リーサのお願い
夢は見なかった。起きたときの気分もすこぶる良い。
メイルが施してくれた魔法のおかげで、よく眠れ、疲れをとることができた。
日はすっかり落ちていて、谷底は昼間とは比べものにならないほどの冷気が満ちていたが、外気に触れていない部分はティオとメイルの体温で満ちていた。だから、寒さはあまり感じない。
1人と1頭はまだ眠っているのに、俺だけが起きてしまった。
竜人化の影響で今は全く動けない。人の細胞に戻りきるのには明日の夕方くらいまでかかるだろう。
でも、偶然にも俺は腰の魔宝剣に手を触れていた。
「……リーサ、起きてるか」
竜人化が解けてからすでに数時間経過しているためか、なんとか声はだせる。頑張れば指先くらいなら動かせそうだ。
『そもそもこの剣に入ったときから寝るとかいう概念はなくなったんだけどねー。魔力を節約するために意識をシャットアウトさせることはあるけど』
それって寝るってことと一緒なんじゃないの?なんて無粋な質問はしない。
今はただ、話し相手が欲しかった。
『それより……ソーマ、お疲れさま。すごいじゃない、あのギルに勝って、ティオちゃんを助け出すなんて』
「俺の力じゃないよ。メイルのおかげだ」
『それもあるかもしれないけど、あそこまでギルと対等にやりあえたのは、やっぱりすごいことだわ。今でもまだ覚えてるけど、はじめてあなたがギルに会ったときなんて魔法1つ発動させるだけで精一杯だったもの』
「ははは、そういえばそうだったな。あのときもリーサに助けられたっけ」
『そうそう、だからもっと私に感謝しなさいよね!』
「感謝してる感謝してる」
『じゃあ感謝の印として、ちょっと私ののろけ話につき合ってくれないかしら?』
「そんなのでよければいくらでもつき合うよ……ってのろけ話!?」
『ダメ?』
「いや、ダメじゃないよ。むしろ興味あるというか」
アレクの話、か。あの事件が起きる前はどんな人物だったのだろう。俺は、ティオの良き兄だったこと、邪竜の封印を解き、その力を使って1日でグレン王国を乗っ取ったこと、その際ユキトの父を殺し、その後は軍事国家グレン帝国へとつくりかえ、非道な命令を下していた、ということぐらいしか知らないからな。
『ならよかった! えっとねー、はじめて会ったのはあの森の中で、2人とも迷子だったの。運命って言葉は好きじゃないけど、今振り返ってもあの時だけはその言葉を肯定できるわ』
やっぱり、あの場所か。国境にほど近い、どこか静謐とした雰囲気と漂わせていた、森の中にぽっかりとあいた場所。
『私は両親を早くになくして遠い血縁に預けられたんだけど、反りが合わなくてね……アレクも王族の規則にうんざりしてたから、意気投合しちゃって。たびたびお城を抜け出してはあの場所で一緒に遊んだなー』
姿が見えたら目を輝かせてただろうなと思えるほど弾んだ声でそう言う。2人とも家庭環境に不満があって家にいたくなくて、そんな時だったから仲良くなったんだろうな。
『アレクは超絶イケメンだった上に学問、剣術に秀でていて、竜契約者としての才能にもあふれていたわ。平民たちの間でも噂になってたのよ。もう私は貴族の女の子たちにとられちゃうんじゃないかと心配で心配で……ひどいのよ! 今年はチョコ25個もらったよーとか自慢してきて! 人の気も知らないで!』
ぷんすかと怒りだしてしまった。しかし言葉の端々にアレクへの親愛の情が感じられる。楽しそうだなぁ。それにしてもアレク勝ち組すぎだろどうなってんだ。
『いっつも私をからかって、怒らせて、不安にさせて、けれど最後にはいつも好きだよ、って言ってくれるアレクのことが、私は大好きだった。そう、大好き、だった、のよ……』
唐突に声のトーンが下がった。顔は見えなくても、声音からある程度の感情を読みとることができる。
「リーサ……」
かける言葉が見つからない。くそ、俺はどうしていつもこういうときに気のきいたことを言えないんだ……!
『……だからね、アレクが苦しんでいる姿を見たくないの。今までのことから推測するに、おそらくアレクは邪竜に意識をいくらか乗っ取られてるはずよ』
「そうだな、俺もそうなんじゃないかって思ってた。でもマテリア国王への手紙は本人の人格でなければ書けないはず。もしかして邪竜は契約者の記憶を読みとることができるのか……?」
『それはわからない。私たちのはあくまで憶測の域をでないのだから。それでね、ソーマにもう1つ、お願いがあるの』
そう、あくまで予想であって真実ではない。最初からずっとアレクの意識のままという可能性もある。そちらは信じたくはないが、考慮には入れておかないといけない。じゃないと、いざというときに覚悟を決められないから。
……覚悟? 何の覚悟だ? 殺すこと? リーサを宿した剣で?
自分がどうしたいのか、どうしたらいいのかを突き詰めようとしたとき、リーサが話し出した。そうだ、まだ会話の途中だった。
『あくまで推測が当たっていた場合なんだけどね……アレクを、邪竜から解放してあげてほしい。その後、ソーマの口から、私は今でも、死んでも貴方のことを愛しています、って、伝えてほしい。アレクは信じてくれないかもしれないけど、それでも』
あまりに悲痛で純粋なその願いに、ただただ息をのむ。
改めて思う。この2人ほど互いのことを強く思い合っている人なんていないのではないか、と。
応えないわけにはいかない。むしろ、応えたい。
いつのまにか、俺の中にあったアレクへの恨みのような感情は薄れていた。完全に消え去ったわけではない。だって、間接的にあの村の人たちを殺したのだから。
人間の、どうしようもない悲哀みたいなものを感じたのだ。
過ちを犯した人間にも愛する人がいて、愛し返す人がいる。だから、復讐の連鎖は止まらなくなる。
カイルやギルのときにも感じたものが、今回はリーサという人物によってはっきりと明確に浮かび上がった。
ユキトには悪いが、俺は、アレクを殺すという選択肢は選ばない。
償いの方法は死ぬこと以外にもきっとある。もし邪竜に操られているのであれば、可能性にかけることができる。そうでなかった場合は……実の妹であるティオに説得してもらうしかない。
やっと、自分の中のやりたいこと、やらなきゃいけないことがわかった。くすぶっていたものが、綺麗さっぱり消え去ったような気がした。
「……無茶言ってくれるよ、伝説の邪竜を倒せだなんて。でも、俺やティオ、ユキトが力を合わせれば、奇跡が起こるかもしれない」
『奇跡は起こるものではなく、起こすものよ』
「そのセリフ、俺の世界じゃめちゃめちゃ有名だぞ……そうだな、起こしてみせるよ。こんな俺じゃ頼りないかもしれないけど」
『そんなことない! 今までだって、不可能を可能にしてきたじゃない。勝てるわけないと思っていた相手にも、勝ち続けてきた。なら、今回だって、きっとできる。ソーマがこの世界に来たばかりの頃からずっと見てきた私が言うんだから間違いはないはずよ!』
いつになく力強いリーサの激励に、身体の芯がジンと温かくなる。
魔獣やカイル、ギルと戦ったときのことを思い出す。
ティオの妹であるクリスや、お世話になった村の人たちを守れなかったことを思い出す。
もう後悔したくない。最悪な結末なんて見たくはない。
戦力差は大きいかもしれないが、諦めるものか。俺にはリーサやティオ、ユキト、音波だってついてるんだ。
「おう! いっちょやってやろうじゃないか! リーサとの約束、果たしてみせる!」
『それでこそソーマよ! ……今更だけど、こんなこと頼んで、ごめんね。ユキトちゃんの思い、知ってるはずなのに』
「……怒るぞ、リーサ。謝らないでくれよ。これは、俺にも関係することなんだから。感謝してる。俺の進むべき道を指し示してくれて。あと、ユキトのことは心配しなくてもいい。アレクのこと、殺させないから。説得してみせる。アレクもユキトも」
リーサのおかげで、ティオのものではない、俺自身の目的が見えた。それは、以前にも考えた、みんなが幸せになれる世界をつくるなんていう荒唐無稽な願いにもつながるものだ。
ティオは、説得できなかったらそのときは、と後を濁した。言外の意味くらい理解できる。
それはダメだ。ユキトの願いは達成されるかもしれない。妹として、と責任のようなものを感じていたティオの願いも。
でも、あのときティオは、使命感の裏側の感情を隠しきれないでいた。
殺したくない、死んでほしくないという叫びが聞こえた気がしたのだ。
それじゃあ、ティオが救われない。
だから、瀕死の状態にしてでも、アレクを正気に戻す。
ユキトには死以外の道を提示し、納得してもらう。
こう言うと傲慢に聞こえるかもしれないが、そんなの関係あるもんか。何が正しいかなんて周りが決めることなんだから。
『あ、ありが、とう、……う、うう、うわああぁぁぁぁああん! うぐ、えぐ、うぅうう!』
リーサは何かが決壊したかのような勢いで、子どものように泣きじゃくる。
普段はおちゃらけてて、余裕を崩さす、大きな感情の揺れを見せなかったリーサが、だ。
俺はリーサに触れることができない。リーサも俺に触れることができない。けど、今日はじめて、リーサと触れ合えた気がした。
それ以上俺は何を言うでもなく、ただリーサの声を聞きながら、自由になりつつある首を動かして透き通るような夜空を見上げるのだった。