その者、レムエル・クィエル・チェルエム第八王子
バダックとレッラの護衛の下の森内部の走り込み、クォフォードの考えた筋トレ(ソニヤ手伝い)、ソニヤの武器講座、カロンとファウスの魔力操作と精霊会話、最後に皆で体を解し騎士と召使が準備をしてくれた朝食を食べる。
これが朝稽古で、大体二時間ほどで終了する。
あり得ない速度だ。
さすがは英雄の魂を持つ者だ。
朝食は騎士が訓練と称し耕した畑の野菜と朝稽古宙に襲ってきた森の魔物肉、近くにある湖からは魚(魔物)が釣れ、少し硬いが栄養は良い。
森には薬草もあるため騎士が良く出かけている。
召使はそれらを使ってレムエルの体調に気を付けながら三回の料理を作っている。
はっきり言って、普通の村よりもとてもいい暮らしをしている。
「レムエル」
バダックが最年長として食べる前に話を切り出した。
「何? もしかしてどこか汚れてた?」
しっかり洗ったはずだけど、と顔を手で拭う。
だが、皆真剣にレムエルのことを見ているためすぐに違うと気が付き、隣で手製の座椅子の様な物にゆったりと少し苦しそうに座っている母親を見た。
食欲の無さにより腕や足は細くなり、血行の悪い肌は蒼く、綺麗だった髪は少し空き、眼の下に隈が出来ながらも優しそうに、愛おしそうにレムエルを見ている。
母親には既に今日伝えることを言ってある。
母親もその辺りは随分前から気が付いていたようだったが、口には出さずにレムエルに自分だけでも愛情を注ごうと考えていたそうだ。
だが、身体が言うことを効かなくなり心配だった言い、今回のことはとても心が安らいだそうだ。
心労が少しだけ取れたということだろう。
「レムエル。昨日、お前は本当のことを知りたいと言ったな」
「う、うん……言ったよ。で、でも、皆を困らせるために言ったんじゃないよ? ただ、何時か教えてほしいだけで……」
「その真実がお前にとって最悪かもしれないと言ってもか? 儂達と別れることになるかもしれないと言ってもか? 困難に立ち向かわなくてはならなくなるとしてもか? 知りたくないと思うかもしれないぞ? それでも真実を教えてほしいか」
バダック達の気迫に飲み込まれていくレムエルは喉を鳴らし、眼を彷徨わせてしまう。
朝食の温かい湯気が立ち上る中、緊張の冷たい空気が張り詰める。
「ど、どうしたの? 何かあったの? 皆変だよ?」
オロオロとするレムエルに顔を近づけるバダック。
「真剣だ。だからお前も真剣に応えてくれ。本当に真実を知りたいか?」
レムエルは彷徨わせていた眼をバダックの赤い双眸へ定め、一つ大きく息を吸った。
「うん、知りたい。最悪かもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。別れるのは寂しいけど会えなくなるわけじゃないんでしょ? そうだったとしても話したからって皆が死ぬわけじゃないよね。困難に立ち向かうのはよくわからないけどみんなから力を貰ったんだから我慢できる。知りたくないわけがないよ」
「本当だな? 知ったら最後、お前は後戻りできなくなるぞ」
「うん、それでも知りたいんだ。除け者は嫌だって言ったよね。確かに嫌だ。でも、バダックは昨日僕なら出来るって言った。救うのは僕だって言った。義務はよくわからないけど僕の義務なんでしょ? ……ならやるよ。それに外には面白い物がたくさんあるんでしょ? そこまで悲観的になるとは思えないもの」
レムエルは張り詰めた空気を緩め、違う意味で張りつめさせた。
バダック達はそう宣言するレムエルに王者の風格を見る。
瞳には現れていないが、確かにこの方について行きたい、この方に跪き頭を垂れたい、この方と共に未来を見つめたい……そう思えた瞬間だった。
同時にやはりこの方しかチェルエム王国を正しい道へ向けられる人はいない、と心の底から思った。
「……わかった。まず、レムエル……お前、いや、あなた様の出生から話させていただきます。お気を確かにしてお聞きください」
「え? え?」
急にバダックの雰囲気と言葉使いが変わったことに戸惑うレムエルだが、周りはそれを許さずに進んでいく。
「あなた様は、この国チェルエム王国第六十三代国王アブラム・クォルラ・チェルエム陛下の御子息、第八王子であられます」
「……え?」
「ですから、この国の第八王子様なのです」
「え? え!? ええええええぇーッ!? ぼ、ぼぼぼぼぼ、ぼぼ僕が王子いいいぃ~ッ!? 平民ではないと思ってたけどさすがにそれはないよ! 皆の勘違いじゃないの? 母上は間違っても王妃様っていう感じじゃないよ?」
レムエルは自分が何を喋っているのか分かっていないのだろう。
完全に生みの親に対して失礼な言い方をしている。
それに気づきながらもバダック達は一斉に頷いてレムエルに現実を突き付ける。
「レムエル……いや、もうレムエル殿下とお呼びするべきですな。私のことはカロンと呼び捨てください。元は王国魔法師団副団長でした」
カロンはにこやかにそう言うが、師匠関係ではあったとしても対等だと思っていた相手がいきなり遜った言い方になると戸惑ってしまうだろう。
それを好機と見たバダック達は次々に名前と元役職を伝えていく。
次第に理解をしていくレムエルの頭はさすがのスペックだからかオーバーヒートすることなく処理をし、最高戦力がいることに本当に自分が王子なのだと納得していっていた。
だが、現実から逃げたい者はこういう。
「う、嘘だよね? 嘘だと言ってよ。ね、ねぇ~、皆ぁ~……」
今にも泣きそうなレムエルだが、既に十数年前から賽は投げられており、この瞬間賽は急激に目を決めようと崖から地面へ向かって落ちたのだ。
「レムエル殿下、あなた様は王子なのです。我々は嘘を付いておりません」
「バ、バダック……」
レムエルは皆を見渡し俯く。
心配する面々だが、顔を上げたレムエルに安心した。
「……わかったよ。いや、まだ整理は付かないけど、皆が嘘を付くとは思えないし、教えてくれって言ったのは僕だもんね。真実が僕にとって嫌だとしてもそれから逃げるわけにはいかないんだよね。……でも、納得したよ」
まだどう言ったらいいのか分からないといった暗い顔をしているが、何処か納得し晴れた顔もしている。
「納得して頂けたところで、朝食を取りましょう」
バダックがそういうと皆頷き朝食に手を付け始める。
レムエルが食事中に狼狽えるのを防ぐために先に大元から話したのだろう。
「では、次に我々がこの地にいる理由を話しましょう。殿下もここに年老いたとはいえ、戦力が集まっているのが疑問でしょうから」
「うん、元から疑問だったけどね。村人が少ないのに皆強いし」
レムエルはさもありなんと味噌汁を飲みながら言った。
「これも結論から話させてもらいますが、レムエル殿下にはこの国を救ってもらいます」
「ぶふぅーッ! ゲホッ、ゲホッ……な、何だって!? ぼ、僕が国を救う!? どうしてそうなるの? 王子かもしれないけど八番目なんでしょ? 上に七人もいるじゃないか。あっ、もしかして此処に隠れ住んでいるのは皆亡くなったから?」
確かにそれなら最後の跡取りを死なすわけにはいかないと、良い歳になるまで戦力で囲んで育てようとするだろう。
…………。
いやあり得んだろう。
断言はできないが、それなら下町で育てればいいわけだし、わざわざこんな辺境に送らなくていいだろう普通。
やはり混乱しているのだろう。
「少しだけ合っていますが皆生きているはずです」
「あ、そうなの? じゃあ、どうして八番目の僕なの?」
「それについては私とレッラ、クォフォードで話させてもらいます」
カロンが横から口を出してきた。
情報収集と頭脳派の三人だ。
「まず、チェルエム王国は現在腐っております」
「腐る? 食べ物が腐るっていう意味じゃないよね? 国だし」
純粋なレムエルには悪意がよくわからないのだろう。
教えるにしても腐るからどうのこうのとは教えず、良い方向へのやり方を教えるだろうし。
だが、歴史もあるから単に意味を知らないだけかもしれない。
「いえ、違います。腐ると言うのは国が立ち行かなくなる、という意味です」
「今の王国は欲に塗れ堕落した貴族、金に目が眩んだ支配者、蹴落とそうと足掻く権力者、仲間内で争う王族で溢れ返っております。中には善良な貴族もいるでしょうが、数えるほどしかおりません」
「国民は虐げられ、苦しみ、嘆き、蔑まれ、血の滲む毎日を送りながら生きています。中には奴隷に落とされ慰み者とされる者もいます。それも数え切れないほどです」
「このまま行くと国は立ち行かなくなり、最後には壊れてしまうでしょう」
レムエルは絶句する。
外ではそんなことが起きていたのか、と。
同時に王子だとしたらこんなことをしていていいのか、とも思った。
やはりどこかで王族としての責任感を感じているのだろう。
「殿下。言葉では簡単に言えますが、実際はもっと酷い状態だとお考えください。我々の情報は昔の物なのです。現在はもっと酷いかもしれません」
グッと両拳を握りしめたカロンは無力だと、悔しい思いをしながら歯を食い縛って言った。
いろいろと想像していたが結局想像できなかったレムエルだがそう言われて愕然とする。
レムエルの時間は止まっても実際の時間は流れ、着々と美味しい匂いの漂う味噌汁は冷めていく。
「陛下は即位されたときからどうにかしようと努力されてきましたが、王国に巣食っている膿は大きく、抑え込むだけで精一杯だったのです。現在は力が徐々になくなり名前が上がらなくなり始めております」
「……陛下って僕の父上のこと?」
「はい、そうなります」
そうかと呟き、目の前の小さくなり始めた湯気を眺める。
「……国のことは分かったよ。でも、どうして僕はここにいるの? してほしいこともわかったよ? でも、どうしてこんなところに国の最高戦力と言ってもいい人達に囲まれているのかが分からないんだ。確かに死んだらいけないのは分かる。兄上? 達もカロン達には期待できないことも。だから僕を頼ったんだよね」
レムエルは頭を上げて訊ねる。
「殿下にあらゆる教育したのは王族としての矜持は勿論のこと、我々の旗頭として、王国から膿を取り去る者として……そして、全てが終わった際に王国を統一する王となって頂く為です」
「武術や魔法に関しては最低でも身を護れる術を身に付けて頂くのが一番でした。ですが、それはあくまでも最低限であり、最終的には皆が納得する力を持ち、慕われるのは勿論のこと、この方が居られれば安心できると言えるまでなって頂きたかったのです」
「安心してください。殿下は我々の期待に応えてくださっています。失礼ですが、誰の目から見ても殿下は十分仕えるに値する主君です。後は私達の願いを聞き入れてくださり、国民と王国を立ち直らせてほしいのです」
レムエルは思っていた以上にスケールの大きな願いに面食らう。
「ですが、殿下がどうしても嫌だというのであられるのならそれでもかまいません」
「え?」
バダックの一言に気が抜ける。
昨日までの皆だった場合強制していたかもしれないが、現在は皆が腹を括り自らが死んだとしても国のために最後まで足掻くと決めたのだ。レムエルの好きなようにさせたいと思ったのだろう。
「殿下がなされない場合、我々の力で力付くで国を変えさせていただくことになります」
お前がしなかったら俺達がするぞ、とほぼ脅しのように聞こえる内容だが、バダック達にはそういう意図は全くなく、純粋にレムエルの判断に任せようとしている。
ただ、レムエルがどう思うかは別だ。
「言いたくありませんが、我々には殿下の様な権力がありません。王国の元最高位に就いていたという物はありますが、発言力はあったとしても全ての者を拘束する力がないのです」
「武力ならばどうにでもなることですが、政治や人間関係となると話は別なのです。王族を捌くには王族しかおりません。しかも階の低い王族でも国民から慕われ、悪を打ち滅ぼせば確実に味方が増え、王国を変えていくことが出来ます」
それでも王国が変わるのならいいのでは? と思う人もいるかもしれないが、それをすると王国にとって大変なことになってします。
「ですが、我々が起こすと確実に戦争が起きます」
そうだ。
無駄な血が多く流れ、戦争を早く終結したとしても多くの者が死ぬ逝くだろう。
「せ、戦争……! そ、それは嫌だよ。痛いし、怖いし、悲しいし……」
レムエルは自分のことのように悲しい顔で言う。
だが、カロン達は真実と全てを知ると決めたレムエルに、厳しいかもしれないが強く伝える。
「そうです。戦争が起きれば戦わなくていい兵士が多く投入されることになり、戦う度に犠牲になります。国民も例外ではなく、捨て駒として徴兵されます。戦火が村を焼くことも、税が上がり飢え死ぬ者も、どさくさに紛れて悪に手を染める者も出て来るでしょう」
「ど、どうしたらいいの?」
「これを言えば、殿下に強制する形になるので言いたくありませんが……殿下が自分こそが王だと率い、国を豊かにし、治めていけばいいのです」
「でも、バダック達は僕の味方かもしれないけど、僕のことを知らない人は違うよね? しかも僕が自分達を苦しめている元凶の王族だとしたら殺しに来るんじゃないの? それに僕はそれだけの力があるの?」
そこに辿り着くとはやはり頭がいい。
統治者としては先を読むことは大事だろうが、人の機微――特に国を成り立たせるのに必要な国民の気持ちを考え、理解し、実行し、最善の辿り着かせるのが大事だ。
国あっての民、民あっての国。
どちらか一つでも欠ければ崩壊し、両方無くなれば国ではないだろう。
「詳しくは掴めていませんが国を変えようとする集団がいます。その者達と連絡を取り、協力を得られれば味方になってくれるはずです」
「危惧しておられる通り外の世界に出られれば御身が危険に晒されるでしょう。ですが、私達はそのための味方であり、殿下の身を守る盾であり、殿下に苦しい思いをしていただいてまで修行を付けさせてもらったのです」
「力については言うまでもありません。殿下は私共の修業に嫌だと仰られながらも堪えて来られているのですよ? 外の世界に私共のように強い者がたくさんいると思いで?」
クォフォードの問いにハッとして首を横に振った。
「そうでしょう。街一つを単騎で落とせる怪物がごまんといれば、この国はもう終わっています」
「そ、そうだね。よく考えればそうだよね。じゃあ、普通はどのくらいなの? そうだなぁ、これから戦うことが多くなると思う兵士と騎士ぐらいは知っておきたい」
「それはバダックが一番知っておられるでしょう」
レムエルはそう言われてバダックを見るが、彼は眉を顰め虚空を睨みながら顎を擦る。
「殿下、今から言うのは十年ほど前の状態だと思ってください」
「離れてるからだね。仕方ないよ」
「では、当時の私の強さが百だとしますと、その下の副団長は八十、騎士は分かれていますが四十から七十、兵士も同様に三十あればいい方です。最下位に新兵や徴兵、志願兵は二十あるかどうか……。その下に十程度の農民等の平民がおります。ですが、世の中には荒事専門の冒険者と呼ばれる者達がおります」
「ああ、魔物を倒したり、薬草を採取したり、名前通り冒険するんだよね。それにも似たようなランクがあって強さで分かれてる。……バダックはどのくらい?」
しっかり覚えていたことにほっこりと笑顔になる面々。
訊ねられたバダックは再び険しい顔をして答えた。
「全盛期であればSSありましたでしょうが、最近は歳でもありますから……Sに届けばいい方でしょう」
「殿下、私はSSですよ」
と、カロンが隣で口を出すが、寿命が三倍以上違うのだから仕方ないだろう。
それに魔力は衰えることがないが、体力や筋力は仕方がない。
どうしても年を取れば弱くなるのだ。
「ですが、この十年でそれも多く変わっているでしょう。冒険者は生きる為になっているので強さは変わらないでしょうが、国の者となると……」
「強くなってるの?」
「いえ、それはありません。我々の後釜は指名してきました。変わっていなければ強さもそれほど違いはないでしょうが、もし息のかかった者に変わっているとすると腐敗しているでしょう」
一応今後の展開を考え行動したようだが、数年の月日が経つとどのようなことになっているか見当が付かないということだ。
軍内にいる者全てがこのバダック達の様な善人ではないのだ。怠惰な者、欲のある者、裏切り者、組する者等多くいる。だから、考えている以上に大変なことなのだ。
「いろいろと言いましたが国の実情も、敵の勢力も、味方の有無も外に出られて殿下自ら考え、感じ、捉え、目的と志を元に過ごしていきたいと思っております」
最後に纏めるようにバダックが締めくくった。
それから簡単な質問やこれからの日程を話し合う。
朝食も粗方食べ終え、レムエルの新たな修業が始まった。
天星暦899年1月。
温めにいなければ家の中でも白い息が見え、外では上空から綿のような雪が疎らに降っていた。
レムエルの修業は真実を知った転換期と言える日から数年経ち、目的に応じたものへと変わっていた。
今まで目的を知らずに教えられるから知るという状況からも変わり、まだ納得できないながらも周りの願いを叶えようと感じて取り組んでいる。
それでもレムエルは少しずつではあるが国を良くしようと考え始めていた。
その理由としては真実の打ち明けが一番強いが、それよりもこの数年間に行われたことが一番の理由だろいう。
諜報員もしていたレッラは月一で近隣の村等から情報を集めていた。その情報を頼りに今まで国の実情や民の心を少なからず知ってきたのだ。
だが、十数年という月日は長く、最初のころに比べて掴み難くなり、情報から読み取れることが少なくなってきていた。
真実を知ったレムエルはそれらの話し合いに参加するようになったことで、前向きに立ち上がろうかと考え始めたのだ。
ただ、気が弱いため自分の本心が分かっていても自信を持ってできるとは断言できず、なかなか立ち上がれない。
国や国民の命運を背負って立つというのはどれだけ重荷なのか考えてもわからないだろう。
立ち上がろうとするだけでも相当な勇気がいるはずだ。
「母上……僕は今日、十二歳となりました。まだ、王族だと言われても納得できず、国のために何が出来るとは到底思えません。……ですが、弱き人のため、苦しんでいる人のためならば、どうにか立ち上げりやっていけそうな気がします」
レムエルは悲しく不安そうな声音をしながらも決心の意志が込められた石を感じる言葉を、目の前の墓石へと投げかけた。
開いている眼には大粒の涙が浮かび、頬には顎にかけて一筋の道が出来ており、地面は点々と濡れている。
レムエルの母親が死んだのは約一年前。
少しずつ変わってきていたレムエルのことを微笑ましく見ていた母親だったが、これまでの心労と体力を使う生活に体が耐えられなくなり、急激に体調を悪くしてしまったのだ。
恐らく、今まではレムエルに隠し事しているということがあり、告げるのなら自分がいた方が良いという気持ちが耐えさせていたのだろうが、それもなくなり気を抜いたことで今まで溜まっていた物が一気に噴き出した、というのがファウスの診療結果だ。
意識がなくなることが度々起き、半年経つ頃には立てなくなっていたという。
喋ることも出来なくなり、母親はもうだめだと感じレムエルに最後に形見として家宝の短剣を授けた。
「レムエル……。今までいろいろと苦労を掛けました。これからは今まで以上に苦労することや困難が待ち構えているでしょう。それでも私はあなたなら出来ると信じています」
「で、でも……」
「自信を持ちなさい。あなたは知らないかもしれないけど、あなたはお父さんによく似ています。優しく気弱なところ、悲しんでいたり傷付いていたら放っておけない性格も。でも、やる時にはきっちりできています」
「はい……」
「あなたは少し優しすぎる。だけど、あなたの優しさには皆を包み込み、温かい気持ちにしてくれます。それに助けられた者達はきっとあなたに協力してくれるでしょう」
「は、母上……僕に、出来るでしょうか……」
「自信を持ちなさい、レムエル。あなたがしないといけないのではありませんよ。確かにあなたにはその義務があるかもしれませんが、あなた一人が背負うわけではありません。多くの味方と共に協力し、乗り越えていけばいいのです。気負わずにあなたがしたいように生きなさい。これが何もしてあげられなかった母親として、最後の教えです」
「は、母上……? 母上!」
「はぁ、はぁ、もう時間です。これは私が子供の頃から肌身離さず持っていた物です。いつかきっと役に立つ時が来ると思うから、肌身離さず持っていなさい。……こんな駄目の母親でごめんなさいね」
「ダ、ダメの母親ではありません! 母上は僕にとってとっても大切な人です! 死なないでください! そ、そうだ! 命の精霊よ、母上の命を救ってください!」
「レムエル……。もう無理なのよ。いくら世界を支える精霊でも、消え逝く人の命を救うことはできないわ。魔法でも同じでしょ? 魔法で出来ないことは精霊でもできないの。精霊と話せるレムエルならわかっているでしょう?」
「で、ではどうすれば……!」
「レムエル、諦めてちょうだい。私は良いお父さんと息子を持ちました。お父さんとは一年も一緒に入れませんでしたが、あなたが生まれるまでずっと一緒にいてくれていたのですよ? あなたが死なないように守るというのもあったでしょうが、毎日私のお腹を擦ってまだかな? 元気かな? 男の子かな? 女の子かな? と笑いながら言ってました」
「お父さん……? 父上、国王様のことですか?」
「ええ、そうよ。日頃はどこにでもいる男性のようでしたけど、私にとっては掛け替えのない人です。勿論レムエル、あなたもです」
「は、はい! 僕も母上が大切です!」
「ふふふ、嬉しいわ。お父さんはいなかったけど、あなたが健康でこれまで育ってくれてよかったわ。不安なことはたくさんありますが、あなたなら出来ます。何度も言いますが、自信を持ちなさい。……心残りがあるとするとあなたの勇士が見れないこととお父さんより早く死んでしまうことかしら」
「は、母上……?」
「あ……もう、時間の、ようね……。レムエル、前を、向いて、生きなさい。私は……いつま、でも……みまも、って、いま……す…………」
「は、母上? 母上!? 母上ぇぇーッ!」
と、いう会話が最後に行われ、レムエルの母親『シィールビィー・アクラス・チェルエム』はレムエルや村の皆に囲まれながら息を引き取った。
その顔は安心しきった笑顔で、レムエルのことをどこまでも見守っている聖母のように優しく、温かいものだったという。
悲しみに暮れたレムエルは一時何も身に入らないといった感じだったが、シィールビィーの言ったことを思い出し、形見の短剣と共に再度立ち上がり周りを安心させた。
周りの者もレムエルのことを心配していたが、この悲しみはこれからいくつもあるだろうと考え、厳しいだろうが自分で乗り切ってもらおうと見守るだけに留めていたのだ。
「殿下、挨拶は済みましたか?」
「うん、もう大丈夫だよ。母上も連れていきたいけど、さすがに無理だよね」
「そうですね。さすがに連れていくのは無理です。私達もこんな場所に置いて行くのは心苦しいのですが……」
と、レムエルを迎えに来たバダックが悲しそうな顔で言う。
「殿下、安心してください。お世話は我々がしておきます。殿下は安心して目的を達成してください。その後もう一度ここを訪れ、今度は平和となった国に埋葬すればいいのです」
「それまでは私達が責任を持って管理と維持を行います。幸いここは辺境であり、人が訪れることがありません」
「魔物も気を付けておけば私達でも対処できます。これでも私達は鍛え上げられましたからね」
「だ、だけど、こんなところで寂しくないの? 母上を置いて行くのは心苦しいけど、なくなるわけじゃないよ?」
バダックと共にやってきた騎士と召使いが笑いながらレムエルにそういうが、レムエルは皆と一緒に行きたかったのだ。
だが、騎士と召使いは頭を振る。
「いえ、ご心配はいりません。逆にこのようなところに殿下の御母上を置いて行く方が失礼に当たります。元々我々は殿下の御母上の付き人だったのです」
「それでも心配されるのであれば、次にお会いする際に笑顔といい結果を褒美にお待ちしております」
「あと、出来れば殿下にそのまま召使いたいと存じます。こいつと結婚もしたいですし、するのなら平和になった王国で殿下に出席して頂きたく存じます」
そう言われて騎士の隣にいた召使いが頬を染めて目を伏せた。
「え!? 二人って付き合ってたの!? 早く言ってよ! バダックは知ってた?」
「いえ、私も今知りました。お前達、黙っているとは何事か! そのような目出度いことは何もない村では肴になるのだから言え! 他にはいないだろうな?」
「私はこいつと」
「俺はこいつです」
六人いた全員が結婚するようだ。
まあ、十数年も人里離れた辺境の村に一緒にいればそうもなるだろう。
種族もバラバラで困難があるだろうが、幸い力や体力がいるということで寿命が一番低い人族はおらず、二百年は生きる者達ばかりだからレムエルも安心して結婚の話を受けられるだろう。
「そうだったんだ……」
「いえ! 意地悪で黙っていたわけではありません! ちょ、ちょっとですね、魔が差したといいますか……状況的に言えないといいますか……。兎に角、何かすみません」
そう言って悪戯がばれて母親に怒られたような顔で頭を下げる騎士と召使い。
バダックは苦笑しながら頭を擦り、殿下に向かって願いを聞き入れるのかという目を向けた。
「勿論出席させてもらうよ。盛大に祝おう! 僕は結婚式を見たことないから楽しみだよ」
「ありがとうございます。では、我々はここで殿下の帰還をお待ちしております。御母上も殿下を見守っていてくださるでしょうから、胸を張って進んでください」
「うん、頑張るよ。みんなも元気でね」
「はい」
レムエルは六人と別れ、バダックと共に出発する準備をしに行った。
懐かしい思い出がたくさん詰まったボロボロの民家の柱に手を付くレムエルの目から、再び大粒の涙が零れ落ちる。
「ここともお別れかぁ……。母上、僕頑張るよ。どこまでも見守っていてください」
レムエルの呟きに誘われたのか精霊が気を効かせて鎮静作用のある暖かい風を送り込み、甘くアロマの様な作用のある空気が家の中に満ちた。
レムエルは落ち着いたところで荷物を背負い、短剣を無くさないように腰に差し込み外に出る。
既に皆が事前に準備した馬に乗り、レムエルも一年ほど前から世話になっている馬に近づく。
馬の名前は母親の名から取った『シルゥ』だ。
女の子のようで動物に好かれるレムエルによく懐いている。
「ぶるるぅ」
「ありがとう。これからいろいろあるけどよろしく頼むよ」
「ぶるるひーん!」
優しく撫でられたことで気を良くしたシルゥにレムエルは一層笑みを深くする。
荷物もシルゥに付け、そこへ準備を終えたものが話しかけて来た。
「殿下。以前にも申しましたが私は先を見越して帝国へ侵入します。私がいなくとも立派に目的を果たし、国を豊かに出来ることを証明してください」
「気を付けて行ってね。もう年なんだから無茶はしないで」
まず、バダックは自分の妻を背に乗せ言った。
「私は魔法大国へ行きます。あそこは不可侵を護られているいわば聖域染みた場所ですが、何やら怪しい噂を聞きます。私の師もいるので協力してくれないかと話しを付けてみます」
「そうだったの? 仲間はたくさん欲しいし、カロンの師匠は大師匠だから会ってみたい」
次にカロンが。
「私とファウスは公国へ行きます。あそこは医療と情報の国ですから力をさらにつけてきますよ。殿下が怪我をされた際にはいつでもお知らせください」
「そうだ。公国は聞いた話ではそこまで悪くないみたいだからな。だからと言って殿下、怪我するんじゃないぞ?」
「分かってるよ。誰も死なないように頑張ってきて。僕も誰も死なないようにしてみるから」
クォフォードとファウスが言う。
残ったのはソニヤとレッラだ。
歳も近く、護衛が出来、国の外でも冒険者として人気のあったソニヤと暗殺や侵入、情報を集めるのが得意なレッラが付き添いとして選ばれたのだ。
「殿下、私は先に行かせてもらいます。少し寂しいですが、情報集めは任せてください」
「レラ、気を付けてね。無茶して集めなくてもいいから、僕の元へ帰って来るのを第一に考えるんだよ?」
「はい、心得ております。殿下を悲しませるわけにはいきませんから」
「じゃあ、集合場所までお別れだね」
レムエルは皆と別れと最下位の気持ちを込めた握手と抱擁をし、シルゥの背に跨った。
純白の毛並と薄青い鬣がふんわりと風に乗り靡く。
とてもいい馬で体力もあり、レムエルの動きにすぐに慣れた掛け替えのない仲間の一人でもある。
「では、殿下行きましょう。まずは目的地の『ココロ』の町へ行き、現在の国の実情を見てみましょう」
「ソニヤ、ちょっと待って。――精霊よ、僕の仲間に祝福と暗い未来が来ないように守護をお願い……」
レムエルの周りから虹色のオーロラの様な光が立ち昇り、この場にいる全員に優しく降り注いだ。
初めて見る精霊の技に皆驚愕の表情をしている。
レムエルは精霊に余り頼ろうとしなかったのだ。
まだ、力の制御が出来ないというのもあったが、レムエルにしかわからない理由もあるのだろう。
「……殿下、今のは何をされたのですか? とても気持ちが良かったのですが?」
バダックが目を閉じ祈り形でいるレムエルの背中に問いかけた。
レムエルはゆっくり瞼を開け――。
『――ッ!? そ、その瞳は……!?』
「そうなんだ。精霊は僕の魔力じゃなくて意志とか、精神とか、願いとかに反応するからどうしても気持ちが昂っちゃうんだ。瞳もこんなふうになるんだ。これって前言っていたご先祖様の瞳なんでしょ? やっぱり僕は王族だったんだね」
と、レムエルは笑う。
瞳には竜の正面顔である、神の王族の証『竜眼』が浮かんでいた。
レムエルの雰囲気はそれほど変わったわけではないがどこからか気品の様な物が現れ、強制的に相手を跪かせるような気持ちにさせる。だが、嫌な気持ちではない。他者を圧倒し、希望を抱かせ、ついて行きたいと心の底から思える感じだ。
「いつ知られたのですか?」
「う~ん……精霊と泉で遊んでいた時だから五歳くらいかな? 黙っててごめんね。精霊もまだ黙っていた方が良いって言ってたから」
「その時から声が聞こえていたのですか? 会話も?」
「そういうことになるね。でも、その時は見えていたわけじゃあないよ。何かいるという雰囲気があっただけ。知ったのは精霊が泉に文字を書いてくれたんだ。文字を習っておいてよかったよ」
「はぁ、こんな重大事項を最後に教えられるとは……」
いろいろと纏めていたカロンが肩を落とし、研究肌でもあるクォフォードは興味を持った。
「皆にしたのは精霊の祝福と守護だよ。祝福は危険な時に陥った時、僕が感知できるんだ。あとは魔法の補助をしてくれたり、傷の治りが早かったり、加護みたいなものかな? 守護も同じような意味だけど、一度だけ瀕死状態から命を守ってくれるよ。その方法は状況によって変わると思う。……迷惑だった? 精霊も不安がってるんだけど……」
そうレムエルが言うと皆慌てて頭を振る。
レムエルは精霊を友達感覚でいるが、他の者からすると神にも等しい存在なのだ。
精霊教と呼ばれる宗教があるぐらいだ。認知度はそれなりに高く、邪険に扱えば何が起きるか分からないと思うだろう。
「い、いえ、殿下ありがとうございます。精霊も祝福と守護、ありがとうございます。殿下をお守りください」
バダックが代表してそう言い皆頭を下げる。
それに応えるかのように風が揺れ動き、上空で光りが弾け飛んだ。
まるでレムエル達の先を祈っているといっているようだ。
「精霊も任せろって。ありがとうね。じゃあ行くけど、みんな元気でね」
「はい、殿下もまた会える日までお元気で」
レムエルはソニヤの後を付いて馬を動かし、見えなくなるまでバダック達に手を振るのだった。