草笛、懐かしきメロディ
マテリア王国とグレン王国の国境。そこは、俺とティオがはじめて出会った場所だ。
ちょうど国境ど真ん中のところでシルバにグルグル旋回してもらい、じっくりと景色を眺める。
「ちょっと懐かしい気がするような、しないような……」
ティオは目をきょろつかせながら、草原を見つめていた。
「何も思い出さないか?」
「うん。記憶は、何も」
「そうか」
懐かしい気持ちを僅かでも喚起させられたのなら、それで十分。
ただでさえ、ティオの記憶の中を占める俺の割合は少ない。期待はあまりできないのだ。こんなことなら、もっとティオと昔話でもしておけばよかった。
思い返すと、ティオの幼少期の話を聞いたことは、ほとんどない。あるのは、アレクとの思い出くらいか。
話したかった。もっとティオのことを知りたかった。なぜ俺はティオと色々なことを話してこなかったのか。今になって悔やまれる。
高をくくっていたんだ。またすぐ会えるって。邪竜を倒して平和が訪れ一件落着。そうやって仮初めの平和にあぐらをかいていたのだ。
不変なものはない。ましてやここは俺の住む現代日本ではなく異世界。考えが、足りなかった。
「カエデ、辛そう」
俺の後ろにしがみついているティオが身を乗り出してのぞきこんでくる。記憶を失う前から、こういうのに敏感だったな。
「ちょっとな。記憶を失う前に、もっとティオと話しておけば、記憶を取り戻すきっかけを掴めたのに、と思って。この話は、今のティオには関係ないよな」
「……そう、だね。ねえカエデ。このまま私の記憶が戻らなかったら、どうする?」
強く、俺の胴をつかむティオ。震えているのが腕をつたって伝わる。
このまま記憶が戻らなかったらどうするか、か。
ティオは王族。見た目からすぐ身元が割れる。
城、家族の元に戻すか。ただならぬ状況の今、それは危険だ。それに記憶を失う前のティオは実家(?)の人間たちを快く思っていなかった。今は亡きアレクを除いて。
人里離れた土地で慎ましく暮らすか。最期まで見つからないようなところを見つければありだろう。
「どちらにせよ、俺はずっとティオと一緒にいるだろうけど」
「んふっ!?」
後ろから変な声が漏れた。
「どした?」
「なんか私、今、カエデにプロポーズされたような気がしたんだけど」
「えっ!? や、そういう意味ではなく! うん、でもよく考えるとそういうことなのか? 俺にもよく分からん!」
「ええ!?」
これ以上話すと気まずくなりそうなので、俺はシルバに着陸するよう指示を出した。
降り立った俺は、早速草原に大の字で倒れ込む。
ここにはじめてきた時、こうして大地を感じたものだ。いつやっても、気持ちがよい。
ティオも俺を真似て、隣に倒れ込む。
しばし、穏やかな時間が流れた。
風の音。葉のこすれる心地よいしらべ。
と、のんびりするために降り立ったわけじゃなかったんだった。
起きあがって、ちょうど良さそうな葉を探す。
お、あったあった。これくらいので練習してたんだよな。
「カエデ。どうしたの、葉っぱなんか持って」
「こうするんだよ」
葉を口にあて、息を吹き込む。
自分の世界に返ってからずっと練習していた。
度々頭の中で再生される、大事なメロディ。
節目節目にそのメロディはあった。
どこか懐かしさを感じる旋律。憂いを帯びた音の粒。
集中していてティオの様子は見ていない。
だから、演奏し終わった後、ティオの顔を見て驚いた。
碧眼から変化した、紅い瞳。そこから一筋の涙が伝う。
「ティオ!?」
「なんで、私、あれ、なんか……痛っ!」
何かを思い出しかけていたティオが、頭を押さえてうずくまる。【竜の爪痕】が赤く光っている。
「考えるな! 深呼吸!」
以前にもあった発作。重要なことを思い出しそうな時に起こる現象。
背中をさすってやり、なんとか落ち着きを取り戻させていく。
「ごめん。肝心な時に、こうなっちゃって」
「仕方ない。原因が分からないんだ。これから行く先で何かヒントを得られるかもしれない」
太陽が沈む方向へ目を向ける。
グレン王国。頼れるのは、あの国しかない。
そろそろここを離れようと言おうとした時、急に俺とティオの身体が浮き上がった。
「うおっ!?」
「きゃあっ」
犯人はシルバ。俺たち二人をつかみ、急上昇する。シルバが簡易的にステルス魔法をかけたのに気づいた。
「ーー顕現せよ。契約に従い古より君臨する其の偉大なる力を我が元にーー光曲の銀鱗粉」
重ねがけし、発動時間延長。
「いきなりどうしたんなシルバ!」
『見えたのだ。戦闘装束に身を包んだグレン王国兵たちがな』
眼下を見やると、国境付近に小隊規模のグレン王国兵たちが、竜を伴ってこそこそ動いているのが見えた。
「なんで国境近くに、あんな物々しい格好で……これじゃあグレン帝国時代と同じじゃないか」
何が起こっているんだ、一体。