最終章 始
門番どころか衛兵の1人もいない不気味な静けさの中、メイルが降り立つ音だけが周囲に響く。
「ついにここまで来たわね」
「ああ。そう、だな」
巨人が立っているかのような威圧感を放っている門を開きながら感慨深そうにそう言う。
城内も城外と同じく人の気配は感じられず、逆に不安になる。音波の情報通りなら王の間まで誰とも会わないはずだ。
「それにしてもメイルも入れるほど大きいんだなぁ」
「あら、マテリア城も同じよ? 戦争とか式典とかの有事の時に竜がお城に入れるよう設計されてるのよ」
通りでスケールの大きさに圧倒されるわけだ。昔一度だけ行ったことのある外国のお城よりもよっぽど大きい。
とするとこの地図の縮尺は相当に小さいのだろう。アレクのいる場所に到着するのに10~20分はかかりそうだ。
伏兵がいるかもしれないため、慎重に歩を進める。
音波たち夜霧の情報収集力を甘く見ているわけではないが用心するにこしたことはない。
ついにアレクと対面するのだ。
胸中には様々な思いが渦巻いている。落ち着け、俺。
ギルとの戦闘で傷んでしまったが綺麗な形を保っている外套を握りしめる。すると余計な鼓動を刻んでいた心臓がゆるやかにペースを落としていく。
ありがとう、カメリア。俺に勇気をくれて。お前が憧れていた戦士に、多くの人を救うヒーローになれるかはわからないけど。
約束を守るために、ティオのために、今だけは。
決意を固め、静かに魔宝剣の柄をつかむ。
そうだ、カメリアの想いだけじゃない。リーサの想いだって背負ってるんだ。
「ソーマ、良い表情ね。今まで見たことないくらい引き締まってる。目に力も点ってる。気合いは十分みたいね」
「そりゃそうだ。向こうの世界にいたころは特に目的もなく漫然と生きてたけど、今は違う。受け取ってしまったもの、自ら背負ったものがある。だから否が応でも気合いが入るってもんだ」
「……私も同じよ。王族としての責務を失って、ただ兄さんを探したいって欲求のままに旅をしていただけだから。でもソーマと出会って、いろんなことがあって、兄さんを正気に戻すっていう新しくてより強い目的ができた。それに、ソーマをもとの世界に戻してあげるっていう目的も、ね」
なんだよ、ティオのやつ俺なんかよりよっぽど良い表情してるじゃねぇか。
一緒に旅をして日々を過ごしてきた中でたくさんの顔を見てきたけど、今のこの、決意、悲壮、憂い、親愛などが入り混じった表情にはことさらドキッとさせられた。
「どうしたの、そんなにまじまじと見てきて」
「べ、別に。あ、あともとの世界には多分ちゃんと戻れるから心配しなくても大丈夫だぞ。シルバと合流して、音波に転移魔法を教えてもらえば、きっと」
「そういえばそうだったわね。でもまだ確証はないし……。もしもとの世界に戻れなかったら私が責任を持って面倒をみてあげるから安心しなさい。今度は目的のない自由気ままな旅をしましょう」
「それもいいかもな。でも面倒みてもらうだけってのも悪いから自分の食い扶持くらい自分で稼ぐよ」
「へぇ、ソーマにそんなことできるのかしら? めんどうくさがりやだし要領もよくないし。あ、でも竜魔法や剣はある程度扱えるからそっちの講師の道ならありかも」
「褒めてるのか貶してるのかどっちなんだ……」
思わずティオとこっちで生活する未来を考えてしまった。それはそれで楽しそうだけど、やっぱり俺は戻る道を選ぶだろう。まあ時間さえあればこっちの世界に遊びにくるつもりは満々だけどね。
これからああしたい、こうしたいなんて話をしながらも警戒を解くことはなく、神経をとがらせながらなんとか豪奢で見上げるほど大きな扉の前にたどり着いた。
まだ姿は見えないというのに扉の向こうからすさまじいプレッシャーを感じる。
身体が勝手に身震いしそうになるのを必死で抑え、頭をすっきりさせるために自分でほっぺたをバチンと叩く。
今まで何度も修羅場をくぐってきたが、ここから先は別次元だろう。
俺が扉に手をかけ開こうとしたとき、ティオがそっと、俺の手に自らの手を重ねてきた。
「もしかしたらこれがソーマと交わす最後の会話になるかもしれない。……本当に、これでよかった、のよね?」
その小枝のように細く白い指先からあたたかな体温が伝わってくる。何度見ても見飽きることのない整った顔によぎる微かな不安の陰。
その言葉が俺に対してなのか、それともティオ自身に向けられたものなのかはわからない。けれど、返す言葉は決まっている。
「ああ、もちろん。これがきっと俺たちにできる最善の行動だ。結果がどうなろうと、危険を犯してまで兄を止めようとするティオの行動は立派だし、なんというか、キレイだなって思う」
おそらくティオは正しい正しくないとかじゃなく、ただ肯定の言葉、後押しする言葉が欲しかっただけなのだと思う。まあさっきのは俺の心からの言葉だけど。
「……うん、ありがとう。おかげで胸の中にあったちょっとしたモヤモヤが晴れたような気がする。で、でもキレイって……」
「そ、それは人間的に美しい行動だなって意味で別に他の意味なんてっ!」
「はぁ、そこで必死にフォロー入れちゃうのがどうしようもなくソーマなのよね……」
言ってる意味はよくわからなかったけど幻滅されたってことだけはわかりました。何をミスったんだ俺。
考え込む俺にティオが今までとは違う、やわらかな声音で話しかけてきた。
「じゃあ、行くとしますか。頼むわよ、私の相棒さん。いつものように私を助けてね」
その笑顔を見て、思わずキレイだ、とこぼしそうになる。今度は言葉通りのシンプルな意味で。
本当ずるいんだよな。たまに見せるこれ。他のすべてがどうでもよくなってしまうのだから。
「おう、任せとけ!」
弱気な言葉がでそうになるのをこらえて、力強くそう応えた。よかった、声が震えなくて。震えたら格好なんてつかないからな。
すうと深呼吸し、重ねた手のまま、2人で。目の前にそびえ立つ大きな大きな扉を、開く。