始動とその裏
レムエルが決定したことが直ちに全国へ伝えられ、ギルドの伝達を用いて予防策が講じられ始めた。
一つは王都で作っている野菜や根菜、花や香水を各地にばらまくこと。
どれも早く育てるためにレムエルが時折精霊の力を加えているため、野菜や根菜の中に、花や香水には匂いや香りに精霊の力が宿っている。
それを食したり、部屋に充満させると予防になるということだ。
恐らくそれ一度では効かないという判断が下され、レムエル達が何か策を考え付くまでの予防策となる。
もう一つはアクアスの水やマグエストの温泉だ。
一気に広めると行く者が多くなり、無用な騒動や暴動などが起きるであろうと考えられ、少しずつ水を運び、飲料水や体を拭く清め水のような扱いとなった。
現在もレムエルが精霊の力を使い、ルゥクスの領主シュヘーゼンの屋敷で精霊の力を込めている。
そして、最後に現在大人数で製作を行っているマスクだ。
「素材は布と紐が二本。今回は清潔な布を二枚重ねて、四角く少し幅を取って縫い合わせる。その幅両端の間に紐を入れて縫って終わりだよ」
レムエルの手元には顔下半分が隠れるぐらいの平面マスクが出来上がっていた。
レムエルはこういったことも得意な方で、村に住んでいた時はレッラ達の手伝いをしたりしていたのだ。
「その表面に吸魔草の粉末を水で溶いた物を塗ればいいのね」
活発なメロディーネも淑女として育てられているため、刺繍等で裁縫はわりと得意な方に分類される。
各国に警戒の伝達を行っていたジュリア王妃も一段落が付き、現在はマスク製作を行っている。
「これなら吸う魔力は防げそうね。これはどのくらい効果があるか分かっているのかしら?」
ジュリア王妃は布を適切な大きさに切りながら訊ねた。
指先に風魔法を使い、手早くスパッと切っている。
「マスク自体はしっかり洗って清潔にすれば再度使えるんだ。でも、今回は吸魔草の持続時間が最大だろうから、余裕を持って半日だと思う」
「ということは……朝起きて寝るまでぐらいは持つってことね」
メロディーネの満足げな言葉にレムエルは頷く。
レムエルが作ったマスクは精霊の力が宿され、幼い子供達の為に配られている。
今回はスラムの者達にも徹底して渡さなければならず、貴族だけでなく国民全体に厳しく言い渡されていた。
「でも、夜中もしていないといけないからね。吸魔草が無くなる前に対処に動かないといけないよ」
レムエルは情けない顔になりながらも力強く口にした。
ソニヤは騎士達を引き連れ吸魔草の採取を行い、レッラはシュヘーゼンと一緒に運搬作業や調べ物をしている。
護衛にはシュヘーゼンの兵士達がいるため大丈夫であり、もうすぐマイレスたちが到着することが伝えられていた。
「スラムも気を付けないといけないのよね」
「そうだよ。スラムだからと放っておいていい問題じゃないし、放っておくとまた蔓延するだろうからね」
病気の寝床になりやすいスラムだが、見放すと一向にその病気は根絶できないということだ。
今回は発症地点ではない為スラムの者も等しく平等で、レムエルの名において苦しみたくなければスラムの者も治療せよ、と発令してある。
皆レムエルの言うことと、安全にするためにという意味を理解したため不満を覚えながらも手を尽くしていた。
「メリー、スラムの人達も国民なのよ。王都のスラムはレムエルの発案で大分数を減らし、街も改築されて住みやすくなっているようだけど」
ジュリア王妃は楽しそうにレムエルの功績を褒める。
メロディーネもスラムの人達に何かあるというわけではなく、一度誘拐されかけたりと恐怖があるのだ。
ただ、スラムの人達を人と見ていないというわけではない。
「使える人は使わないとね。僕が作っている物以外は誰が作っても同じなんだしさ」
王族が作った物。
それだけで付加価値が付くだろうが、今はそんなことを言っている場合ではない。
等しく国民全員に行き渡らせなければならない。
その間に精霊の品を量産し、行き渡ったことが確認され次第レムエルが本格的に動くのだ。
「私も精霊と友達になれたらいいんだけど……」
メロディーネはレムエルの隣でマスク製作を手伝っている、いやに人臭い精霊を見てしみじみといったように羨むよう呟く。
最初の頃は崇めて緊張している様子だったが、執務をしている姿やレムエルと戯れている姿を見ていると、どうも一人の人間として考えるようになるのだ。
最近では有難味というよりも、微笑ましさや便利性に傾いている。
「精霊と友達にはなれるけど、力の行使はよく分かっていないんだ。体質にしてもまだ世界に二人しかいないみたいだからね」
『……♪』
隣でコロコロと音が鳴りそうな笑顔を見せ、空中で幾つものマスクを作っている精霊達。
この器用さが自然を司る精霊の力なのだ、と思わされる。
精霊教教皇エゼルミアもこの事態に協力を申し出、精霊教が本格的に動き始めてもいた。
エゼルミア精霊教皇はロザリオの力を借りレムエルと同じように精霊の品を作っている。
その品が大量に送られつつあるということだ。
その対価は内乱時満足な支援が出来なかったというお返しで、精霊教が生産している森の茶葉や薬に込めているということだ。
あと数日もすれば精霊教に届き本格的に治療が始まるとのことだ。
「無い物強請りをしても無駄よ。レムエルがいれば貴方とも遊べるのだからいいじゃない」
「そう、ね。さあ、レムエル、お母様、頑張りましょう!」
その頃、アブラム先代国王は通信の魔道具を使い、王都にいるアースワーズと連絡を取りながら周辺国に情報と警戒を知らせていた。
とはいえ、通信の魔道具では他国とやり取りは出来ない為、王家の紋章入りの手紙を伝書鳩や早馬、ギルドの伝手を使い知らせる。
二か月前の誕生会で各国と話し合いが出来、急遽手紙を渡しても外交問題まで発展することはないと言えた。
帝国側の国々にはギルドを通じてのみ警戒を促した。
出したばかりでほとんどの国の動きはまだわからないが、フラング国の様な友好国はギルドを通じて直接やり取りを行い、直ちに調査と支援を行ってくれる旨を貰った。
共同開発している花等も無くなっても良いから使うべきだと意見が一致したのだ。
「久しぶりに仕事をすると疲れるものだな」
アブラム先代国王はシュヘーゼンに仕える執事長バルサムに紅茶を注いでもらい、久しぶりに溜まる仕事疲れを癒す。
紅茶は少し熱めのハーブティーで、今回持参した疲れを取る為の紅茶だ。
レムエル発案のジュリア王妃とファムリアを中心に開発をしたフラング国との商品となる。
『父上はまだ体調が万全ではないのだからほどほどに』
そんなアブラム先代国王を気遣うアースワーズの声が魔道具から届く。
出来れば円形の水晶に通信機能を付け、遠方の様子も見ながら直接通信できるようにしたかったらしい。
だが、魔力の回線で映像も送る、ということをどうすればいいのか分からず現在研究中とのことだ。
距離が稼げただけ大した進歩といえる。
「何を? わしはまだ若いもんには負けん。少なくともレムエルが成人するまでは現役バリバリでおるつもりだ」
少し前まで生死を彷徨い床に伏せていた者とは思えない発言だ。
アースワーズもそれを分かっているからか、大きくはない笑い声を上げる。
『それでも気を付けてくれ。父上は歳なのだから』
「そうだな。レムエルが精霊と共でなければ未だに身体を動かすこともままならなかったであろう」
『レムエルには感謝しかない。ソニヤ達もあそこまで純粋に良く育ててくれたものだ。ただ、見た目に反して突拍子が過ぎるところが欠点だが』
アブラム先代国王は歳のことを出されても気にした様子無く応え、アースワーズが言うように笑顔が似合う、目を離すと何をしでかすか分からないレムエルを思い出し頬が緩む。
「そのレムエルのおかげで今回も早急に手が打てるのだ。元は儂の発言だが、ロガン相手に数日で取り次ぐとは思いもよらなかった」
『ははは、ロガンもレムエルのことを本当の息子の様に思っているからな。多少の我儘も聞きたくなるのだろう』
「ふん、儂の方が父親らしいわ」
紅茶で口の中を湿らせ、魔道具から目を離すアブラム先代国王。
バルサムはレムエルと似ているその姿に目を綻ばせ、再び元気な姿を目にすることができ嬉しく思うのだった。
その気持ちはシュヘーゼン達古い友人も同じで、今回のお忍びは友人たちと語り合うという意味もあるのだろう。
『それにしても食材を調理して運ぶとは考えたとしか言えん。手間がかかるが、シュティーとショティーが上手くやってくれている』
「儂も昼食として食べさせてもらったが、あれは画期的であり、軍の在り方を変えるだろう。いや、世界を変えるやもしれん」
二人が素直に感心するそれこそが後にクォフォードとリウユファウスに送られることになる瓶詰だ。
まだ精霊の手を借りる試作段階だが、少なくとも一週間は持つ物を人の手だけで作れる実証は済んでいた。
今回持ち込んだのも不測の事態やお忍びを利用して瓶詰を披露する計画だったからだ。
レムエルは楽しみだということしかあまり考えていないかもしれないが。
「瓶を熱で消毒し、出来立ての料理を外気に触れさせないで瓶に詰め、風魔法で空気を除去し蝋で蓋をする。それだけで調理済みの料理が長期間保存できるとはな」
アブラム先代国王はこの時代画期的と言える調理済みの長期保存食法に感心する。
『それにあの二人が料理に才能があるとは思わなかった』
二人とは第四王子オスカルと第五王子ジャスティンのことだ。
この二人は何もしなかったという職務放棄に近い罪で軟禁処分の位置から教育し直され、半年間でそれなりに体型も整い始めていた。
王族だからと言って良いのか元の素材は良く、痩せればレムエル程ではないが美男子となるのだ。
あと一年もすれば普通に社交界で人気となる貴公子と成れるだろうと噂されている。
そんな二人が料理の才能を開花させたのは偏にレムエルやメロディーネの存在が大きくある。
弟や妹がしっかりしているという兄のプライドが小さいながらも刺激され、情けなさを払拭するために手の入っていないところを模索した結果だ。
料理に関してはレムエルが行っていたがそれでも国のことで手が回らず、食事中に新たなことを考える程度だった。
それに目を付け、二人が申し出たためレムエルは任せることにした。
才能は一カ月ほどで開花し、元から美味しい物を食べていたというのもあり、今回の保存食も計算して調理されている。
元の保存食も食べやすいよう改良され、現在はレムエルの呟きである乾燥料理(パスタやルー等のこと)を覚え始めた魔法を使って模索しているとのことだ。
この二人は数年後料理の貴公子や美食家と呼ばれるようになる。
『今までは硬いパンや塩漬けの肉が主流だった。嗜好品として肉やチーズ、休憩した街等で料理を食べ、運が良ければ焼き立ての魔物肉が食べられる』
「知らなければそれで満足できよう。儂も戦場に立っていた頃はそうだった。バルサムもそうであろう?」
背後に立っているバルサムに目を向ける。
「はい、戦時中だけでなく遠征や旅先で出来立ての料理が食べられるというのは士気に関わります。瓶ということで多少費用と積み荷の問題があるかと思いますが、その分見返りは大きいです」
元軍人のバルサムらしい返答にアブラム先代国王とアースワーズは揃って頷く。
『瓶の製作は他国からも輸入すれば間に合うだろう。今回は瓶を回収して持ち帰らせれば良いだけだ』
瓶は洗って再利用する、これはポーションの類や保存する時にも利用されていることで、高価であるため使い捨てする者はいないと言っても良い。
また、割れやすい為改良した新たな瓶が作られ、魔法を応用して遠方にも割ることなく届けることが可能となっている。
「まさか旅行先でこのようなことになるとはな。レムエルはこれらのことを予知しておったのだろうか?」
仮にそうであるのなら賢王を越えた神の如き、という単語が頭に浮かぶアブラム先代国王。
『そこまで考えていないはずだ。レムエルは人を幸せにすることしか頭になく、行き当たりばったりの思い付きで行動することが多い。そのフォローが大変だが、大概何事も上手く行く』
「まるで世界に愛されているかのように、という言葉が適切なようです」
アースワーズの世話の焼ける弟に対する評価とバルサムの率直な評価。
二人の評価にアブラム先代国王は父親として嬉しく、この先の王国は安泰であるだろうと頷く。
だが、レムエルの行く末は今回のことにしろ波乱に満ちているだろうと思えてならず、自分がいなくなった後は大丈夫かと心配になるのだった。
『と、そろそろ時間だ。父上、南部の夜はまだ寒く長いからな、身体に気を付けてくれ』
「うむ、了承しておる。お前も気を付けるんだぞ」
『マイレス達も夕方には到着するだろう。ソニヤ達にもよろしくと伝えてほしい』
そこで通信が切れ、窓の外に見える赤みを増しつつある青い空を眺め、すっかり冷めた紅茶を含み一息つくのだった。
夜が更け始めた頃、チェルエム王国の王城では国王の居ないパーティーが開かれていた。
このパーティーは現在起きている症状を話し合う貴族とギルド関係者の会議の息抜きだ。
ただし、裏では暗躍する貴族の矛を折る為の計画が進められ、マイレスからルゥクスに到着した報告を聞き開かれた断罪パーティーでもあった。
「お疲れのところ済まないな。これを乗り切れば少しだけ休めるからもう少し頑張ってくれ」
この事態に急いで帰ってきた近衛団長ハーストに、アースワーズはパーティーの準備をしながらねぎらいの言葉をかけた。
「いえ、大事な時におらず申し訳ありません。城内の警備であれば待機兵だけでどうにかなります」
疲れているだろうにハーストはそれを見せない元気な声で返した。
彼の後ろには副団長や有能な騎士達が整列し待機している。
「では、早速で悪いがお前達に新たな任務を言い渡す」
『はっ、何なりとお申し付けください』
アースワーズは手を止めハースト達の方へ振り向く。
ハースト達は背筋を伸ばして佇まいを直し、任務を遂行する騎士の鏡のような態度を取った。
半年前まではお目にかかれない姿だろう。
それは騎士達の忠誠力を示すだけでなく、物事に対する姿勢ややる気など心を示すことにもなる。
軍部は新たな規律により個人が物事を考えるように教育され、細かく瞬時な連携の取り方やその場において適切な判断を上の伺いを立てずとも動けるようになっている。
遠征はそれを養う訓練でもあり、今回の分かり切っている襲撃はその本番としてもってこいと言えた。
近衛と銀鳳の二つの騎士団の遠方連携や黒凛の団長不在での動きなど、どれをとっても良い訓練となるということだ。
それを承知でレムエルは何も手を出さずに王都と貴族のことを任せた。
完全に夜が更け、満天の星々と欠けた月を隠す疎らな雲が生える夜空の中、王城では会議の合間の息抜きという名目のパーティーが開かれていた。
数か月間揃うことのなかった四方公爵が出席し、今まで領地に隠れ……もとい引き篭もっていた貴族もにこやかな顔を浮かべてパーテョーを楽しんでいる。
彼らは会議に出席しない者が多くいるが、報告書の提出や子供のお披露目など理由は様々と付けられる。
それに誘われれば断る理由もないだろう。
このパーティーは王城で行っているが開くのは会議であるため、強引な言い方をすると会議に出席する者が招けば顔出しぐらいは出来るということになる。
「改めまして、アースワーズ殿下。東部を治めますアレックス・フォグワーと申します。若輩者ですが、よろしくお願いします」
南部筆頭領主バレボス・フォークリン公爵と西部筆頭領主グレゴール・ウィンコット公爵とにこやかに談笑していた所へ、まだ二十代前半と思しき青年が綺麗な一礼と共に挨拶を口にした。
彼が新たなフォグワー公爵家の領主となった、過去まで遡って見つけ出した人物だ。
「ああ、こちらこそ頼む。贔屓することは出来ないが、多少のことは手を貸す。こちらが無理やり頼み込んだのだからな」
「我々も先人として教えられることは教えよう」
「今は非常時でもあるからな。協力せねば国を、領民を豊かに出来まい」
彼自身は貴族の息子ではあったが、見つけ出した時には冒険者として生活しており、そこを無理やり頼み込んで今の地位についてもらったのだ。
青天の霹靂であっただろう。
当然反発やしがらみなどいろいろとあった。
そこをレムエル達が後ろ盾となり、もともと有能だったのか覚えが良く、冒険者だったこともあり差別意識などなかった。
貴族としてはまだまだだが、どうにか首が繋がった状態といえた。
「といっても私の仕事は判子を押したり、領内の見回りぐらいですけどね。本当に自由にしてよろしいのですか?」
彼に貴族の責務を全うしろ、というのは酷な話で、彼には後継ぎが出来るまで最低限貴族としてやっていてくれればいいという話になっていた。
それでも彼からすると自由を奪われ人生を狂わされることになる。
後継ぎが出来れば用無しでも話も悪い為、出来る限り便宜を図るのだ。
配偶者も最低条件はあるが彼が選んだ相手を見繕い、週に数日は冒険者のような生活も許可していた。
これは現在国中の食材を吟味する仕事に就いている前領主デトロフストが断罪されずに補佐し、領主代行のような人物も派遣されている。
彼がすることは本当に最低限のことで、用が済めば彼がしたかったということをさせるつもりだ。
「ああ、勿論だ。お前自身実に有能だからな。約束通り後継ぎが出来れば絵描きとして雇っても良いそうだ」
そう、彼は子供の頃から絵描きとなりたかったのだ。
だが、絵描きになるには膨大な費用が掛かり、練習するにもそれなりにお金がかかってしまう。
そのため冒険者となり、魔物の絵が入った図鑑製作や冒険者専用の地図等を描いたりして生計を立てていた。
「本当ですか! これで子供の頃からの夢が叶います!」
相手が王族と公爵二人であることを忘れて喜ぶほどうれしいのだろう。
アースワーズ達三人も新たな公爵当主として受け入れ、この真っ直ぐな性格が好印象だった。
それに絵に対する才能があるというのはとても良い事でもあった。
「ははは、お前には期待しているぞ。レムエルはお前の才能を買い、冒険者ギルドと連携して図鑑を作るそうだ」
「図鑑ですか? 失礼ながら図鑑なら詳しいのがすでにあると思うのですが……。それにそれと私の絵が何か?」
得てして当たり前ではないことは気付けないことだ。
「分からないのか? 例えば間違えやすい薬草の類を絵としても記し、新人や子供達には魔物の絵を見せよりわかりやすく、他にも現在作られている野菜や花等の育て方を図解にする」
「そうすることで過ちを犯さないようにするのだよ。現在は発展にある。金も人も知識も足りないんでな」
「植物の国プランティアと共同で紙の開発に成功してな、庶民向けには出来ないがかなり安価で本が作れるようになった。学校や機関で教育材としては使える費用に抑えられる」
「な、なるほど! 冒険者の死亡率も低くなりますし、絵師も陽の目が見れるということですね!」
やっとのことで気付けたアレックスに、全員が満足げに頷いた。
アレックスの言う通りこの図鑑作りは将来が危ぶまれる絵師達への支援でもあり、今まで廃棄されていた木片や木屑の利用が出来る画期的なアイデアだった。
プランティアは紙の生産が出来るようになり、王国は安価で紙を輸入し本が作れる。
更に染色やインクの類が特産の国々とも連携が出来、目下もっと安価な本作りが研究されている。
和気藹々と領地内での出来事を話し合っていると、ワインを持った執事が近づきアースワーズの耳元で何かを囁いた。
「殿下、来られたようです」
「来たか……。準備に移れ」
「はっ」
執事が目を向けた方向に、ワインをそれぞれ受け取った四人は目を向ける。
そこには取り巻きの貴族を連れたいやに晴やかで、これから起きることが楽しみで仕方がない様子をあからさまに顔に出したグローランツ公爵がいた。
それに気づいた他の貴族達も談笑を続けながら目を向け、今から起きる見世物に意識を傾ける。
いよいよ公開処刑が始まるのだ。
精霊教とレムエルに仇成した敵を許す者はいない。
それほどまでにこの半年で情勢と派閥の勢いが覆り、国王派と反対派は手を組み旧時代最後の膿を王国から永久に取り除くことにしたのだ。
それはグローランツ公爵派の貴族は完全に孤立しているということに他ならない。
今パーティーに多くの貴族が出席しているのもそのためだ。
「これはこれはアースワーズ殿下。今まで碌に会議に顔が出せず申し訳ありませんでした」
計画はばれていないとほくそ笑み、口元に浮かぶ笑みは取り繕っているつもりなのだろう。
「ああ、体調は良いようだな。お前がいない間いろいろなことを決めてしまったが、そちらは上手く出来ているだろうか?」
まずは牽制。
お前がいなくともことは進められる、早く隠居しろと告げているのだ。
「はい、北部はきちんと纏めてあります。今巷を騒がせている件も北部ではいまだ報告はありませんので」
「そうか。発症してからでは遅いのでな、お前がしっかりと調査せよ」
「かしこまりました。まあ、どこかと違い北部は平穏ですから大丈夫かと。代替わりした東部の若い公爵は元冒険者だったと聞きましたが、大丈夫ですかな? 隣は症状の出どころである南部でしょう?」
北部の平穏は仮初で、国が動いているからこそだと誰もが知っている。
それに北部でも発症例は出ている。
職務が全うできていないと告げているようなものだ。
アースワーズの仕事をしろという言葉を受け流し、アレックス公爵に嫌味を、バレボス公爵に症状の件はお前のせいだと告げる。
「確かに発症は我が南部。ただし、その原因は我々ではない。それにフォグワー公爵には最大の支援と情報提供をしてもらっている。それは単なる成り上がった貴族では出来ぬ」
「我らと対等に話せるだけで見どころがある」
対応に慣れていないアレックス公爵に変わり、バレボス公爵とグレゴール公爵が割って入る。
それほど二人はアレックス公爵のことを認めているのだ。
それに気づいたグローランツ公爵は眉をピクピクと動かしながら笑みを深め、
「ほう、対等ですと? やはり隣り合っていると似てくるようですな」
人族主義に染まっている彼らは蔑むような嘲笑を浮かべる。
しかし、すでにここは他種族も許容する寛容な場となっている。
その言葉は自分の身に跳ね返ってくるだろう。
「では、レムエルも俺も彼等と一緒、ということだな」
アースワーズのその言葉の場が凍り付く。
だが、そこで留めるほどアースワーズは優しくない。
「フォグワー公爵は将来レムエルが期待している。その才能が国を、国民を豊かにすると信じてな」
「お言葉ですが、殿下。彼の才能でそこまで大きなことができるとは思えません。冒険者だからといって――」
一人の力でというように肩を竦めるグローランツ公爵に、お返しに鼻で笑い続きを離させないよう手で上げた。
「殿下、何がおかしいので? そこに居るのは冒険者風情の成り上がりなのでしょう? なら、期待されるのも――」
「そこが勘違いだ、セネリアル公爵」
アースワーズはワインを飲み干し、執事にグラスを返しグローランツ公爵に向き直る。
「彼の才能は武力ではない。この時代圧倒的に数が少なく、庶民がなろうと思う職業ではない、費用も馬鹿にならない画家だ」
「画家、ですか? 絵が描けるからといってなんだというのです。今は敵対する帝国と戦う武力と戦力、国と領地を守る財力と権力と知力。生きるために絵が描けなくとも……」
背後の取り巻きは少しは情報を集めているのか、なんとなくだが察しを付けている顔になる。
グローランツ公爵は全く情報を集めず、虎視眈々と己が良い目を見ることだけを、レムエルに逆恨みの恨みを晴らすために、今まで狙っていた。
もう正常な判断を下せず、濁った思いを成就させるためだけに今回の計画がなされたのだろう。
「お前がどう思うが構わん。少なくともレムエルが目を向け、将来を約束した。その事実があるだけで今は俺達が支援する意味が大きくある」
それだけが分かっていればいい、とアースワーズはそれ以上何も言わなくなった。
言っても無駄だと判断を下したのだろう。
「レムエル……ここでもレムエル。どことも知れぬ下賤な血の入った餓鬼ではないか……。あのような餓鬼が国のトップとは終わりだ……俺が、俺が王になった方が……。あんな餓鬼より高貴な俺の方が……フハ、ハハ、フハハハ」
それが決定打となったのか、グローランツ公爵は糸が切れた人形の様に焦点が合わない目で虚空を見つめ、涎を口元から垂らしながらブツブツと不気味に笑い始めた。
「セ、セネリアル公爵様……?」
「黙れぇぇッ!」
「ひぃぃぃ!」
そして、取り巻きが声を掛けると今度は逆上し、手に持っていたワイングラスを思いっ切りぶつけた。
その出来事に悲鳴が上がり、準備をしていたハースト達が突入してくる。
ハーストはアースワーズ達を護るように立ち、部下の騎士達が暴れるグローランツ公爵とその取り巻きを次々に拘束していった。
「離せぇ! 俺を誰だと思っているッ! グローランツ・セネリアル公爵様だぞッ! お前らの顔は覚えたからなぁ! 俺に無礼を働いた者がどうなるか教えてくれるッ!」
「黙れ! 黙らぬか!」
爵位等ものともしない騎士が選ばれ、脅されても拘束を緩めないよう言われていた。
逃げようとする者に抜剣し、潜ませていた伏兵に指示を飛ばす者を昏倒させる。
伏兵は既に黒凛が主導で取り押さえ、若しくは話し合いで降伏させていた。
部下にも見捨てられていたのだ。
それでも抵抗したのは貴族という物を浅く理解しているからゆえの恐怖で、金で解決して出てくるのではないかと考え、少しは抵抗したという証拠を持っておきたかったのだろう。
それが分かっているからこそ、罪なき捕えた兵は厳重注意がされ、新たな当主に仕えるか自由になるか選べるようになる。
勿論犯罪をしていれば別だ。
「堕ちたものだな、セネリアル公爵」
「そんな目で俺を見るなッ、獣風情が! 貴様達は南部の田舎で引っ込んでいればいい物を!」
バレボス公爵の言葉に鋭く反応をするが、以前のような力の差はない。
ここまで来れば周りの者もどちらに着くかは明白だ。
「お前こそ北部に引っ込んでいればまだ穏便に済まされたというのにな。一度でも堕ちた者は戻ってこれぬ、ということなのだろう」
「貴様も下賤な餓鬼に尻尾を振った姑息な獣でしかないッ! あの餓鬼が王だと? 笑わせるな! 獣風情に媚び得る人族の風上にも置けぬ低能な者でしかない! この王国も神が作り出した至高なる人族が治めるべきだ!」
再び笑い出し、発狂寸前まで行くグローランツ公爵。
精霊達もこの場にいるが、レムエルのお願いで手を出すことはない。
だが、この先彼らが生きていけたとしても精霊は見放し、安全に生きていけることはないだろう。
この世界で初めて精霊に見放された者が誕生することになる。
「あひゃひゃひゃひゃっ! あの王も終わりだ! 今頃無様に殺され、泣いているだろうな! これは報いだ! 俺を蔑ろにし、王国を身勝手に変える神の裁きを受けたのだ! あひゃひゃひゃひゃーっ!」
完全に狂い支離滅裂になる。
自身の破滅、道連れにしてやったという思いでもあるのか、今までにない恍惚とした喜びの笑みを浮かべている。
異臭がすると思えば下半身と柔らかい絨毯にシミが広がっていた。
そこへ近づき見下ろすように影を作る。
「今連絡が入ったそうだ」
「あひゃ?」
「多少手こずった様だが襲撃は未然に防ぎ、レムエル達は賊を眼にしてもいないそうだ」
アースワーズの言葉にグローランツ公爵は意味が分からない、そう記憶全てがなくなったかのように呆けてしまう。
「陛下達は無事だ。現在マイレス達が警護もしている。ハースト達は国家転覆を企てた大犯罪者を捕え、背後関係を洗い浚い吐かせろ! 狂っていたとしても逃亡手段があったはずだ!」
「はっ! ――そのまま魔法で拘束し、牢屋まで直行しろ! 外で待機している黒凛のイシスにも取り調べを行うよう指示を飛ばせ!」
『は!』
こうしてパーティーは無事終了し、晴れて王国内に巣食っていた大きな膿を全て除去することが出来た。
多少の膿というのも必要で、全てを除去するというのは不可能なことでもある。
後は現在王国全土を苦しめている症状の治療を行うだけだ。
回復手段の目途も立ち、これでゆっくりと出来るという物だろう。




