第二十話
レムエルに結局押し切られたコトネは、渋々残っている騎士も連れて創神教のチェルエム王国教会本部まで行くこととなった。
「あの目遣い、卑怯……グスン」
「助かったよ。ソニヤだったら絶対だめっていうもん。今しかなかったんだ」
顔を赤くして少し涙目になっているコトネの隣で、今にもスキップしそうなほど喜んでいるレムエルは対照的だ。
想像は容易に付くだろうが、あの後残った騎士も巻き込みレムエルはお願いをしたのだ。
土下座とかではないが、少し眉を下げ、腰を屈めて下から覗き込むように潤んだ瞳を作り、手を拝むように胸元で合わせる。
そんなことをされればコトネが拒否することは出来ず、レムエルの顔が近づき羞恥心も込み上げ了承してしまったのだ。
騎士はよくわかっていないが、レムエルが行きたい場所を聞くと断固として拒否した。だが、結局騎士も押し切られてしまい、自分達の傍から離れないことと、手紙を出すだけの二つを条件に行くことになった。
やはり皆レムエルには甘いと見え、十二歳だと考えると大人しくしておくというのも酷だっただろう。
レムエルは大人しそうに見えて以外に活発な子供なのだ。
「コ、コトネの手は小さいね。それに柔らかい」
逸れないようにコトネと手を繋いでいるレムエルは、ドキドキする気持ちを抑えて話を振るが、コトネは不意にそんなことを言われてどぎまぎしてしまう。
レムエルも最近は気弱ではなくなったと見えるが、引き攣った笑みと赤い頬、震えた声から想像するに無理に出したと見える。やはりその辺りは全く変わっていないようだ。
「レ、レムエル様、き、綺麗! 女として、羨ましい」
「え、そうかな? 僕はコトネの方がいいと思うけど。それと、今はレムって呼んでね」
「レ、レム……様」
「いやいや、レムだよ。ソニヤは普通にレム君って呼ぶよ? だから、コトネもレム君って呼んでよ」
「で、でも」
「ううん、これからはそう呼んでもらえないかもしれないし、一緒にいるコトネにはそう呼んでほしいんだ」
初々しいカップルの様な二人だが、最後の寂しそうなセリフにジーンと心が打たれたコトネ。明るいレムエルだが、寂しい気持ちは人一倍に持っており、今までが気丈に振る舞われていたのだと気が付いた。
一メートルほど距離を開けついて来ている騎士も、会話を聞いていたが同様の気持ちになる。
「わかった。レ、レム君……様」
「あははは、今はそれでもいいかも。でも、様は心の中で付けててよ」
レムエルは悲しい顔を明るい笑顔に変え、コトネの握っている手を持ち上げてぎゅっと握り締める。
それだけで寂しい思いが消える気がするのだ。
コトネもそれに答えるように握り返し、やっと距離が近づいたと思えた。
顎に手を当てて悩んでいる騎士は、これはどうしたらいいのかと考えるが、別に大丈夫だろうと判断し、危害が出ないように辺りの警戒に努める。
普通はコトネの様な平民とレムエルがくっ付くことはあり得ない。
だが、レムエルがもし自分の気持ちに気付き、女の子を好きになった場合どうなるか考えられない。
責務を捨てるとは思えないが、別れるとも思えない。無理に自分の案を通そうとするだろうし、潔く引き下がり仲良くするだけに留まるようにも考えられる。
意外に自由人なレムエルだ。
気分が落ち込むことで下を向いている者が多く、治安が悪い王都ではさらに重くずっしりとした空気が流れている。雰囲気もどこか薄暗く、商売をしている者達もどこか声に張りがない。商売客がいなければ言うだけ無駄だと思うのだろう。
創神教の教会は王都中央寄りの大きな広場にある。
しかもそこだけ景色が違う別空間の様になっており、緑色の芝生が所狭しと生え、季節が過ぎているにもかかわらず薔薇の花が幾つも咲き誇る。鯉の様な魚が泳ぐ池も存在し、教会は豪華なステンドグラスや光の女神像が目立つ場所にあり、建物の大きさも精霊教とは比べ物にならないほど大きく、噂通り成金趣味な見栄を張る教会だ。
精霊教の教会は嫌がらせもされるということで場所を移し、王都の端で孤児院等を営んでいる。
少しだけそこの雰囲気が柔らかいのは、精霊教とレムエルのおかげだろう。
最近は精霊教の影響力が少し増し、創神教は信者が続々と寝返り、チェルエム王国では勢力が拮抗していると考えても良い。ただ、設備や能力、資金などから考えると大幅に負けている。
今回は教会も少しやばいということが分かっており、以前の争いは上から見ていたが、今回は手を貸す模様だと国民が囁いている。
「創神教はなぁ……。言っちゃあなんだが、俺達民にゃあどうでもいいもんだ」
「ふ~ん。やっぱり、精霊教かな?」
「そうだなぁ。精霊教には毎回お世話になっとる。今回だって、創神教が動くのは俺達のためじゃなく、貴族様のためだろ?」
レムエルの前では串を焼いている鉢巻おじさんが、汗を拭き取りながら眉を顰める。
貴族様と皮肉のような言葉に、レムエルは苦笑してしまう。コトネや騎士は苦虫を噛み潰した思いになるが、本当のことなので何も言えない。
「それによぉ、創神教は俺達金の無い者にゃあ遠慮がない」
串をひっくり返していた手を止め、恨むような怒りの籠った視線を、頭が覗く創神教の教会を睨み付ける。
レムエルは想像以上の不快感に眉を顰める。
「遠慮がないって蔑むとか?」
「ん? お前さんは知らないのか? それはそれで幸せってもんだな」
羨ましそうな顔でそう言われたレムエルは、一緒に挙動がおかしくなったがどうにか持ち堪え、不審がられないように振りまく。
「創神教の信徒共は金の亡者だ。この前、服に泥を付けた子供に法外な洗濯代を要求したし、ぶつかったり目の前を横切れば不敬罪だろ? そんで怯えた俺達を見て優越感に浸った顔を隠そうともしない。逆にそれで俺達が不満そうな顔すれば怒り狂って暴力を働く。ありえねえよ、人間としてな」
きっと中身は真っ黒だぜ、俺達雑草と言われる国民の方が白だと思う、とおじさんは笑いながら言うが、レムエル達は心にグサッと針が刺さる。
本気でそうは思っていないだろうが、国民の口から雑草と聞くと聞くに堪えない思いになるのだろう。
「それに今回も裏手にいる第二王子の軍を退治するためにお布施集めだろ? ふざけるのも大概にしろって感じだ。反抗したら暴力を振るわれたうえに法外なお布施の強制押収と、反逆罪で家族もろとも牢獄行きだ。へたすりゃあ、これだ」
おじさんはそう言って自分の首を右手でチョンチョンと触り、打ち首になると行動で示す。
流石にレムエルは信じられず、コトネや騎士の二人を見るが、眉を顰めた状態でコクリと頷かれ絶句する。よくそれで信者が離れない物だと、教会を違った意味で畏怖する。
だが、改めて今回の訪問が必要になると勘が働いていた。
「やっぱり皆不満だよね。こんなことになるのなら、解放軍はいない方が良かったかなぁ」
「馬鹿言っちゃいけねえぞ、坊主」
グッと怖い顔を近づけて訂正するおじさんに、落ち込んだレムエルはぎょっとなるが、慌てて武器を抜こうとする背後の二人を手で抑え理由を訊ねる。
「どうして? 八つ当たりを食らうのは解放軍のせいじゃないの? 解放軍が負けでもしたらもっと大変になるよ?」
「ふん、それを周りに言うんじゃねえぞ? 下手したら殴られかねん」
忠告をしてくれるがレムエルはよくわからないと首を傾げる。
解放軍がいらなかったとはレムエルも考えていないが、そのせいで苦しむ者がいるのならもう少し考えて動くべきだったと反省しているのだ。
「確かに解放軍の出現で生活は少し苦しくなった。辺境の方は潤っているみたいだが、この辺りは上からの圧力が凄まじい。だがな、解放軍のおかげで俺達もやればできることが分かったんだよ」
「できること……」
「そうだ。出来ると言っても、噂のレムエル様の様に精霊を使うことも、王族や貴族みたいに統治することも出来ん。だが、力を合わせれば個には勝てる、そう言った感情が芽生えてんだ。諸刃の剣だってのは分かるが、やっぱり自分の手で掴み取るのはスカッとするもんだぜ?」
焼けた串をレムエルに差し出しにカッと笑うおじさん。
レムエルはその串を受け取り、神妙な面持ちで一口齧り付く。
「それに解放軍が負けるとは誰も思っちゃいねえよ。絶対に勝てるとも言えないが、やっぱり噂が本当なら負けるわけないよなぁ」
「噂っていうとアースワーズ殿下の遠征のことだよね?」
「まあ、そうだが、それだけじゃねえ。今南の方ではいろんな発展が起きてんだろ? 俺達商売人もあやかりたいって思うもんだ。それだけで俺達国民はどっちにつくか分かるってもんだ。ここまで攻められたら普通解放軍が勝つと思うだろ」
確かに普通は降伏するかもしれない、とレムエルは考える。
「解放軍がもし負けそうになったら王都の民は力づくで戦うって決めてんだ」
「え!?」
さすがにそんな話になっているとは知らず、レムエルは驚愕の声を漏らす。
「流石に坊主の様な子供に参加しろとは言わねえよ」
おじさんはガシッとレムエルの頭を撫で、ニカッと少し凶悪に笑う。
「それで死のうが、俺達は構わねえ。従うだけが生きるってことじゃねえって教えてくれたからな。嫌なら嫌だと言う、子供でもわかることを俺達はしなかった。確かに貴族に逆らえば打ち首だ。だが、方法を変えれば俺達でも勝利を勝ち取れたかもしれねえ。しなかった俺達国民にも今を作った原因がある」
「そ、そんなことは……」
「いや、あるんだよ。上がいねえと何もできねえなら生きている意味がねえ。死ねっていうわけじゃねえが、俺達は雑草でも人形でもない。生きた一人の人間だ。雑草だと言われ、貴族だからと無理なことも受け入れたから付け上がらせた。――だからよぉ、お前が何もんか知らねえが、頼むぜ?」
詳しく話すのはおかしいと思ったが、やはりレムエルがそれ関係の人間だと気づいていたのだろう。
まあ、精霊の認識阻害でも見る者が見れば雰囲気等を感じ取ることが出来る。特に、話しの会話をもう少し学ばなければばれてしまう。
今回の様な聞き込み調査をするのなら、相手と同じ立場で会話をするのは必須条件だ。
「誰にも言わねえから安心しろ。これは俺の奢りだ。今度は平和になった時に買いに来てくれ。それとここ最近見たこともねえ奴が王宮を出入りしている。得体が知れない化物だ。気を付けろよ」
「化物? 分かった、気を付けるように言っておく。あと、おじさん達を守って、絶対に誰も死なせない。僕達も死なないから、その時又買いに来るよ」
「お? 言うねぇ! 坊主も大人の邪魔をせず頑張るんだぜ!」
流石にレムエルが何者かまでは解っていなかったようで、コトネは安堵した気持ちでレムエルの手を引き、目を集めそうなその場から離れる。騎士はおじさんに頭を下げた後、再び一メートルほど離れた位置を歩く。
「あー、さっきはびっくりした」
人垣から移動し、中央広場の様な開けた場所に出たレムエルは、休憩スペースで休みながら思いを吐露した。
「だから言った。これ以上、危ない。私、手紙届ける」
ほら見ろ、とでも言うようにレムエルを心配して、コトネが手紙を出してくださいと手を差し出す。
「いや、これは僕が行かないとダメ。それに一度どういったところなのか見ておきたいってのもあるね」
「でも、ばれたら危ない」
皆のためにも危険なことをしないでほしい。
その気持ちはレムエルもわかっている。だが、こればっかりは自分が行った方が後々の効果が強いと考えている。
理由も二人にはそれとなく説明したが、レムエル自身も漠然としか分かっていない為、はっきりと理解されたわけではない。
「さて、移動しよ――」
「……てください!」
そろそろ移動しようとレムエルが腰を上げようとした所に、背後の路地裏から悲鳴のような焦った声が耳に届いた。
レムエルは二人に待てと手を上げ、精霊の力を使って喧騒に交じり掻き消える音を拾い、二人にも聞こえるようにする。
「良いから来いッ!」
「大人しくしやがれ!」
「イタッ! 誰か、誰か助けてぇ!」
「うぇへへへ~、こりゃあ上玉だ。ちょっとくらい遊んでも」
「馬鹿野郎! 初物だから良い――」
最後の言葉を言う前にレムエルの手が素早く降ろされ、コトネは掻き消えるようにその場から姿を消す。レムエルは騎士と一緒に路地裏近くまで移動し、警戒しながら少しずつ入って行く。
レムエルはその場でじっとしなければならないのだろうが、コトネ一人で排除できなかった場合取り逃がすことになる為、警戒しながら近づく。ただし、何時でも精霊の力を行使できるように身構えている。
剣より魔法、魔法より精霊の方が早く的確だからだ。
「痛い! 道を教えてくれるだけではなかったのですかッ!」
手を無理矢理引っ張られるフード付きのコートを着た、声からレムエルとそう変わらない年頃の女の子は、下卑た男から逃げようともがきながら喚く。
会話から迷子になっていた所に声を掛けられ、そのまま路地裏に誘導され誘拐されそうになっているということだろう。顔は隠れてよく見えないが、覗いている口元や足、金色の髪はとても上玉だと男達に告げ、会話から世間知らずなお嬢様とでも認識したのだろう。
誘拐する方が一番悪いが、いくら世間知らずのお嬢様だったとしても、身も知らない何処からどう見ても悪人面の男に、狙ってますよ、と言わんばかりの声の掛け方をされて付いて行くものだろうか。
いや、付いて行っているからこうなったのだろうが、年頃の女の子が複数の下卑た男達に囲まれて何とも思わなかったのは胆力が凄いと言うべきか、違った意味で男慣れしていないかのどちらかだろう。それとも、この世の人間全てが優しいとでも思っているほど純粋なのかもしれない。
「チッ、少し黙ってろ! 騒がれたら元も子もねえ」
「そうっすねぇ、これだけの上玉。一体いくらで買い取ってくれるやら。デュヒュヒュ」
「んーっ! んーっ! んんー、んんーっ!」
黒く汚れ異臭の放つ手で口元を抑えられ、女の子は身体を先ほどよりも大きく動かし暴れるが、大の大人に十歳そこそこの女の子が勝てるわけがなく、相手は数人と手足を捕まえられ拘束される。
こういう時は相手が隙を作るまで隙を覗い、男の急所を蹴り上げる方法を取った方がいい。危険もあるが、絶対にそれをして気絶させると男は一瞬怯み、目も話してしまう為逃げることが可能だ。その後は大通りまで戻り、どこかの店にでも入ってしまえば追って来なくなるだろう。
「よし、行くぞ――」
「逝け」
「かぺっ……」
リーダー格の男が指示を出そうとした瞬間、背後から違った女の子の冷たい声が響き、意味は分からなかっただろうが文字通り送られたことだろう。
どさりとリーダー格の男が白目を剥いて崩れ落ち、周りの仲間は何が起きたのかと茫然としている。
「リーダかひっ……」
「なにがぐふっ……」
「お、おいうひゃっ……」
「あああっ! (パクパクブクブクブク……)」
その間に乱入してきた素早い少女――レムエルの指示を受けたコトネは、男達の死角を縫うように動き、喉を一撃で呼吸困難に沈め、鳩尾に数発打ち込み気絶させ、寸鉄を用いて蟀谷を殴り倒し、女の子を押さえている男に怨みも込めて金的を蹴り上げた。
最後の男だけチーンと効果音が聞こえたが、皆一様に地面へ突っ伏すこととなった。
「きゃっ!」
「っと、危ない!」
と、そこへレムエル達も到着し、反動で吹き飛ばされた女の子を抱いて庇う。
咄嗟の行動だが、女の子は無事レムエルの腕の中で怪我をすることなく助けられ、腰が抜けているのかレムエルの身体に凭れるように震えている。
「大丈夫? どこか怪我してない? あ、少し腕に痣が出来てるね」
「あ、ありがとうございます。こ、これくらい――」
「いや、女の子の身体に傷が合ってはいけないよ。放置してたら痣が残るかもしれない。綺麗な肌なんだから気を付けなきゃ」
「え!? あ、はい。すみません」
少し憤っているレムエルはいつも以上に饒舌になり、女の子を安心させるためにも優しく声を掛けたのだが、セリフが臭い。だが、レムエルが言うと全く別物に聞こえ、女の子はレムエルを上手く認識できていないだろうが、頬を赤らめて目を落としている。
「……温かい」
回復魔法をかけられている腕にほんのりと癒しの温かさが伝わり、女の子は驚いたようにぼそりと呟いた。
「回復魔法は初めてかな? 回復魔法は使い手に左右されるからね。これだけは教えてくれた人が褒めてくれたよ」
「そ、そうなのですか……」
笑みを向けられ女の子は再び顔を赤らめるが、フードに隠れて上手く見えないレムエルは怖がっているのだろうと認識する。
コトネはその反応に目を細めるが、何かを言う資格はない為まだ辺りに仲間がいないか気配を探る。騎士もレムエルの傍で剣を構え、男達をどうするか思案していた。
回復魔法が下手だと、傷口を治すのに痛みを感じ、拒絶するような不快感を示す。逆に上手だと、傷口に護る様な熱を感じ、受け入れる様な包容感を示す。
通常のレムエルは優しく、相手を気遣う正確な為回復魔法との相性がとても良く、あの王宮お抱えの特急治療師リウユファウスでさえも唸らせたほどだった。
「良し。もう痛むところはないかな?」
「……(ぽー)」
「ん? どこか痛むの? それとも(スンスン)臭いかな?」
返事が返って来ないことに疑問を覚え、レムエルは村で毎日使用していた生活魔法を使い、女の子の身体にこびり付いている汚れと臭いを剥ぎ取る。
この魔法も使った後の匂いが人によって変わる。
レムエルの場合、少し甘いハーブのような爽やかな匂いとなる。レムエルがそんな匂いだからかもしれない。
「これで大丈夫だね。立てるかな?」
「…………はっ! あ、はい!」
「っと、いきなり立ったら危ないよ」
「ご、ごめんなさい」
咄嗟に謝る女の子を手で制すると、レムエルは女の子の身体を抱いてしっかりと立たせる。
「助けて下さってありがとうございました」
「いや、僕は何もしてないよ。全部コトネがやってくれたからね」
「私も構わない。間に合ってよかった」
同じ年頃の女の子としてコトネも怒っているのだろう。地面で股間を押さえてピクピクとしている最後の男を睨み付け、吐き捨てるように安堵の息を吐いた。
騎士は近くの店から紐を買い、親切な住民と共に男達を縛り上げていく。
まだ路地裏に入ったばかりの地点で、良かったと言えるだろう。これが置くまで言っていたらレムエルでも声は届かなかっただろう。
「どうしてあんなことになったの? どう見ても親切そうじゃないよね」
表の休憩スペースまで戻ったレムエルは、目の前で一息ついている女の子に率直な疑問を投げかけた。隣で世話をしているコトネも同意とばかりに頷き、騎士は隅の方で衛兵に事情説明をし、男達を引き取ってもらっている。
「え、えっとですねー……じゅ、じゃなくて、友人と王都に来ていたのですが、物珍しさに迷子になってしまい、混乱している所に声を掛けられました。そこまで考えが至らなかったのです」
女の子はもじもじと恥じらいながら、今思えば馬鹿で早計な判断だったと、少し前の自分を殴ってやりたい気持ちだという。
レムエルはクスリと笑い、間に合ってよかったと軽く注意を含む声を掛けた。
「それでも知らない人に付いて行っちゃだめだよ。特に相手は複数で、君は女の子なんだからね」
「はい……ごめんなさい」
「君は可愛いんだから気を付けなきゃね」
最後にそう笑みと共に付けられた台詞に女の子は火が出る思いに駆られる。
コトネはジト目になってしまうが、相手を気遣っている言葉にしか聞こえない為やるせない気持ちになる。
レムエルがここまで積極的な声を女の子に掛けられるのは、コトネと接するうちに免疫が少しできたからだろう。それに元からレムエルは思ったことを口にする傾向がある。自覚して言うのなら恥ずかしいだろうが、素の時はスラリと出るのだ。
「とりあえず、これからどうするつもり? 僕達は少し用事があるけど、君をまた一人にするのは危ない気がする」
「そ、そうですね」
心に来る言い方だが、女の子は仕方がないとすぐに返事を返した。
「用事が終わった後ならその友人? を一緒に探してもいいよ。その友人もキミのことを探してるだろうしね」
「ほ、本当ですか!? よ、よろしければお願いします!」
「構わないよ」
「レム君……良いの?」
まだ様付け無しに抵抗があるコトネは、いろんな意味で女の子を連れて行っていいのか訊ねる。
「うん、構わないよ。危ないことをするわけじゃないしね」
「なら、まあ」
何か含んでいるコトネだが、女の子を警戒しているのが分かる。
先ほどは攫われそうになった可愛そうな女の子だったが、今はレムエルの近くにいる見ず知らずの女の子だ。それにまだ自己紹介もしていないどこの誰とも分からない、顔すらも見えない女の子だ。
警戒して当然と言えた。
「ま、精霊は大丈夫だって言ってるし、大丈夫でしょ」
レムエルが楽観視しているのは、どこにでもいる風の精霊が女の子は大丈夫だと囁いているからである。
騎士が戻ってくるまで、お互いの自己紹介をすることになった。
「僕はレム。こっちの女の子はコトネっていうんだ。君の名前を聞いてもいいかな?」
「私はメロディー……そう、メロディと言います。気軽にメロって呼んでください」
何か隠していることに気付く二人だが、女の子が第四王女メロディーネだとは思わない。まず、城から出てくることが無い王女がここにいること自体がおかしいからだ。
「ところで、フードは取らないの? 夏だし蒸れて暑くないの?」
話が続かないと感じたレムエルは、暑そうなローブを着たメロディに疑問を口にした。だが、メロディはその質問が予想外だったのか、大袈裟に体をびくつかせぎこちない引き攣った笑みが覗いている。
レムエルも拙い質問をしたのかな、と少し焦ってしまい、先の解放軍ばれの件もあったためフォローすることにした。
「まあ、人によっては涼しいかもしれないし、僕達と一緒でもまた誘拐されそうになるかもしれない。フードを被ってた方がいいかもね」
「え、ええ、そうです! そうなんですよ!」
「そ、そう? ――と、そろそろ終わるみたいだ。早くメロディの友人も探さないといけないから行こっか」
僕も早く帰らないとソニヤに怒られるかも、と冷汗を掻きながら自然体でお互いに握手をして別れる騎士の下に向かった。
創神教の教会に近づくほど人が少なくなり、治安や雰囲気は良さそうだが、殺伐とした見た目とは裏腹に悪が醸し出る陰険な空気を感じる。
「聞いていた通り、空気が悪い」
自然と眉が寄っちゃうよ、と自分の眉間を押さえてコトネに報告する。
「では、帰る」
「いや、それはないよ。ま、これを渡すだけだから」
そう言ってレムエルは懐から取り出した手紙をパタパタと振り、その動きに合わせてメロディの視線が動く。まるで猫じゃらしを追いかける子猫のようだ。
「その手紙は何なのですか?」
「これ? これはね、解放軍の長レムエル殿下からの手紙だよ」
「レム君……!」
「か、かいむぐっ!」
「大きな声は出さないでね」
不注意で信用し過ぎだと厳しい口調で窘めるコトネの隣で、大きな声で叫ぼうとしたメロディの口を咄嗟に押さえる。柔らかい感触がレムエルの手に伝わるが、今はそんなことを気にして恥ずかしがっている場合ではない。
「むがもが! ぷはっ! 苦しかった……」
「ごめんね」
鼻までは押さえていなかったが、咄嗟のことで息がし難くなっていたのだろう、レムエルはすぐに謝った。
「それで、本当にレムエル、様の手紙なのですか?」
思わず呼び捨てしそうになったメロディだが、取り繕うように様付けをする。
淑女としては少しあわてんぼうのようだ。
「そうだよ。直に書いているところを見てたし、受け取ったのも僕だからね」
嘘は言っていないようだが、受け取ったというより持ち上げて畳んで懐に入れた、が正しいだろう。
「ほへ~……。で、では、レムはレムエル様に会ったことがあるのですね。もしかして、解放軍の幹部の方ですか?」
声のトーンは落としてあるが、好奇心までは抑えられていない様で、嬉しそうな声音ですぐに分かった。
コトネは呼び捨てに少し眉が跳ねるが、自分も君付けなので何も言えない。
「そうだよ。僕は幹部だね。うん、幹部」
「そ、そうでしたか」
何か嬉しそうにしているが、レムエル達はよくわからず首を傾げる。
コトネと騎士は一応注意しておくことに決め、いよいよ教会の建物の中へと入って行く。
教会の中も金をかけていることが分かる豪華な作りで、精霊教の教会に慣れているレムエル達は物理的に目が痛くなる。それに腹の底にある欲や見栄が透けて見え、不快感の塊が体現しているようだった。
「さて、さっさと渡してこの場から退散しよう。と、それから皆僕から離れないようにね」
レムエル達は変装するために薄汚れた服を着ているため、信者や信徒から蔑むような嫌な視線を受ける。だが、それに全く気にすることなく進み、受付の前で立ち止まり精霊の力を解除して対応する。
「ここのトップの人にこの手紙を渡して頂けますか?」
『え!?』
「え、は、はい。コヴィアノフ大司教様への手紙ですね。どちら様からでしょうか?」
危険物を持ち込むことは出来ないからだろう、レムエルの姿を見て息を飲んだシスターに、笑みと手を振って気にしなくていいと答える。
何を言っている!? と止めようとするコトネ達を無視して用件だけを述べるレムエル。
「この手紙は解放軍の長レムエル殿下からの手紙です。しかと届けましたよ? 僕達の仕事はここまでなので、ここらで辞退させていただきます」
「え? あ、ちょっと! あれ? え? 消えちゃった……」
戸惑い素が出ているシスターに手を振ったレムエルは、呆然としているメロディの手を取り、精霊の力を最大出力で使った。その結果、この場にたくさんいた光の精霊を中心に光りを屈折させ、レムエルの周囲を周りの者から見えないようにしてしまったのだ。
その爆弾発言を聞いていたシスターや周りの者はすぐに教会が抱える神官戦士を呼び辺りを封鎖するが、対応が遅かったためにレムエル達は姿を消すと共にその場からいなくなっており、創神教の本部は大混乱と怒号が飛び交う戦場と化してしまった。
レムエル達が立ち去ってすぐに手紙を受け取ったシスターは上へ取り次ぎを頼み、コヴィアノフ大司教に解放軍からの手紙だと届けに行く。
連絡を受けたコヴィアノフ大司教は、手の上で遊ばせていた宝石や煩わしい解放軍を殲滅し更に富を得られる、とほくそ笑んでいた顔を驚愕に変え、すぐに持ってこいと怒鳴り散らす。
「こ、こちらがその手紙とのことです!」
「遅いッ! 早く渡せッ!」
痩せた司教から奪い去った手紙を皺を作りながら広げ、中に書かれている内容を読み次第にワナワナと震え始める。
司教はその有様に恐怖が募り顔が蒼くなるが、仕事から何が書かれていたのか尋ねるしかない。
「な、なにが書かれていたのでしょうか?」
ギンと睨まれ竦み上がるが、決してその恐ろしさではなく、コヴィアノフ大司教の機嫌を損ねたからである。
「手を貸してくれないか、だと……? ふん、ふざけるのも大概にしろ! 誰が金のない輩の助けをするものか! 神を愚弄する異端者共が!」
どうやらこの男も他の貴族同様のようだ。
まあ、この男は教会の力に溺れ、教会ならば神の威光でどうにでもなると思っているのだろう。
「で、ですが、情勢をお考えください! このまま力を貸さなければこの後どうなることか!」
この男はしっかりと分かっているようで、土下座する勢いで頼み込む。
「お前に言われずともそんなもの分かっておる! 我らには神の力がある。その力があれば精霊を崇める解放軍等という異端者共を殲滅できるわ!」
「精霊は本当にいるのです! 姿が消えたというのも恐らく精霊の力です! 先の戦争では誰も死なせずに勝利を収めたとか。どうか、どうかお考え直し下さい!」
「煩い! 貴様も異端者かッ!」
蹴り飛ばされ蹲る司教だが、痛みに脂汗を掻きながら、それでも嘆願する。
司教の目にはこのまま行くと衰退しか見えないのだろう。
「あちらには王族であるアースワーズ殿下がおられるのですよ!? あの方を異端者だといったら、王国の貴族を敵に回します!」
「知るか! その敵に回った異端者も殺せ! どうせこの争いで我らが負けることはないのだ! 精霊等という信じられん力よりも、世界を創り、我らの創造神、人族の守護神の方が素晴らしいのだ! 神が精霊如きに負けると申すか!」
司教はさらに蹴られ、最早言葉も出ないほど苦しんでいる。
コヴィアノフ大司教は何を持って神に対してそこまで信用できるのか分からないが、どう考えても精霊の方が身近にいる。
恐らく今までの英雄や神がいろいろと創った、人族を守護する等から想像しているのだろうが、妄信もここまで行くと滑稽で、実際に神が齎した停滞と無関心さを知れば気絶するだろう。
「そうだ。この手紙を持ってきた奴はどんな奴だ? そいつを捕え、見せしめに殺してやるとしよう。神に逆らった神罰だとな」
「ぅ、ぐくぅ……。そ、その手紙は、言葉に出来ない神々しい、少年が持ってきた、とか。聞いた身長や容姿から、レムエル殿下本人がガハッ」
話し終わる前に蹴り飛ばされ背中を壁に打ち付ける司教。
「なぜ捕まえなかった! さすれば我が名声も得られたというに! それに異端者である長を殿下だと? そんなもの嘘に決まっておろう! 偽王子として捕まえれば金を巻き上げられたものを……! この役立たずが!」
ゲシ、ゲシと蹴るコヴィアノフ大司教。
司教は既に意識がなくなっており、口や腹部から血が流れ出て純白のローブが赤く染まっていく。
「チッ、こんなところで死にやがって。――誰か、誰かおらぬか!」
まだ死んではいないが、役に立たない・命令を聞かない者以外は異端者とでも考えているのだろう。
「はっ、何でありますか?」
「このゴミを捨てておけ。目障りでならん」
「こ、これは……すぐにいたします」
訪れた神官戦士は司教の容体に目を驚愕に見張り、近くにいた者を応援に呼びその場から司教に負担がかからないよう持ち運ぶ。
「何の思惑があってこんな手紙を寄越したのか知らんが、逆に利用してひっ捕らえてくれる。中央から頂いた宝珠【聖天の宝珠】を試してみるのも一興か」
ぶひゃひゃと豚のように笑うコヴィアノフ大司教。
その姿を誰かに見られているとは思いもせず、その判断が身を亡ぼすだけでなく、チェルエム王国に存在する創神教に大打撃を与えることとになると誰もが思わなかった。
書いてて思ったんですが、教会に鯉っておかしいでしょうか?
屋敷に鯉はあると思うんですけど、洋と和ですよね。




