恐怖の象徴
壁から降りたところで消音魔法がかき消されたことが分かる。黒霧の効果だ。
ステルス魔法と強化魔法は浄化魔法をかけているから継続して発動している。ただ、魔力の消費が早くなっているような気はする。
外壁によって隠されていた城下町と王城。
なんだこれ。
人が、いない。誰一人。
かつて人がひしめいていた大通りも。
活気に満ちていた商店街も。
人の耳を楽しませていた楽器団も。
ひと際異様なのは、王城。
黒霧が濃すぎてほとんど見えない。
あそこが黒霧の発生源だ。尖塔から吹き上がっているように見える。
汗が噴き出す。湧き上がる唾液を飲み下すのに時間がかかる。
恐怖の感情は得体の知れなさからくるものだと実感する。
深呼吸を何度も繰り返す。
早く動かないとジリ貧だとは分かっているが。
黒霧に覆われた町に一人。
俺の隣にはいつだって誰かがいた。ティオ、ユキト、音波。
その存在の大きさに、心強さに今更気付かされるなんて。
かぶりを振る。
弱音を吐くのはここまで。足を動かせ。前へ進め。
音波に教わった歩行法で足音を殺しながら。
身体を動かしていると余計な感情が削ぎ落されていく。目的だけを見据えられる。
どれだけ進んでも人は現れない。まさか外壁の中には人っ子一人いない? ここは実はもぬけの殻で拠点は別に移っている?
様々な憶測が頭を巡る。
が、それは杞憂に終わった。
誰もいなかったから進行に支障がなく、予定より早く王城の前に辿り着く。
即座に身を隠した。
王城の周りを隙間なく竜が並んでいる。彫像のように微動だにしない。
その背に乗った竜契約者も同様だ。
まさに竜の壁。
だがそれが身を隠した原因ではない。
いくら濃かろうと霧は霧。至近距離まで近づけば実像が見えてくる。
巨大な竜が王城に取りついていた。
邪竜。ファーストインプレッションがそれだった。
心臓が口から飛び出そうなほどに早鐘を打っている。
嫌な予感はしていた。ずっと。邪竜グレイヴが頭にチラついていた。
パニックになりそうなところを気力で抑えつけ、もう一度王城の方を盗み見る。
よくよく見るとグレイヴより一回り小さい。形もところどころ歪だ。左右対称だったはずの角の長さが違ったり片翼が無かったり。その点グレイヴの姿は今思い返せば神々しさすら感じるほど完成されたフォルムだった。
これ以上近づけるのか。あの竜の壁を越えて。