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CASE2:初見夏希 その5

 診察室から出ると、美名子と夏希が駆け寄ってきた。


「どうだった?」


 静也は包帯の巻かれた左腕を二人の前にかざす。


「処置が早かったから軽く済んだけど、どうしても痕は残っちまうだろうとの事だ」

「馬鹿者! なぜ他人事のように話す!?」

「アンタ、バカなんじゃないの!」


 二人が口々に静也を糾弾した。


 静也は面倒臭そうに頭を掻く。


 安富達に今後一切こちらへ干渉しないと誓わせた後、静也は美名子と夏希に近場の診療所まで無理矢理連れて行かれた。そして簡単な治療を受け、今に至る。


 静也は受付で会計を済ませ、診療所を後にした。近くの公園に引っ張り込まれ、奥のベンチに座らされる。


「さて、聞かせてもらおう。どうして、あんな真似をした?」


 静也の眼前で、二人が仁王立ちしていた。答えるまでは帰さないと、二人の目が告げている。


「決まってんだろ。あの手のバカ共を黙らせるにはああするのが一番手っ取り早――」


 静也が最後まで言い切る前に、美名子が静也の頬を張っていた。


 女とは思えぬ怪力に押され、静也はベンチの上に倒れ込む。


「そうしてくれと、私と夏希が頼んだか!? 一人で背負い込んだ挙げ句、君自身を傷付けて! 勝手に置いていかれたこちらの身にもなってみろ! 自分の為に動いてくれた人の役に立てない……どころか、傷付いた姿を眺める事しかできない――それがどれほど辛いか、君にわかるか!?」


 美名子がとても苦しげな表情で言葉をマシンガンのごとく吐き出した。


 あまりの剣幕に、味方であるはずの夏希が怪訝な顔で美名子へと振り向く。


「み、美名子……?」

「――ッ!」


 美名子が我に返ったように静也と夏希を交互に見返した。俯いて咳払いする。


「す、すまない……取り乱した――とにかく、名和……君はすごく歪な人だ。自分自身が傷つくのを恐れていないフシがある……もしやとは思うが、その理由は君が周囲と距離を置く理由と関係しているのではないか?」


 夏希が目をパチクリさせる。


「そう、なの?」


 静也に詰め寄った。


「ねえ、お願いだから教えてよ! もう、無理なの? 本当に昔みたいな関係には戻れないと思ってんの? ……そんなのウチは認めない。だってアンタ、根っこの部分は変わってないじゃん! 口は悪いけど、ホントは面倒見がいい――あの頃のまま!」


 美名子にこちらを見透かすような視線を注がれると、心が落ち着かなくなる。


 拒絶した時に見せた夏希の表情が未だ脳裏にこびりついて離れない。


 二人の真摯な態度を前に、静也はようやく腹を括った。家族以外知る者のない己が秘密を開陳する。


「オマエら、無痛無汗症という疾患を知っているか?」

「確か、痛みを感じられないという病――そうか、君は……!」

「シズヤ……アンタ、まさか!?」


 どうやら二人は全てを察したようだ。静也は頷いてみせる。


「そうだ。オレの場合は後天性でね。ずいぶんと前、頭部を強打して以来……痛みを感じねーんだ、なにしても、どこにいても、どんな時でも……もう、痛みがどんな感覚だったのかも忘れかけてるよ」


 実は、静也は安富との駆け引きにおいてズルをしていたのだ。


「ウチのせい、だね」


 夏希がポツリと呟いた。


「あの洞窟に行こうと言い出さなければ……あの瞬間、あの場所に立っていなければ……アンタはあのままでいられた! どうしよう……こんなの、償いきれない……!」


 なにやら自責の念にかられているようで、俯いて肩を震わせている。


 静也は意図的に嘆息した。平然とした口調を崩さぬよう意識しながら口を開く。


「アホ、前にも言ったろーが……アレは事故だ。オレはオマエとカオルの事を恨んじゃいねーし、償ってほしいとも思ってねーよ」


 夏希が食い下がる。


「でも――」


 静也は夏希が喋ろうとするのを手で制した。


「オレの話を最後まで聞け……いいか、痛みを感じないってのは無敵に思えるかもしれねーが、実際はその逆だ。不便な事だらけで戸惑いの連続だった」


 痛みとは身体が発する危険信号である。痛みを受け取れないという事は危機感を持てないという事。


 指をしゃぶっている内に手に穴を開け、指を喰い千切る。目を擦り過ぎて失明する。平気で自傷行為に及んでしまった患者の例は枚挙に暇がなかった。


 高所から飛び降りる、車に衝突する、など致命的な行動への恐怖を抱かない。


 身体のどこかを負傷したとても、気付かないまま傷を悪化させてしまう。足が折れた状態でずっと走り続ける、といった具合に。


 暑さも寒さも感じないし、汗を掻かないという症状も併発しており体温調節ができない。夏場は熱中症にかかりやすく、冷却パックの装着と定期的な水分補給を欠かせなかった。


 体内の異常を感知できない為、風邪などの病にかかった事にも気付けない。


「オレは周囲とは違う生き物になってしまったと、率直に思ったよ。こんなモノを抱えて、誰かと接するなんて無理だ」


 先天性無痛症患者の中には、身体が傷付くという事の意味すらわからない者もいる。人の痛みどころか、自分の痛みも理解できないので暴力を振るってはいけない理由を体感的に学べない。誰かと喧嘩になった際、加減のない攻撃を加え、相手だけでなく自分自身も傷付けた、というケースもあるそうだ。


「怖かったんだ。そばにいると、オマエやカオルを傷付けちまう気がしてな」


 それが七年間伝えずにいた本音だった。


「シズヤ……」


 夏希がなにかを言いたげに口を開きかけるが、すぐ思い直したように閉じてしまう。


 代わりに、美名子が一歩前に出た。


「名和……すまなかった!」


 そして、なんの脈絡もなく静也に頭を下げる。


 静也は面食らった。


「以前、君が言った通りだ。君の抱える問題は私などに解決できるものではなかった。『打ち明けてみろ』などと軽々しく口にした事を心から謝罪する――が、それでも私は……君とわかり合えないとは思わない!」


 美名子が勢いよく前を向く。


「肉体的な痛みを共感できなければ、共に在る事はできないのか? ――違うだろう! 君は心の痛みを人と分かち合う事ができる。苦悩する者に手を差し伸べる事ができるじゃないか! この二週間で磯と夏希、二人もの人間を救った。その行動に嘘はあるまい」

「『分かち合う』なんて、大仰で崇高な話じゃねーぞ。オレは単に、理不尽に踏み躙られたままでいるヤツらの事が気にくわねーから、口を出さずにはいられねーだけだ。磯の事も、初見の事も、自己満足の為にやったんだよ」

「それでいい。人間とは本質的に利己的な生き物だ。どこまでも主観的にしか物事を捉えられん。誰かを助けようとする理由は、その誰かが苦しむ姿を自分自身が見たくないだけ――それでも! 他者を思いやる気持ちと行為が虚しい一方通行でしかないと……私は断じて思わない! 名和、君は私達と同じ生物にんげんだ!」


 美名子が静也に手を伸ばした。


「痛かったろう?」


 ビンタされて赤く腫れた静也の頬を優しく撫でる。


 静也は柔らかな手の感触を味わい、不覚にも心地よさを感じてしまった。不貞腐れたような声で口答えする。


「だから、痛くねーんだって……」

「うるさい! 心が痛いんだ! 傷付けられた者も、傷付けた者も……!」


 静也はされるがまま撫でられ続ける。手をはねのける気には、なぜかならなかった。


 ■ ■ ■


 一夜明けて、静也は二天高校に登校する。クラスに入ると、先に登校を済ませていた安富達が露骨に怯えを見せた。彼らを眼中にも入れず室内を進んでいく。


 今まで通りに振る舞え――それが警察に突き出さない事を条件に、静也が安富達に下した命令だった。これは夏希への配慮である。夏希の属する女子グループは安富の属する男子グループと仲がいい。ゆえに、もし安富達が夏希への態度を豹変させれば、女子グループにおける夏希の立場が危うくなるだろう。


 安富達はこの先、静也の陰に怯えながら高校生活を送らねばならない。ある意味で退学以上に厳しい沙汰だ。


 静也は自席について、鞄から物を取り出し始める。


 それを見計らい、夏希が静也に近づいていく。


「シズヤ、おはよう」


 やや硬い声で告げた。


 静也は夏希を見上げる。夏希がまっすぐに見返してきた。


 あの公園で静也が本音を打ち明けた後、夏希は無言で静也と別れた。


 おそらく、静也と向き合う為に時間が必要だったのだろう。夏希なりに、聞き知った事について思うところがあり、考えたい事があった。


 そして今、夏希が結論を出した上で静也の眼前に現れている。静也の事を諦めない、と。


 静也は観念して挨拶を返した。


「おはよう、ナツキ」

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