深い谷底から見える、わずかな青空
響く剣戟音。
常人では捕捉しきれないような速さで打ち合わされる刃と刃。
はたから見たらどちらが優勢かなんてわからないだろうが、俺がわずかに押されている。
理由は明白だ。俺がまだ竜人化と強化魔法の複合状態に慣れていないから。
このままでは防戦一方になる。ならば。
1回避けるごとに、1回剣を振るうごとに成長していくしかない。
研ぎ澄ませ。1分、1秒でさえ己の血肉に。
反射神経と染み込んだ型でもって応戦しながら、身体制御を意識し、慣れさせていく。
すると、ほんの少しずつだが守りだけでなく攻撃の回数が増えてきた。
「やるではないか、少年よ」
「無駄口たたいてて、いいのか、よっ!」
「感想を述べたまでだ。強敵と戦えて喜ぶ気持ちがわかるかな?」
「わからないしわかりたくもない。いいから続けるぞ。早くお前を倒してティオを解放したい」
「せっかちだな。命がかかってる戦いなのだから楽しまなくては損だぞ」
「だから、わからないっての!」
やつの言葉に惑わされてはいけない。わざとこんなことを言っているのか、それとも単に話したかっただけなのか。まあ後者だろう。
なおも打ち合っていると、手に微かな違和感を感じた。
ギルの剣に小さなヒビが入りはじめていたのだ。
本人もそれに気づいたらしく、今までの愉悦に満ちた表情が消える。
同時に一層やつの剣技が冴えわたり、再び防戦気味になった。
しかしこれはチャンスだ。このまま耐え続ければじきに剣が折れ、隙が生まれる。そのときに約束を破って魔法を使ってくるかもしれないが。
神経が擦り切れそうなほど集中して剣を振るい、この身体に振り回されないようにしがみついて制御しようとする。
俺自身もいつまで保つか。
そんな状態で続いた命の綱渡りは、唐突に終わりを告げた。
フッと。あっさりと、ギルの竜人化が、解けた。
驚愕するギルに、俺は魔宝剣を深々と突き刺す。
数瞬、音が消え、そのままの体勢で固まる。
止まった時を動かしたのは、紅色の大きな塊がギルの背後に落ちた轟音。
ギルの契約竜だった。
そうか。メイルが、勝ったんだ。
ギルの竜人化が解けたのは、魔力の供給源たる契約竜が殺されたから。
「……剣を抜け、少年。それで、終わる」
口の端から紅色の液体をこぼしながらそう言う。
「……最後に1つだけ、聞きたいことがある。なぜティオを人質にとらなかった? 集団ならともかく、俺1人だったんだから脅すなりなんなりできたはずなのに」
「……さあ、な。あるいは、昔を思い出したから、かもしれんが。純粋に騎士を目指していた、あの頃を。……いや、もう、忘れた、捨て去った、もの、か」
「……なあ」
「もう、何も聞くな。質問には答えた。早くしろ。楓ソーマ、お前には、やるべきことがあるのだろう? さあ」
俺は急かされるままに、深々と刺さっていた剣を、引き抜いた。
血だまりをつくって倒れているギルバート・グレンは、なぜか穏やかな顔をしていた。
「……そんな顔で、死ぬなよ。俺の心を、かき乱さないでくれよ」
ギルはひどい人間だ、という認識のままでいたかった。
なのに最後のあの言葉で、ほんの少しだけ、本当に少しだけ、わかってしまったのだ。
あいつにも人らしい頃があって。叶えたい夢や理想があったことが。
「……最後の最後に、俺を名前で呼びやがって」
俺は、勝利の雄叫びをあげるメイルがゆったりと飛行してるのを視界の端におさめつつ、深い谷底からわずかに顔をだしている青空を眺めた。