【1】
こちらは『とある侯爵令嬢の恋事情』のスピンオフとなります。王太子アウリスと、王太子妃リューディアのなれ初めについて。『とある侯爵令嬢の恋事情』の4年前の話です。
楽しげに踊るそのカップルを見て、リューディアはため息をついた。
この恋が成就しないことはわかりきっていた。リューディアは彼のタイプとは正反対だし、彼とは幼馴染であり、そして気の置けない友人のような関係だった。少なくとも、彼の認識としてはそうなのだろう。
リューディア・ティーリカイネンは公爵家の長女である。波打つプラチナブロンドに、涼やかなジェイドグリーンの瞳をした美少女……どちらかというと、美少年に見える美少女だ。
今は夜会とあって瞳の色と同じ色のドレスを着ているが、これをシャツとズボンにかえれば、中性的な顔立ちの少年にしか見えないだろう。細身ですらりとしており、背も高いのだ。
対して、彼と踊っている少女は可愛らしい。愛らしい頬を上気させ、フリルをあしらった淡い桃色のドレスをひるがえし、楽しそうに踊っている。彼も楽しそうだ。少女はリューディアとは違い、小柄で愛らしく、彼とお似合いに見えた。
って、あれは妹なのだが。
リューディアの妹、セラフィーナは愛らしいばかりの少女だった。どちらかというと精悍な印象を受けるリューディアとは違い、セラフィーナは年ごろの少女らしい柔らかな雰囲気だ。姉妹でも、こんなに違うのだ。
もう一度ため息をついたとき、背後から声をかけられた。
「どうしたんだい、リューリ。浮かない顔だね」
背後から女性に声をかけるとは何事だ、というところであるが、振り返った先にいた人物を見て言うのをやめた。
背後にいたのは従兄のリクハルド・エルヴァスティだった。エルヴァスティ侯爵家の嫡男である。爽やかな優しそうな外見とは裏腹に、この男は腹黒いのである。
アッシュブロンドの髪にエメラルドグリーンの切れ目をした彼の母は、カルナ王国一の美女と言われた女性だった。リクハルドの母は、ティーリカイネン公爵家の出身で、リューディアの父の妹にあたるのだ。そのためか、リューディアとリクハルドの容姿も何となく似ている。
「何でもないよ。セラが楽しそうだなって思ってただけ」
視線の先には彼だけではなく、セラフィーナもいるのだから、その言い訳は成り立つはずだった。
しかし、リクハルドはそう簡単にだまされてくれなかった。
「ああ。イェレミアスか」
リューディアの視線を追って、リクハルドは気が付いたらしい。この男、無駄に鋭い。
イェレミアス・アラルースアは、アラルースア侯爵子息であり、現在セラフィーナと踊っている青年だ。年はリューディアより一つ上で、彼女とは兄弟弟子にあたる。何の兄弟弟子かというと、剣術の兄弟弟子だ。
カルナ王国に多い金髪に、澄んだ茶色の瞳。剣術はリューディアより弱いが頭がよく、優しげな彼に、いつしかリューディアは恋をした。
だが、彼の好みは守ってあげたくなるような少女なのだ。それはまさしくセラフィーナにこそあてはまる。少なくとも、『カルナ王国の最終兵器その二』と呼ばれるリューディアには当てはまらないだろう。
「そんなに落ち込むことないよ。君の魅力に気づいてくれる人がきっといるからさ」
慰めるようにリクハルドがリューディアの肩をたたく。そのしぐさがすでに同性の友人に対するふるまいだと気付いてほしいところだ。
女性でありながら剣を握り、しかも、『カルナ王国の最終兵器その二』と呼ばれている彼女は、男性から同性の友人のように扱われることが多かった。
まず、そう扱われる理由として、彼女の性格があげられる。基本的にさばさばした性格で、ダメだと思ったらすっぱりあきらめる。この恋も、明日には『最初からダメだった』とすっぱりあきらめていることだろう。
そして、外見も中性的で、着る服によっては少年にも見えるのだ。しかも、その辺の騎士より、よほど彼女の方が強かった。
リューディアは自分に可愛げがないことは理解していたし、すでに父が自分の結婚をあきらめているのも察していた。せめて男に生まれていればな……というのが父の言である。父がそう言うと、弟は肩身が狭そうにするのだ。
「じゃあさ。気晴らしに一曲どうだい?」
リクハルドがすっと手を差し出した。リューディアはなんとはなしにその手を見つめ、自分の手を重ねた。細く長いが、掌には剣ダコにがある自分の手。とても令嬢らしくはないのは自覚済みだ。
「……そう言えばリク。ミルヴァは?」
踊り始めてから気が付いた。リクハルドには婚約者がいる。カルナ王国第二王女ミルヴァ・イリニヤ・カルナだ。彼女はリューディアのひとつ年下で、じゃじゃ馬姫と呼ばれている。リューディアと同じく、剣を取る変わった王女で、リューディアは年が近く剣も使えるということで、彼女の遊び相手をしていた。そのため、ミルヴァ王女とは幼いころからの仲だ。
リクハルドはこの会場にミルヴァ王女と共に入場したはずだ。彼女はどこに置いてきたのだろう。
「ああ。ミルヴァならアウリスと一緒だよ。だから大丈夫」
「……そう」
アウリスの名を聞いて、リューディアは内心複雑になる。
ミルヴァの遊び相手として宮殿に上がっていたリューディアは、もちろん、この国の王太子や第一王女、果ては国王夫妻にも面識がある。その中で、一番計りがたい人物が王太子アウリスだ。
アウリス・ヨウニ・カルナはリクハルドと同じ21歳。彼は王太子の学友にあたるのだ。
ニコニコと愛想だけはいいリクハルドと、氷のように冷たい美貌のアウリスが並ぶと、不思議な感じになる。タイプの違う美形が並ぶので、眼福ではあるのだが。
アウリスは、彼自身が剣を使うので、ミルヴァと共に剣術の稽古をしているリューディアたちをよく見に来た。リューディアがふと視線を感じて見ると、アウリスがじっと彼女を見つめていたりする。話せば突き放すような口調であるし、あまり得意な相手ではない。
リクハルドと踊っていると、今日も、ほら。視線を感じる。リクハルドにそう言うと、「君が鋭すぎるだけじゃないの」と笑われた。それは否定できないかもしれない……。
リクハルドと踊り終えると、ミルヴァが近づいてきた。ひとつ年下の彼女はリューディアを見て名を呼んだ。
「リューリ。楽しんでる?」
「……まあね」
肩をすくめたリューディアを見て、ミルヴァは「リューリは嘘が下手よね」と笑った。
「私もあまり好きではないんだけどね」
王女にあるまじき発言をするミルヴァ。さすがはじゃじゃ馬姫だ。リューディアは自分より少し背の低いミルヴァを見て眼を細めた。
ミルヴァとリクハルドが婚約したのは、そう昔の話ではない。リクハルドはアウリスの学友なので、宮殿で会うことも多かったし、そう反対もなくこの婚約は決まった。
エルヴァスティ侯爵家は、侯爵家でありながらかなり重要な位置にいる。が、現在の当主、つまりリクハルドの父親があまりやる気のない事なかれ主義者であるため、リクハルドに期待がかかっているのだろう。そのための、リクハルドとミルヴァの婚約だ。
普段はあまり考えないのだが、仲のよさそうな2人を見て、少しうらやましいな、なんて思ってしまう。婚約者同士でいちゃつき始めたため、リューディアはその場を離脱した。すると、今度は件の妹に捕まった。
「お姉様っ」
意外なことに、セラフィーナは1人だった。このまま壁の華になろうと思っていたリューディアは、妹を見て反射的に笑みを浮かべる。
「やあ、セラ。楽しかった?」
「はいっ。お姉様のおかげです」
「それならよかったよ」
リューディアがイェレミアスと同じ剣の師に師事していたから、彼と知り合うことができた、という遠回しな嫌味にも聞こえるが、セラフィーナはそんな子ではなかった。何しろ、彼女は本気で「お姉様が男性だったら、絶対に結婚しています」と言ったことがあるのだ。弟にどん引きされていた。
「お姉様はリクハルド様と踊っていらっしゃいましたね」
「ああ……暇そうにしていたから、声をかけてくれたみたいだね」
その時の状況をそのまま説明する。セラフィーナは「そうなのですか」と疑いもせず納得した様子。いや、事実なのだが。世間的にも、リューディアとリクハルドはいとこ同士なので、踊っていてもさほど不思議ではない。
「セラは……イェレはどうしたの?」
一緒に踊っていたはずのイェレミアスは一緒ではないのだろうか。そう思って尋ねると、セラフィーナは花がほころぶようなかわいらしい笑みを浮かべる。
「イェレミアス様はお友達と話していらっしゃいますので、わたくしはこちらに」
「ああ、なるほど」
同性同士の話に、異性は入りづらいものだ。まあ、リューディアはうっかりすると紅一点状態になっていたりするのだが……。この辺がリューディアのダメなところだろう。壊滅的に女性らしさが足りない。外見ではなく、性格に。
ともに壁際までやってきたが、何人かの令息がちらちらとこちらを見ている。どうやら、セラフィーナに興味を示しているらしい。先ほどまではイェレミアスが独占していたが、今は一人だ。しかし、隣に姉のリューディアがいるので二の足を踏んでいるのだろう。何しろ彼女は『カルナ王国の最終兵器その二』なのだから。
ああ、自分で言ってて泣きそう。
セラフィーナは異性にもてる。今年社交界デビューを果たしたばかりだが、すでに何人もの貴族の子息から求婚されているようだ。その中で、セラフィーナはイェレミアスを選んだ。誠実で優しげな彼には、やはりセラフィーナのような愛らしい女性が似合いなのだろう。
対する姉リューディアは、今のところ、男性に求婚されたことは皆無。恐ろしいことに、ご令嬢から求婚されたことはある。リューディアも2年前、15歳で社交界デビューを果たしたが、着飾った姿を兄弟弟子に笑われたこともある。
剣をたしなむようになったことを後悔はしていないが、もしもセラフィーナのようにかわいらしい外見だったら、と思うこともある。自分の容姿が嫌いなわけではないが、せめて性格はもうすこし可愛げのある性格に育ちたかった……。
もう何度目かわからないため息をついたとき、ざわりと周囲がざわめいた。おろしていた視線を上げると、冷たい美貌が眼に入った。王太子アウリスだ。
「……よろしければ、私と踊っていただけないだろうか」
淡々とそう言って、彼は手を差し出した。
リューディアに。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
初めに『とある侯爵令嬢の恋事情』のスピンオフだ、と申し上げましたが、実は『背中合わせの女王』と同じ世界観にもなっています。