生贄
「行かないで、、」
絞り出すような声。
そう縋られてしまうと、もう俺は、どうすることもできなくなってしまう。
「セラ、、」
「お願い、、お願いだから、、」
儚く震えている彼女を、とても愛おしいと、いつまでも守りたいと、そう思ったことは、あった。
あった、、のに。
「、、分かった」
思ったよりも、冷たく、突き放した声が出た。
ハッとして、セラの顔を見る。だがセラは、何も言わず、ただ寂しそうに笑っただけだった。
「、、抱きしめて」
「あぁ」
つぶやいて、その細い体に手をまわす。
「イーサン、好きよ、好き、、」
セラのほっそりとした指が、俺の背中を弱く掴む。
「、、」
「イーサン、、」
好き、とは言えない。
それは、本当のことではないから。
「イーサン!」
かつてその名を、太陽の光のように明るく呼んでいたのは、サラ。サラという少女だった。
「見てよ!買っちゃった!」
赤い、フリルのついたワンピース。
それを自慢げに、ひらひらとはためかせ、そして、満面の笑みを浮かべながら、ターンをする。
それは、彼女の、初めて見る衣装だった。
「、、すっげー、ひらひら」
「なっ、感想それだけ?!」
今にも顔を真っ赤にして怒り出しそうな少女に、吹き出しそうになる。
ただの冗談だった。
だから、嘘だよ、と言い、笑う。
「嘘。大人っぽい。可愛い」
フリルは、どことなく子供用のそれではなく、赤いワンピースも、不思議と、大人のそれだと感じた。
だから素直にそう言うと、サラは、そのワンピースに負けないぐらい真っ赤になって俺を見上げた。
「、、なんなのよ、、もう、、イーサンってば、ほんっとタラシ!」
「なんだよ、褒めたのに」
「褒め方がヤラシイ!」
「ひでーなぁ」
いつものやり取りだった。
「、、」
ふと、視線を感じて、顔を上げる。
「ーー、」
目が、あう。
合った瞬間。
真っ白だ、と思った。
「、、ん、セラ?」
サラが、俺の視線の先を追い、不思議そうにそう言う。
その時には既に、少女、セラは背を向け、小道を歩いていた。
「セラ?」
「そう。あの子、最近越してきたみたい。今はうちの近所に住んでるのよ」
「へぇ、、」
「不思議な子よね。なんだか、思わず見ちゃうぐらいには。それに、とっても美人」
確かに、遠目から見てもわかるぐらい、とんでもない美人だった。
けれど、それだけではない、不思議なーー非現実的な、目。
なんだか白昼夢でも見たような気分で、ぼぅっとしてしまう。
ーー色白で、細くて、髪もさらさらで、、
だんだんと遠くから聞こえてくるサラの声。
そう言うサラの声が、どんどんくぐもっていくのに気付く。
「、、サラ?」
「タラシ!バカ!!バカイーサン!!!」
べぇっと舌を出し、さっきまでとても機嫌の良さそうだったサラは、とんでもなく不機嫌になっていた。
「なんだよ、いきなり、、」
「いきなりじゃない!人と話してる時に、別の子にデレデレと鼻の下伸ばしてるからでしょ!それ、最低!」
「、、」
否定はできなかった。
「もう、帰る!」
くるりとサラが背を向ける。
「気をつけろよー」
「余計なお世話!」
やっぱり、べぇっと舌を出し、サラは転がるように、小道を駆けていった。
そんなサラの背中を見て、苦笑する。
ぴんと張った、さっきのセラの背中とは大違いだ。
「、、セラ」
呟く。
ぎゅ、と、どこかが痛くなった気がした。
「サラがね、生贄になるの」
村の、おしゃべりな女の子が教えてくれた。
生贄。
それが何を意味するのかは、俺でもわかる。
「、、なんで、、」
思わず椅子を蹴飛ばす。
雨乞いの儀式。
村に伝わる、忌々しい行事。
100年に一度だけ行われるそれは、どこか物語の中の出来事のような気がしていた。
そしてまた、本物の人間の生贄が使われることはないだろうと、ましてやこの現代で、そんなことはあり得ないだろうと、そう思っていた自分もいた。
「反対だ」
そう言う大人は居た。
だが、不思議なことに、それを口に出した大人は、皆不幸に見舞われた。
怪我、病気、あるいは、死。
これがますます村人の恐怖に拍車を掛けた。
必ず遂行すると、必ず生贄を捧げると、そういった恐怖の渦が村を取り巻いていた。
、、問題は、誰が生贄になるか、だけだ。
村の若い女は怯えた。
そして、
「雨神様が、それをお決めになる」
村の祈祷師は、静かにそう言った。
「サラ」
大切な、妹のような、、いや、それよりももっと、大事な人。
笑う顔が可愛くて、いつしか、、恋に落ちていた。
今になって、気付くだなんて。
誰が生贄になるかは、突然決まった。
「サラだ」
誰かがそう言った。
誰が言い出したかはわからない。
ただ、恐怖と噂が伝染し、いつの間にか、そうなっていた。
「嫌、、嫌よ、、」
サラの怯えた顔は、今でも覚えている。
「サラ、、」
暗い部屋の隅で肩を抱くサラは、とても小さく、儚かった。
「、、私なんか、居なくなればいいって、思ってるんでしょ」
「そんな訳、、」
「そうよ!!だって、あんたは、セラが好きなんでしょ?!そんなの分かるわよ!!!セラと、、いつか、一緒になるんだわ、、私が苦痛に苦しみながら死んだ、その後に!!!!」
サラが、近くにあったコップを投げつける。
それは机の脚に当たり、砕けた。
「、、あり得ない」
「、、わかるのよ、、」
サラが、涙で濡れた顔を向ける。
「何だろうね。私、生贄になんかなりたくない。死にたくないわ。だけど、、分かっちゃうの。どんどん、変な力が入り込んでくるのがわかる。未来が見える、過去も見える。不思議なの、、私でなくなっていくの、、確かに、私は、神様の生贄なんだわ、、」
サラはそう言い、しゃくりあげて泣いていた。
俺はどうしようもなく苦しくなり、そっと横に跪き、サラを抱きしめる。
「、、イーサン、、」
「逃げよう、サラ」
それは、ここへ来る前から決めていたことだった。
「無理よ、、」
「無理なんかじゃない。きっとうまくいく」
見つめ合う。
「俺は、サラが好きなんだ」
「まさか、、」
「セラ?話したこともない。俺は、お前が好きだ。笑う顔が好きで、いつまでも一緒に居たいと、ようやく気付いたんだ。お願いだ、一緒に行こう」
サラが、嘘、と呟きながら、けれど、顔をぐしゃぐしゃにして、また泣く。
「なんだかなぁ、、私、、ずっとイーサンが好きだったの、、あなたのお嫁さんになるのが、夢だったの、、」
「サラ、、」
「断るのが、私が生贄になるのが、一番いいのに、、駄目だ、私、弱くて、、」
「弱くなんかない、当たり前のことだ」
「生きたいよ。だけど、イーサン、あなたが死んでしまうのだけは、、」
「サラ。このままなら、どの道、サラは死ぬ」
なら、と言い、サラの頬にそっと手を添えた。
「どうせなら、一緒に死のう」
サラが、泣きながら笑い、抱きつく。
「ごめんなさい、、ありがとう、、ありがとう、イーサン、、」
心が通じ合う。
最高に、幸せな気分だった。
けれど、そうして抱き合う俺たちを見ていた人間がいただなんて、、知らなかったのだ。
サラの手を引き、森を駆ける。
「サラ」
「イーサン」
互いの名を呼びあう。
このまま死んでもいいと思った。
、、実際、死ぬのだろうと思った。
だから、お互いが持った、白い毒の実。
それだけが、希望だった。
「、、居たぞ!」
思ったより早い追っ手の火。
ただがむしゃらに逃げた。
けれどーー
「、、イーサン」
サラが、弱々しく笑う。
そして、手を取り合い、そっと、キスをする。
「夢、見させてくれて、、ありがとう、、」
ハッと、目を見張る。
手の中にあった実は、いつの間にか彼女の手の中へ。
「ーー、」
そして、後頭部に激しい痛み。
最後に見たのは、微笑みながらそっと目を閉じる、サラの姿だった。
「ーー、」
「、、起きましたか?」
バッと体を起こす。
鈴の音のような声がした。
「、、」
じっと、深い悲しみの目でこちらを見る少女。
ーーセラ。
「、、サラは、」
喘ぎ喘ぎ、そう言う。
セラは何も言わずに、目を伏せた。
その目から、ひとしずくの涙が溢れる。
そして、目に入る、村人たちの真っ赤な斧。
それが全ての答えだった。
ただ泣いた。
己の弱さに。
守れなかった一つの命に。
「イーサン、、」
苦しげな声と、背にそっと手を添えられる、セラの小さな手。
「っ、触るな!!!」
咄嗟に振り払う。
が、
「、、っはは、、っ」
思わず笑ってしまう。
手足に厳重に付けられた、鎖。
全ての自由を奪っていた。
ぼんやりと、サラの笑顔を思い返す。
自由が奪われたのなら、舌を噛んで死ねばいい。あるいは、餓死を。
そう考えた。
が、思考が定まらず、ぼんやりとしていく。
、、匂いだ。
甘い香り。
「、、イーサン、、」
セラが、遠くでそう俺を呼ぶ。
「大丈夫、、あなたは全て、忘れるの」
そう囁いた少女は、どこもかしこも真っ白く、この世の者とは思えないほど美しく、けれど、、
殺したいほど、憎いと思った。
「、、イーサン」
記憶は全て書き換えられた。
俺は、セラを壊れ物のように扱う。
全身で好きだと思う。
愛しいと思う。
言葉にはしないけれど。
俺の幼なじみは、とても美人で、けれどどこか引っ込み思案で、はにかみ屋で、、
俺を決して、罵倒したりしない。
「私ね、イーサンが初恋なの」
「嘘だろ」
思わず口から出る。
冗談だ、笑う。
「いつから?」
俺はセラを横抱きにし、ベッドへ押し倒す。
「いつからだろう、、」
彼女が、くすくすと笑う。
「あなたを見たときから」
違和感。
張り付いた違和感に、顔を歪める。
「、、いつ、、」
「駄目よ、イーサン、」
拳を握りしめた俺の手を、そっと、セラが包む。
「駄目」
そして、微笑まれてしまうと、それが正しく、それが全てなのだと思ってしまう。
他のことは、どうでもよくなってしまう。
「セラ、、」
キスを落とした。
どうしようもなくて、激しく唇を奪う。
「、、」
「ふふ」
セラが笑う。
幸せそうに。だけれど、寂しそうに。
「あなたが好きよ」
それは、誰の言葉だったろうか。
「、、イーサン」
セラは、呟いた。
真っ赤なワンピースを着た女の子と向き合って、笑う彼。
物欲しげにじっと見つめていたら、目が合った。
、、欲しいと。
そう思った。
「、、」
考える。
セラは、生まれた時から不思議な力を持っていた。
神様の子供、と、母は言った。
神様。
なら、生贄を捧げねば。
セラはひっそりと笑った。
生贄は、サラ。
サラで決まり。
雨は降らせよう。
この村は私が守ってあげる。
けれど、、本当に欲しいのは、
振り向く。
イーサン。
私の、生贄。
《私を、忘れないで》
誰かの言葉が頭に響く。
忘れない。
だから、、
だから決して、他の誰かには、愛は囁かない。