好きなものだから疲れない、なんてことはないのです
寝ない食べない出歩かないは、小説を書いている時の基本だったりする。
部屋に引きこもって、ひたすらキーボードを叩きながら、ワードに文字を打ち込んでいく作業。
それが一段落ついてくると、流石に体が色々と感じ取って要求してくる。
お腹は鳴り出すし、欠伸も出てくるというもの。
そもそも小説を書くことと並べられるくらいに、睡眠を取ること――惰眠を貪るのは大好きだ。
ただ集中し始めると、他のことに気が回らなくなるだけ。
お腹空いたなぁ、と思うよりも先に眠い、と思ってしまうのが私だ。
事実ちょっと気を抜いたら、このまま机に突っ伏して寝てしまいそうになる。
そんなことしたら、手がキーボードに触れたままになったりして、無意味な文字列が並べられることだろう。
下手したらデータが消える。
「眠い怠い眠いお腹空いた眠い」
呪文のように呟きながらも、手の動きは衰えることなく、むしろスピードを上げていく。
文字を打って変換をかけて、改行をして、頭の中にある全ての言葉をパソコンの画面の中に吐き出した。
小説を書くっていうのは、こういうこと。
自分の中にある全てを吐き出して、書き出す。
最後の文字を打ち出せば、頭の中に溜まっていて、行き場のなかった言葉達が全て消えてなくなる。
そうしてそれらが、目の前のパソコンの画面の中で踊っていて、私の中には達成感や満足感が生まれた。
タタンッ、とフィニッシュという意味を込めて、強めにエンターキーを叩けば、完成――完結。
マウスを弄って上書き保存をすれば、パソコンを閉じてベッドにダイブするだけ。
「終わったぁ、眠い」
回転椅子を引いて体を伸ばす。
凝り固まった筋肉が悲鳴を上げているし、骨に至ってはポキポキなんて可愛い音を通り越してバキゴキッ、といい音を鳴らした。
「おー、お疲れさん」
「はぁ?」
突然かけられた声に、首だけで振り返る。
その瞬間にも骨が鳴ったけれど、それよりも何故私の作業場たる自室に、その人物がいるのかの方が重要だった。
ここ数日使っていないベッドの上で、のんびりと腰を掛けながら、私の部屋に置いてあったのであろう雑誌を開くその人物は、私の彼氏。
彼氏なのだが、取り敢えず人様の部屋に勝手に上がり込んでいるのは、如何なものかと思う。
それが例え、彼女の部屋だとしても。
「……何で、いるの」
大声を出すのも億劫だ。
女子高校生とは思わしくない掠れた声に、流石の彼氏様も顔を顰めている。
水分もほとんど取っていないから、口の中が乾燥していて違和感が酷い。
喉を撫でれば、来る途中にでも買ってきたのであろう飲み物を投げられた。
体を動かさなかったせいなのか、元々の身体能力の低さが原因なのか、キャッチすることは叶わずに、ゴトッ、と鈍い音を立てて足元にペットボトルが落ちる。
「実は昨日からいた、って言ったら驚く?」
「はぁ?!」
驚き過ぎて声を大きくした瞬間に、喉にビリッ、とした痛みが走って顔を歪める。
椅子から降りて拾い上げたペットボトルのラベルに視線を落とせば、良く見慣れたもので『梨味』という文字と一緒に、梨の絵が添えられていた。
確か期間限定だったか、新発売だかだった気がする。
相変わらず私の好みを分かっているらしい。
新発売も期間限定も大好きだ。
カシュッ、と音を立ててキャップを開ければ「まぁ、嘘だけど」という声と混ざる。
結局今日の朝からいたらしいけれど、今はもう午後だ。
だいぶ長い間居座っていたらしい。
彼は読んでいたらしい雑誌を閉じて、ベッドの上に置く。
見覚えのある表紙は、文学小説が載っているもので、まだ私も読んでいない今月号だ。
勝手に読むなよ。
乾いた喉に炭酸が通っていく。
彼は喉を鳴らしてそれを飲む私を、にこにこと眺めていて正直飲みにくいったらない。
「それで終わり?」と彼が指を差した先にあるのは、私のノートパソコン。
今年新型に切り替えたばかりのそれは、堂々と私の机の上に居座っている。
正しく我が物顔というもの。
そうして、そのパソコンの画面は未だに青白い光を放っていて、その中には先程書き終わったばかりの小説の保存先が表示されていた。
「あぁ、うん。これで百本目」
小説を書くのが好きだ。
それに関してだけは妥協をすることなく、取り敢えずひたすらに書き続けようと思う。
結局、書き続けることで上達するし、結果が出るのだから。
年間に小説を百本書く、という明確な目標は、いつからか立てられていて、毎年毎年私はその目標を達成してきた。
だから今年も達成する。
――達成した。
「だから、ちょっと、寝かせて」
眠いんだよ。
最後の一本ということで、何度も何度もかいては消してを繰り返して、寝てない食べてない動いていない。
そもそもこの状態で彼に会うのも嫌なのだ。
彼はそんなことお構いなしに上がり込んでいるが。
髪を結い上げていたシュシュを外せば、少しだけ肩が軽くなったような気がした。
だいぶ体が鈍っていて、下手したら首が回らなくなりそうだ。
重い足取りでベッドへ向かうが、私の部屋の私のベッドだと言うのに、彼は避ける気がないようで、そのまま座って私を見上げる。
「退けて」
「えー?」
笑顔で小首を傾げる彼はあざとい。
狙ってます、と顔に書いてあるくせに、女の子のぶりっ子とは違う何かがある。
だが、今すぐベッドにダイブして、泥のように眠りたい私は、頭に血が上っていくような感覚を覚えた。
「お疲れさん」
突然かけてきた時と同じ言葉を繰り返す。
笑顔の彼が私の手を掴み、私と一緒になってベッドへダイブして、愛おしそうに壊れ物を扱うように、私の頭を撫でる。
いや、お風呂入ってないから止めて。
なけなしの私の女心を理解してくれ。
そう思っているくせに、頭の上にある手を振り払えない私は、非常に矛盾している。
楽しそうに笑いながら、私を抱きしめている彼は、本気で何をしに来たのだろうか。
ブルーライトで酷使された目が痛む。
喉だけじゃなく目まで乾いているらしくて、もう取り敢えず目を閉じてしまいたい。
睡魔が倦怠感と共に私の体を包み込む。
優しい手付きに任せて、小説も書き終わったしいいかな、なんて思い始める。
彼が三度目の「お疲れさん」を言った時には、もう瞼が閉じて真っ暗で、襲い掛かる睡魔に身を預けていた。