第十四話
解放軍が放った魔法使い部隊による巨大な津波の攻撃を眺めていたソニヤ達は、目の前で繰り広げられる戦いを黙って見守っていた。
水が動く音と悲鳴が戦場を支配し、逃げ惑う兵士達がいる。
落とし穴の中にいる兵士達は、溺死という死の絶望に声を揚げることしかできず、貴族軍の兵士達は自分だけが助かろうと統制を無くす。
血の出ない戦場と言えばとても良い響きだが、今までの戦争や戦いと比べてみるとここまで大規模な魔法と、戦場自体を罠にした相手からすると卑劣な策を使用した例はない。
だが、季節が花咲く春から汗掻く夏に変わるように、腐敗した国を正そうと解放軍が立ち上がるように、戦争も時代が進むにつれて技術形態も進む。そして、使用される道具や魔法が進化し、取られる対策が巧妙且つ高等化し、作戦も裏を掻く様になる。
今回の話し合いの挑発はまだしも、落とし穴と大規模な魔法を使うというのは一見卑劣な策に見えるだろうが、三倍ある戦力差と腐敗したとはいえ正規軍に戦えない国民の混成軍が勝つには策を弄するしかない。
その策を瞬時に判断し、状況を掴めなかった貴族軍が悪い。そして、自分達が正しく、絶対に勝てると信じ切った彼らために前哨戦の情報戦で大敗したのだ。
人というのは想像を超えたもの、歴史から一歩はみ出したもの、大敗の原因が自分の気に食わないもの、そして彼らの様にプライドだけは無駄に高い者達は、皆揃って卑劣だと口を揃える。
だから、レムエルの策を身内でも卑劣だと思う者がいるが、劣勢を覆し絶対に勝利を収めることを考えると使うしかない。
それに解放軍は国民や冒険者が多くいる軍となる。
そのため、どんな形でも勝利を収めさえずれば士気が上がり、彼らに戦争がどういった物なのか等どうでも良い事だ。誰も死なずに現状が良くなればそれだけでよく、自分達の苦しみがなくなってくれるのならどんな方法でも取り賛成するだろう。
「さすがはレムエル様だ。いくら巧妙に隠していると言ってもよく見れば手が入り込んでいるかはわかるというのにな」
「はい。草木で隠されていますが、どう見てもそこだけ違います。ですが、言われないと気づけないと思いますよ」
「でもっスね、一日であんなものが築かれれば視野が狭まってもおかしくないっス。レムエル様もしっかりと注意を引かれていたっスからね」
ソニヤの呟きにシュヘーゼン邸宅の門兵のアレックスと後輩が答える。
アレックスは後輩の治らない語尾に怒りに拳を作るが、レムエルやソニヤが何も言わず、今は音を立てるわけにもいかないため我慢する。
「まあ、そうだな。落とし穴等の策は全部レムエル様が実際に魔物を倒すときに用いる代表的な策だ。他にも針山、囲い、トラバサミ、食べ物、幻影等がある。どれも魔法を使った物だがな」
「何というか、斬新ですね。どういうように仕掛けてるんですか?」
「え? そりゃあ普通にしかけてるイタッ! 痛いじゃもががもー!」
「静かにしろ! それとお前には聞いていない」
じゃれあう二人にソニヤはクスリと笑みを零し、自分達に課せられた役目が間近に迫っているのを確認する。
「レムエル様曰く、魔法で魔物を察知し、結界を使用して範囲内に入った瞬間に発動するようになっているらしい。それに今回の落とし穴は大型だから隠されていないが、レムエル様は穴を掘らずに地面の下に空間を作れる。だからどこに落とし穴があるかはレムエル様にしかわからん」
「うへぇ~。それじゃあっスよ、もしレムエル様と戦うことになったらどこに罠があるか怯えながら戦わないといけないということっスか」
「だから言葉遣いに気を付けろ! それに遠距離攻撃は精霊が処理してくれる」
「そうだな。性格も優しく民思いであられる。容姿も優れ、知識も豊富だ。上に立っていただくのならこれ以上ない方だと私は思う」
周りで聞いていた兵士達も無意識の間に頷き、ソニヤ達を除きレムエルと一番接している時間が長いシュヘーゼンの私兵は全員認めている。
「じゃ、あの魔法はどうなんっスか? 百人もいない魔法使いで、しかも実力に差が大きい部隊なのに、あんな威力が出るんっスか?」
アレックスはいくら言っても直らない後輩の言葉遣いに、最早正すことを諦めたようだ。
「ああ、それはだな――」
『行くぞォ、てめえええらあああ!』
『オオオオオオオオオオオオオオ!』
「――っと、話している暇は無くなったようだ。冒険者達がぶつかった瞬間に私達も出るから準備しておけ」
後輩の質問に答えようとしたその時、レムエルからの命令が下され、冒険者と兵の混成部隊が支援のために出てきた第二王子派貴族軍に向かって駆けだしていった。
それを見たソニヤ達は緊張を生み、心臓の音を高鳴らせながら突撃する体制に入った。
そして、混成部隊の中から『竜殺し』の異名を持つ大剣使いのガスタムが数メートル分飛び出し、戦場のありさまと熱気の差に躊躇した貴族軍に飛び上がり吠えた。
『ォォォォオオオオオオオアアアアアアァァァッ!』
「今だッ! 突撃ッ!」
『オオオオオオオオオオオオオオ!』
「――魔法というのは自然の産物じゃなくて、自然に漂い体内にある魔力という力を使って引き起こす現象なんだ」
「それで火魔法を使っても熱く思わないということですか」
「そうだね。まあ、それが何かにぶつかれば自然現象になるから熱いと感じるけどね。――で、あの現象は魔法を放つ前に彼らが口にしたように、立ち昇る魔力の共鳴化――即ち一体化させて、同じ系統と属性の魔法を合体させることで発動するんだ」
レムエルは実際に水魔法の最下級魔法ウォータを両手に発動させ、拝むように手を揃えた。
すると発動させるために高められた魔力が合わさることで一体化し、音が|共鳴(合わさり)し増幅する様に魔力も増幅する。そして、発動した魔法は二つ分のウォータよりも多い量の水が目の前に出来上がった。
「ほぅ……。これは新発見ということですか?」
魔法ギルドの副ギルドマスターが目を輝かせながら訪ねてきた。
だが、レムエルは首を横に振って否定した。
「いや、これはカロンが知ってるよ。というより、カロンが考えていた理論を僕がアレンジして実戦向きにしたんだ」
レムエルは出来上がった水の維持を止め、地面にパシャリと大きな音が立つ。
「ですが、簡単なように見えます……。彼らも最近知られたのですよね? しかも中には魔力をあまり持たない者や初心者等もいます。これが世間に広まれば――」
「いや、これは考えている以上に難しい技術なんだ。ただ一緒の場所にいれば魔力が共鳴するわけじゃないんだ。誰かが纏め上げないといけないし、魔法の発動もずれたら意味がない。得意魔法や適性や技術にも個人差があるから、それを導く使い手がいないといけない。他にもいろいろと問題点がある魔法なんだ」
口にはしなかったが、カロン達から広まった時の危険性も教えられているためデメリットしか口にしなかった。メリットは少量の魔力で高威力の魔法が放て、初心者でも息が合えば相手を倒すことが出来ること等だ。
レムエルがやったように一人で行うこともできるが、それはカロン等の実力者並みにならなければならないだろう。
そして、彼らの魔法が成功したのもレムエルが容易く出来たのも、
「今回は精霊が助けてくれたからね。失敗する方が無いと思うよ」
「それであの威力だったのですか。ですが、これが普及すれば、と思ってしまいます」
「そうだが、これが他国に知られると危ない。聞いただけでは容易に使えないことが分かる。帝国が今のを見ていたとしても使えるようにはならんだろう」
「そのためにカロンは僕達を信じて魔法大国に行ったんだ。その対策が出来れば研究できるようにしようと思うよ。彼らには口外しないように精霊の契約をしているから聞いたら駄目だよ。それまでは我慢してて」
「ははぁ、仕方ありませんね。その時はぜひ研究のメンバーに加わらせてください。やりがいのある魔法ですし、今までの魔法を進歩させる手掛かりになりそうです」
魔法は詠唱を使うのが一般的で、詠唱は魔力を世界に繋ぎ魔法として発動させる手助けの様な物だ。
そのため先ほどの魔法は合体魔法という部分が詠唱に似たようなものとなる。魔法名は彼らが考えたものだが、皆が発動した魔法はアクアウェーブという初級の津波魔法だ。
その魔法ならある程度技量があれば魔法名とイメージでどうにか発動でき、周りの魔力等と合わさり多少の実力不足も誤魔化せる。
それらもメリット・デメリットの一つだ。
「うん、その時が来たらね」
レムエルも成長したのかしっかりとした言質を取らないように躱す。
それ程意味はないが、まだ確約できる話ではない、ということだからだ。
レムエルが魔法に対して解説していた頃、アースワーズは遠見の魔道具を使用して戦場のありさまを覗いていた。
遠見の魔道具は王国が所有する、戦争等で戦況を見ながら指揮を取るための魔道具だ。ただ、それに使われている素材が魔宝石並みに価値の高く希少な物で、製造も現在の技術では作れないと言われている。所謂オーパーツとかと言われるものだ。
その傍にはメイドや甲冑の騎士と従者が控え、両脇に何やら面白そうに笑みを作っているシュティーとショティーが座り、ハーマンとマイレスが苦々しい表情を浮かべている。
先ほどまで苦悶を浮かべていた貴族はほぼ戦場へ向かい、遠見の魔道具で見ていた貴族のほとんどが卒倒するか怒りに身を任せて出て行った。そのためこのテント内には彼らしか存在していないのだ。
「ククク、レムエルの奴面白いことを考えるな」
アースワーズはテーブルに肘を付いた状態で心底面白そうに笑い、団長二人は苦々しい表情が濃くなる。
シュティーとショティーはレムエルが褒められ気に食はないようだ。
「そう言いますが、これは……」
「戦争と呼べませんよ……」
やはり、生粋の軍人であり、今までの戦争を知っている彼らには眉を顰めてしまうものなのだろう。貴族が憤慨したりするのは、貴族がいくら腐っても矜持と礎を大切にする。そのためお互いに汚い手を知っていても、貴族はその汚い手が過去の人物もしているということで礎とする。
アースワーズは軍人と言ってもその前に民を護る王族という面が強くあり、多少せこくとも民と国を守れるのなら全く問題ないと考える。
ただ、王族でも様々な種類がいることは覚えておかなければならないだろう。
「まあ、そうだろうな。だが、これは戦争ではない。俺達は噂の真偽を確かめに解放軍の長レムエルと話しに来たのであって、こっぴどくやられた貴族の様に潰しに来たのではない」
「だから、このような否定するような戦いでも御認めになると……」
「いや、認める認めないではない。そもそも戦争にルールなど存在しないのだ。俺達は宣戦布告するが、帝国は軍備を整えた後すぐに侵攻だろ? そのために俺達は帝国と接する国境を監視している」
目の前に広げられたアーチスト大平原の拡大地図の国境を指で叩く。
二人はそれでも今一納得が出来ないようだ。
まあ、いきなり今まで行ってきたことを否定されれば誰でも飲み込み難いものだ。
「それにレムエル達は何も悪い事をしていない。予め戦場に落とし穴を作っていたのも、俺達が下見……とまではいかずとも、ここは話し合いをした場所だ。巧妙に隠していたとしても気付けなかった俺達が悪い。魔法は威力は大きいかもしれんが、戦術級並の魔法と思えば普通だな」
流石のアースワーズもその威力を少人数で行った方法までは分からなかったようだ。
まあ、魔法ギルドの副ギルドマスターでさえ分からなかったのだから仕方ないだろう。
二人はそう言われた徐々に納得していく。
いきなり納得は無理なのだろう。
「これは作戦で負けた、ということでしょうか?」
「まあ、有体に言えばそうだろう。恐らくだが、これをレムエルが勝ち、国王の座に就いた場合、戦争のやり方ががらりと変わるだろう」
アースワーズはそこで一つ区切り、遠見の魔道具に映る第二王子派貴族軍とぶつかり合う冒険者達を見る。
「確かに戦争や争いにはお前達の様な武力は絶対に必要だ。だが、その武力も精霊の様にどのような物でも破り去る圧倒的でなければ、目の前で繰り広げられているように単純な罠と策の前に敗れてしまう。これからは武力の時代ではなく、知恵の争いに打って変るだろう」
アースワーズはやはり面白いと戦場へ行く準備をしにテントを出て行ってしまった。
戦力的に勝っている貴族軍は体力がいくら持っていても、精神的にやられ動きが鈍くなっていた。
それもいがみ合っていても一番の勢力を持ち、それなりの兵がいたはずの第一王子派貴族軍が相手に一撃も加えないまま大敗し、しかも罠と作戦だけでやられたのは精神的に負担が来たはずだ。
第二王子派貴族軍も怒りと矜持を胸に抗っているが、それは貴族だけであり、一平民が多く命を落としやすい前線で戦う兵士達はそれどころではない。
どこに落とし穴があるのか、自分達も水攻めされるのか、殺されるのではないかと考え、突破できても二百を五十で落とす女騎士が護っている。その後ろには精霊を使うレムエルが控えているとなると……恐怖心で動けなくなるほどだ。
それでも向かうのは言うことを聞かなければ貴族に何をされるか分からないという考えがあり、いや、考えというより貴族に逆らってはいけないという圧政による刷り込みがあるため、いやでも前進する人形と化しているのだ。
レムエルはその考えを変えるために、人として誰もが立つために動いている。
因みに水攻めをしたが、落とし穴に入っているのは多くとも百五十センチほどだ。服や体に水を吸い込ませ、落とし穴の下にも泥を敷き、底なし沼の様に落とし穴から出難くしている。そして、落とし穴は二メートルあり、足が埋まると二メートルを超え、傍から見ると溺れそうに見える。
結果、余計に相手に恐怖心を煽ることになる。
解放軍側は相手は万が一を除き死ぬことはないと事前に伝えられていたため、士気が恐怖で下がることはなく、怒りを糧に戦っている国民は自分達が作った罠で勝っていると考え、冒険者は面白くなり、兵士達は負けていられないと発起する。
このように温度差がある争いが起きている。
戦場では悲鳴と怒号が飛び交い、貴族軍の中には逃げ惑う兵士すらいる。
圧倒的有利と思えた貴族軍は第一王子派貴族軍が大敗を期したことに混乱が生まれ、命令系統に軋み以上の亀裂が入っているのだ。
「死ねええええええええ!」
「ひいいいぃぃぃぃぃ!」
「殺すな馬鹿垂れ! ここで誰かを殺せば作戦にならねえだろうが」
「あ、わりい。じゃあ……地獄に落ちろおおおおお!」
「ひいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃ……ふっ……」
冒険者達は久々に暴れられると戦っているが、中には感情が昂り思いっ切り急所を攻撃しようとしている者がいた。周りが諌めているが、それでも昂った冒険者達は次々に戦闘不能者を増やしていく。
ランクD以上で固めた二百人弱の冒険者に勝つには騎士が出てくるしかないだろう。
兵士達は強面の冒険者に凄まれ更に恐慌状態となる。中には気を失う者まで出始める始末だ。
「竜の首を刈り取った俺の一撃を受けてみよ! 『大地を破壊する猛撃』!」
ガスタムから溢れ出る赤いオーラに周りの冒険者までもが恐怖を覚えるが、Sランク冒険者の本気の攻撃に歓喜が打ち勝つ。
振り払われた一撃はアーチスト大平原の草をごっそり土ごと払いのけ、目の前で恐慌状態となっていた兵士達の山を築く。大地は禿たかのように茶色くなり、冒険者達が次々に武器を掲げて固まった兵士達に突っ込んで行く。
そんな状態で貴族の恐怖体制下の命令が通じるわけが無い。
これがしっかりとした王が立っていれば、信頼や信用などが生まれ戦えるのだ。
その差が解放軍と貴族軍の差だ。
「貫けええぇ! 今までの訓練の成果を私に見せてみろッ!」
『オオオオオオオオ! レムエル様に勝利を!』
そこに不意を突くようにがら空きとなっている側面からソニヤ達がぶつかり、戦場はさらに混乱が生まれる。
「私兵すら統括出来んとはな。だが、好都合。貴様等には安全圏で高みの見物をしている者達に忠告をしてもらわなければならない。レムエル様を侮辱した罪も償ってもらうぞ!」
前線で立ち止まった黒い愛馬に乗ったソニヤに、冷静な判断が下せない兵士達は女であることと隙だらけと考え、武器を掲げて突っ込んでくる。
冷静ならばソニヤだと気付けたかもしれないが、一人だけ豪華な鎧に身を包み命令を下していたため、彼女を潰せばいいと安直に考えてしまったゆえの行動でもあった。
やはり、まだこの世界は女性の地位がかなり低いようだ。
「風よ、私に力を! 『暴嵐の剣!』」
ソニヤは死に物狂いで群がってくる兵士達にニヤリと口角を吊り上げ、風に頼るように呼びかけると、無意識に顔を庇う強烈な渦巻く風と白く緑色の輝く光が吸い込まれるように帯びる。
風と光は刀身とソニヤに集束を始め、何者も寄せ付けない強烈な嵐を変わる。
「こ、殺せえええ! あの女を殺せば褒美をくれてやる! 誰でも良いからあいつを殺せええ!」
危機感を感じ取ったのか周りに命令が出来る立場の者が指示を飛ばすが、誰もその声に反応しない。いや、一人だけ反応する者がいた。
ソニヤはその声が聞こえた方へ剣先を構え、圧縮した嵐を纏った一本の槍と化す。
「貴様等雑兵如きにこの私――黒凛女騎士団団長ソニヤ・アラクセンを殺せると思うなッ! 風よ唸れ、大気を切り裂け、敵を葬り去れ、全てを切り裂く嵐の一閃!」
口上を述べると同時に剣が舞うように頭上を動かされ、誰もが動きを止めた瞬間に愛馬の首が下へと下がり剣が振り下ろされる。その動作に呼応するかのように大気ごと切り裂く嵐の刃が飛ばされ、群がっている兵士達を分断するかのように反対側まで飛んで行く。
耳鳴りと轟音が動きを封じ、周囲のものを吸い込んでいく嵐の刃が兵士達を吹き飛ばす。手加減されているとはいえ、上空へ打ち上げられたものは骨折しているだろう。
挙句に直撃を食らった者は意識を飛ばし、頑丈な鎧を切り裂き、剣を破壊し、向こう側の森の木々も吹き飛ばす。
口上を精霊によって聞いていたレムエルはソニヤの怒りの凄まじさを改めて理解し、確実に自分が侮辱されたことに激怒していると戦慄した。
『ぎゃああああああああ!』
嵐の刃は人間よりも重き木々を軽々持ち上げ、暴風を産み出す嵐と化して上空へ消えていった。残った通り道には落とし穴よりも深い爪痕を残し、ソニヤの怒りを代弁しているかのような亀裂を刻んだ。
兵士達があり得ない物を眼にしたことで戦場に一瞬空白が生まれ、混乱が落ち着く。だが、すぐに先ほどよりも激しい大混乱が生まれ、勇敢に戦っていた者は呆け、逃げ惑う者達の数が増えた。
「私に続けぇ!」
『おおおおおおおおおおおおおお!』
ソニヤの一撃でさらに解放軍は勢い付き、逃げ惑う貴族軍に追撃を加え戦闘不能者数を増やしていった。
貴族軍は先の合体魔法によりフォーデット侯爵達が流され、命令を下せない状況となっていた。
第一王子派貴族達はまず保身へと動き、現在兵士達を見捨てて森の中を移動していた。だが、それが悪手だと気づかず、昼間だというのに薄暗く視界の悪い森の中に入ってしまい、レッラ率いる独立奇襲部隊が誰一人逃さずに捕えた。
戦場に残っている貴族もレムエル達の指示により捕えられ、上司が捕まったことで兵士達は武器を捨て命乞いを始める。解放軍はそれを受け入れ、落とし穴の中にいることを強要する。
そうすれば自分達は攻撃をしない、と。
徐々に落とし穴の中にいる兵士の数が増え、落とし穴が安全だという思考が生まれ、自ら落とし穴の中に入る者も出始める。
罠を活用したことで味方も動き難くなり、混戦状態となった今視界が悪くなったことで味方も落ちかねない。それを防ぐために落とし穴を安全地帯兼檻の様に活用することにしたのだ。
こうすることで戦場を動き易くすると共に、精神的に追いやられた兵士達を自ら誘導することにした。
心身共に追いやる鞭に対し、凶悪且つ卑怯に見えた落とし穴の飴を与えたということだ。
当然、遠見の魔道具でこのことを見ているアースワーズ達は理解し、団長達は再び苦々しい顔となる。だが、内心策を弄することへの感心と恐怖を覚え、自分達ならどう破るか頭をフル回転させていた。
アースワーズだけは最初の落とし穴を見抜けない時点で、ほぼ負け決定だとわかっており、すぐさま這い出ることが出来ても水攻めと戦場の劣勢を見れば大人しくなる。
魔法や矢など遠距離攻撃の使用も移動できない味方が大勢いるため却下され、中央を突破しても四倍差で勝ったイシスが控え、あの強烈な水魔法が来ると二の足を踏む。さらにまだ出てきていない精霊や冒険者達が控えているのが負担となる。
結局のところ、最初の落とし穴が見抜けなければ負けが確定なのだ。
それにそろそろ兵士達は誰も死んでいないことに気付き、自分達は死にもの狂いなのに手加減されていると戦意喪失する。
全てレムエルの掌の上だったということだ。
そして、いよいよ局面は勝敗2対0の最終局面へ移行し、両軍の主力部隊が動くこととなる。これに勝った方がこの戦いと、今後の国の運命を左右することとなるだろう。
それからさらに十数分が経ち、武闘派の多い第二王子派貴族軍は第一王子派貴族軍より持ったが、既に壊滅状態となっていた。
アースワーズは密かに放っていた斥候から貴族達が次々に掴まっている報告を受け、戦場で指揮を取っていたフォーデット侯爵達の会話も耳にしていた。
「そろそろ俺達も行くぞ」
その言葉に皆打たれた様に顔を上げる。ハーマンとマイレスは顔を引き締め、シュティーとショティーは緊張を孕んだ顔付きとなる。
見るのは何やら映画を見ているようで楽しかったのだろうが、実際にこの場に行くとなると恐怖を覚えるのだろう。
幼い頃から魔物と戦い、過酷な森の近くで育ったレムエルと違い、二人は今の年まで安全な訓練しかしたことが無い。その差が露わとなる。
「二人とも心配するな。俺はあちらとぶつかり合うつもりはない」
「降参するということですか?」
ある程度度胸のあるショティーがそう訊ねる。
「いや、それはない。今降参すれば貴族達の恰好の餌となる。俺がいたら勝てたのではないか? とな」
「そ、そそそんな無理ですよ! 無理に決まってるじゃないですか! どうやってあんなのを一瞬で築いたりする精霊に勝てるというのですか!」
今度は視野の広いシュティーが混乱したかのように叫ぶ。
「それが貴族というものだ。自分のことを棚上げし、相手の上げ足ばかり取る。自分が不利になれば相手を殺すことも意図はない狡猾な生き物だ。当然それに祭り上げられる者も同罪だ。無知だから許されるのは子供まで。権力や地位を持つのなら尚更許されない行為だ」
吐き捨てるようにそう告げ、アースワーズはマントを羽織り、剣を携えて二人に準備をするように促す。
まだ納得いかない二人は従者とメイドに背中を押され、緊張と恐怖が渦巻く戦場へと足を向ける。
解放軍側でも、レムエルが率いる主力部隊が準備を始め、ソニヤやガスタムも戦場から身を引き、戦場から争いが消える。
落とし穴の中にいる者達はどうなるのかと顔だけ出して見守り、両軍の行く末を観客席から見守る。
「殿下、アースワーズ殿下は魔力だけでなく純粋に強いです。正面から戦わずに搦め手を交えながら戦ってください」
シュヘーゼンはシルゥの背中に跨ろうとしているレムエルに最後の忠告をする。
レムエルはその言葉に不安を覚えるが、バダック達の訓練を思い出し、彼らよりは強くないはずだと、この場にいないバダック達から勇気をもらう。
「分かってるよ。ただ、いきなりぶつかることはないと思う」
レッラに最終チェックをしてもらい、『竜眼』を眼に宿す。
「それはそうですが、何が起きるか分かりません。殿下は相手を納得させなければならないのです。そのためにも――」
「大丈夫、僕を信じて。勝てると断言できないし、自分の腕に自信があるわけじゃない。どう見てもアースの方が強そうだしね。でも――」
そこで区切り、自分を見上げている者達を見渡す。
国民の顔には慣れないことをした疲労が溜まっているのが分かるが、レムエルに期待しているやる気が覗える。
レムエルはその思いに応えようと、今までの人生の中で一番と言っても過言ではない不安と恐怖に抗い、自分のために頑張ってここまで導いてくれた者達から勇気を貰う。
その思いはレムエルの力となり、慕ってくれる者がいるほど『竜眼』の輝きは強くなる。
「でも、僕は僕のためについて来てくれた人のために勝たなくちゃいけない。こんな僕を信じてくれた人に応えないといけない。国を豊かにするために示さないといけない。――だから、僕は勝つ。皆の思いを無駄にしない為にもね」
レムエルはそう言って皆に笑いかけ、キュッと表情を引き締める。
「まあ、あまり自信はないんだけど……」
誰にも聞こえないように呟いたつもりだが、しっかりとレッラの耳には届いており、レムエルらしいと微かに頬を緩ませた。
「それじゃあ行くよ」
『おう!』
レムエルの短い号令に全員も短い返事で答え、静かに解放軍はレムエルを筆頭に足を進めていく。だが内心は闘志が剥き出しで、嵐の前触れのような海の静けさと同じだった。
数分後、精霊の力を纏い『竜眼』を解放した神々しい光を放つレムエルと、鍛え上げた肉体と剣技に純粋な魔力を使ったオーラを放つアースワーズが激突することとなる。




