宿にて
そんなこんなで宿まで移動する俺たち。
頭の中で今後の予定を考える。
明日はどこに行こうか。
真っ先に浮かぶのは、国境線の近くにある森の中の、あの思い出深い場所。
そう。ティオの兄、アレク・マテリアとその恋人で俺の恩人でもあるリーサが眠っているあの場所だ。
きっと何か思い出してくれる。そんな確信があった。
俺自身もあいさつしに顔を出したかったっていうのもあるしな。
数か月ぶりにこの町を歩くが、だいぶ復興が進んでいる。
ギルとカイルが残した爪痕はいまだ生々しく残ってはいるが、もう十分すぎるほどの活気が戻ってきていた。
相変わらず夜遅くだというのに多くの人で賑わっている。
石畳を踏む感触も久しぶりで、なんだか最初にティオと並んでこの道を歩いたときを思い出してしまった。
『天使のほほえみ』とかいう不気味な外観に似合わない店で一緒に旅をしようと決め、そのあと宿探しをしようとここを歩いていたあのとき、ティオは変な歌を歌いながら上機嫌で俺の前を歩いていて。
隣をちらっと見ると、ティオはそこら中をきょろきょろ眺めていて落ち着かない様子だった。記憶がないから、はじめてくる場所として認識しているのだろう。
……いけない。こんなことでいちいち寂しがっていたんじゃ今後もたないぞ。俺がしっかりしないでどうするんだ。
「ここは以前、ギルとカイルという、グレン帝国の中でもトップクラスの竜契約者に襲われてな。これでもかなり元の外観に近づいてきたんだ」
「そう、なんだ。そのときは私もここにいたの?」
「ああ。騎士団と協力してこの町を守るんだーって言ってな。当時俺はめちゃめちゃ弱くて、いや今もか、それで足をひっぱちゃって、そのときは結局倒しきれなかった」
「私ってそんなに正義感にあふれてたのね」
「おう。俺なんかよりもずっと勇敢で、強かったよ」
そんなことを話しながら、この町にはじめてきたときに泊まった宿を目指す。
あえて、あのパレード襲撃事件については詳しく話さなかった。ティオの妹、クリスのことはまだ伏せておきたい。ティオは、クリスが死んだのは自分のせいだと思い込んでいる節があるからな。ふつうの人でも、悲しすぎる記憶は意識的にしろ無意識的にしろフタをしてしまうものだ。記憶喪失の状態では危険かもしれない。
だから、アレクの墓に行くのも一種の賭けだ。
ティオにとって、兄の記憶は思い出したくないほど悲しいものなのか。
そうじゃ、ないはずだ。しっかりお別れをして、自分の想いに区切りをつけたティオは、どこか晴々していた。
頼むよアレク。かわいい妹のために、力を貸してくれ。マテリア王とかはあてにならない。頼れるのはお前だけなんだ。
街灯が少なく、入り組んだ道のなかほどに、あの宿はあった。
「いらっしゃい……おや、懐かしい顔だ。今日も前と同じく1部屋でよろしいかな?」
一瞬考える。今のティオに俺と2人で泊まれというのは酷だ。向こうにとっては初対面であるはずの男と同じ部屋なんて。
でも、記憶を取り戻すきっかけになるかもしれない。うん、そうにちがいない。
「はい。それで」
そう。俺はティオの記憶を取り戻すために1部屋にしたのであって決して下心なんてない。断じてない。ないったらないもんね! ……そんな冷たい目で見ないでホントだよ?
「ということでだ、ティオ。まあいつもどおりに1部屋だけとった」
「何がということでなのか全くわからないんだけど。え、まさか私とカエデってそんな関係、だったとか?」
「いやいやいや違います違います変な誤解を抱かないで距離をとらないで!」
本当にそんな関係じゃないのに。自分で言ってて悲しくなるけども。
「じゃあなんで1部屋だけなの?」
「まあそれは色々ありまして。あ、記憶失う前のティオは俺と一緒に寝ると安眠効果があるとか言ってました、はい。……いやいやウソじゃないからそんなに距離をとらないで! 俺は床に毛布敷いて寝るから!」
「まあ、それなら。全く、恋人関係ってわけでもないのに同じベッドで寝るとか記憶を失う前の私は何を考えてたんだか」
「はっはっは、おっしゃる通りで」
確かによく考えてみたら信じられないことだ。といっても俺たちは相棒同士であって、文字通り寝食を共にすることで結束を固めてきたと言っても過言ではなーい。
それにしても、やっとティオの緊張がほぐれてきたな。口調、しゃべりがくだけてきている。変に距離をとらず、記憶を失う前のティオに接するのと同じように接したのが功を奏したのかもしれない。
「じゃあ、早く部屋に行きましょう。少し、疲れちゃった」
「おう」
そりゃ疲れるだろうな。記憶がなくなって、まわりははじめて見るものばかり。おまけに俺とかいうよくわからんやつと行動を共にしてるんだから。
意外にもきれいにベッドメイキングされている部屋に入り、まずどちらが先にシャワーを浴びるかという話になった。
「ティオ、使い方も忘れてるだろう? よぉし俺が一緒に入って使い方を教えって冗談! 冗談だからその魔法陣ひっこめて!」
「ねえカエデ、あなたっていつもこんな感じだったの?」
「まだあと2割くらい暴走できる」
「記憶を失う前の私、さぞかし疲れてたんだろうな~」
「まあいつも顔を真っ赤にして怒ってたな。あ、でもオシオキしてるときは活き活きしてた」
「わ、私も私ね……」
で、結局ティオが先に入ることになった。
おまたせしました神聖なる紳士の諸君。フィーバータイムだ。いざ突撃! なんてことはもちろんなく(ヘタレですみません)、ただただシャワールームから聞こえる音を聞かないようにベッドに寝転がる。煩悩は退散だ。ヘンなことしてみろ。記憶を取り戻した暁には俺の命がないかもしれない。
「き、きゃー!」
突然、浴室の方から叫び声があがる。
俺はベッドから飛び降り間髪入れずに浴室に向かう。
ティオの記憶が人為的に奪われたとしたら。ティオが、危ない。
「どうしたティオ! 追っ手か!?」
「は、排水溝からなんか黒くてカサカサ動いている虫、が……」
時が、止まる。
そう、例えるなら神秘的かつ獰猛な動物と目があったときのように。
うん、でもあれだよね。ティオってやっぱり肌がとてもキレイだし胸はユキトほどじゃないけどスタイル抜群だしよくできた彫刻を見てる気分になるよねそう俺は決してそういういやらしい観点からではなく1つの美術品を鑑賞するといういたって健全で純粋な想いで見ているのであって
「すいませんでしたぁ!」
「……ふ、ふふ、ふふふ。ふふふふふふ」
次の瞬間、当たり前のように俺の身体が宙を舞う。
ああ懐かしきこのやり取りよ。記憶を失っていてもやはりティオはティオだった。
俺は最低限の竜魔法を使って壁をぶち抜かないように勢いを殺し、罰になる程度のダメージを負っておいた。
どうだ、過去の俺にはこんな芸当できなかっただろうふははははガハッ!
意識を取り戻したのはこの数秒後である。よかった、俺まで記憶を失わなくて。