蒼銀の竜契約者
やわらかな日差しがふりそそぐ、その場所。
小鳥のさえずりと、木の枝がこすれる音。
そよそよと頬をなでる風。
草笛から流れ出る寂しげなメロディ。
いつかの日と同じようにすぐ声はかけず、その音色に聞き入る。
アレクが作曲したという名も無き曲は、やはり何度聞いても寂しさに満ちていて。
「……もう、ソーマ、いつも言ってるでしょ。そんな隠れて聞いてる必要ないって」
「ティオの集中力が乱れたら嫌だからな」
ここは、すべてのはじまりの場所であり、終わりの場所でもある。
大樹のみ存在していたここに、最近新たにとある男女の墓碑が加わった。
ここにあの2人の墓があることは俺とティオしか知らない。
滅多に人が訪れない、静かな場所。
ここなら安らかに眠れるはずだ。
俺は小さな墓碑の前でひざをつき、手を合わせる。
アレク、リーサ。俺、自分の世界に戻るよ。
こっちの世界とあっちの世界の空は違うかもしれないけれど。
どうか、見守っていてほしい。2人が見てるって思うと、俺、頑張れる気がするんだ。
また、来るから。
そう心の中でつぶやいて、合わせていた手を解く。
「あいさつは終わった?」
「ああ。また来るからって言っておいた」
「そう。じゃあ、行きましょうか」
ティオも俺もこの場所から出る前に一度立ち止まり、墓碑をじっと見つめる。
微笑んでいる2人が、見えるような気がした。
より安全に元の世界に戻るためには、来たときと同じところに転移魔法を使い、ゲートを開く必要があるらしい。
ここから少しだけ歩いた位置にゲートを開く。先程まで俺が寝転がっていた場所だ。シルバが待機してくれている。
次に会う日までティオと話せるタイミングは、今しかないのだ。
あの日からずっと、何度もティオに「好きだ」、と気持ちを伝えようとした。
でも、結局言えずじまいでここまできてしまった。
あああなんで言えないんだ俺。こんな気持ちになったのははじめてだから自分自身戸惑っていて踏ん切りがつかない。
さあ、言え。言うんだ。
「なぁティオ、ちょっと話があるんだけど」
「なにかしら」
「あのさ……俺、思い出したんだ、昔のこと。小さいころ、この世界に来たことがあるっていうことを」
無理でした。まあこっちも言わなきゃいけなかったことだし、いいか。
これには驚くだろうな、と思っていたが、予想とは裏腹に納得したような表情をしていた。ティオの反応にむしろ俺が驚いたくらいだ。
「やっぱりそうだったのね。うん、知ってた。ソーマが、あの男の子だったのよね。パーティを抜け出したあと偶然出会って、一緒に遊んで、そのとき私の命を救ってくれた、男の子」
この世界にきてはじめて入ったあのお店でティオが話してくれた、異世界からきた男の子の話。そのときティオに、俺がその男の子なんじゃないか? と聞かれたが、きっぱり否定した。全く覚えていなかったから。
結局、ティオの予想は当たっていたわけだ。
「でも最初に話したとき、否定したぞ? その男の子は俺じゃないって」
「うん。違うって言われたけど、私は絶対ソーマだと思ってた。きっと忘れてるだけだって。だから初対面のあなたにも自然体で接することができたんだと思う。だから、いきなり相棒になってとか、図々しいこと、言えたんだと思う。なんとかして恩返しがしたかった」
そう、だったのか。
俺自身も初対面のはずなのになんか接しやすいなぁと思っていた。無意識に小さいころのことを思い出していたのかもしれないな。
「俺も、同じだ。はじめてなのに妙に気が合うなって感じてた」
「全く、こんな大事なこと忘れるなんて勘弁してほしいわ。……ちゃんと思い出してくれて、よかった。これで確証が得られた」
隣を歩いていたティオが足を止め、俺の目を見据える。
「遅くなっちゃったけど。とてもとても遅くなっちゃったけど。あのとき、私と遊んでくれて、命を救ってくれて、ありがとう。生きていてくれて、ありがとう。あなたのおかげで、今の私があるの」
真摯なそのお礼に、胸をうたれる。あのとき身をていして助けたかいがあるってものだ。
「……どういたしまして。俺からも礼を言わせてくれ。突然異世界に放り出されて右も左もわからず、不安でしょうがなかった俺に声をかけてくれて、ありがとう。それに今までに何回か言ったかもだけど、再びこの世界に来てすぐに魔獣に襲われたとき、助けてくれてありがとう。そのおかげでこうして生きて帰ることができる」
俺だって助けられた側なのだ。ティオばかりが気にする必要はない。
「どういたしまして。あーすっきりした。これで前に進めるわ」
「前って?」
「それはあとでわかるから。それより、どうやって谷底から生還したの?」
そう聞かれたので、俺はついさっき思い出した一連の出来事を語った。
ティオの代わりに谷底に落ち、地面に衝突する寸前にシルバに受け止めてもらったこと。そのあと竜契約し、転移魔法で元の世界に戻ったこと。
「そうだったのね……。シルバに感謝しなくちゃ」
「まったくもってその通りだ。あいつと出会わなければどうなっていたかわからない。それ以外にもたくさん助けられたしな」
「偶然そこにシルバがいて本当によかった。しかも伝説の中だけの存在だと思われていた銀竜種の末裔……ソーマの強運には毎度毎度驚かされるわ」
「きっと前世の行いがよかったんだな」
「そういうことにしておきましょうか」
「あ、軽く流された」
途中しんみりしたものの結局いつもの軽口合戦がはじまり、あっという間に転移地点に辿り着いてしまった。
はじめてこの世界にきたときに踏んだ大地。
邪竜との戦闘のせいでところどころ荒れてはいるものの、広大な草原はほぼあのときのままだ。
俺はこの風景に心奪われた。
この世界にきてから、色んなことがあった。
ティオに助けられ、魔法を覚え、ユキトやカメリアたちと出会い、別れ、魔獣やカイル、ギルと戦い、邪竜グレイブを倒した。
忘れることなんてできるはずもない。
忘れてちゃいけないこともたくさんある。
自らの胸元をぎゅっとつかんで、思い出を刻むかのように今までの出来事を反芻する。
しばらくそうしたあと、空気を読むのがうまいシルバが口をひらいた。
『主よ、こちらの準備は整っている、いつでも送り出せるぞ』
「了解。ありがとうな、シルバ。それと、ごめん。俺、またいなくなる」
『でも、戻ってくるのだろう? 我は待つのが何よりも得意だ。我のことは心配しなくていい』
気遣いのできるいい子ちゃんだよほんと。もっとわがまま言ってくれた方がかわいげがあるっていうのに。
シルバの隣にはメイルがぴったりと寄り添っていた。シルバは迷惑そうな顔をしていたが、メイルは満足げな顔をしている。……うん、2頭とも、色々頑張ってくれ。
「じゃあメイル、俺、帰るよ。俺を乗せて飛んでくれたり、ギルとの戦いのとき助けてくれてありがとうな。また戻ってくるから、そのときも仲良くしてくれ。マッサージもたっぷりしてやるからな」
「きゅい~」
そう鳴きながら頭をすりすりさせてくる。
「メイル、なんて言ってるんだ?」
原則、竜の言葉を聞けるのは契約者のみだ。だからティオにメイルがなんて言ってるかたずねてみた。
「早く帰って来てね。またおにぎり食べたい、だって。あ、私もまた食べたいかも」
「そ、そんなこと言ってたのか……。俺はティオの料理食べてみたいけどね」
「ふっふーん、そう言うだろうと思ってサンドイッチを用意してあるのよ! でも今食べちゃだめだからね。俺が作った方がおいしい、とか言われたくないから」
「え~いいじゃん今食べたい」
「だめったらだめ! 向こうの世界でゆっくり味わって食べなさい。感想はまたこっちに来たとき聞くわ」
「はいよー」
内心めちゃめちゃテンションが上がっていました。早く食べたいけどここはグッと我慢。
さあ、そろそろ行かなきゃ。話したいことはこの数日で話しつくした。お互い、ティオ(ソーマ)が相棒でよかった、とかそんなことを。あとは、去るだけ。
「じゃあな、ティオ。また次、冬休みあたりには来れると思うけど、それまでお別れだ」
「ええ。あんまりこの私を待たせないことね。……寂しく、なるから」
「俺も寂しくなるな。隣でぎゃーぎゃー騒ぐ相棒と離れるとなると」
「もうなんでこんなときまでそういうこと言うのよバカ! ……これ、持っていきなさい」
ひょいっと差し出される、エメラルドのはまったネックレス。
「こんなものもらっちゃっていいのか?」
「いいのよ。それ、あんたとデー……いや、買い物したとき買ったやつなの。それを私だと思って肌身離さず身につけておくこと! いいわね!」
「いや、さすがにお風呂まではちょっと」
「そういうことを言ってるんじゃなーい!」
「わかってるって。……ありがとな。大切にする」
「ん。よろしい」
俺は、ティオの瞳と同じ、深い翠色をしたエメラルドのネックレスを受け取る。
カメリアたちからもらった外套を羽織り。
リーサが作り、アレクが身につけていたマフラーをまき。
懐にはユキトからもらったレシピをしのばせ。
胸元にはティオからもらったネックレスをさげる。
よし。準備は万端だ。
「シルバ、もう一度こっちの世界に戻るときは【竜の爪痕】にありったけの意識を集中させればいいんだよな?」
『そうだ。そうすれば主のタイミングでこちらに戻ってこられる。緊急事態の際には何の予告もなくこちらに呼び寄せる可能性はあるが、まぁ大丈夫だろう』
「本当に大丈夫なのかな……。まあいいや」
『そうだ、主よ。我からも贈り物がある』
そう言ってシルバは口にくわえていたものを差し出してきた。
「これは……鱗?」
手のひらに収まるくらいの、銀色の鱗。鏡みたいにピカピカで、でも深みがあって見ごたえがある。
『そうだ。我の中で一番お気に入りのやつ。磨けば磨くほど光るぞ』
「このままでもきれいだけどなぁ。ちなみにどの部分の鱗?」
『それは秘密だ』
「秘密なの!? 気になるんだけど!?」
『はっはっは、頭のてっぺんのやつだから問題あるまい』
「だったら最初からそう言ってよ!」
『主と同じくふざけるのが好きだからな。そ、その鱗を私だと思って肌身離さず身につけておくこと! だったか?』
「シルバそれティオに聞かれたらぼこぼこにされるぞ……。んじゃ、ゲート、よろしく頼む」
『うむ。主よ、どうかお元気で。ケガなどされないよう』
「おう。シルバもな。元気で」
目の前に俺の身長くらいある銀色の渦が現れる。
「ソーマ、じゃあね」
ティオが手を差し出してくる。
俺はその小さく華奢な手を、力強く握る。
さらさらと流れる、金色の髪。
長いまつげに、大きな翠色の瞳。
見るものを釘付けにする、天真爛漫な笑顔。
しばらく見納めだ。目に焼き付けておこう。
「じゃあな、ティオ」
お互い名残惜しそうに、けれどきっぱりと手を離す。
帰ろう。俺のいるべき世界に。
ティオたちに背を向け、ゲートに足を踏み入れようとして、直前で止まる。
まだ、言ってないじゃないか。好きだって、伝えてないじゃないか。
いつしか俺の中で芽生え、本人の知らないうちに育っていった、その気持ちを。
伝えようと、言葉にだそうと振り向こうとした、そのとき。
強く肩をつかまれ、強制的に振り向かせられる。
そして訪れる、あたたかなやわらかさ。
目の前には、いつ見ても飽きない、いまやもう安心感さえ湧き上がってくる、ティオの綺麗な翠色の瞳。
何秒たったのだろう。3秒、それとも60秒だろうか。
時間感覚が狂うほど、それは甘く切なくて。
終わりの瞬間は、ティオによって訪れた。
顔を離し、強い意志をこめて見つめてくる。
「ソーマ、私はね、あんたのことが好き。大好きなの。だから、もっと早くこっちの世界に帰ってきなさい! 返事はそれまで待っててあげるから。光栄に思いなさい、私にここまで言わせたことを! ……じゃあね、私のかけがえのない相棒さん」
そう言って俺の肩をドンと押し、半泣きだけれどとびっきりの笑顔で手を振ってきた。
返事なんて、とっくに決まってるのに。
俺から言うつもりだったのに。
先に言われちゃったよ。
いつもそうだ。
いつだってティオは俺の数歩先を進んでいる。
いつか隣に立てる日がくるだろうか。くるといいな。
そんなことを考えながら、俺は、むこうの世界につながっているゲートに吸い込まれていくのだった。
これにて完結です。ここまで読んでいただきありがとうございました。
2018年2月追記……不定期で続編更新するかも、です