第十六話
アーチ大平原の衝突から二週間ほどが経った。
この間にまずお互いの亀裂の修復と確執を無くすために、お互いから歩み寄るように命令が下された。
とはいえ、国民が兵士ならまだしも騎士に話しかけるのは難しい。
騎士というのはそれだけで一目置かれ、全てがではないが騎士爵という一番下だが貴族の爵位を持っている。中には貴族の子弟もいる為、余計に話しかけづらく、距離を取ってしまう。
そのため国民は恐れ多いと近づけないのだ。
ただ、平民から成り上がった形のソニヤやイシス達女騎士連中は別で、騎士になる様な女性は貴族らしくないと思っていいだろう。特に貴族の責務を放り出してこちらに付いてきた者達だ。
それこそ、今何か亀裂を生むような問題を起こせば厳しい処罰を受けるだろう。
結果、騎士達はアースワーズが言った様に態度で示す形になり、そこに昼食や飲み物の差し入れ、挨拶や見回り、訓練等で声を掛けて徐々に打ち解けていく形になった。
そして、レムエル発案で騎士団内の規律が作られた。
1、上司でも誰かにあったら挨拶すること。(食事の時も)
2、誰かが困っていたら手を差し伸べること。(犯罪者は検挙)
3、騎士及び兵士は国と国民のために活動すること。(決して横柄に上から目線になっては規律が護られない)
4、職務の時は3同様に人権を重んじ、相手が誰であろうと公平でいること。ただし、相手の身分によってはその場で決めず、上に相談すること。
5、金銭や物資等の賄賂及び騎士として恥じる行為をした者は地位を剥奪し、厳しく罰する。場合によっては背後関係も洗う。
6、身内の不利益になるような行動をした者がいた場合、報告如何によっては褒賞を与える。ただし、証拠を揃え、複数人の証言人も必要。(嘘を付けば5より厳しい処罰)
7、以上の権限の乱用、職務怠慢、規律・命令違反は硬く罰する。
8、皆仲良く、個人を尊重して過ごしましょう。
他にもいろいろと細かい規律があるが、基本がこの八箇条となる。
まあ、分かるだろうが、1・2・8はレムエルが考えたもので、アースワーズが許可したため規律の中に加えられた。
処罰の内容を書かないのは重さによっては変わるから。
褒賞付きの密告を許可したのは、そうしなければ貴族が何をするか分からなかったからだ。態と密告を促すような規則を作り、少し手間になるが密告した側も調べるように裏では決められている。
その内容は団長とレムエルかアースワーズに持っていかれ、密告者の名前と直筆の報告書、対話が行われる。犯罪を全て防ぐためだ。
まあ、いろいろと難しくなったが、別に悪い事をするな、という規律なため、どこで歯を磨く、掃除は何時から何時まで、と言った雁字搦めの規律ではない。
軍律にしてはやや緩い方だろう。
軍内の風紀を乱さず、公平であるための規律だが、今は自分達を戒めるために必要だったのだ。
まあ、このおかげで騎士と国民の確執が無くなってきた為よかったと言える。
騎士達も先の戦いで情報戦の大切さと、負けて混乱が生まれた時の繋がりと規則が大切だと理解したため、軍律を重んじる傾向に変わった、
次に城塞に関してだ。
ここで貴族が口を出してきたが、城塞に関しては作った本人であるレムエルの所有物であり、元を正せば許可を得て作ったためレギン・アーチスト男爵の物となる。
そもそも負けて敵前逃亡した、処刑されてもおかしくない貴族が意見することがおかしいのだ。
まあ、そこも話し合われ、どうせ全ての騎士や兵士を今から連れて行くことは出来ない為、犯罪を働いた貴族の私兵全てを一度解雇させ、城塞務めとなるが警備を募った。
結果は言わなくとも分かるだろうが、七割の五千ほどの人数が集まり、多少の取り調べを行った。結果三千人とアースワーズが連れてきた騎士千人、計四千人を当てることになった。
その他の細々としたことは新体制を樹立してからとなり、軍律はあれとして、生活基盤は精霊の力と魔法を使って森を切り開き、畑や井戸、訓練場などを作った。あとは自分達で作ることも訓練とされ、帝国の様子を逐一報告しながら務めることになった。
次には上記二つともの問題となるのが食事に関してだ。
一応精霊で畑に実りを付けたが、著しい成長をさせると周りに影響――植物の栄養もなくなる――が出る為、並行して新たな畑及び家畜を城塞付近で飼うことになった。
これは新たな試みだが、この城塞は確実に観光名所にもなる為、中には入れないとしても人が集まる。結果経済の循環が起きるようになるため、騎士の収入のために大きく育てることにした。
屯田兵に近い状態で、畑を耕すことは結構兵士達の訓練になる。
それに頑張り次第では強くなり、階級も上がれば給料も増える為、やる気も出るだろう。
風紀が良くなり明るくなったのもかなり起因している。
それにアーチスト男爵領にも観光客や住民が来るだろうと考えられ、そのための準備もすることになる。
隣領のバグラムスト伯爵領も潤う結果に繋がり、食料の支援と人材の派遣をすることになった。金銭に関してはそれほど出せないが、レムエルの魔法を使う方法で安く手早くなり、金銭も問題なくやり取りされている。
それでも足りない食材や物資は他領から送られてくる。
まず、ウィーンヒル子爵からは産出量が増えたため金属等の物資、ハイドル伯爵からは氷魔法で冷凍保存した魚介類の提供、アッテムハ男爵からは人材の派遣が行われた。
そして、今回の件は他領にすぐさま知らされ、協力できなかった貴族達が我先にと物資や食材など足りないものを提供してくれた。
アースワーズを抱き込んだことでレムエルの評価がグンと上がり、覚えを良くしようと続々と協力をし始めたのだ。
元々協力を悩んでいた貴族達は勝てるかどうか怪しいから被害が出ないようにする、という案を取っていた。だが、蓋を開けてみれば見た感じレムエルの圧勝で、協力しておけばよかったと思っている。
焦って今になって協力しているのだ。
まだ足りないものが多くあるが、生活する上なら十分整っている。
最後に貴族についてだ。
「捕まえた貴族は総勢百五十三名。これは指揮官であった貴族から、騎士の中にいた男爵からの貴族まで含まれています。まだ、調査中ですが、二百には満たないでしょう」
マイレスが取り調べた結果をレムエル達に報告する。
こういったことをしていたシュヘーゼンは一旦小休止が出来たため、自領へ戻り滞っている政務を行っている。
この場所は城塞の中だ。名前を『竜精城砦』と名付けられた。
ここはその中でも地下に作られた牢獄だった。
ただし、牢獄に入っているのは貴族達のため、じめっとした冷たい格子で阻まれた檻ではなく、質素だがベッド等がある部屋だ。外にも見張りがいれば一定の範囲内には出ることも許され、この二週間一人ずつ対談も行われていた。
対談の前に一人一人の取り調べも行われ、その結果によって対談の内容が大きく三つに分けられる。
一つは親に逆らえず参加した貴族の子弟や、三男等家督の継げない貴族が功を得ようと参加した場合だ。だが、これにも悪意があったり、取り調べで罪を犯していた場合等もあり、随分時間がかかった。
「この青く塗られた扉が該当します。伯爵以上の貴族の人数は十名ほどで、親兄弟以外は一人にしています。子爵以下は三十名強となり、五人ほどを一つの部屋に当てています」
計算すると多くて十六の部屋があるということになる。
ただ、兄弟がいるとのことで、十五以下となるだろう。
それでもまだ半分以上いるのだから、この空間にある部屋はかなりの数と推測できる。
「しかし、精霊の力には驚かされます。上の城砦を音も立てずに築けるのですからこれくらい造作もないのでしょうが、普通魔法を使って二か月はかかる作業ですよ? 様付けをした方が良いのでしょうか?」
マイレスの言葉に一同はレムエルを見る。
この場にはアースワーズとレムエル、その護衛のマイレスと騎士が数名、ソニヤとレッラがいる。
これからはレムエルの身に何が起きても不思議ではない為、いつでも対処できるようにするためだ。
「堅苦しいのは嫌いみたいだから、いつも通り精霊でいいと思うよ。疎かにしていいものではないと思うけどね」
「まあ、そうだな。それは当たり前のことだ。これからはレムエルの象徴である竜と精霊が刻まれることになるだろう」
「主流も精霊になるでしょうから、今のうちに慣れておくのがよろしいかと」
騎士達は別に創神教の信者ではない。
騎士・兵士の給料というのは意外に低く、どの騎士団でも命令を聞く立場にいる一等級騎士以下は特に低いため、金の亡者である創神教に入信するわけがなかった。十代で副団長に抜擢されたソニヤが異例だったのだ。
平民からの成り上がりも多いため精霊教と馴染みも深く、すぐに受け入れることが出来た。貴族は問題だが、騎士となった貴族は大概平民と関わる為、精霊教と言われてもそこまで嫌悪感を持っていない。
もう一つは黄色い扉の部屋に入れられた、フォーデット侯爵の様な心の底から忠誠を誓った者達だ。そのため、その忠誠心を試す為にも共同部屋に入れている。
とはいえ、何か問題が起きてからではすまない為、身近な貴族が相部屋となっている。
「数は五十弱です。特に騒ぎは起きていませんが、今までの暮らしと違うわけですから、不満を垂れることはあります。ですが、フォーデット侯爵が率先して場を収めてくれています。まあ、ほとんどが嫌々派閥についていた貴族ばかりですから、渋々でも従ってくれます」
レムエルはそれを聞いて内心ほっと息を吐く。
書類整理等の手間が減って助かるというのもあるが、あちらから来た貴族との対応に良い思い出がまったくないのだ。
シュヘーゼン達は貴族らしくない貴族のため、それに先に慣れてしまっては仕方がないだろう。
「そうか。では、近々レムエルに忠誠を誓わせた後領地へ帰ってもらう。ただし、時期を見て少しずつ行っていく」
「これだけごっそりと主力が減ったらないと思うけど、攻められないとは言えないもんね。少しずつ前に進みながら解放していこう」
レムエルの言う通り、現在城にいる騎士団はほとんど機能していないだろう。
それでも全ての者を連れてくることは出来なかったため、魔物の掃討や王都の警備等は出来るだろうが、それを割いてしまえば暴動と治安が悪くなるのは目に見えていた。
いくら頭の悪い貴族でもそれぐらいは理解できるはずだ。
最後に赤い扉の部屋だ。見るからに危険だと教えてくれるこの部屋は、罪を犯した貴族が収納されている。
分かり易いのを上げると王族侮辱罪(王族の会話に割り込み等)、敵前逃亡罪(逃げるのは罪ではないが、王族よりも先に逃げたのが罪となる)、命令違反罪(敵前逃亡が含まれるが、王族の命令を無視したのもある)、罪の擦り付け、この辺りが戦争での罪となる。
ここまでくる道のりで国民に対して暴力を振い、物資を無理矢理奪い取る。暴行罪、強姦罪、虐待罪、窃盗罪、名誉棄損罪……挙げればきりがない。
そういった貴族は開き直ったのか、喚き散らしているという。
「儂を誰だと思っている! バンガレット伯爵だぞ! そんなことを儂にしていいと思っているのかッ!」
「黙れッ! 自分が何をして閉じ込められているのか反省しろ!」
「ッつ! 貴様~ッ! 貴様の顔は覚えたからな!」
「それがどうした! 威張り散らす前に状況を理解しろ!」
通路の奥から聞こえてくる怒声にレムエルはビクリと体を震わせる。
その肩にそっとソニヤが手を置き、レッラと共に安心させる。
明かりは松明の炎だけ、と薄暗い通路のため余計に恐怖心が出る。
一応通気口は所々に穴が空けられ作られているが、外に出られるほどの大きさはない。脱走しようにも外と中は朝昼晩深夜まで見張りが交代で見張っている。しかもその見張りが買収されないように、下の見張りとは別の者が任され、逐一報告をするようになっている。
兵士達もまだ信頼されていないに近い状態だ。
レムエル達はそちらに歩いて行き、怒声を発していた貴族と兵士の下へ行く。
勿論レムエルはソニヤとレッラの服を握り、年相応に隠れている。ただ、王族としてはダメな振る舞いだ。
「良いから部屋の中に――」
「待て」
喚く太った貴族を部屋の中に叩き込もうとしているところに、アースワーズが静止の声を掛ける。
兵士は薄暗くすぐに判断できなかったが、光を反射して輝く胸元の王家の紋章を眼にし、貴族から手を離し敬礼をする。
貴族は憎々しげにアースワーズを睨み付けるが、近づいてきたアースワーズの表情にビクリと体を震わせ、矜持だけで噛みつく。
「アースワーズ殿下!」
「なんだ? バンガレット伯爵」
激昂の理由を理解しているが、アースワーズは何を怒っている? というように名前を呼ぶ。
騒ぎに気付いた周りの赤い扉が一斉に開くが、逆側に付けられたドアチェーンにより出ることは叶わない。
これもレムエルが考えた格子ではない檻だ。
格子の場合、閉じ込められたと圧迫感や恐怖心を煽り、地価という空間がさらに増長させる。だが、鎖で繋がったロックならばそのような意識が起きない。
中が見えないので小さい穴を空け、確認窓を作っている。
ただ、魔法は普通に使え、牢屋としては使えない為、今後は騎士達の手で改築することになるだろう。
「これは一体どういうことですッ! どうして我々が捕まらないといけないのですかッ! そこにいる者も本物の王族か怪しい者ですぞ!」
レムエルの怯える姿に気を良くし、アースワーズに周りの者まで吠えまくる。
アースワーズはバンガレット伯爵を睨み付けた後二三歩近付き、見下ろしながら口を開く。
「お前達を捕まえたのは犯罪者だからだ。それにレムエルはれっきとした王族。それこそ王族侮辱罪と反逆罪になると思え!」
「っぐ! しょ、証拠はどこにあるというのですッ!」
「証拠、だと? ああ、お前はレムエルのあの瞳を見ていなかったのか? もしや戦場で真っ先に逃げた、とは言わないよな? それこそ敵前逃亡及び俺の命令違反で処刑されてもおかしくないぞ?」
バンガレット伯爵は顔色を悪くする。
だが、それでも往生際が悪く、まだ助かると吠える。
「わ、私にこのようなことをして許されるとでも? ビュシュフス殿下が知られたら、即刻あなた様の首も跳ねられることでしょう」
蒼い顔を張りながらも虚勢を張り、バンガレット伯爵は兵士に抑え付けられ苦しそうに息を荒くする。
もしかすると虚勢ではなく本心から思っているかもしれない。
ビュシュフスに頼るということは、バンガレット伯爵は第一王子派の貴族だろう。
「お前達はまだ自分が助かると思っているのか? そうだとしたら想像もつかない愚か者だな。自分だけが良ければ他人が苦しもうがどうでもいいだ? そんな豚の餌にもならん貴族は今の王国にはいらん! 少しでも己の名誉を守りたければここで自害しろ! 戦死扱いにしてやる!」
アースワーズの本気の怒気を食らった貴族達は、バンガレット伯爵の尻馬に乗り文句を垂れていたが、冷や水を食らったかのようにシーンと静まる。
あの時以来のアースワーズの怒りに貴族達は身を竦める。レムエルもアースワーズが怒ったため目を白黒して、服を握る手にギュッと力が入る。
「自分達がこうなった理由を考えろ。貴族が何をしても許されると思うなよ? 今までは黙認されていたが、これからはそんなことさせんからなぁ」
怒りで真っ赤に燃えた怒気を瞳の奥に隠し、表面上は極寒の大地の様に背筋を凍らせるオーラを醸し出す。
「わ、私達はビュシュフス殿下に命令されて仕方なったのです!」
「ばれる嘘をつくなッ! 今まで笑いながら国民に暴行を働いていた貴様が言うのかッ! 俺は物資は交換してもらえと言ったはずだ。貴様は陰で暴行を行い、禁止した行為を行ったな? 他にもいるはずだ! 今から貴様等に同じような苦痛を与えてもいいのだぞ! 怒れる国民の前に引き摺り出してやろうかッ!」
自分のしたことを思い出したのか、誰かが悲鳴を上げる。
「で、ですが、交換する物が無かったのです! 確かに禁止された行為をしたのは許されざる行いです! 慣れない長旅といつ死ぬか分からない恐怖で仕方なかったのです。物資の件も少なすぎたのではないでしょうか?」
それとなく自分は仕方がなかったと、理由をつらつら言い放つ貴族にアースワーズは目を向ける。
目が細められビクリと体が震えるが、罪を分散させようと足掻く。
「それに解放軍と手を組む、とはどういうことですか? 私達はそのようなことを聞いておりません。私達を罠に嵌めた、と解釈しても?」
「もしそうなら殿下、あなたも大罪人ですぞ。何時の日かこの件が露見し、あなた、いえ、あなた達に災いが降懸るでしょう」
アースワーズは念のためこの日まで持っていた命令書を懐から取り出し、声をやや大きくして皆に聞こえるよう読み上げる。
「俺はこういう命令書を受け取った。『戦力不足とみなし、私の部下を連れて行け。国家に仇成す敵に王国の威光を示せ』……とな」
命令書をバンガレット伯爵の目の前に差し出し、一字一句間違っていないことを確認させる。
「これのどこに俺が準備をすると書かれている? お前達は自分達の物資まで俺に準備をさせるつもりだったのか?」
「で、ですが、こちらも急遽出兵が決まり、領地に――」
「その時に同時に準備すればよかっただろうが。自分の罪を人に擦り付けるな。それこそ準備をしなければならないのはビュシュフスだ。それともお前達は他人に準備をしてもらえないと何もできないのか? 国民は子供でも率先して家事の手伝いを行う。まさか、お前達が、出来ないわけないよな?」
自分達が見下していた国民よりも下だと皮肉を言われ、怒りに声を荒げようとするが、恐怖が打ち勝ち声を紡げない。
「大体、王族に準備をさせるという神経はどうなんだ? 王族はお前達の腕か? 足か? 頭なのか?」
「殿下! ……殿下は、私達を見捨てではありませんか……! 碌に指示も出さず、私達を最初からこうするつもりだったのではありませんか?」
それなりに恰幅の良い貴族が震える声でそう切り出す。
アースワーズは何の思いが含まれているのか一度吐くと、貴族を見渡して告げる。
「それは言いがかりというものだ。俺は命令書に従ってお前達を連れてきただけだ。どうして俺の指揮下にないお前達に命令しなければならない? 俺はお前達が犯した罪を償うために奔走していたのだぞ? 国民が嫌がっていたのを理解しているのか? 王国の威光も国に仇成す者へ示せたのではないか?」
貴族は誰も答えない。
雑草と侮り、自分達よりも劣る物だと考えていたため、何も覚えていないのだ。
道端の雑草一つ一つの形を誰も覚えないのと同じなのだろう。
「捕まったのを俺のせいにするが、俺は最初に噂の真偽を確かめに行く、と言ったはずだ。その命令を違反し戦争の火蓋を切ったのはどこのどいつだ? 俺が指示を出さなかったのはお前達に何を言っても無駄だと判断したからだ! その理由すら理解できん奴が人の上に立つな! 上に立つ者は他人の痛みを理解できなくてはならん! お前達はそれが出来なかったからここに閉じ込められているのだ」
アースワーズはそこで口を閉ざし、貴族達に言うことはないとレムエル達の元へ戻った。
貴族達はやっと自分の愚かさを多少理解したのか、誰も項垂れて上を向こうとしない。ある者は涙や鼻水を垂らし嗚咽を漏らす。
「レムエルは何か言うことがあるか? もうここには用事はないだろうからな、言いたいことがあったら言っておけ」
アースワーズにそう促され、レムエルは迷った後にちょこっと前に出て短く告げた。
「ぼ、僕は皆を殺すつもりはないから安心してね。え、えっとー、さようなら」
レムエルは単に魔力や労働力としてそういったのだが、殺す価値もないと貴族達は受け取り、折れかけていた心が完全に折れた。
何よりも短く逃げるように言われたのが余計に追い打ちをかけるようだった。
それが分かっているソニヤやレッラは苦笑を浮かべ、内心レムエルに歯向かったと憤っていた。
アースワーズや騎士達は何とも言えない表情を浮かべていたが、自業自得だと踵を返す。
「何か悪い事としたのかな?」
「いえ、レムエル様は何もしていませんよ。あとのことは下の者に任せ、レムエル様は次のことに目を向けましょう」
呟きにそう返され、レムエルはそういうものなのかと、怖さもあったためすぐに忘れることにした。
地下から戻ったレムエル達は一旦分かれ、各自の仕事に取り掛かった。
レムエルは集った貴族達との顔合わせや話し合い、作戦や今後の行動方針を決める為に書類と戦う。傍で精霊がお手伝いをしているのがシュールだが、この二週間でほとんどの者が慣れてしまっていた。
レッラはその傍で多少の手伝いをしながら、給仕に徹している。
ソニヤは増えた騎士・兵士や、参加してくれるという国民――有望なら正式に雇うという言葉に決めた者が多い――に指導を行っている。
そして、アースワーズはレムエルに任せられた軍部の仕事にとりかかっていた。
レムエルの戦闘力があったのは分かっただろうが、やはり奥で命令や指揮を取っている方が性に合っている。そう、誰もが思ったためアースワーズがこちらに就いた。
『竜眼』と精霊の力を持つ絶対の君主が背後で見守れば士気は上がり、先頭で最強に近い武力を誇るアースワーズが指揮を取ればさらに士気は上がる。
その他については周りの者が支えることになり、今までと違い国民までもが嬉しそうにしていた。
「こんなに楽しいのは何時振りだろうか。まるでこの辺りが王都のようだ」
心の底から楽しそうに言うアースワーズの言葉に、傍に控えていたマイレスが同意の言葉を続けた。
「そうですね。帝国が近くにあるというのに凄い賑わいです。レムエル殿下の行動には驚かされますが、国民は驚きこそすれ楽しそうでした」
「ああ、普通は力に恐怖するのだろうが、レムエルは人からも動物からも好かれるからな。その力も自分達のためにしてくれていると理解できるのだろう。偶に抜け出して遊んでいるようだな」
羨ましいとアースワーズは口にするが、マイレスはジト目を向けて注意をする。
「ですが、レムエル殿下はしっかりとその日の仕事を片付けられています。遊ぶと言っても国民と接したり、下見に行ったりするわけですから、どこの誰かさんの様に目を盗んで訓練するよりはマシかと」
「なに!?」
「殿下、もう少し見習いましょう。先ほどレムエル様から『怖かったけど、頼もしいね。アース兄上がいたら軍の方は大丈夫だね』と言われました。大切な弟君に頼られた兄君がそんな体たらくでいるわけにはいきませんよね?」
マイレスの仕事をしろ、という皮肉にアースワーズは顔を引き攣らせた。
どうやらアースワーズは身体を動かすのは良いようだが、じっと書類を見るという行為は好きではないようだ。
「わ、分かっている! それよりも例の者はどうなった?」
誤魔化しきれず先に早足で向かったアースワーズに追いつき、ジト目と白い目を向けながら背後からマイレスは報告する。
「指示通り一週間前、こちらで情報操作した貴族を解放しました。情報操作自体は逃走し捕まった貴族ですからやりやすかったですね。レムエル殿下の能力、争いの結果、寝返った貴族の数、城塞について。他にもできる限りこちらが有利になるよう仕組みました」
マイレスは本当に楽しそうに笑みを付くっていう。
恐らく、彼は拷問や取り調べ等を好むS気質の持ち主なのだろう。
見た目も少し冷たいので、それが合い混ざり恐怖を掻き立てる。
例の者というのは、あの争いの結果をビュシュフス達に知らせる駒のことだ。
ただ、その人物は真っ先に戦場から逃走した貴族で、争いの結果は知っていても後半の部分は捕まっていたため知らない。
その人物にレムエルの強さと『竜眼』の覚醒状態を隠し、争いの結果はほとんどが捕虜となった形となり、アースワーズや騎士達は捕虜となっていると伝えさせた。寝返った貴族は数を言わずに想像に任せ、城塞に関しては夢だったのではないか、と思わせている。
「あいつらのことだ、必ず保身に走ろうとする。自分達を守る騎士や兵士の主力がいなくなったんだからな。だが、それではこちらが困る」
「それで解放軍の実力を隠し、捕虜とすることで内部から反乱するように見せるのですね。実際はしませんが」
「そうだ。そのために手引きしたように見せたのだからな。領地に帰られては逃げられてしまうだろう。一番重い国家転覆罪や内乱首魁……は少し違うが、父の統治機構を破壊したのは間違いない。もしかすると他国とも繋がっているだろう。それと教会に関しても気を付けねばならん」
マイレスもそれには同意せざるを得ず、内部を知っている二人だからこそ教会がどれほど脅威か分かっている。
現状チェルエム王国では精霊教の方が優ってきているが、全体の脅威から考えると創神教に軍配が上がる。
ここで腐敗の原因ともなった創神教に打撃と、チェルエム王国から取り除こうと考えていた。
多くの者が創神教の信者となっているが、この二週間で精霊の凄さを実感し、精霊教の信徒達と触れ合ったため、その考えが変わってきていた。
やはり人は精神的に参っている時に優しく声を掛けられると、その相手を美化させたり、傾倒する傾向が強いだろう。
その思いがあったのかは別として、精霊教の信徒達は捕虜となった貴族や騎士達の料理や世話などをしているため、聖女のような存在となっている。
それは精霊教の信徒が皆優しく、女性が多く、逆に創神教は肥え太った者が多く、身なりは綺麗だがどことなく不潔感があった。
そうなれば自分達を救ってくれた精霊教の信徒に傾くだろう。
「いつもこれくらいしてくださればいいのに……」
「何か言ったか?」
「いえ、いつもこれくらい頑張って頂きたいと」
「言っているではないか! お前も自分の仕事に戻れ、鬱陶しい」
アースワーズはそう言い放ち自分の部屋へと戻った。




