第十六話
警備兵のおかげで、メイン水路で仕事をしていた住民達は着々と陸地へ上がり、水路の端に船を大量に寄せた状態で何が始まるのかという思いと、レムエル達が乗っている水と風のコーティングが施された、この世に一隻しかない精霊の船『精霊魔導船』をもの珍しそうに見ていた。
『精霊魔導船』はメイン水路をゆっくりと進み、背後から水飛沫を撒き散らしながら蛇行運転をして近づく『蒼天大海蛇』が囲い込むように展開する。
「レムエル様どうなさるので?」
と、前席右隣でソニヤは一応元騎士としての矜持からかキリッとしているが、表情と雰囲気から強張っているのが分かる。
「早くしないと囲まれてしまいます……」
今度は左隣から不安そうなウィンディアの声が聞こえた。
耳は強張っているからか閉じ、若干蒼い顔をしてレムエルにくっ付いている。
「うん? どうしよっか」
と、あっけらかんと言い放つのはレムエルだが、気弱なレムエルの肝が据わっているのは精霊の力を一番理解しているからだろう。
ただ、内心上手くいくかとビクビクはしているはずだ。
その後ろでは水と風が動き回り、肌の色からして人間ではないことは間違いのない女の子二人――水と風の精霊が大はしゃぎで手足をばたつかせている。
精霊にも性格があるのか水の精霊はお姉さんのように見え、落ち着いているようだがワクワクといったように体が揺れ、風の精霊は妹なのか手足を使って発進! とレムエルに指示を出しているようだ。
レムエルにしか声が届かないためわからないが、肩口で覗き苦笑しながら頷いているので大体合っているだろう。
「とりあえず、方向転換して追い掛けてみようかな。どうせ捕まえるんだし、鬼ごっこの方が良いよね」
レムエルの言葉に精霊はこくこくと頷き、レムエルの指示なしに船を回転させる。
その場で回転する船に周りの住民も、話しを知っている兵士も、後ろから来る『蒼天大海蛇』の集団も呆気に取られて速度を落とす。
「な、何だあの船は! 仕組みがよくわからん!」
「周りは水で出来ている……のか? 一体どんな原理だ、おい!」
「あ、あの船はモーリッツの漁船じゃねえか! 乗っている奴は……って、領主様ー!? 他の奴は見たことねえから知らねえが、モーリッツの奴が羨ましいぜ!」
「がーっはっはっ! 羨ましかろう! だが、俺にもよくわからんのだ! あの迷惑者共を捕まえるから船を貸してほしいと保証付で言われたから貸したが、あそこまで見事な船になるとは思わなかったわい!」
「モーリッツの奴めぇー……! 俺も人魚族でも随一と言われる絶世の魅惑の美女ウィンディア様を船に乗せたかった……!」
陸地からはやはり船乗りが多いということで、日に焼けたおっさん達がファンタジーな船を指さしあれこれ推測を飛ばすと、船を特定されモーリッツという船の持ち主は鼻高々だ。
レムエルも赤くなるほどのウィンディアの美しさは住民達でも有名なようで、船に乗せたい、お近づきになりたかったとガタイの良いおっさん達が悔し涙を出していた。
「お、おい、あの船なんか変じゃね……?」
「船体浮かんでんじゃん……。その周りの光ってる奴水っぽいぞ」
「ば、馬鹿だなおめえら、はは。み、水があんな形取るわけねえだろうが」
「あ、こ、こっちに来るぞ! み、皆方向転換して逃げろ!」
「お、おい! 逃げんな! 俺達は泣く子も黙る『蒼天大海蛇』なんだぞ! あんな見かけだけの船に惑わされんな!」
「そ、そんなこと言ったってよぉ……。あ、アニキ? あそこに乗ってるのウィンディア姐さんじゃないっすか?」
「ま、マジ……だぁー……。よし! テメエらァ、逃げるぞ!」
等とバンダナを目深に付けた少し筋肉質の男がリーダーのようで、仲間に発破をかけていたようだが、ウィンディアが乗っているのを発見すると前言撤回し直ぐに逃げ出す。
精霊の力の塊である『精霊魔導船』と違い、魔法とほぼ手動で行う船では方向転換にかかる時間が全く違う。
少し遊びたいという精霊の願いを叶えるためにレムエルはゆっくりと船を動かし、風の精霊が届けてくれる彼らの声を聞き、首を傾げて左を見る。
そこではウィンディアが顔を少しだけ赤くし、恥ずかしそうに目を伏せていた。
「あの人達ウィンディアの知り合いなの? 人魚族は女の人しかいないって聞いたし、あの人は人族じゃないかな?」
レムエルは聞き難そうにしながら訊ねる。
「……はい、知り合いの様なものです。彼らは海人族と人族です」
「海人族? 何か違うの?」
見た目がほとんど変わらない為レムエルには違いが分からなかった。
ウィンディアは深呼吸を一つして、目の前で船を方向転換させている船七隻を見据えて言う。
「海人族は人族と同じ外見をしていますが、その能力が違います。身体能力はやや上ですがあまり変わりません。ですが、水中となると話は変わり、私達程とは言いませんが素潜りが得意で、息も長く持ちます。また、長物を得意とし、水魔法がやはり得意ですね。海の仕事が得意なため住民の三割ほどは海人族となります」
海人族と分けているが実際はそれほど変わるものではない。
ただ、元々の人族がその地域に適応して生まれた種族の様なもので、その地域に特化した人族、というのが正しい見解となり、分類上は分かれていても人族だと言える。
陸地の人間は分けずに人族だと言い、違いのでる『アクアス』や海の国では分けて言う。
「海じゃないのに海人族なんだぁ。変わってるね」
「ふふふ、そうです」
すっかり元に戻ったウィンディアは徐々に早くなる『精霊魔導船』に再び緊張と不安を持つが、レムエルが隣で嬉しそうにしているため霧散させる。
ソニヤも元に戻り、気が散ったことで強張っていた表情が取れていた。
「それじゃあ、精霊、よろしくね」
精霊によろしくというレムエル。
精霊は船を作った時の様に自身で力を行使できるのだが、そのためにはそれを促してくれる使い手が必要となり、物を浮かす、動かすならば精霊でもできるが、船を傷つけないようにするや細かに形取るとなると使い手の技量が必要となるのだ。
コクリと頷く二人の精霊。
「お、おお、これは凄いですね。船に初めて乗りましたが、意外な安定感があります」
ソニヤは初めての船ということもあり強張っていたようだ。
「ソニヤ。船は普通ここまで安定していませんよ。水や波、風、天候、操縦、速度等の影響があり船のバランスは崩れ、乗っている人のバランスもありますから馬以上に揺れるでしょう。風圧が少ないのも精霊のおかげでしょう。前の船を見たらわかると思います」
「うん、そうだよ」
確かにウィンディアの言うとおりだろう。
馬と船を比べるのはまたおかしなことなのだが、同じ乗り物扱いをすると船の方が揺れるだろう。
バランスを取りやすいのも船になるだろうが、何年間と乗っている馬と比べたら船の方が自分で操縦できない分怖く、水の上というのがまた恐怖をそそるのだろう。
「これも精霊の力なのか……」
「うん、この周りの水が全て流してくれてるんだと思う。この船は精霊の力の塊でもあるし、精霊にかかれば水を操作するなんて片手間だから、船を水として扱って動かしているのかもしれないね」
「難しいですがなんとなくは分かります。やはり、精霊は怖いですね」
「そうかな? 悪戯好きだけど結構優しくて、怒らせなければ何もしないと思うけど……」
レムエルに精霊が怒ることはほとんどなく、精霊が怒ったとしてもそれが証明できないため何も言えない。
そのせいで不可解な現象は神か精霊のせいにされることが度々あるそうだ。
「レムエル様は精霊と意思疎通ができる為お互いに理解できているでしょうが、私達の様に見ることも、触ることも、話すことも出来ないと結構怖いのです。レムエル様も未知の物は怖いと思いますよね?」
「確かに怖い。これからのことを考えると逃げたくなる時があったもん。今はソニヤもいるし、シュへーゼンも、オルカスも、ウィンディア……も?」
「はい、私は協力しますよ。その前に彼らを捕まえましょう。話はその後じっくりお聞きしたいと思います」
「う、うん、よろしくね」
優しくにっこりと微笑まれ、レムエルはそれを直視したために顔を赤くして目を彷徨わせる。
ソニヤは少しむくれ唇を尖らせるが、嫉妬は良くないと冷静になる。
だが、ちゃっかりとレムエルの右手を恋人繋ぎで握っているのはご愛嬌。
『精霊魔導船』は動きに合わせて水のオールが足の様にパタパタと優雅に動き、白と透明の三本の帆が膨れて風を受けているのが分かる。
神秘的な動きをする船の先では徐々に距離を詰めていくことで焦り出す『蒼天大海蛇』達。
彼らはチラチラと後ろを見ながら交代要員も魔法を使い船の速度を上げるが、やり過ぎては船を痛めるのでギリギリを見極め、レースで培った技術をフルに使い対抗する。
周りの観客は何やら面白くなり、久々のレースの様な物に興奮状態となる。
目敏い商人はこれを機に観戦するための食べ物や飲み物等売り捌く。久々のほくほく顔だろう。
ただ、実際のレースは魔導映像の魔道具を使い中継するのだが、今回はそんな準備をしていない為肉眼で見なければならず、全てを見ることが出来ないだろう。決着も全員が見れるとは限らない。
「さ、散開しろ!」
暫くするとメイン水路から抜け出し、『蒼天大海蛇』の連中は脇の水路へと散って行った。
「レムエル様? 各地に分かれましたがどうされますか?」
こういった盗賊・山賊探しに似ている状況を知っているソニヤは真剣な目で戦術を訊ねる。
レムエルは少し悩み、目の前の一隻を捕まえることにした。
「相手は住民に危害を与えないっていうから各個撃破でいいと思う。撃破はしないけどね。だから、目の前にいる船から捕えるよ!」
「なるほどぉ……。どのように捕えるのですか?」
「一般的には網や魔法となります。ですが、この速度となると私でも確実に成功させられるとは言えません」
ソニヤの問いにウィンディアは眉を顰めて言った。
レムエルは精霊と会話をすると一つ頷き方法を伝える。
「それは精霊がしてくれるって。近づいて僕達が当てれば捕えるって言ってるよ」
「当てるとは何をでしょう? 攻撃ではないですよね? 魔法だとしても私は精密射撃は得意ではありませんので……怪我をさせる可能性が」
「ソニヤ、これではないでしょうか?」
疑問と不安を口にするソニヤに何かに気付いたウィンディアが、レムエルの目の前に手に持った者を差し出しながら言う。
「ん? なんだこれは? 水の塊? 意外に柔らかくて、形は崩れるが投げることは出来るな。もしかして、これを当てろというのですか?」
「そうだと思うよ。こっちには風の球があるもん。ちょっと分かり難いけど結構気持ちいいものだね。これなら当てても痛くないし、ソニヤも十分攻撃できるね」
「た、確かにそうですが、一体どこから……精霊ですね」
「うん、当たり前だよ。こんなことが出来るのは精霊しかいない。カロンだって無理だと思う」
そうだろう。
この場にあるのは手が濡れない薄い膜に入った水の球と風に色を付けた球なのだ。
こんな精密で不可思議な物を作れるとすると自然を司っている精霊だからできることだ。
「ふむ。これは面白いですね。感触もさることながら、思いっきり当ててもそれほど痛くないでしょう。ですが、精霊が捕えると言いますがどうやるのでしょう」
「多分、当たった船を水か風で包んで動けないようにするつもりなんじゃないかな?」
「あ、なるほどですね。レムエル様といると何か私の中で崩れていく気がします。私もまだまだだということなのでしょう」
何やら褒めているような、貶しているような不思議な言葉だが、レムエルは苦笑してその台詞を聞き流し、精霊の声に合わせて斜め前に接近した『蒼天大海蛇・青』に乗っている小太りな男に向かって風の球を投げつけた。
彼らの船は全部で七隻あり、リーダーの乗る赤を筆頭に黄、緑、水、青、紫、桜と帆に色がある。
帆にもその色の文字が書かれ、いかにもな感じを醸し出していた。
「うお! 何か飛んできた! って、やっべ! もっと速度出せ!」
「む、無理だよ、ブッちゃん! これ以上は魔力も持たねえよ!」
「うお! 今度は水が飛んで来やがった! あんにゃろう~! 逃げろ!」
「つれ~……。あたっ! な、なんだ!? って、冷た! 水じゃねえか」
「当たった!」
と、小太りの男が二人に指示を出したところで魔力切れで休憩していた男にソニヤの投げた水の球が当たった。
「あ~、負けちゃった。やっぱりソニヤはこういうの得意だよね」
「レ、レムエル様? す、拗ねないでください」
「拗ねてないよ。隙だらけなのに外しちゃって、ただ悔しいだけ」
「レムエル様、それを拗ねるというのですよ? 私も外しているので仲間です」
「そうだね。ソニヤは仲間外れー」
「えええー!」
何やらパニックを起こしている『蒼天大海蛇・青』とは違い、『精霊魔導船』からはレムエルが珍しく唇を尖らせていた。
命中させ嬉しかったソニヤは浮かれていたことに気付きオロオロとするが、ウィンディアと仲間だと喜ぶ姿に声を荒げる。
次は外すと呟いたのをレムエルに咎められ渋々二人に命中させ、更にレムエルとウィンディアは仲が良くなる。
「くっ、この時ばかりは自分の腕が心底憎い……」
と、ソニヤは呟き、レムエルとウィンディアは笑い声を上げて次の船を探しに行く。
三人を命中させたことで精霊は船を水の膜で覆い、盛り上がっている住民を避けさせ近くの陸地に置いた。
すぐに警備兵が訪れお縄に頂戴される三人は暴れることなく、魔力切れと何が起きたのか分からないと茫然としていた。
水面にいる船を見つける水の精霊と空気があるところ全てを見ることが出来る風の精霊の探知能力には敵わず、瞬く間の内に残り赤一隻となった。
事情を知らない住民は新たなレースの競技だと誤認する者が多く、魔法にしては凄すぎると思うのだが、ウィンディアがいる為そこまでは思わなかったようだ。
球が当たるごとに歓声が上がり、当たらずとも惜しいとあと少しと声が上がる。現在『アクアス』は以前の活気を取り戻していた。
「残り一隻ですね。レムエル様、どこにいるか分かりますか?」
的中数十人のトップ確定のソニヤが訊ねる。
「うーん、分かるけどちょっと狭くてこのままだと入れないかなぁ」
レムエルは的中数四人だ。
ということはウィンディアといい勝負をしていることになる。
「それは仕方がありませんね。船を浮かせても下に投げられないので難しいでしょうね」
と、ウィンディアが船が出来上がった時に持ち上げた光景を思い出し呟いた。
だが、それをヒントにレムエルは後ろを向き、精霊に声をかける。
「そうだ! 精霊、ちょっと来て」
「レムエル様? 身を乗り出しては危ないですよ!」
「じゃあ、ちょっと押さえてて」
ベルトをしているので大丈夫なのだが、それがどういうものか分かっていない二人は慌ててレムエルの身体を掴む。
精霊は物理法則を無視できる存在なので、ベルトを外しナニナニ~! とレムエルの考えを聞こうと歩いてくる。
それに驚くのは住民だが、今は気にしていられない。
「えっと、水の精霊にお願いしたいんだけど、こう上空に水路を作れる?」
水の精霊は少し考えコクリと面白そうだと頷く。
風の精霊は私にはないのかと、自分を指さし期待の目を向ける。
レムエルは少し考えてから、にっこりと笑って言う。
「風の精霊には上空の水路から船が落ちないように護ってよ。あと、人が落ちたら危ないから二人はきちんと協力してね」
それに満足したのか風の精霊も嬉しそうに頷き、席に戻って力の行使を行う。
レムエルも話が終わったと元に戻り、二人からどういうことなのかと説明を要求される。
「えっとね、水路がないのなら水路を作ろうと思うんだ」
「水路を作る、ですか? 精霊の力なら出来るでしょうが、それでどうやって……」
「勿論、上空で鬼ごっこの続きをするんだよ! 風の精霊に頼んでこの船もあっちの船も落ちないようにするから安全だよ」
「そういう問題ではなくてですね……」
「ソニヤ、いいじゃないですか。短期間で分かりましたが、レムエル様は頑固ですから言っても無駄です。それに住民に被害があるわけでもないようですし、精霊が安全を保障するのであれば大丈夫でしょう」
「ウィンディア様まで……。はぁー、分かりました。レムエル様はジッとしていてくださいね」
「うん、怖いから危ないことはしないよ。約束する」
ウィンディアが諦めたように笑ってソニヤを説得し、ソニヤもここまで来たら付いていくしかないと腹を括った。もしもの時は自分が身を挺してでもレムエルを護るとも。
一隻分の幅がある住民が小型の船で動く水路では、赤と文字の書かれた帆の船がゆっくりと音を立てずに慎重に進んでいた。
乗っている三人は体力と魔力がほぼ尽き掛けており、現在はぐったりと休憩中だった。
「な、何だったんだろうな、あの船は」
と、リーダーである鉢巻男カイシンが恐ろしい物を見たというようにいった。
仲間の二人も次々に撃破され、水の膜や風に乗せられ身動きが取れなくなる仲間の光景に顔が青ざめる。
「あんなの船じゃねえ……。乗っている奴は姐さんだったが反対側にいた女はめっちゃ怖かった」
「ああ。格好からして少しおかしいが、どこからどう見ても騎士だった。それに真ん中に座っている奴は綺麗な服と髪だったが……貴族じゃねえよな?」
ソニヤ達は仮面を被っているため表情までは読めなかったようだが、嬉々として投げてくる球に逆に恐怖が高められたようだ。
「貴族かぁ……。ありえねえ話じゃないな。後ろに座っていた奴は人間じゃねえだろ。参加はしてなかったが青い方から何か凄まじい気配を感じたんだが……」
恐らく水に対して適性が高いため、水の精霊が具現化していることで肌にその力が伝わったのだろう。
同時に隣の奴もタダものじゃないと思うのが人間であり、それが正解だった。
と、そこへレムエルの作戦が発動し、彼らのいる水面が蠢き出した。
「な、何だ!? 今度は何が起きるんだ!?」
「も、もう降参するから、勘弁してくれー!」
「これが運の尽き、なのかぁ……。悪いことをしたら巡り巡って跳ね返ってくるという。まさに今の俺達だな」
「何冷静に黄昏てんだッ! とっととこの場から逃げるぞッ!」
「「お、おう!」」
三人はそれぞれの位置に着き帆を張り、風魔法を送り蠢く水面から移動しようとする。
「ア、アニキ! 船が動かない!」
「な、何!? って何だ? 様子が……」
風を送ろうも蠢く水に掴まったかのように船は動かず、水面を覗き見ずに手を突っ込もうとした瞬間に船は上空へ打ち上げられた。
間欠泉が噴き上がるように蠢く水は赤い帆の船を上空へ持ち上げ、
「ア、アニキ見てくれ!」
「今度は何だ! ……って何だこれは!?」
既に街全体の上空には隅々まで使った巨大な水のレース場が出来上がっていた。
壁はないが風でしっかり固められ、ぶつかっても自動で穂先が家へ向くようになっている。透明な水の道が広い幅で作られ、湖に降りる道も用意された巨大な迷路のようでもあった。
呆気に取られる三人だが既にレースは再開され、水に流れがあるのか徐々に早くなっていく。
「レムエル様、見えてきました」
ソニヤの声が彼らにも届き、慌てて風の魔法を使い空中レースに参加するのだった。
二人の精霊に加え、具現化していない精霊達もまだ遊び足りないのか、すぐに追いつけるはずの『精霊魔導船』を『蒼天大海蛇』のリーダーカイシンが乗った赤い帆の船と一定の距離を保っていた。
「おおおおおおお! もっとやれええ! そいつらを懲らしめろおお!」
「久々に見た面白い企画のレースだぁ! あっちゅうまに六隻を仕留めたぞ!」
「こんなに心躍ったのは何時振りかしら?」
「ママー、ママー! あの船ピカピカ光ってきれー! あの船に乗ってみたーい!」
「そうねぇ。でも、高そうだからやめておきましょうね」
街全体の上空をくまなく使った天空舞台へ移行したことにより、観客である住民は誰もが見れるようになり、決着はまだかと皆笑顔を浮かべて見守っている。
まだ精霊という言葉が出ない。恐らく魔法で作り上げたといっている意見があったため、それなりの実力者でもあるウィンディアが作ったということになっているはずだ。
「ぐぬぬぬぬぅぅ~! ウィンディアァァァ!」
疲れているはずのカイシンが、まだ追い掛けているだけのレムエルの船に向かってウィンディアの名前を、怒声を交えて叫ぶ。
知り合いの様なこの二人の関係を知りたかったレムエル達四人は、どういった関係なのかとウィンディアを見る。
ウィンディアは苦笑いしており、頭が痛そうに息を吐いた後カイシンに向かって返す。
「何でしょうか」
「何でしょうじゃねええ! どうして捕まえに来るんだよおお!」
「そんなこともわからないのですか? あなたは住民の怒り……というより、あるお方の怒りと興味を引いてしまいました。運の尽き、今までのツケが返ってきたと思いなさい」
やってられない、とばかりに手を振って払う仕草をするウィンディアに納得がいかないカイシン。
もう、レムエルのすることに諦めの感情が生まれ、カイシン達を庇うという行為をしないのだろう。
そもそも庇っていた理由は増税による費用削減のためレースが出来ず、住民の顔から笑顔が消えたために少しは仕方がないと許容していたのだ。
レースでしか生きられないというわけではないのだから、真面目に生活費を稼ぐぐらいはどんな仕事でもするべきだった。
大体これほど魔法を使えるのなら冒険者となって稼ぐことも出来ただろうに。
「あ、あるお方って誰だよ! そのガキか!」
カイシンは指差されオロオロするレムエルかと訊ねる
「それは知らないですよ。大体、私に命令できるような方がこんな危険なことをすると思いですか?」
住民に聞かれているかもしれない為はぐらかすウィンディア。
精霊に頼み声を届かないようにしてもいいと考えたレムエルだが、こういった会話も住民が楽しむだろうと思い重要だと思ったところのみ聞こえなくすることにした。
「そんなの知るかァァ! そ、そのガキが悪いんだな!? 捕まえてギッタンギッタンにしてやるぅぅ!」
地団駄踏んで自分の船を揺らしてしまい、零れ落ちそうになるところを慌てて仲間二人に引き上げられる始末。
それにキレたのはウィンディアではなく、言われた本人であるレムエルのことを第一に考え、最も愛情と敬愛を注ぐソニヤだった。
「ソ、ソニヤ? お、落ちちゃうよ!?」
「レムエル様、お放し下さい。あなた様を侮辱されて黙っていられるわけがありません。まだ公になっていないとはいえあなた様は立派な(王族)なのですよ?」
「ああああ! そんなこと此処で言ったらだめだよぉ!」
「ソニヤ、落ち着き……無理ですね」
「うぇえええ! うぃんでぃあ~」
静かにベルトを外したソニヤに気付いたレムエルが慌てて腰に抱き付き、上空百メートルは浮かんでいるため、いくら精霊の力で風を受け流しているとしても揺れで落ちかねないと止めるが、ソニヤは迫力を感じる笑みを浮かべてレムエルを抱えていく。
外さないということはまだ理性が保たれているということだろう。
そんな状態になったソニヤを見たことでもあるのかウィンディアは諦め、後ろの席にいた精霊は面白そうにレムエルにくっ付く。
三人を引き摺る形となったソニヤは精霊へ手を差し出し、目を輝かせて喜ぶ精霊からいくつかの球を受け取ると、ポンポンと手の上で投げながら一つ投げ述べる。
「うおっ! あ、あぶねえだろぅが!」
「知るかァァ! 貴様は殺す! 私の手で仕留めて、やるッ! 感謝し、ろッ!」
と、幾つも球を投げつける。
精霊から無限に供給される球を左右の手で背後から受け取り、ピッチングマシンの様に目標に向けて投げまくる。
まだ手加減されているのだろうがカイシンはどれもぎりぎりで避け、落ちそうになる度に仲間二人がどうにか支えるが、船の操縦はどうなっているのだろうかと思えば、精霊が操縦し距離を保っているようだ。
一体精霊はどこまでの力を使うことが出来るのだろうか。
「か、感謝なんかするかぁぁ! 当たって落ちたら恨んでやるぅぅ!」
「安心しろ。落ちたとしてもこちらで助けてやる。まあ、お前は見た通りしぶとそうだから大丈夫なんじゃないか?」
「んなわけあるかぁぁ! 俺も人間だぁぁ! 落ちたら死ぬわ、ボケぇぇ!」
「誰がボケだぁぁ! この不届き者がぁぁ!」
「ぐぼっ! あがががが!」
「「アニキ~!?」」
ボケ呼ばわりされたことによりソニヤの手加減されていた弾丸が、全てカイシンへ命中することになり、更に速度も上がっているようで痛くないはずの弾丸に痛みを感じているようだ。
レムエルはソニヤだけは怒らせないと顔色を蒼くし、ウィンディアは少々カイシンが可愛そうになってきたと思う。
「そろそろ終わりにしてあげてはどうですか? 住民も見上げるのに疲れて来るでしょうし」
「ええ、それもそうですね。分かりました。レムエル様への暴言は許されざる罪ですが、仕留めた後しっかりとお灸を据えれば大丈夫でしょう」
「そ、そうですか?」
当の主であるレムエルはうっすらと涙を浮かべてプルプルと首を振り、これ以上はカイシンが可哀想だと言いたいのだが声が出なかった。
精霊はレムエルの涙を拭き抱き着き、十分に楽しんだと声を残して最後に特大の球を作り出しソニヤに手渡す。
「ちょ、そんなもん投げたら……」
「「あわわわわ~」」
ソニヤの両手では収まらないほどの大きさとなった特大の球は、眼をキランと輝かせたソニヤの手によって投げつけられた。
それにはレムエルとウィンディアを含め、住民全員がやり過ぎだと感じたという。
「「「ノオオオオォォォォ!」」」
球は抱き着きすくみ上っている三人を飲み込み、次に帆に当たり船体が壊れるかと思ったが、そこは精霊の力が籠った球というべきか、急激に大きさを変え船ごと飲み込んでしまった。
勿論中は空洞にしてあるため溺死することはない。
「……ふ」
と小さく笑うと、最後にソニヤが騎士の様に腰の剣を勝ち鬨だと宣言するかのように天高く掲げた。
『ウオオオオオォオオオオオオオオオオオオオオオオ!』
それに合わせて『アクアス』の住民全員が爆発的な大声を上げ、ビリビリと空気を揺らし、船体対決レースの終了を祝福する。
「おおおおお! やりやがったぁ!」
「またやってくれええええ!」
「久々に見た、いや、今までにない企画と工夫の見れたレースだったぁ!」
「あの船を作るのは無理だろうが、似たような形を作れるのでは?」
「いやいや、あれは魔法だからいいが、俺達がやるとするとしっかり浮くようにせんとならんぞ」
「それよりもどうやって街の上空にコースを作る?」
住民の祝福する声を聴きながら『精霊魔導船』は最後の『蒼天大海蛇』を船尾に水で括り付け、凱旋のように街の上空の水の道を揺れ動く。
その声を聴いたレムエルは満足そうに何度も頷き手を振る。
ウィンディアもレムエルが来ただけで大変だったと感じているが、今まで以上に楽しくこれでもよかったと、住民に同じように手を振る。
ソニヤはというと手を振らず仮面越しに後ろにいる三人を仁王立ちで睨んでいた。
「精霊、最後にお願いね」
『精霊魔導船』が全ての道を行き終わり湖の上へ降りると、レムエルは残った水の道を消してくれとお願いする。
精霊は一つ頷くと空高く浮かび上がり、手を繋いだ二人は細かな水と吹き荒れる風に変え、太陽の光が反射して宝石のように輝くと共に、大きな虹が幾つも出来上がる幻想的な空間を『アクアス』上空に作り出した。