくれてもよかったのにさ」
おそらく、亜衣は事務所経由で静也の存在を知ったのだろう。曰く、薫は同じ高校の男子にSNS活動をサポートされているらしい、と。
「あの男は彼氏でもなんでもないから! むしろ嫌いな相手よ!」
「またまたー、照れちゃって! 我が事務所の切れたジャックナイフこと、古藤田薫がオトコをそばに置いているなんて……正直、今でも信じられないよ!」
亜衣が興味津々といった感じで目を輝かせていた。
対照的に、薫は渋い顔になっている。薫の人となりをよく知る亜衣には、薫が静也と浅からぬ関係にあった事を見抜かれているに違いない。
実際、静也の存在が薫の心を否応なくざわめかせている。もはや関わり合いになる事などないと思っていた。なぜ今更になって――
心に踏み込ませないよう、つい攻撃的な態度で静也に接してしまう。
亜衣がテーブルから身を乗り出して喋る。
「今度、その子を紹介して!」
「なっ!? ……無理! 絶対に無理! あの男をアイと引き合わせたら……なにをしでかすか、わかったものではない。危険よ!」
「嘘だー! 奥手のあんたがそんなヤバい子と関わり合いになるワケないじゃん――それとも、彼氏に女を近づけたくないのかな? カオルって束縛系カノジョ?」
ヤケに喰いついてくる亜衣を前に、薫はタジタジになっていた。
普段は女王然と振る舞う薫であるが、亜衣には頭が上がらないのだ。仕事において、亜衣は人当たりの悪い薫の事を何度もフォローしてくれているから。
結局、薫は亜衣の要求に頷かされてしまった。