ミーア
「……そうか。じゃあ俺は、アルに話す義務があるな」
「アルと呼ぶな」
「あ、はい」
一回この呼び方でいけたから、今後もいけると思ったのに。
落ち着いて話せるよう、ユキトがアルバートに待機命令を出した事務所へ移動する。
寮に併設されていた、小さな一軒家。その中の部屋の一つ。
油臭い。書類がそこらじゅうに乱雑に広がっている。こんあところでまともな事務作業が行えるのか?
俺の怪訝な表情から察したのか、アルバートがややばつが悪そうに口を開いた。
「ユキト様は片づけができないタチなのだ。加えて、事務作業にほとんど時間を割かず、兵たちと特訓ばかりしてきた。それでも成り立っていたのだから、事務作業はさほど重要ではなかったのだろうな」
あんなに統率の取れた訓練をしているものだから、さぞ徹底した管理下に置かれているものだと思っていたが、そうではなかったようだ。
「ユキト様は、兵士一人一人とのコミュニケーションにも時間を割かれていた。兵たちが交流できる場を作り、自らもそこに交じった。そうすることで末端まで漏らさず情報共有することができ、身分に関係なく意見を交わせる雰囲気を作った結果、統率の取れた組織ができあがった。ユキト様だからこそできた芸当だ。俺は、真似できない。だから、違うやり方を模索するしかない。俺なら兵たちを任せていいと、後任に選んでくださったユキト様の期待に応えねば」
事務所のイスに座る直前で止まり、真剣な表情でデスクを眺めている。
先ほど内示が出たばかりなのだ。まだ心の整理も、覚悟もできていないのだろう。
「ま、なんとかなるって。アルはユキトが直々に選んだ男だ。最初ははじめてのことばかり失敗するかもしれないけど、きっと上手くやれるって」
「気安く肩を叩くな。それにアルと呼ぶな」
つれないぜ。
「んじゃ、ギルのこと、話していきますかね」
事務所にあったソファに腰を下ろす。
アルバートは自身がどこに座るか迷ったようだが、目を閉じ、深呼吸をしてから、事務所のデスクについた。
「頼む」
「おう。まずは、どこから話せばいいかな。そうだ、ファーストコンタクトからにしようか。グレン王国をグレン帝国に塗り替えた皇帝の話は、どこまで聞いてる?」
「邪竜グレイヴに操られていた、哀れな男、という話しか流れてきていない。きっとそれは、他の高官たちも同じだ」
そっか。アレクのことは、公表されていないんだな。
「なるほど。何となく聞いてみただけだ。気にしないでくれ。で、話を戻すけど、俺は別の大陸から来た人間でな。困っているところをティオに助けてもらって、そのご恩を返すためにティオの近衛になったんだけど」
そういう設定にするよう、かつてティオ、俺、ユキトの三人で決めた。異世界から来たなんて誰も信じないし、信じたとしても厄介なことになり得るから。
言葉を続けようとしたところで、ドア越しに元気な足音が響く。
音からして、ちょうど事務所の前で止まったようで、次の瞬間、ドアが壊れたかと思うほど大きな音をたてながら、何者かが部屋に入ってきた。
「にいちゃんにいちゃんにいちゃ〜ん! ユキト様に呼び出されたって聞いたけど何かあったん!?」
パワフルに登場した、小柄な女の子と目が合う。
艶のある綺麗な黒髪。爛々と輝く紅い瞳。
さながらリトルユキトと言ったところか。ユキトと違うのは、瞳の形くらいか。ユキトが鋭いつり目に対し、この子はタレ目だ。
「誰だお前!?」
「それはこっちの台詞だ!」
ファイティングポーズをとってきたため、俺もそれに応じ見よう見まねで拳を構える。
構えが女の子の方が洗練されていたため、多分本気で殴り合ったら負けるな、と思いました。
それでも恐怖は感じなかった。なぜならこの子から殺気が発せられていないから。
「ミーア。ちょうどいい。お前も一緒に、こやつの話を聞け。……ギルバートの、話を」
「大にいちゃんの!? って、その徽章! 失礼いたしました!」
俺が胸につけている国賓証に今更気づいたのか、構えを解き、勢いよく頭を下げた。
「いや、面白かったから別にいいんだけども。それよりさっきからにいちゃんとかなんとか言ってるけど、君、もしかして」
「はい! あたし、ミーア・グレンといいます。ユキト様の従姉妹で、にいちゃ、アルバートの妹です」