合流
それから寝落ちしてしまったようで、誰かに揺り起こされて目が覚める。
んんん、ティオかな。
待てよ、いつもならこういうとき間違いなくハプニングが発生して大変な目に……!
焦って目を開けると、そこにはくりくりとした茶色い瞳があった。
気づいたらがっちりと手も握られていて、本能的にマズいと悟る。
「ちょ、音波、何やってるんだ?」
「もちろんソーマを堪能しようと」
「堪能!? 堪能ってどういうことですか!?」
音波の手から逃れようと身じろぎしたとき、近くで何かがもぞもぞと動くのを感じた。
俺たちの声で起きてしまったのか、隣で寝ていたティオが寝ぼけ眼で俺たちを見ながら、眠そーうな声をだす。
「どうしたの、ソーマー、朝からそんな大きな声をおおおおおお! 何やってんのよ音波ぁぁぁあああ!」
瞬時に状況を把握し、的確に音波に攻撃を繰り出す。さすがティオだ。おかげで俺の方は毎朝ヒヤヒヤしてるんだけどな。
「何してるって、だからソーマを堪能しようと」
「はい!? ちょ、どういうことよ!? ソーマあんたまさか音波とちょめちょめでピーなことを」
音波はティオの攻撃はひらりとかわし、ターンしながら俺の首に腕を巻き付けてがっちりホールドする。
「してないしてない! 起きたら急にこいつが」
多分。おそらく。メイビー。寝てる間に何かされていたら……考えるだけで怖ろしい。
「私は何もおかしいことはしてない。ただソーマに約束を守ってもらおうとしただけ」
「約束って?」
ティオも、どうやら何か事情があるらしいと判断し攻撃をやめ、冷静にそう聞き返す。
はて、何だったかな。クロス・エッジの件が片づいたら何かするって約束したような。
あ、ちなみにメイルは身の危険を感じたのか俺たちよりいくらか離れた場所でつまらなさそうにこちらを見ている。その判断、正解です。
「無事クロス・エッジの件を解決したらおでこにちゅーって約束」
「ああ、確かそんなこと言ってたなぁ」
おぼろげな記憶を呼び覚ます。そのときティオも聞いてたような。
「ぐ、私のバカ、なんであのとき許可なんか……!」
ウンウン唸って悔しそうに唇を噛んでいる。やっぱりそうだったか。
うぅ、約束したからには果たさねばなるまい。でもいざやろうとするとこんなに恥ずかしいものなのか。いや、大丈夫だ、恥ずかしくない。いつものように妹に接するような感じで……。
「妹じゃない、幼なじみ」
いつの間にか俺の目の前に来ていた音波はそう言ったきり目を閉じて栗色の前髪を分け、あごを少しだけ上げた状態で待機する。
許可をもらってるはずなのに、なぜかティオの前で(いや、ティオがいなくてもかな)こういうことをするのは気が引けて、石像のように固まってしまう。
それから数十秒たって、ついに音波がしびれを切らしたのか、ジト目でこちらを見つめながら無機質な声で急かす。
「ソーマ、約束は、特に私との約束は守るべき。人として当然のこと。しかも唇とかじゃなくておでこなんだからハードルも低いはず。さあさあ。動かないなら私の方から……」
「わ、わかったから! すぐするからもう1回目閉じて待ってて!」
「うんうん。素直なのは良いこと」
再び待機モードに入る音波。その状態見てるだけでもちょっとアブないというのに……。
チラッとティオの方を見ると、その深緑の瞳でこちらを射抜かんとするようににらみつけてきていた。おおう、視線で殺されてしまいそうだ。
ええい、もうやるしかねぇ!
がしっと音波の肩をつかみ、頭を近づけていく。
っておい音波なに肩つかんだときビクってしてんの小動物的に震えてんのそんなキャラじゃないだろ恥ずかしいだろうがっ!
残り数センチになった瞬間、「や、やっぱりだめえええぇぇぇえええ!」というティオの大音声に驚き、おでこを外れてーー。
「あ……」
ちょんと、鼻先に命中した。
音波ははじめはポカーンとしていたが、みるみる顔を赤くして、いつもの無表情を少しだけ崩しながらぽそぽそしゃべる。
「……まあ、今回はこれでいいか。ソーマ、ありがとう。ちなみに夜霧では鼻先へのちゅーは婚約の印として……」
「うそをつくなうそを!」
「うそだと思うならママに聞いてみるといい」
「それ絶対俺をおとしいれようとしてるだろ」
いつもの茶番劇を繰り広げていると、俺の危険察知レーダーが少し離れたところから怒りのオーラを検知した。パターン青、ティオです! なんてねハハハ。
「私、おでこは許可したけど、鼻は許可してないわよねぇ、ソーマ……?」
なんだか揚げ足取りのような気もするが、ここは撤退あるのみですねうんうん。
逃走するためにクラウチングスタートの構えをとったとき、音波が火に油を注ぐようなことを言い出す。
「そもそもソーマの行動にティオの許可なんて必要ない。よってソーマが引け目に感じる必要もない。悪いのは独占欲の強いティオの方」
「どどどど独占欲!? そ、そんなのじゃないし! だいたいあんたの方がよっぽど強いじゃない! 私はいいのよ、相棒なんだから!」
「それを言うなら私もソーマの人生のパートナー」
「なっ! そうなのソーマ?」
「いえ、そんな事実はございません」
「ほーら嘘じゃない!」
「嘘じゃない。いずれ必ずそうなる。それに嘘から出た真という言葉も」
「意味がちがーう! どうやら話し合っても無駄のようね。いつも通り力の差を見せつけてあげる」
「ふぅ、これだから野蛮な元王女様は。でもつき合う。なぜなら私がここみたいな狭い場所で負けるはずはないから。いざ尋常に」
「勝負!」
2人とも疲れてるだろうになんと強化魔法まで使って手合わせしていた。
俺ですか? もちろん巻き込まれないように避難していますよ、ええ。
「きゅう~」
メイルの懐にね。なんか若干気まずそうな表情をしているがかまうもんか。こっちは命がかかってるんだから。
数十分打ち合った後、体力が尽きたのか大の字になって横たわる竜契約者たちの姿がそこにあった。
「相変わらずやるわね、音波」
「ティオこそ、さすが」
友情らしきものが生まれる瞬間を見た。というよりもはや恒例となりつつあるこの光景。なんか2人だけのときもこうやって手合わせしてたらしいしコミュニケーションの一種なのかもしれない。俺は御免被りたいところなのだが、たまに付き合わされたりもしてとてもよい経験となっておりますはい。
全員落ち着いたところでこれまであった出来事を話す。主に俺と音波がわかれた後の話だ。
日の光がほとんど届かない薄暗い谷底に俺たちの声だけが響いていた。(ギルとその契約竜の遺体から離れた場所で、だ)
「まずは、俺からだな。この通り無事ティオを助け出すことができた。ギルも、倒すことができた。メイルのおかげだ」
「きゅいきゅい~」
得意そうに鳴くメイル。
「ソーマならできるって信じてた。さすが。これで邪竜の完全復活を防ぐことができた。でも、諜報員からの情報によると国境付近ですでに邪竜がその猛威を振るっているらしい。完全ではないにしろさすがは伝説の竜。ユキト・グレンその他が応戦しているもののかなり押され気味で死傷者も増え続けてる一方。行くのなら早めに駆けつけた方がいい」
「そうか……でも、まだそっちに行くわけにはいかない。前にも言ったけど、俺たちはまずアレクに会いにいかなければならないから」
ティオも大きく頷く。
ユキトのことは心配だが、彼女の実力ならそうそうやられることはないだろう。必ず駆けつけるから持ちこたえてくれよ。
「……自ら死にに行くようなもの。やめておいた方がいい」
ユキトと同じようなことを言ってくる音波。そういえばこいつにはまだグレン皇帝の正体を話してないはずだが、あの手紙がマテリア国王に届いた瞬間からもう情報は漏れていたのだろう。特に耳の早い人には。
「それでも行きたい、行かなくちゃ、いけないんだ」
詳しく話すと日が暮れてしまうと思った結果、ただ~したいという説得力の欠片もない言葉がでてきた。
その後に何か続けようとしたら、驚いたことに音波はコクリと頷いたのだ。
「わかった。グレン皇帝の現在位置は把握してる? してないのなら後でグレン皇帝の居場所を追っているメンバーに連絡してみるから」
「いや、まだどこにいるかまでは……そうしてもらえるとありがたい。あ、あのさ、詳しく聞きたいとは思わないのか?」
「そうしなきゃならないっていうのはソーマの目や声音で十分伝わった。付き合いの長さを甘く見ないで欲しい」
「でも、俺はそんなに音波の考えてること察せられないぞ?」
「それはソーマが鈍いだけ」
「そうね、間違いないわ」
今まで俺にしゃべらせておいてこういうときだけ音波に加勢するティオさんマジ卑怯。
「それに、今までのことから考えると大体の意図は見えてくる。大方、グレン皇帝を説得するとか改心させるとか自分たちの手で、とかそんなところじゃない? 成功確率は限りなく低いだろうけど、ソーマとティオなら、あるいは」
茶色い瞳が俺とティオを順に捉える。その瞳には、期待と不安の両方が映っているように見えた。
「音波は、ついてきてくれないのか?」
「私には私の任務がある。この戦争に乗じて急進派が総力戦を仕掛けてきたから、私も保守派として迎撃する。やつらを潰す絶好の機会を逃すわけにはいかない」
「そう、か」
やはり音波は夜霧には絶対服従のようだ。生まれたときからそう育てられてきたから当然かもしれないが、危うさも感じる。ティオと互角にやりあえるくらいだからそうそう簡単にはやられないとは思うけど……。
「気をつけろよ。お前、すぐ調子乗るから肝心なとこでヘマするんじゃないかってお兄ちゃん心配で心配で」
「だから! 妹じゃなくて幼なじみだって何度も……! あとそれは私のセリフ。訓練を受けてきた私よりソーマの方がよっぽどスキだらけで心配」
「ははは、そりゃそうか」
シリアスから一転、いつもの和やかな空気になりかけたそのとき、ティオが若干不機嫌そうに音波に質問した。
「ところで、クロス・エッジの件はどうなったのかしら? さっきは解決した、って言ってたけど」
そういえばまだそのことを聞いてなかったな。それにしてもなんでちょっと怒り気味なのだろう。
「嫉妬とは見苦しい」
「あ、あんたに言われたくないんだけど!?」
「まあそれはいいとして。ソーマと別れた後クロス・エッジを追って、やっと見つけだした、と思ったら……すでに、死亡していた。それも無惨に」
? どういうことだ? 何者かに殺された? 夜霧のメンバー以外に?
「どういうことなの?」
ティオも難しい顔で疑問を投げかける。
「手足はバラバラに切断され、小動物型の魔獣に食われてた。唯一まともに残っていた首から上は……クロスした、交差した無数の傷で覆われていた。こんな殺し方、よっぽど恨みを抱いていなければできないはず。誰か心当たりはいない?」
俺とティオは顔を見合わせる。おそらく同じ人物が頭に浮かんでいることだろう。
アレクだ。きっと彼が、やったのだ。
直接ではないのかもしれない。配下にやらせたのかもしれない。どちらにせよアレクが手をかけたことは変わらないだろう。
「その様子だと心当たりがあるようだけど、今は詳しいことはいい。第三者がやったとわかれば十分。急進派の最大戦力だったからこちらとしてはありがたい限り」
アレクはあいつが用済みになった瞬間、リーサの仇を取るために無惨に殺したのだ。あとは昔クロス・エッジに指示をだしたマテリア国王だけ。
「まあ、何はともあれクロス・エッジの件が片づいてよかった。ギルやカイルももういない。グレン帝国は相当戦力を削られてるはずだ。残るは、邪竜とアレクのみ、か。これ以上被害を増やさないためにも、なるべく早くアレクや邪竜のところに行かないと」
これ以上被害を増やさないためにも、と言ったのは、カメリアとの約束を守るためでもある。
ぎゅっと、身につけている外套を握りしめる。これを着ている限り、己の信じる正義と向き合わなければならない。
「うん。確かに残された時間は少ない。おそらくこのままじゃあと2日くらいでマテリア王国は乗っ取られる」