(11) 風羽の過去・中
次の日、夜名に連れられて風羽は再び診療所にやってきた。
足を組み、桜色の髪を一つに結び前に垂らしたその人は、にこやかな笑みで野太い声で笑い声を上げる。
「あはは。キミ、すごい顔をしているよ。寝てないのかな。それはいけないね。睡眠不足はお肌に悪い」
「眠れなくて」
「うん。わかるよ。いつ力が暴走するかわからなくって怖かったんだよね。後天的な能力者ほど、最初はそう思うものだ」
夜名がコホンと咳をする。
それに一瞬笑みを消し、すぐに笑顔に戻った医者はぴとっと風羽の額に指を当てた。
「キミの能力について、話すよ」
「お願いします」
「キミの能力は、風だ。単純に言えば、自然界に溢れる風を操ることができる。この能力者は結構多いんだ。だけどね、キミは少し違う。キミは風を操ることができるのとは別に、『四大精霊』と呼ばれる精霊を召喚することができる」
「精霊?」
「いきなりそんなこと言われても分からないよね。精霊なんて、一般の人は非科学的だとか、そんなの空想だとか思うに決まっている。ワタシだって能力者じゃなかったら信じていなかったけれどね。実際にいるんだよ、精霊は」
「……」
「『四大精霊は、水の精霊ウンディーネ、火の精霊サラマンダー、土の精霊ノーム、そしてそれから、キミが契約することができる、風の精霊シルフがいる。だけどね、精霊の力は強大で、ただの風使いだと身を滅ぼしてしまう危険性があるため精霊を召喚することはお奨めできないんだ。その点、キミには素質がある。キミは並みの風使いより強力な力を持っている。精霊の一体や二体を召喚するのに十分な素質がある。まあ、シルフは一体しかいないけれどね。エレメント以外の風の精霊もいるけれど、それは邪道だからお勧めしない。身を滅ぼしかけないからね。というより、キミはシルフを召喚できる素質があるから、やっぱりシルフと契約するのが一番だね」
「言っていることがよく」
「ああ、すまない。ちょっと興奮してね、いや、気にしないで。ワタシはヘンタイじゃないよ。あ、夜名チャン顔怖いよ。続けるね」
唇をペロッと舐めて、その人は目を細める。
「キミは精霊を召喚できるほどの力を持っている。キミは後天的な能力者で、まだ能力を制御できない身だ。だからこそ、いまの内に精霊と契約をした方がいいだろう。精霊の力により、キミは能力をコントロールできるようになるはずだ。精霊と契約するのに代償となるものはいらない。精霊は楽しいことが大好きだからね。キミと遊べるだけでそれで満足するんだよ」
「契約」
「どうする? 契約するなら、我々は力を貸すよ。心配いらない。この診療所はね、ワタシが趣味でやっているものだから、お金はとらないんだ。それと同じで、キミに力を貸すのも趣味でやるから、代金はいらないよ」
「考えておきます」
「それはよかった。じゃあ、明日また来てくれるかな。って、ああ、そうだ。そうだった。これを渡しておかなきゃ」
医者はそう言うと、机の上に置いてある透明なケースを風羽に渡してきた。
それを受け取り、何だろうと眺めている風羽に、医者は穏やかな笑みで言う。
「それは能力を制御するためのペンダントだよ。これをつけている間は、能力が暴走することはない。だた、願えばいい。そのペンダントに……そうだね、静まれ! とか。まあ適当に、能力が暴走しませんように、ってね。いまのままじゃ、穏やかに夜も眠れないだろう」
「ありがとうございます」
風羽は早速つけることに決め、ケースからペンダントを取り出すと首につけた。装飾のない銀色の細い線のようなペンダントを、風羽は見おろす。
(これで本当に)
頬杖をつき、医者がにこやかに哂う。
「じゃあ、また明日。会えるといいね」
「……?」
どういう意味だ。とは思ったものの、一分たりとも寝ていない頭で風羽はまともに考えることができずに、夜名に連れられて家に帰った。
玄関の前に、乃絵が立っていた。
パンツスーツ姿の夜名を見て、乃絵が少し驚いた顔をする。夜名は一礼すると、家に入って行った。
残された風羽と乃絵は暫し見つめ合い、先に乃絵が口を開いた。
「今日もお出かけだったの?」
「うん」
「って、すごい顔。どうしたの? 病気? 病院に行ってたの?」
「そんなところ」
「いまから蝉取りに誘おうと思ってたんだけどなぁ。その調子じゃ無理そうだね。明日予定、空いてる?」
「ごめん」
「……しょうがないよ。体調が悪いんでしょ? また、誘いに来るから。メールもするね」
「うん」
乃絵の顔をまともに見られない。
風羽は地面に視線を向けたまま答える。
(僕は変わってしまった)
自分が能力者になったことを、乃絵が知ったらどう思うのだろうか。
気味悪がるだろうか。蔑まれるだろうか。
なんせ能力者のほうが少数の時代だ。能力者だからと、気味悪がって学校でいじめられた能力者が自殺したニュースを見たことがある。
乃絵は、風羽の兄が能力者なのを知らない。言う必要はないと思っていた。というより、隠したかった。身内に能力者がいるというだけで、表情には出さないものの、距離を取りたがる人は多い。
兄のことは嫌いではない。というより、むしろ家族の中でも接しやすい相手だった。
乃絵はどう思うのだろうか。風羽が能力者だと知ってまで、彼女は一緒に遊んでくれるのだろうか。
問いかけようと口を開くが、言葉は出てこなかった。
きつく口を引き結び、風羽は微笑んで手を振る。
「またね」
「うん。またね、風羽!」
これが彼女との最後の会話だった。
その日の夜、風羽は夢を見た。
見渡す限り草原の中、一人の少女が立っている。
彼女は後姿だった。だけど、遠目から見てもその姿は目を見張るものがある。
水色にところどころ混じった緑色の長い髪の毛が、風になびいて踊り狂う。風が過ぎ去り、さらさらと流れるかのように髪が彼女の背中に彩を与えていた。それは彼女が白いワンピースを着ているからだろうか。靴を履いていない少女の足は、裸足のまま宙に浮いている。
名前など知らないはずなのに、風羽は彼女の名前を呼んでいた。
なんて言ったのかはわからない。自分の声すら聞こえない。
少女が振り返る。風羽はここで、彼女が少女だということに気づいた。
十歳程にみえる、美しい少女。
風羽は首を傾げる。
どこかで見たことがあるような気がした。
少女の額にはひし形のようなものがあった。ひし形からは、ぴょこんと触角のようなものが二本生えている。
彼女の表情は伺えない。遠目から見ているからだろう。
風羽は彼女に近づこうとした。彼女の灰色がかった唇がゆっくりと開く。
〝だめ〟
声が聞こえたわけじゃない。けれど、そう歪められたような気がした。
風羽は足を止める。
少女に会わなければならない。
それでも足は動かなかった。くぎで打ちつけられたかのように、足を動かすことができない。力も入らない。
自分はどうしてここにいるのだろうか。
わからない。
何かが自分の中に入り込んでくるような、不快感がした。
どうして自分はここにいるのだろうか。
遠くで声が聞こえてくる
『風羽』
いつも聞いている声だ。
どうしてここに?
わからない。
風羽は腕を伸ばした。
透明な何かに当たる。
壁だろうか。
わからない。
意味が分からずに、風羽は声の主を探すことなく前を見続ける。
そこにもう少女はいない。
どこに行ってしまったのだろうか。
彼女の面影を探そうと、顔を上に向ける。
いつのまにか風羽は鳥籠の中に入っていた。
鉄錆びの目立つ、元の色が何なのかわからなくなってしまった鳥籠の中、自分を呼ぶ声がする。
誰だろうか。
聞いたことのあるような、ないような……。
風羽は首だけを後ろに向ける。
遠目に少女の姿が見えた。彼女も鳥籠の中に入っている。唇が必死に動いている。何かを言っている。だけど風羽には聞こえてこない。
そこで風羽は気づいた。鳥籠の形は、何かに似ている。
銀色の鎖のようなそれは、どこかでみたような。
思い出せない。
少女と風羽の鳥かごは、一本のピアノ線で結ばれていた。
突如現れた翼が、それを切断する。
ぷっつん。
音がして、風羽は目を覚ました。
幾度か瞬きをして、風羽は目を開ける。
まだ頭が朦朧としている。体を起こそうとした手に力が入らない。
何か、夢を見ていたような……。
顔を横に向けて、風羽は初めて違和感に気づく。
部屋の中の配置が変わっている。
何かに引っ張られるかのように体を起こした。
部屋の中が荒らされている。
どうして。
風羽は首で輝く銀色の鎖のようなペンダントを見る。
あの医者は、これをつけているだけで能力の暴走は起きないと言っていた。それを、風羽は根拠もなく信じていた。信じてしまっていた。
どこからか風羽を呼ぶ声が聞こえてくる。それは夢の中ではなく、現実世界の声だった。
「ふ、う」
掠れるかのような声は、部屋の入り口から響いていた。
慌てて風羽は彼女に近づいて行く。
入り口の近くに置いてあった本棚が倒れ、飛び散った幾多もの本と本棚の間に彼女は挟まれて倒れている。
少女の手を取り、風羽は彼女の名前を呼んだ。
「乃絵」
小さくいまにも消え入りそうに掠れているその声は、彼女に届いただろうか。
頭を抱えようとして、近くに赤いものが溜まっていることに気づいた。
最初何かわからずに、風羽はおそるおそる指先でそれを触ってみた。
ぬるっとした感触のあと、鉄錆びのような臭い匂いが鼻につく。
「の、え」
がさがさとした声は、ちゃんと発音されているのだろうか。
風羽は彼女の体を起こした。
彼女の髪の毛に血が混じっている。頭から、血が出ている。
チ、ガ、デテイル?
意味が分からずに風羽は、彼女を見下ろす。
彼女は目を開けていない。口も開けていない。辛うじて息をする音が聞こえてくるものの、長くは持たないような気がした。
(どうしてこんなことに)
あの医者は言っていた。
『それは能力を制御するためのペンダントだよ。これをつけている間は、能力が暴走することはない。だた、願えばいい。そのペンダントに……そうだね、静まれ! とか。まあ適当に、能力が暴走しませんように、ってね。いまのままじゃ、穏やかに夜も眠れないだろう』
あれは嘘だったのか。
ああ、そうだ。嘘だったのだ。
どうして信じてしまったのだろうか。
あの医者の言葉を。
彼が本当に何者なのか知らないのに、ただ、能力のことを知らない風羽は、医者だと名乗った彼の言葉を信じるよりほかなくて……。
なんて馬鹿だったのだろうか。
桜色の髪の女性のような風貌の男の姿が脳裏によぎり、風羽は思わず歯をギリッと打ち鳴らした。
心が、
「喜多野風羽様」
聞きなれたはずの、使用人の女性の声が上から響く。
風羽は、キッとした顔で彼女を睨んだ。
パンツスーツ姿の夜名が、そこに立っていた。穏やかな笑みも冷たい瞳もしていない彼女の顔はまるで能面のようで――風羽は、怯んでしまった。
「お迎えに上がりました」
「なに」
果たして声は出たのだろうか。
夜名と呼ばれていた女性は、感情の浮かんでいない機会のような瞳で、ただ風羽を見つめているだけ。彼女は淡々と言葉を紡いでいく。そういえば眼鏡をかけていない。
「貴方の希少な能力は選ばれたのです。『四大精霊』を操れる能力者は数少ないとされています。後天的な能力者ほど、それは少ない。貴方の能力はわたくしたちに必要な能力なのです。一緒に、きていただけますか?」
何を馬鹿げたことを言っている。
声が出せないから、風羽は目だけで彼女に問う。
「一緒にきていただけなければ、仕方がありません。そうですね。相原乃絵さんの体は一生治らないでしょう」
どういう意味だ。
「それは後々わかることですよ」
さて。女性はぺろりと唇を舐めて、表情を変えることなく告げる。
「どうしますか」
風羽は鼻を膨らませて息を吐き出した。
(能力を使うんだ。使いかなんてわからない。けど、僕には能力がある。風を操れる。彼女を、精霊を召喚するんだ)
そんなことできないのに、使い道の知らないに能力は自分を滅ぼすだけだ。
「無駄ですよ。喜多野風羽様。貴方の能力は封印させていただいております。そのペンダントで」
女性から視線を逸らし、風羽はペンダントを掴む。無理やりちぎろうにもこれはシルバーだ。紐のようにはいかない。風羽は少し冷静な頭で後ろに首を回して、そこで女性の笑い声を聞いた。
「ここまでのようですね。時間だ。答えは、『ノー』でよろしかったですね」
あきれたような嘆息。
風羽が顔を上げたとき、そこにもう使用人だった女性はいなかった。
現れたときと同じように、姿は消えていた。
足音が聞こえてくる。部屋の中に二人の男性が入ってきた。
二人の男性の内の一人は、父親だ。いつも硬い表情をしている父親が、驚愕の顔で部屋の中を見渡し、風羽が抱きかかえている乃絵に目を降ろす。
その隣で、険しい顔をしているのは、整った顔をした優男。風羽の兄だ。
「遅かったか」
兄の囁きが遠くで響く。
アドレナリンが切れた風羽は、意識を手放した。




