ティオの言葉
そこは、どこか神秘的な、そう、聖堂のような場所だった。
そこかしこに見受けられる、神話の1ページを切り取ったかのようなステンドグラス。傍聴席だろうか、奥の一点を起点にして扇状に広がる無数のニス塗りされたイスたち。
そして、最奥に座すは孤独な復讐王。
何の感情もない、あるいはあらゆる感情を内包した表情。
スラリとした長身で、太すぎず細すぎずの芸術的なプロポーション。
顔はゾッとするほどティオに似ていた。この世のものとは思えない美しさ。
だがそのバックボーンからか生気はあまり感じられず、ただただ刺すような殺気を放っているのみ。
「ようやく来たね。待ちわびたよ」
声は男性にしては高めで、耳に心地よい美声。
これで頭がよく武術に秀でていて、竜契約者として優秀だったのだから、リーサとのことが起こる前はさぞかし将来有望な若者だったのだろう。
今は深い悲しみを背負い、尽きることのない復讐にとりつかれたグレン帝国の、王。
隣りでティオが呼吸を整えるのがわかる。
俺はまだ何も話さない。まずは実の妹で、数年間この兄を追い続けたティオからだ。
「待たせてごめんなさい、兄さん。こうして顔を合わせるのは何年ぶりかしらね。元気にしてた?」
「ああ、そういえばずいぶん長い間会ってなかったね。時間の感覚に鈍くなっちゃったからどれくらいかはわからないけれど。元気かって? それはもう。ここ最近はすこぶる調子がいいよ。だって念願だった父上に復讐できるんだから」
「……そのことなんだけど、もう一度考えなおして、くれないかしら? 復讐って言ってもこんな国1つ使った大規模なものでやる必要はないはずよ。その分犠牲も増えて、新たな復讐の種をまくだけ。ね、兄さん。兄さんが昔かわいがってくれた、実の妹からのお願い。戦争なんて、しないで。復讐なら他の方法でできるじゃない。兄さんが王位を継いで、先代が作り上げた決まりなんてぶっ壊して、もう兄さんと同じ境遇の人間なんていなくなるような国を、兄さん自身の手で作り上げればいいじゃない。ね?」
途中から涙声になりながらも最後まで力強く言い切ったティオに対し、アレクはただ冷ややかな目を向けるのみ。
そんな……実の妹であるティオからの必死の訴えが、全く心に響いていない?
「笑わせないでくれよ、ティオ。父上の心を折るのに最も有効な手くらいわかっているだろう? そう、プライドだよ。あいつはそんなつまらないものにすがりつくことでしか生きていけないやつだ。そんなやつが大事に大事に大事に作り上げた国を、僕がぶっつぶす。傑作だよね、息子に最も大切なものを奪われるなんて。でも自業自得だろ? あいつも僕の命より大事な人を奪っていったんだから。同じことをしてやるだけだ。犠牲? 新たな復讐の種? 知ったことか。そんなものを気にするぐらいだったらここまでやれないよ。僕は最高の形で復讐が達成できればそれでいいんだ。それに、王位を継ぐ、だって? それこそ不可能な話だ。こんなことをしでかしたやつをあいつが認めるとでも? ありえない。たとえ頭を地面になすりつけて頼み込んだって無理だね。ハナからそんなつもりもないけど。なんだい、こんなつまらない話をするためにこんなところまで来たのかい?」
ダメだ。きっともうティオから何を言っても、こいつには響かない。今の話を聞いてわかった。覚悟が、信念が、リーサを想う心が、この短い間に伝わってきた。
「兄さん……本当にもう、無理なの? 昔には、戻れないの? またあの優しかった兄さんの笑顔が見たいよ。一緒に遊びたいよ。だから、罪を償って、マテリア王国に、帰り、うぅう……」
だが、それでもティオは諦めていなかった。いつもの子供っぽい、でもどこか大人びたティオはそこにはいない。いるのは兄を心配し、兄の愛情を求める、ただのお兄ちゃんっ子の小さな女の子だ。
「だから、無理だって。くどいよ。ねえ、そろそろいいかい? 早く父上をこの手で地獄に送ってやりたいんだ。何のためにティオ、君を待ってたと思う? 使えないギルが逃がした君をもう一度捕獲して僕の契約竜である邪竜・グレイヴに生贄として捧げるためだよ」
それを聞いたティオは顔面を蒼白させ、俺に寄りかかってきた。この言葉は相当にショックだっただろう。あの目は、妹を、人を見る目じゃない。モノに向けるそれだ。
「やっぱり、邪竜と契約してたのね……兄さんの元の契約竜、アーサーはどうしたの? まさか」
「そのまさかだよ。僕がこの手で殺した。そうしないとグレイヴと契約できなかったから」
「自分の契約竜を、自分自身で、殺したっていうの? 共に育ち、あんなに信頼し合ってたのに」
「だって、アーサーじゃグレン王国を乗っ取るのに力不足だったんだもの。何回も言っているだろう。復讐を成功させるためだったら、僕はなんだってする。なんだって捨てられる。自分の半身である契約竜だろうと、肉親であるクリス、ティオ、君だろうと」
アレクの放つ言葉一言一言がティオの心をバラバラに切り刻む。もうやめてくれ! 何度もそう叫びそうになった。
「ソーマ……私はここまでよ。言いたいことは全部言った。でもどれ一つとして兄さんの心に触れることはできなかった。わかってたことだけど、兄さんにはリーサしか見えていない。それを思い知ったわ。ここまで自分の無力さを突きつけられると、もう、もう…」
俺の身に着けている外套が、ティオの涙で染まっていく。それは瞬く間に広がって、服の中まで到達し、俺の肌に触れる。
熱い。火傷してしまうんじゃないかと思うくらいに。
生傷を見せつけられているかのように感じ、見るに堪えなくて、顔をそむけながらティオの肩を抱く。
「よくやった。よくやったよ、ティオ。あとは俺に任せとけ」
「うん……うん」
ティオは嗚咽とも返事ともとれる声をだし、俺の腕をギュッと掴んだ。
少しだけ、ほんの少しだけだろうけど休んでてくれ。すぐに動かなくちゃならなくなるかもしれないし。
俺たちに切れるカードは残り1枚。
わずかに震えている、腰の魔宝剣に手を添える。
『アレク……さすがにこれだけ経つと身体は成長してるわね。見違えちゃった。でも、見間違えるはずない。だって、心は一歩も前に進めていないもの。あのときとなんにも変っていない。傷つきやすくて、私のことが、大好きで……』
……待ち焦がれた瞬間、だもんな。愛する恋人との再会。
あんたは罪な男だよ、アレク。女性をこんなに泣かせるなんて。
リーサの涙は、再会の喜びによるものだろうか。
それとも、すぐ近くにいるのに言葉を交わすことができない、触れることも、抱きしめることもできない悲しみゆえだろうか。
「リーサ、泣くのはあとだ。まだ希望はある。俺に力を貸してくれ。俺がアレクに、リーサの言葉を伝える。だから、その想いを、俺にぶつけてくれないか」
『そう、よね。お願い、アレク。どうか、私の言葉を受け取って……』
すうと息を吸い、心を落ち着かせるリーサ。
そう、まだ諦めるには早すぎる。なんたってリーサ本人がここにいるんだから。
「聞いてくれアレク。今から俺が言うことは信じられないかもしれない。でも、紛れもない真実なんだ。だからどうか耳を傾けてほしい」
「そうだ、君にも用があるんだった。いいよ、聞いてあげる。わざわざここまで足を運んでくれたんだ。死ぬ前にそれくらい叶えてあげようじゃないか。でもティオみたいなつまらない話はやめてくれよ。ずいぶん回りくどい言い方をしてるけど」
つまらない話云々のところでまた怒りが湧いてきたがなんとかこらえ、冷静に言葉を紡ぎだす。
「ああ、つまらなくはないよ。そこは保障する。……実は俺が今持ってる魔宝剣の中には、リーサの魂が宿っているんだ。俺とだけなら、話もできる。今からリーサの言葉を、あんたに、届ける」