第七話
作戦本部の様な会議室で旗頭となるレムエルを上座に、斜め後ろにレッラが立ち、隣に漆黒の鎧を着たソニヤが、机の上に広げられた大きめの地図の上に駒を置きながら準備をしているシュヘーゼンがいる。
レムエルはそわそわしているが、ゾディックに会うから緊張しているだけではない。
レッラに鎧を着せてもらっていた時も考えていたが、ゾディックに言われた上に立つ者として大事なものが分からないからだ。
分からなくとも冒険者に対する報酬はあるため参加はしてくれるだろうが、これからの統治や皆を従える王になるのに大切だと言われ、それが分からずにやっていけるのかと不安になっている。
心配性とまではいかないが、気弱な性格が他の人よりも責任という二文字として大きく感じさせてしまい、今の緊迫し始める状況も合わさり、かなりの重圧を感じていた。
あと三週間ほど経つと軍が動き出し、一週間以上かけてこちらに向かって来ると言われている。
負けはしないだろうが、相手の勢力が何処まで行くか分からない中、初めての戦争というのもあり余計に不安と恐怖が募る。
本当なら戦争等ということも、いがみ合いさえもしたくないレムエル。
だが、世界が救うために生んだレムエルに課せられた運命がそれを受け入れ、今の情勢がそれを許さない。
果たしてレムエルは皆の希望となることができるのだろうか。
「レムエル様、落ち着いてください。こういう時はなるようになります。一度深呼吸して、いつものレムエル様を取り戻してください」
不安が最大にまで高まろうとしているレムエルは、カタカタと足を鳴らしてしまいレッラから注意を受ける。
レムエルは背後を肩口から覗き、抑え込んでいた不安が優しい声で一気に噴き出してしまったのか涙目になる。レッラとソニヤはそれを見て手助けをしたくなるが、こればっかりは人から言われて気付くようでは今後に影響が出てしまうと考え、限りなく気が紛れる程度のヒントを教えることにした。
「レムエル様はゾディックから言われたことを覚えていますか?」
ソニヤがレッラに目配せをしてから問いかける。
レムエルは一度鼻を啜った後目を擦り、小さく頷きながらぽつりと答えた。
「うん。王になるのに大切な物だよね? ソニヤも持ってたっていうし、ゾディックはあったから選ばれたって言ってた。レラももしかして持ってるの?」
レッラはソニヤからレムエルの課題について話を聞いていた。
だが、レッラの場合はまた少々変わり、必要と言われれば必要だったが、二人ほど必要ではなかったと言える物だ。
この中だとレムエルが一番必要であり、権力が大きくなるほどその重みが変わってくる。
「私も時によっては必要でしたが、なくてもあまり困りはしなかったと思います。もし持っていればソニヤのように雰囲気が変わると思います。ゾディックは私とソニヤのどちらに近いですか?」
レッラは一つ頷き答えに導く様にヒントを当てる。
ソニヤは少し眉を顰めるが、レッラは主が困っていれば手助けをするためのメイドだ。ダメだと思っていてもぎりぎりの範囲を弁え、答えに気付けるよう誘導することはお手の物だ。
だが、それに気付けるかはレムエル次第なので難しいところでもある。
「どっちかというとソニヤかなぁ。強いとかもあるけど、頼りがいがあるとか、頼もしいとか、自然と士気が上がる感じ? レッラも頼りがいがあるけど、何かちょっと違う……。うーん、癒される?」
「レムエル様……」
レムエルは眉を下げて首を傾げながら言うが、ソニヤは内心自分では癒されないのかとショックを受ける。
「それが分かっていて悩むということは、王になるのに大切なものではないと考えているのですか?」
レッラはあんにそれが合っているというが、レムエルは何か違うと思っているのだろう。
「いや、大切だとは思うよ。でも、ソニヤとかゾディックの大切なものは強さの様な物でしょ? それは大切かもしれないけど、それで従わせる? 支配みたいになるんじゃない? それこそ帝国と同じだと思う」
「では、優しさはどうですか? これはレムエル様にはあると思いますよ」
確かに優しさならレムエルにはたくさんあるだろう。
その優しさはただ相手を思うだけの優しさではなく、相手を慈しみ、時に怒り、悲しみ、楽しみ、相手の思いに気付き、よりよい方向へ進んでいこうとする思いだ。
言い換えれば思いやりや包み込む母性、いや父性か、が正しいだろう。
まあ、レムエルの場合思いやりとなるが。
「勿論それは大切だと思うよ。それが無かったら厳しい人になるもん。大体僕には無理だからそれは必要だと思う。でも、それだけじゃゾディックの問いに答えられていないと思うんだ」
レムエルはまた難しそうな顔になり、不安だという思いが激しく伝って来る。
「では、最後にこれを言わせていただきます。レムエル様がしてきた旅も思い出してください。ロックスでの触れ合い、アクアスでの思い出、マグエストでの出来事。途中寄った村での出来事等も。そこでも私達と同じように上に立つ者がいたはずです。彼らも人それぞれの大切な物を持ち、それが彼らにとって上に立つ者として必要な物なのです」
二人は取っ掛かりは掴んでいるとわかり、これ以上は自分達が言わなくても自然と理解できるだろうと考えた。だが、レムエルが気付けるかどうかはやはり不安となり、その手伝いをしたくなる。
そこまで分かっていて尚悩み続けることが大切で、それを悩まなくなると停滞し、後は退化していくことになるだろう。
そうなると道を踏み外してもわからず、周りの者を気に掛けなくなる傾向が強くなる。
世ではそのような王を愚王と呼んだり、狂王と呼んだり、そのやることに対して負のイメージが強い王の二つ名を付ける。
そんなものはレムエルに似合わないので頑張ってほしいものだ。
シュヘーゼンは召使に指示を飛ばし準備をしながら、レムエル達の会話を盗み聞き、自分にもそのような時期があったと感慨深く思う。
レムエルに大切なものはソニヤ達よりも貴族であるシュヘーゼンに近いだろう。
貴族と王でまた変わるだろうが、貴族は上を除ければその領地の王であることにはあまり変わらず、領地を治めるのと国を治めるのは規模が違うだけだと、大きな枠組みでは考えられる。
ただ国を治めるにはその貴族を従え、他国とのやり取りをし、内部にも目を向けなければならない。
ただ規模が大きいとは言えないものでもある。
シュヘーゼンは会話に加わらず、黙って準備を行う。
彼の性格からしてレムエルにどうしても協力的になってしまうとわかっているからだろう。
毎日のように新作料理が出るのも料理長だけの考えではなく、シュヘーゼンが指示を出さなければ領主を蔑ろにしていると取られてしまう。客を持て成すのはいいが、あくまでも領主が一番上だ。
レムエルのお願いがあって初めて許可がどうとなるのだ。
レムエルはレッラから言われたヒントで光明が差した気がしたが、まだこれだ! という明確な答えが出ず、首を右にやったり左にやったりと忙しく動かす。
だが、先ほどまで不安だった気持ちが少し薄れ、いつもと同じように考えることができるようになっていた。
人間気持ちが高まるとどうしても冷静になれないものだ。
と、そこへノック音が響き、レムエルが明確な答えを出す前にゾディック達冒険者ギルドの者達が訪れたことを知らせる。
「失礼します。ココロの町冒険者ギルドギルドマスターゾディック様と、その護衛のAランクパーティー『駆け抜ける閃光』四名をお連れしました」
「わかった。入らせろ」
バルサムの声が響き、ゾディック達を連れてきたのが分かった。
レムエルはビシッと背筋を伸ばすがレッラに力み過ぎだと肩を叩かれ、少し気を抜きレッラをちらりと見る。
優しく微笑まれ恥かしく思うレムエルだが、心臓がバクバクと高鳴り今にもこの場から逃げてしまいそうだ。
シュヘーゼンは立ち上がると、中へ一言呟き軽く頭を下げながら入ってくるゾディック達に、にこやかな笑みを浮かべて握手を求める。
「忙しい中よく来てくれた。私がこのバグラムスト伯爵領の領主シュヘーゼン・バグラムストだ」
「こちらこそ時間を取って頂き有難い。私がココロの町冒険者ギルド支部ギルドマスターゾディックです」
「そんなに畏まらなくともよい。知っていると思うが、殿下は堅苦しいのは苦手とされておられる。勿論私も堅苦しいのは苦手なものでな。普通に接してくれて構わない」
シュヘーゼンはそういうとゾディックの衰えを知らない盛り上がった筋肉を叩き、自分も誇示するかのようにきっちりと着こんでいる服の下で胸を張る。
一瞬目が背後にいるレムエルに突き刺さるが、レムエルは目が合うと少しぎこちない笑みを浮かべて小さく頷いた。
シュヘーゼンも朗らかに笑っているためゾディックはすんなりとそれを了承し、背後のレムエルに一歩進み出て笑い掛けながら挨拶する。
「お言葉に甘える。――殿下、お久しぶりです」
「う、うん、久しぶりだね。元気そうでよかったよ」
レムエルは課題の答えが分からないこともあり、笑顔がきついと感じぎこちない笑みを浮かべながら握手をする。
「こちらはギルドお抱えの冒険者パーティー『駆け抜ける閃光』達です。一応冒険者内の情報操作等を行ってくれた者達で、殿下のことも知っています」
ゾディックはそういって四人の目の前に押し出し、レムエルに自己紹介をするように促す。
こういった時はどちらが先に自己紹介をするのか迷うところでもあるが、今回から王子としての立場でいることになるため目下の者から紹介することになるのだろう。
四人は緊張でもしているのか顔が強張り、パーティーリーダーの爽やか系の青髪イケメン剣士をレムエルの前に押し出すが、四人が四人ともレムエルと目が合い絶句とでも言えばいいのか口を少し開けて固まった。
恐らくレムエルが精霊の認識阻害を外しているからだろう。
今までは認識を阻害させてレムエルの容姿に引っかからないようにしていたり、髪の色を変える魔道具で変装もしていた。だが、今日からはそのようなことを一切せず、素の状態で皆の前に出ることになる。
そのため、レムエルの麗しい容姿と王族特有の雰囲気に飲み込まれ、レムエルがまだ子供とは言え上の存在だと感じ取ったのだろう。
また、レムエル自身が不安を抱いているために眉が不安そうに下がり、逆にそれが彼らには優しさと儚げなさが見え隠れするようになり、保護欲ではないが、すでにレムエルが醸し出す天然の他者を惹き付けるオーラに飲み込まれていた。
「ゴホン! あー、お前達。気持ちはわかるが、じっと見ているのは失礼だから早く自己紹介しろ。畏まらずに受付嬢に言い寄る様にすればいい」
「え? そ、それはちょっと……」
「良いからさっさとしろ。時間はないんだぞ」
この優しそうなイケメン剣士が受付嬢に言い寄るとは思えない。
はっきり言うとレムエルのように自己主張があまり好きではない様子がうかがえるからだ。だが、仲間を見てみると信頼関係が強いことを覗え、女子二人男子二人であることからハーレムパーティーでもない実力派の冒険者だとわかる。
彼は仲間から本気で押され、否応なくレムエルの顔を直視することになり、仲間も同様に戸惑いの色を浮かべる。
特に女子二人は顔を少し赤らめ、レムエルに堕ちたのが分かった。
何時まで経っても進まない状況に疑問を覚えレムエルが可愛く小首をかしげる為、女子二人は舞い上がりそうになり誤魔化すためにイケメン剣士の陰に隠れる。
「え、あ、そのー、俺、いえ、私はAランクパーティー『駆け抜ける閃光』のリーダーを務めているレイゼン・イェガーと申します。一応前衛で剣士をしています。ランクはAです。レムエル様にお会いできて光栄です」
イケメン剣士――レイゼンは努めて爽やかな笑みを浮かべてレムエルにそういうが、実際会う前まではレムエルのことを訝しんでいた。
だが、実際にレムエルを眼にすることで王族だと本能的に察知し、まだ証拠はないため理性は怪しんでいるがそこまでではない。
それは仲間も一緒だからこそ彼を前に本気で押し出したのだ。
レムエルは机に手を付いて立ち上がると、軽く頭を下げた剣士に手を差し出して挨拶を返す。
「レイゼンでいいかな? 僕はレムエルって言うんだ。好きなように呼んでくれて構わないよ。今まで誰も知らなかったのにいきなり王子って言われて驚くよね。僕もちょっと前までそうだったんだもん。これからよろしくね」
「あ、はい。よろしくお願いします」
「ちょっと硬いけど仕方ないかぁ。後ろの三人も教えてくれる?」
見た目通りのレムエルの気さくさに毒気を抜かれ普通に返すレイゼンに、レムエルは少し苦笑いを浮かべて無理かと内心思い、後ろに隠れている三人に目を移した。
三人はレムエルに見つめられ挙動不審になるが、背後からゾディックの睨みがかかり背筋にビリリと電流が走る。
「お、俺はマイク・ガレットです! ランクはBです! 主に前衛で魔物の注意を惹きつけ護る役をしてます! よろしくお願いします!」
と、マイクと名乗った大柄で強固で重装な鎧を身に付け、ゾディックに似ていることから巨人族だと分かる。
声が大きいのは緊張によるもので、はきはきと答えているがやや噛みそうになっている。
「わ、私はアレイナ・フォリンと申します! ランクはBです! 火と風と地の三属性魔法使いです! で、殿下にお会いできて光栄です!」
「殿下に置かれましてはご機嫌麗しく存じます! 私はパーティーの支援と回復を務めるフロリア・ウォーカーと言います! よろしくお願いします!」
続けて二人が素早く大きく頭を下げ挨拶する。
アレイナは茶髪の小柄な魔法使いで、フロリアは優しい緑髪の女性だ。
二人はそれぞれ魔力を増幅させる魔道具や職業に合ったローブを纏った黒と白の正反対の装備を身に付けている。
四人とも首からネックレスの様な物を掛けているのは状態異常耐性の首飾りだと見える。
マイク以外の三人は皆人族だ。
他種族が多くいるチェルエム王国だが、基本的に人族が半分以上を占めている。
「マイクとアレイナとフロリアね。僕はレムエルだよ。これからよろしくね」
「「「よろしくお願いします!」」」
レムエルは三人の慌てように逆に冷静になり、落ち着いて優しい笑みを浮かべて握手をしていく。
彼らにはそれが逆に狼狽える結果を齎すが、この場にいる者がそのようなことで怒ることはない。
「それで、こっちがソニヤ。ソニヤ・アラクセンっていう女性だよ。僕の……義理のお姉さん? とっても強い頼もしい護衛だよ」
レムエルの微妙だが嬉しい紹介にソニヤは浮かれる気持ちを抑え、努めて武人のような表情で四人に軽く頭を下げ挨拶する。
「あ、あなたがソニヤ様ですか? 元黒凛女騎士団副団長の? いなくなったと聞いたときは驚きましたが、お会いできて光栄です」
「ええ、そのソニヤで間違いない。証明してほしければ一度戦ってみるか? 同じ剣士なのだろう?」
「よ、よろしいのですか!? ぜ、ぜひ、お願いします!」
レイゼンの変わりように驚くレムエルだが、仲間三人は少し呆れているのを見ていつものことなのだろうと納得し、ソニヤからの提案なのでレムエルは何も言わない。
だが、なぜかレムエルの胸が少し痛み、ソニヤと知らない男が握手をしていたりするのが嫌になる。
それに気づいているレッラだが、嫉妬しているのだと微笑ましく思い、自分でもそうなってくれるのかとついあるまじき疑問を覚えてしまう。
「で、こっちがもう一人の姉さんのレッラだよ。僕の専属メイドをしてくれてるんだ。ずっと勉強も教えてくれてる優しく暖かい人かな?」
「紹介に預かったレッラです。これから殿下のことをよろしくお願いします」
レッラに優しく微笑まれマイクが少し頬を赤くするが、目敏い仲間に脇腹を抓られシャキッと背筋を伸ばす。
レイゼンとの差が何とも言えないが、レイゼンは下心があるわけではないのだろう。
「自己紹介も一通り済んだということで、まずは座ってくれたまえ。まずは情報の交換から始めよう」
シュヘーゼンの言葉にゾディック達は一言礼を言いながら席に座り、レムエルももう一度椅子に腰を下ろす。
レイゼン達とレッラは背後でいつでも動けるように待機している。
椅子は座れる分あるが、身分的にレムエルやゾディックの隣に座れないのだ。
その辺りはレムエルがいくら気になるからといって無理強いは出来ず、無理にすると嫌味のように取られる場合がある。
チェルエム王国城内にある貴族達が使う会議室では、第二王子を上座に第六、七王子が両脇に腰を下ろし、目の前に近衛騎士団と銀凰騎士団団長両名が書類を片手に厳つい顔で座っていた。
他にも騎士が数名おり、無表情で背後に待機している。
彼らが集まっている理由は何となくだが分かるだろう。
彼らは三週間後に控えた噂の真偽を確かめるための話し合いを行っているのだ。
このような話し合いは何日もかけて行われ、それが少数の遠征だったとしても厳しい話し合いの下、様々な者達と取引等をしなくてはならない。
例えば遠征に必要な物資の量を、国内から納められる税や国庫等の金管理をしている財務系の文官達に加え、食料自給や国内の備蓄を整理している農林水産系の文官達と話し合うことになる。
その話し合いは出来るだけスムーズ且つ裕福な遠征が出来るようにしたい軍部と、お金や食べ物は有限ではなく、何が起きても良いように来年度の準備費やその他の開発費等様々な問題を加味し、できる限り費用を抑えたい文部の交渉となる。
どちらも良い分は分かっているが、軍部は貴族の子弟や指示を出す者が王族だったりした場合、出来る限り城にいる時と同じ生活をさせたく、下の者の士気を上げる為にも酒やチーズ等嗜好品も持っていきたいと考える。
それはただ単に士気を上げる為ではなく、酒の酔いで待ち構える恐怖や不安を払拭し、出発前に気分が高揚するくらい――二、三口程度で酔わないように調整できる者のみ――飲むことで力を発揮させる武人もいる。
また、貴族の子弟は裕福な暮らしになれている者ばかりで、質素だとわかっていても文句を言う者がいる。現在はそれを知らない者もいるだろうが、遠征先で我儘を言われては困り、その我儘が身内に降懸れば士気の低下以上に戦力も低下してしまいかねない。
逆に文部はそれを分かっているが無駄を極限までに少なくし、最低限の準備だけで過ごしてほしいと主張する。
彼らの中にも貴族の子弟が多くいるが、金回りを管理しているだけあってどの程度まで出来る等、過去の遠征等と照らし合わせて交渉する。
現在はこちらも腐っている者が多く、不正な横領や帳簿の改竄、物資な密輸等が行われ、綺麗に隠しているが見る者が見ればそれを瞬時に把握してしまう。だが、そういった悪事をする者は悪知恵だけは回り、証拠が出てくると取り調べる兵士達・取り調べる者を買収し、結果すらも改竄し文部内の忌み嫌われるしっかり者の平民に擦り付ける者が多くいる。
どうにかして物資を持っていきたい軍部と、極限まで削り金や食べ物を備蓄しておきたいと思う文部の争いでもある。
軍部は文部が分からず、文部は軍部が分からないというのも起因するのだろうが、一番はお互いに主張するばかりで中々妥協ということをしないのが問題だったりする。
他にも移動手段に対して貴族の子弟は馬車を使い、物資を運ぶためにも輜重兵――後方支援を行う部隊で、拠点作りや簡易料理、食糧管理や馬の整備など様々なことを行う。基本的に戦いに加わることはないが、激しくなると駆り出される――も馬車を使う。それにも金がかかり話し合わなければならず、馬の食事も考えなければならない。
武器や防具等装備品の管理や回復魔法で治さなくても良い傷を治療する傷薬等の手配、遠征で通る道の村や町の支援通達、魔物の被害も考えなくてはならない。
今回はないが、戦争となると近隣の村まで徴兵が行われ、その者達への物資なども重なり、男手が少なくなる村等の手当ても考えなくてはならない。
遠征ならばまだ城に集まる各地からの年貢で補い、国が管理している街や村でほぼ無料の低価格で寝泊まり・食事を行うことができる。
だが、今回のように軍――騎士団一つで兵士も含めて一万程度。軍は三つの騎士団を含めるため普通ならば三万だが、白薔薇女騎士団は少数精鋭且つ女性騎士なので千人にも満たない。よって二万程度だろう――に近い単位の人数が動くとなると話が少し変わり、人数は厳選されているとはいえ二千は軽く超えると思われる。
アースワーズの思惑が何にしろ、レムエルの味方である国王が許可を出したということは何かがあり、アースワーズが国王を脅したり害したとは思えない。
何を考えているか分からないからこそ今回の遠征には何か目的があると思われ、始めて行動を起こしたアースワーズというのが更に関係している。
「殿下、これは少し拙いのではないですか? 一応選別は後少しで終わりそうですが、これはどうにも……」
近衛騎士団団長ハーストが渋い顔で訊ね、隣で銀鳳騎士団団長マイレスも頷いている。
シュティーとショティーは重苦しい空気に縮こまり、場違い感を物凄く感じているようだが、アースワーズは慣れたように悠然とした態度で書類を見ている。
「――作戦の修正がいる」
アースワーズは長い沈黙の後にそう重く口を開いた。
「に、兄様? 一体何が書かれてるのですか?」
「悪いことでも書かれてるのですか?」
狼狽え始めた二人は少しシンクロが解け、兄であるシュティーの方が少し狼狽えようが激しい。
アースワーズは軍関係の仕事をまだ知らず、成人したての二人に少しずつ手を加えていくことを決めたのか、書類を二人に見せ詳細を話していく。
「この書類はあの豚達から横やりが入った文章だ。内容は自分の子飼いの兵士や騎士を持っていけ、というはた迷惑な物だな」
アースワーズは盛大に眉を顰め、腕を組んで背凭れに身体を預けた。
ハーストとマイレスも苦笑いを浮かべて同意を示す。
二人は書類をちょろっと取り、二人で両端を掴み内容を眼を左右に動かしながら確かめ、少しムッとするかのように眉を細め、アースワーズの顔を覗き見る。
これがレムエルならばまだ許せるだろうが、成人した十五歳の青年がやると少しどうかと思える。
まあ、レムエルまではいかないが、十人いれば十人がかっこいい男性だと答えるだろう。
レムエルの場合もそうだろうが、レムエルは見なくてもなんとなく感じるレベルで、人が勝手に集まって来るだろう。
「跳ね除けることももちろん出来るが、そんなことをすれば何が起きるか分からん。もしかするとその矛先が下へ向かいかねん。現状それだけは何とかして阻止したい」
アースワーズは一応下の者のことを考え、現状国の方針を決めているビュシュフス達を嫌悪しているようだ。それは前回の会議室での行いから見ても一目瞭然だろう。
その思いを既に共有しているのか団長や騎士も同意を示す。
「で、でも、この人達連れて行って大丈夫なのですか? 僕でも知っている悪い人がいますよ?」
「そうですよ。この貴族はビュシュフスみたいに太っちょだったじゃないですか」
「「兄様から修練を受けてる僕達の方が絶対強いです」」
最後にそう付け加え、レムエル程ではないが場が少し緩む。
アースワーズも二人の意見に賛成だが、この要件は貸すのではなく、命令の様な物で、アースワーズが言う以上に断ると厄介なことになりかねない。
自分の方が偉いと思っているビュシュフスの前で軍の規則がばれ、アースワーズが軍を動かすことを言ってしまった。さらに付け加えると脅迫――あちらは恐怖を怒りに変えただろうが――してしまい、アースワーズは少々恨まれている。
そのためそれを断るとアースワーズを断罪しようと企てたり、国王に害をなす計画を進めようとするだろう。
それだけは何としても現状阻止し続けなくてはならなかった。
「お前達が強いのは分かるが、今回は連れて行くしかない。そこで、この文章を逆手に取ることにする。作戦の大幅な修正をしなくてはならないが、まだ時間はある。それまでに手を加えればいいだろう」
「逆手に取る、ですか?」
ハーストが再確認するように聞き返す。
命令を聞かなくてもいいのだが、ビュシュフスの勢力を考え、状況がどう動くかを考えれば、やはり命令を聞いておくことが無難だろう。
馬鹿程扱いやすい物はないだろうが、度が過ぎた馬鹿は何を起こすか分からないという意味で扱い難くなるものだ。
アースワーズは大きく頷き返し、口を再度開く。
「連れて行けというのなら連れて行こうじゃないか。多少我慢しなくてはならないだろうが、そんなのすぐに通り過ぎる。物資の修正もしなくてはならないが、その辺りはあちらにも準備をしてもらう。こちらは別に連れて行かなくてもいいのだからな。その辺りを表に出せば文句は言えまい」
「今回は主旨が少し違いますから、物資の件もスムーズに決まってますし、連れて行くのは何度か遠征を熟した者達ばかりで不満を言う者は少ないでしょう」
「しかし、本当にするおつもりですか? 我々は構いませんが、後のことを考えると……」
バダックの後継者である真面目なハーストが渋い顔で訊ねるが、アースワーズは何度も言わせるなと目を閉じる。
「俺では王にはなれない。教育は受けたが、王として大切な物を持っていない。いや、俺以外の王族皆持っていないだろう」
断言するように腕を汲み、片手で顎を撫でながら薄らと目を開けて言う。
シュティーとショティーは元から王位に興味が無いのか、それとも六、七ということで王になるよりも補佐として教育されているのかもしれない。
アースワーズでも王を務められると思っている団長二人は、どうしてそこまで否定するのかと少し困惑した顔になる。
「王というのは民の身近であって身近であってはならない。確かに緊急時に何が最善か考え即決する意志が大切だ。いわば感情のコントロールだな。他にも国を豊かにする王としてその辺りを知らなければならないだろう。現在のように倒れてしまうのなら仕方ないだろう。だが、その後代理を務める者が、ああも腐っては話にならん」
現代の会社の纏め役である課長や主任等といった部下を纏める立場にいる者とは、やや必要な物が違うだろう。
上に立つ者として必要というと部下の個性を伸ばすことやあらゆる面でのサポート、多少の失敗で目くじらを立てない等が挙げられる。
ビュシュフスにはアースワーズが言ったことも含めて足りないと言えるだろう。逆にレムエルは優しすぎる面もあるが、時には選ぶ決断力を持っているため適していると言えるだろう。
だが、それは上司であって王に必要な物ではない。
王というのは国を背負う、いわば大統領や総理大臣といった者達だ。それでも王制と民主制では、権力のよりどころとして大幅な違いが出てしまう。
それを踏まえて必要というとまず致命的な弱みを見せては拙いだろう。
現在国の弱みは腐っていることが挙げられ、まだ大丈夫だろうが創神教の手が国の上層部に入り込んでしまっている。
これは腐敗したことにより、金に執着し始めた上層部や民から甘い汁を絞り取ろうとした。
また、即決とはいったものの、それが早い段階で間違えていたとすると、時にはそれを間違っていたと判断しなければならない。
王が間違った判断をすると国が間違った方向へ進み、国内に住むすべての者に被害が及ぶ。そのため慎重な判断と先を見据える力が必要だろう。
だが、人間間違えないというのはあり得ず、どんなに素晴らしい人物でも未来が見えさえしなければ間違えることはなく、見えたとしても人の感情までは分からないので結果が変わる恐れがあるだろう。
ただ、王というのは象徴でもあるため、その間違えを曲げるというのがどのような影響を齎すか計り知れないところもある。
王位を狙う王族や貴族の的となったり、他国が付け入る材料となったり、国民の反感や今回のように反乱を起こすきっかけ等、恨みを買いかねないということだ。
何時までも豊かにするために勉強し続けることや精神的なタフさ、全てを背負い込まないことも大切だろう。
だが、一番大切だと思えるのは何といってもカリスマ性――この場合、適度な国民からの支持や行動一つで圧倒又は理解させる姿勢の様な物だ。
現状から言うとそれが一番当てはまり、国民の心を理解することとその思いを汲むことが大切だ。
これがレムエルに大切な物で、ゾディックは自由を重んじる冒険者達を仲間に引き入れたかったら、冒険者達が自分達で参加したくなるような人物になれと言っている。
ゾディックならば冒険者を纏め上げ、緊急時に街を防衛するギルドマスターとして、実力も含めて冒険者の羨望の的や任せておけば困難も乗り越えられる、と思わせなければならない。
そうすることでカリスマ性を発揮し、荒くれ者の多い冒険者を纏め上げるのだ。
ソニヤ等騎士団の上司はその騎士一人一人得意なことが違うため、その個性を伸ばすことが訓練時に一番大切だろう。実力が必要なことも勿論だが、別にそれはなくとも周りの騎士がこの人に付いて行くという意思と、任せておけば大丈夫だと思える凛々しい姿を持っていればいいと思える。
戦闘中でもギルドマスターと同じことが言え、いれば確実に勝てるという士気を高めるカリスマ性が必要だろう。
王族――王になるレムエル達に必要とすると実力よりもそんな者達を纏め上げる手腕と、この王を支えたいと思う心を持たせることだろう。
皆にその思いをさせろとは言わないが、重役にいる者達には当然必要で、それが周りの者に自然と伝播しカリスマ性となる。
レムエルに備わっているのか分からないが、確実にその行動一つで周りの者を惹きつけて行っているのは確かだ。
まだ冒険者には足りないだろうが、現状に憤る者達には参加させる意思を宿させるだろう。
「俺の場合、悪評はそこまでないが好評もない。どちらかというと現在の王族として悪いイメージを持たれているだろう。何もしない、よくわからないというのが俺のイメージだと思う」
恐らく誰かが話しているのを聞いたのだろう。
まあ、自分でもそうなるように動いていた節が見えるが。
「この二人だとまず王になる器が無い。王になる気概があるのなら俺の下にはいないだろう」
「……それを本人の前で言うのですか」
「「構わないよ。元々興味ないしー」」
笑いながら言う二人に呟いたマイレスは苦笑いとなる。
王になりたくないという王族は良くいることだが、この三人のように特殊な王族は珍しすぎるのだ。
「それでは誰を王にするつもりですか? まさか、王女を王にするわけではありませんよね?」
ハーストがそれはいけないと目で訴えながら言う。
流石に千年間もの歴史がある伝統を覆すのは難しいだろう。
そもそも男が王になるのは、女は優雅に暮らし男を立てるというのが常識だからだ。その考えから国の行く末や軍を指揮する仕事をするのは男の務めとなっている。
黒凛が出来上がった時も同様の反論がされたが、王の決定には逆らえず、ソニヤ自身がバダックに気に入られ、周りの貴族も反論が出来ないほどの成果を出したために仕方がなかった。
現在は戦力だったイシスもいなくなり、優雅に暮らす張りぼて騎士団と化したが。
「まあ、第四王女ならばどこかの出来の良い息子を王にすればいいだろうが、今の状況を考えるとそれは拙い。国民は王族に不満を持っているかもしれんが、貴族にも不満を持っている。出来の良い息子が英雄みたいな奴ならいいが、良くても少しで気の良い騎士クラスだろう? 名前が挙がるのも魔物の掃討等で役に立った者だけだ。戦争もここ最近起きていないからな」
「では、どのようにするおつもりですか?」
アースワーズは壁に掛けられた時計を一瞥し、そろそろ遠征に関する文官が来る頃だと書類を片付けてから、二人に目を向け言う。
「だからこそ噂を確かめに行くのだろう?」




