第四話
一か月後に備えてレムエル達はそれぞれの行動を取ることになった。
シュヘーゼンは今まで通り領地の運営と、情報操作と暗部や諜報員の派遣、参謀の様な物を務めている。
ただ、シュヘーゼンは脳筋とまでは言わないものの肉体派だ。そのため作戦を練ったり、大まかなことを決めていくのは執事長のバルサムとなる。
バルサムは領地の細々とした仕事も携わっているらしく、執事になる前は軍の作戦参謀をしていたようだ。
軍といっても騎士団全体とかではなく、その下にある大体中隊から大隊までの、凡そ二百人程度の騎士と八百人ほどの兵士二百人から千人の間の作戦を練っていたらしい。歳月が経ち、まだ現役でやれる頃に嫌気が差して止めたそうで、そこを丁度領地を与えられたシュヘーゼンに誘われ執事に付いたそうだ。
シュヘーゼンと同族であるバルサムの歳は二百二十ほどだ。
五十年ほど前の戦争で活躍したということだから、大体四十年ほど前がこの領地を承った時期になるだろう。
逆算するとレムエルの父親――国王は現在六十近くということになる。
種族は同じでも生まれた場所が違う二人だが、やはりこの地域とシュヘーゼンの在り方がバルサムには良かったようだ。
次に騎士や兵士は訓練をすると共に国民――今回の場合領民――に声をかけ、国へ対抗するために有志を募っている。
勿論強制することは絶対に禁止され、行きつけの酒場や食堂のマスターや女将に話を通し、レムエルの情報も流していた。
最初は訝しんでいた領民達だったが、気のふれた騎士達やシュヘーゼンに嘘を付くことはないだろうということで一応納得し、レムエルの情報に関しては噂のこともあり、かなり広がりつつあるそうだ。
だが、王子だということは目を丸くされ、信じることは無理ということになった。中にはレムエルを見たという人もいたが、精霊が認識をぼかし、ソニヤも顔は広まっていても十年以上も前なため気付かれることはなかった。
今度演説をするということでその時に領民は見定めるだろう。
ソニヤはレムエルが勉強している時間以外、全てを騎士達の訓練に当てていた。
シュヘーゼンの兵が弱いわけではないが、フレアムの屈強な兵に比べれば見劣りし、自然を使った癒しの空間というのにシュヘーゼンは気になるようで、その時にも備えて兵を強くしておこうということもあるそうだ。
ソニヤはこの三か月ほどで鈍った体を動かし、兵達に訓練を施すと同時に、バダック達の訓練方式等を取り入れ扱き上げている。
勿論それはソニヤ用に改良された物で、レムエルが名も無き村で施されていた訓練でもある。
レムエルはと言うと、ソニヤが訓練をしている間メイド長と一緒に勉強をしている。
勉強といっても歴史や数学等はほぼ完璧に近いので、現在名も無き村で出来なかった貴族の名前を覚えたり、礼儀作法・マナーの復習、帝王学ではないが王としての在り方等を学んでいる。
英雄システムから生まれたレムエルのスペックはかなりのものであり、瞬間記憶は出来ないが数日もあればうろ覚えながらも、人の名前をほとんど覚えきるだろう。
少し狡いが精霊も協力して覚えたりする。
以前までは精霊の言葉をしっかりと理解することが出来なかったレムエルだが、この三か月の旅で随分成長し、『竜眼』も覚醒したため精霊との壁が薄くなった。
その結果単語や短い意志等をしっかりと聞こえるようになった。
勉強の時間以外は変装した状態でソニヤと精霊教教会を訪れ、布教の段階の話と教皇についての話もしていた。
「殿下、想像以上の速さで布教活動が進んでおります。どうやら冒険者の方も手伝ってくれている情報もありますから、道中の護衛を引き受けてくれるのです」
『ルゥクス』の精霊教大司祭ネシアは慣れた微笑みを浮かべ、声も穏やかで幸せそうに聞こえる。
どうやら布教活動が上手く行っていることも嬉しいようだが、協力してくれる者や領民が今まで以上に声を聞こうと集まっている今の状況に、大司祭……いや、一信者としてこれ以上にないほど嬉しいようだ。
「まるで世界の情勢が殿下を上へ押し上げているようです」
「それシュヘーゼンにも言われたよ。良いことなんだと思うけど、規模が大きすぎて逆に怖いんだよね」
教会を訪れたレムエルは苦笑いしながら答えた。
レムエルが英雄としての運命を背負っていることが、わかる人にはわかるのだろう。
初めはレムエルを一目で見抜いた父親である国王。
レムエルを訝しむことなく育て上げたソニヤ達。
そして、シュヘーゼン達領主。
彼らは少なからずレムエルが何かの星の下に生まれたと思っていることだろう。
「ふふふ、その心は大切です。国を豊かにし、国民を守りたいのなら、大きな力に飲まれてはいけません。大きな力は諸刃の剣なのです。振えば確かに脅威を払えますが、いつしか心が飲み込まれ視野が狭くなり、気づいた時には後ろが大変になっていることが多くあります」
「うん、そういうのは歴史で習ったよ。帝国が今はそんな状態だと思う」
覇を唱える帝国は確かに権力や力に溺れているだろう。
溺れていないとしても力があると確信し、自分達が統一するという野心があるからこそしようとするのだろう。
方法によってはまだいいかもしれないが、帝国は戦争を吹っかけ属国や支配下、植民地にしようとしているため、対帝国の協定が結ばれるほどなのだ。
「力の使い方を間違ってはいけません。剣も人を殺す道具だと思うのと護りたい者を護るのでは全く使い方が違います。それが大きな力ともなれば尚更です。優しい殿下ならばならないと思いますが、この老い先短い私の言葉を心の片隅にでも留めておいてください」
ネシアは少し陰りはあるものの穏やか気持ちと微笑みで頭を下げ、この先どこまで生きて国の様子を見届けられるのかという気持ちがレムエルに届く。
レムエルは優しいネシアに母親であるシィールビィーの影が重なり、目頭が熱くなるのが分かった。
知り合いが死ぬという辛く悲しい思いが込み上げ、死なないでほしいとどこかで願うが、それは当然無理な話であり、レムエルはぐっと我慢し努めて優しい笑みを浮かべた。
「うん、ネシアの言葉は覚えておくよ。僕には心強いソニヤもいるし、支えてくれるシュヘーゼン達もいる。だから、道に迷っても、道を間違えても助けてくれる。そうだよね?」
ネシアに思いを伝えたレムエルは隣のソニヤを見た。
「ええ、私はどこまでもレムエル様のお傍に居ります。道を間違えても私達が正しい道へと戻しましょう。レムエル様も私達の言葉を聞き入れてくださるよう努めてください」
「分かってるよ。僕は今のように前へ進んでいけばいいんだよね。なら、大丈夫だよ」
自分にできるのかという不安や、未知へ対する恐怖があるが、レムエルはそれを乗り越え進むという覚悟が出来始めていた。
それがいつもというわけにはいかないだろうが、ここぞという大事な場面ではそれを発揮してくれることだろう。
「教皇様とやり取りをさせていただいていますが、事の次第と準備が整ったら一度訪問させていただきたいとのことです。今回のお礼と教皇としてではなく、一信者として会いたいとのことです」
ネシアは我儘な我が子を見る困った母親のような心境なのか、少し苦笑が混じった笑みを浮かべていた。
精霊教の総本山はさほど遠い場所ではない。
総本山と言っているが天に近い山の上にあるのではなく、崇めるのはあくまでも精霊が第一であるため、自然が多い穏やかな気候の大自然の中に構えてある。
そのため帝国とは真逆の方向であるチェルエム王国東北部、少し霧が深くなる時期がある深い森の近くの山にある。
山もそれほど大きなものではなく、教皇は代々エルフ族や森林族、人族も偶にいるが自然と共存できる種族から選ばれる。世襲制に近いが、能力や信者の在り方などから決まることが多い。
「僕としては問題ないよ。僕も一度会って話してみたいって思ってたしね。でも、お礼って何なの? 僕達の方が協力してくれたことをお礼しないといけないと思うんだけど……」
レムエルは少し困ったように訊ねたが、ネシアは忘れたのですか? と微笑みながら理由を教えてくれた。
「殿下は精霊の加護を宿したロザリオをお送りしたでしょう? あのロザリオが大変気に入ったようで、身に付けている時は精霊の力を行使しやすいそうですよ?」
ソニヤも忘れていたのか少し眉を上げてレムエルを背後から見つめる。
レムエルはああと声を出し、そんなこともあったなと彼方へと追いやっていた記憶を引っ張り出す。
「あのロザリオに込められるだけの力を込めたからね。確かに精霊との相性が上がっても問題はなかったと思う。でも、それは僕の証明のために送った物だからお礼を言われるようなことじゃないと思う」
本心からそんなものでお礼を言われるのはこそばゆいと断ろうとするレムエルだが、ネシアは少しきつい口調でレムエルを窘める。
「いえ、それほどの価値があるのです。証明だけでいいのなら感じ取れる最低限だけで良かったのですよ? 半永久的に使用でき、親和性も上がり、道具も常日頃から身に付けていてもおかしくない物です」
「え? じゃあ、僕はまたやり過ぎたの?」
レムエルは少し不安そうに眉を下げ、どうしようかとソニヤをちらりと見る。
何度も注意され続けたレムエルは少しトラウマになっているようだ。
「いえ、今回はさほど問題ではないでしょう。贈り物というのはその状況や時期によって変わります。そして、相手は誰か、使い方等でさらに変わります。今回の場合、相手はレムエル様とほぼ対等ですから、王族に贈る物というのが基準になるでしょう。ですが、教皇様は派手な物を好まない方であり、身に付けるのもごく少数、精霊を行使出来る、がありました。この中でも最後のものは今回の目的なので必要でしたが、別に身に付けずとも小さな置物とかでもよかったのです。ですが、レムエル様はすべての条件を整え、今できる最高の物を作りました。そうなると相手からすると過ぎたる物、というのが印象となります」
普通の神経をしていたら、という注釈が尽きそうにはなるだろう。
例えばレムエルならば贈り物自体に恐縮しそうで、教皇等は質素な生活をしているため贈り物も質素なことが多く、ソニヤやシュヘーゼン達は普通に受け取り同等の物を贈り返し、国上層部の腐った連中は当然顔や足りない等と不満たらたらだろう。
「ソニヤ様の言う通りですよ。贈り物は相手のことを考えて贈る物ですが、場合によってはとても感謝されることでもあります。教皇様は贈られたことの無い物を手に取り、自分のことを考えてくれている、ということでお礼をしたいと言っておられるのです。ですから、殿下は相手の意も汲み取って動かなければなりません」
ネシアとソニヤの進言にレムエルは神妙な面持ちで頷き、また一歩賢くなったような気がする。
レムエル等王族となると贈り物を贈る回数も貰う回数も多くなる。
そうなると当然相手のことを分かって贈らねばならなくなり、相手の状況や周りの印象、世界の情勢や貰った時の反応、その後の対応など様々なことまで気に掛けなければならなくなる。
今回は良い方向へ進んだためいいだろうが、もしこちらは真剣に選んで贈った物が相手からすると激怒ものの場合もある。土地によっては酒を贈られたら求婚や、この時期にこれを贈ってはならない等の仕来りがある。
そうなると関係は一気に悪化し、知らなかったと言えば無知であると知らしめることになり、あの王は無知な上に相手を知ろうとしない、こちらはしっかりとやったのに、となるだろう。
その辺りが権力を持つ者達の困りごとでもあった。
「贈り物だけでそんなに考えないといけないんだ……」
「レムエル様が王位に就けばそれが多くなるでしょう。そのことについても勉強しなければいけません」
「はぁ、面倒だね」
やってられないよとばかりに本心を吐露したレムエルに、ソニヤは苦笑いになり、ネシアは面白そうに笑った。
「では、次の報告がありましたら連絡します。殿下、これから大変でしょうが、皆の希望になってください」
ネシアはレムエルの手を取り懇願するように軽く頭を下げる。
「僕が希望……」
「はい。殿下のことを見ている人は見ています。人というのは自分では気づかないうちに相手の反感を買うことがあると言います。それは逆も然りです。教皇様の贈り物や冒険者の行動、国民のために動こうと頑張っている姿を知っている人は知っています。それに殿下がどのように思っているか知りませんが、精霊教は殿下が私達のことを考えてくれていると思っています」
「そ、そこまで僕は考えてないよ。た、ただ、皆幸せになって、悲しむような国じゃなくなったらいいなって思うだけだよ。皆も言うけど、僕のことを買いかぶり過ぎだよ」
レムエルは謙遜するが、これも時にやり過ぎると嫌味に取られる。
この辺りについても勉強していかなくてはならないだろう。
「殿下、これも贈り物と同じです。自分がどうこうではなく、相手がどう思うかが大切なのです。自分の動きが周りにどう影響を与えるのか、その結果は良いものなのか考えなくてはなりません。難しいでしょうが、殿下ならばやれるに違いありません」
最後に力を合わせて頑張ってください、とこの先を祈るように願いを口にした。
レムエルは渋い顔を一瞬したが、今言われたように自分の表情も周りに影響を与えるのではないかと考え、すぐに引き締めるとともに不安な思いを押し込め大きく頷いた。
「うん。皆の思いを遂げられるように頑張るよ」
精霊教を後にした二人はその足で少し街を歩き回ることにした。
レムエルはその綺麗な金糸の髪をイヤリング型の魔道具で茶色に変え、少し長くなっているため帽子の中に括って入れている。ソニヤやメイドが女性のような美しい髪を切りたくなく、手入れするときに整えるくらいしかしないのだ。
緑色の瞳は仕方ないので帽子を深く被り隠している。
服装は平民が着ているようなマントを羽織り、下にはいつもの鎧ではなく、一般冒険者が付ける革の鎧を付けている。
ソニヤも同様の姿をしているが、髪色等を変える必要性はあまりないため、レムエルの傍で姉のように接している。
前と同じ状況と言ったところだ。
だが、噂が広まっていることから暗殺者が送り込まれないとも限らず、今回からは何か起きてからでは遅いということで、暗部を三人と平民の扮装をした兵士三人の計六人が張り付いている。
「なあなあ、お前はあの話どうするよ」
「ああ、あれなぁ……。俺は一応見に行こうかと思う。まあ、見るのはタダだしよ、もし本当ならその時になって考えるかな」
「そっかぁー。俺も見に行くだけ行ってみるかな。ただ、無理やり参加させるんじゃないかと不安でもあるんだよなぁ」
「いや、それはないだろうな」
「どうしてだよ」
「お前はこの街に来て日が浅いからかもしれんが、此処の領主様は俺達領民に無理強いをしたことはないし、この時勢で税も周りに比べりゃあ軽いしよぉ。そんな領主様が嘘を付いてまで協力させようとは思わないだろう」
「お前もそういうのかぁ。俺も信じてみるかな」
レムエル達の背後を通って行った男性二人がそう話していた。
レムエルは精霊に声を届けさせ、これを喜んでいいのか困惑することになったが、ソニヤは満足そうに頷いていたのでいいのだろうと納得することにした。
それから十数人ほどの声を届け、男女種族別の様々な人の思いを聞いた。
中には積極的に協力するという者もいれば、少し諦めているからか怒らせて税を重くしないでくれと懇願する者もいた。
やはり、心が折れ掛けていると今の状況から悪化しないようにと願い始めるのだろう。
「いろんな思いがあるんだね。やっぱり僕の思いを分かってもらうには皆に言うしかないみたいだ」
「不安か? それだったら代わりに私が喋ってもいいんだぞ?」
ソニヤがレムエルのことを思って言うが、レムエルは首を横に振り自分がやるべきことだと奮い立たせる。
「いや、僕が頑張る。分かってもらうには僕が前に立たないといけないんだもん。もし誰かに変わってもらったら、僕の思いだとわかってくれないかもしれない。出来ないことは仕方ないけど、これくらいはしないとね」
「レム君……。分かった。私も傍にいるが、出来る限り何もしないでおこう」
「ソニヤ姉さん、ありがとうね」
濡れた場所に湿った芝生のような苔が生え、水瓶の様な物を持った女性の像に蔦が絡み合った噴水から離れ、次に酒場の様な場所へ情報収集に向かう。
訪れたのは冒険者ギルド付近の大衆食堂だ。
時間帯は昼前とそろそろ込み始める時刻で、四人掛けのテーブルが半分ほど埋まり、昼から酒を飲み出来上がっている者もいた。
最近では考えられなかったことだが、少し活気が戻り、仕事もこの辺境の領地で増えたために金の回りが良くなったのだ。
「いやー、こんなにうまい酒を飲むのは久しぶりだな!」
「そうだな! で、おまえどうするよ? 王子が本物かどうかはどうでもよくはないが、今回の争いに参加するか?」
「んあ? そうだなぁ……一応参加してみるかなぁ。まだ詳しいことはわかんねえがゾディックさんも参加するみたいだし、話によると無理強いはしないんだろ? 大概冒険者に低報酬で参加しろっていうが、その王子達は俺達に何も言わねえからな」
「それはそうだが、何でも軍が動くっていうじゃねえか。死んだら元も子もないぜ?」
「そうだがなぁ、俺はこの街で稼がせてもらってるし、街の雰囲気も良いからな。まあ、演説とやらを見た後に決めるかね」
「お前がそういうのなら俺は何も言わん。まあ、俺も演説を見て決めるか」
「結局お前もかよ! それなら参加しちまえ」
それなりに歳を取っていそうな屈強な男二人が酒を飲みながら、料理を口にし会話をする。
これにはレムエルも嬉しそうな顔をして嬉しそうに頼んだ飲み物を口に含む。
レムエルの周りは兵士達で固めているため怪しい者が近づき喧嘩ごとになることもない。
まあ、そういった人物はソニヤが即座に反応するだろうから安全だろう。
いや、そうなると怪しい人物が気の毒なことになるかもしれない。
ソニヤは想像以上にレムエルを溺愛しているのだから。
「だが、あの噂が本当なら最近噂のグローブは王子の発案なんだろ? 稼ぐのはそこまで変わらんが、ロックスの奴等は怪我や病気にならなくなったとよ。それも王子のおかげらしいぜ?」
「マジか! 俺はロックスで一時期稼がせてもらってたんだが、鉱山の中は魔物はうようよいるわ、変な所を掘れば気持ち悪いガスが出るわ、奥へ行くほど道も複雑になって、最後には死んじまうんだよ。それが怖くて、命には代えられねえからここへ来たんだがなぁ」
「そんなになの!? この辺りじゃあ考えられないわ。アクアスは溺れることさえなければ死ぬことはまずないわ。私は下手だからこっちへ流れてきたけど、最近は見物のレースがどうとかで活気が出てるらしいわね。そのレースも精霊の力がどうとかでしょ? 一度見てみたかったなぁ」
「俺がいたマグエストは気候がここより数段階高いからなぁ。俺は暑いのが駄目でここへ来たんだが、何でも現在開発が進んでるとかでよ。大衆向けの温泉が出来るらしい」
「温泉? 何だったけか? 南の方に似たようなものを聞いたことがあるが……」
「あー、あっちの火山方面ね。確か、ドラゴンや炎人族が住んでるっていうわね」
「貴族が入る風呂みたいな奴なんだと。俺達には無縁な物だと思ってたが、大衆向けの物が出来るのなら一度くらい入ってもいいかもしれんな。そこまで高くはならんだろうし」
「金はどのくらいでもいいが、その温泉? に入って何が変わるんだ?」
「ああ、俺もわかんねえから地元の連中に聞いてみたんだが、どうやら肌とか体調が良くなり、健康になるらしい。後日頃の疲れも取れるし、マグエストというと景色も雄大で、それを眺めながら仕事終わりの夕暮れ時に酒を一杯飲みながら浸かるのも乙だとよ。いやー、想像すると入りたくなるな」
「美容にも良いの!? それで疲労も取れるなんて最高じゃない! 冒険者なんて言う職をしていると生傷が絶えないのよねぇ。少し高くても一度くらいは入りに行ってみようかしら」
逆方向からは男女三人組のベテラン冒険者が名産の話をしていた。
グローブも生産は追いつかないだろうが、『ロックス』では待ち上げての生産活動と名産になり始めている。
『ロックス』と『ルゥクス』はさほど離れているわけではないが、それでも冒険者が移動するとなると徒歩か馬車となる。そうなると一週間弱といった時間がかかり、この辺りでそのグローブが広まり始めるのはまだ先の話と言える。
それでも噂は広まり、この辺りの冒険者は知らぬ者はいないほどの冒険者御用達の必需品となっているようだ。
レムエルからすると何気なく言った一言がここまで大きくなるとは思っておらず、報告で聞いていたが実際に声を聞くことで少し目を丸くしてしまう。
『ロックス』の領主オルカスや防具屋のゼノは、レムエルから貴重な情報を貰ったからここまでやっているのだろう。高速長距離伝達が伝書鳩や範囲限定通信機であるこの世界での情報とは、皆が思っている以上に大切な物だ。
現在行われている噂の拡散もネットがあれば数日で国内すべてに駆巡り、手紙も鳩で一枚ずつではなく飛行機や船で大量に送ることができる。そして、車やバイク、自転車等の運転器具を使い素早く届けられる。
その分貴重な情報というのは早いほどよく、今回は職人や商売人にとって早く手に入れられた方ががっぽり稼げる情報だったのだ。
その見返りがこの生産速度と噂の拡散速度だった。
銀糸の扱いだけではなく、鉱山での死亡率低下、発掘作業の効率化による冒険者の到来数増加、レースの復活、特に温泉についてはレムエルが狙った通り女性から絶大な人気がありそうだ。
やはり提案通り温泉に一度入ってもらうのが良いだろう。
だが、ここからマグエストまで一週間以上かかってしまう。そのような時間が取れれば問題はないが、それは相手の出方次第となるだろう。
「結構広まってるんだね。それにやっぱり温泉は人気が出そうだ」
レムエルはニコニコと感想を嬉しそうに言い、目の前でコップを傾けていたソニヤは何度か小さく頷きながら、何か思い出したのか嬉しい顔になっている。
「ええ、または入りたいと思える素晴らしい物だった。レム君とはもう入れないのは残念だが……密かに入りに行きたいかい?」
「うぇっ!? い、いや、いい! 遠慮しとく!」
「つれないなぁ、レム君は。もう少し立派にならないと大変だぞ? 言っては何だが、レム君の父親は五人妻がいる。レム君もそのくらいとは言わないが、複数の女性を娶ることになるだろう」
ソニヤが半分真剣にのたまったために、レムエルは飲みかけていたジュースを噴き出しそうになり、咳き込むと同時に鼻からたらりと垂れてしまう。
それをソニヤが甲斐甲斐しくお世話をし、レムエルは顔を赤くしてなされるがままに拭き取ってもらう。
それを見ていた近くの給仕係の女性が会話は聞こえていなかったが、ほっこりとした笑みを浮かべているので余計に顔が赤くなるだろう。
近くの席の兵士達も何かほっこりとした雰囲気が漂っていた。一人は今にも笑いそうだ。
「ソ、ソニヤは何言ってるの!? 僕がそんなに奥さんを迎えるわけないじゃない! ひ、一人で十分だよ」
だんだんと口籠るように語尾が小さくなるレムエルに、ソニヤは苦笑したくなる気持ちを抑える。
レムエルが王になれば一人という選択肢は周りが許してくれないだろう。
それ以前にレムエルの場合見た目も麗しいため、周りの地位と権力を持つ女性がそれを許さない気もする。
貴族との女性というのは地位や権力が高くなるほど肉食となり、男性は育ち具合によるが肉食であるのはあまりいない。
武人には多い傾向だが、文官に近いと一人でいいという考えがある。
肉食系の女性はかなり疲れるのだろう。
その後店の勘定をした後、ぶらぶらと夕暮れ時まで散歩をし、これからはあまり聞けなくなるだろう国民の声に耳を傾けた。
中には噂のせいでこの辺りが戦渦に巻き込まれ怖いという国民や、軍が近づいてくるということで逃げようとする国民もいた。酷い場合、国に情報を流そうとする者もいたが、そういった国民は周りからきつい視線を受けそそくさと逃げていた。
夕暮れ時となり屋敷へ戻るとバルサムが待機しており、身なりを整えた後に報告を兼ねた夕食となった。
レムエルは国民から聞いた話を報告し、想像以上だったと締め括った。
それを聞いたシュヘーゼンは終始笑みを絶やさず、しっかりと国民の声を聴き留め、現状の把握を理解しているレムエルに感心する。
そして、二日が経ち、イシスとの連絡が付き、馬を走らせ一週間ほどで着くという情報を手に入れた。
さらに、ココロの町の冒険者ギルドギルドマスターゾディックが、そろそろこちらに着くという連絡が伝書鳩により届いた。
レムエルはまだ自分に必要な物が分からず眉を顰めてしまい、やはり冒険者にはしっかりとした報酬を払った方がいのだろうという結論を出しかけている。
だが、欲考えればその必要な物を知っているソニヤが何も言わないということは、レムエルは気付かない内に掴みかけているのかもしれない。
レムエルに激甘のソニヤがヒントを出さないとは思えなかったのだ。
さらに数日が経ち、三か月ぶりほどにゾディックとレムエルは再会した。




