数日後、帰還当日
そして、あの日から数日が経ち。
俺は、国境線近くの草原に寝転がっていた。
特にすることもないため、ここ数日の出来事を思い出す。
あの日邪竜が倒され、皇帝がいなくなったグレン帝国はユキトに返還され、名称がグレン王国に戻った。
領土の一部をマテリア王国に差し出したものの、大部分はそのままだ。
この一件でマテリア王国とグレン王国は何百年ぶりに友好条件を結ぶこととなった。
条約を結ぶのにユキトの尽力が大きかったのは間違いない。
ユキトは父親、前グレン国王のやろうとしたことを、成し遂げたのだ。
あの日、あとから俺たちに合流し、アレクの亡骸を見たユキトは、俺たちに感謝の言葉を告げた。父上の仇をうってくれてありがとう、と。
俺たちは何も言わず、ユキトもまたそれ以上は何も言わなかった。
ティオにとってのアレクとユキトにとってのアレクは全く違うもので、わかり合うことはないだろう。
だから話し合う必要などはなく、黙っていることが賢明なのだ。人には色々な側面があり、ある人にとっては善人でも、ある人にとっては悪人かもしれないのだから。
大きな出来事はそれくらいで、あとは穏やかな日々が続いた。
ティオと買い物したり、マテリア王国の名所をまわったり。
グレン王国に遊びに行ったら、ユキトにやたら誘われたな。一緒にグレン王国を立て直してはくれないか、って。もちろん丁重にお断りした。そんなガラじゃないし、元の世界に戻らないといけなかったからな。
そう言ったらひどく落ち込んでしまった。しまいには王族に迎え入れるだとかなんとか意味のわからないことをぶつぶつつぶやき始めたのでそっとしておくことにした。
俺はあと何日かしたら元の世界に戻るけど、長期休みには必ずこの世界に遊びにくると約束をし、その日は別れた。
そのときは俺の世界の本を何冊か持ってこよう。知識欲旺盛なユキトならきっと喜んでくれるはずだ。
ユキトに会いに行った次の日に、2人でカメリアたちの村を訪れた。
この世界を離れる前に、お墓参りをしたかったから。きっとこれからもこっちの世界と元の世界を行き来するたびにここを訪れることになるだろう。花をそえるかたわら村のみんなに話もしたいしね。
そのときのことは克明に覚えている。会話の1つ1つすら――――。
――無事な民家を2人で掃除し、一息つこうとお昼休憩をしたとき、ユキトがシチューをつくってくれた。
一口食べてすぐにわかった。これは、ローリエさんのシチューだ。
ユキトが味を完璧に再現してみせたのだ。
スプーンを口に運ぶたびに、ぽたぽたと涙が落ちる。
懐かしい味。思い出の味。失われたはずの味。
「ソーマは本当に、泣き虫、だな……ぐすっ」
「ユキトだって泣いてるだろ……うん、おいしい。おいしいよ、とても。やっぱりこのシチューはいつ食べてもおいしいなぁ……おいしい、なぁ」
涙は流れていても、お互い笑顔でシチューをかきこむ。もちろん何回もおかわりした。
「これ、俺もつくってみたいな……ユキト、悪いんだけどレシピ、つくってくれないか?」
「そう言うと思って用意してある。そっちの世界の食材とは若干異なるかもしれないが、大部分は問題なく再現できるだろう」
「さすがユキト。ありがとう。大切にする。元の世界に戻っても、何回も何回もつくるよ」
「ああ、そうしてくれ。……ソーマ、次こっちの世界にきたら、またこうして一緒にシチュー、たべような」
「もちろんだ。そのときは俺もつくるの、手伝うよ」
お腹もいっぱいになり、掃除も大方終わったところで、広場に足を運ぶ。カメリアが眠っている、場所へ。
ボロボロで、子どもサイズの剣が俺たちを出迎えてくれる。
カメリア、久しぶり。今日はあることを報告しにきたんだ。
俺、邪竜を倒すことができたよ。たくさんの人を、救うことができたんだ。
カメリアの言っていた、立派な戦士に、少しは近づけたのかな。
また、必ず戻ってくるから。それまでしばらく、お別れだ――。
――――いけない、また涙がでそうになってしまった。こんなんじゃまた泣き虫だってバカにされてしまう。
懐のレシピを取り出して、ながめる。
もう見すぎで覚えてしまったけれど、ユキトのきっちりかっちりした手書きの文字と、変なイラストが面白くてつい何度も読んでしまう。
元の世界に戻ったら、音波にも食わせてやろう。世界一おいしいシチューだって言いながら。
そう、音波。あの妹、じゃなかった、幼なじみさんについても色々あったんだ。
あの日の夜、くたびれた様子の音波と再会することができた。
心配していたが、保守派はなんとか急進派をおさえこむことができたそうだ。
戦いが終わってすぐ新体制に向けて動きはじめ、両親からこき使われて会いにくるのが遅れたらしい。
今だ信じられないんだけど、音波の両親、夜霧の幹部なんだよなぁ。音波もこのままいけば幹部入り間違いないらしいし本当おそろしい。何がおそろしいかって音波のみならず音波の両親も俺を夜霧、ひいては家族に引き入れようとしてくるのだ。
何回も断っているのだが聞く耳をもってくれないしアヤシイ魔法かけてくるし(もちろん防ぎました。竜人化するとこだった)、これは元の世界に戻っても苦労しそうだ。
そういうわけで音波はまだまだこっちの世界にいなければならず、新学期のはじまるギリギリまでこっちに残るらしい。宿題を見せてほしいと泣きつかれてるし、一足先に戻る俺がちゃんと終わらせておかないと。
まさに今日、俺は元の世界に帰る。
「ほい、シルバ。お手製サンドイッチだぞ」
ひょいっと下の方にあるシルバの口元に放り込む。
シルバの大きな身体は寝転がるには最適で、お気に入りなのは翼の付け根のあたり。今もそこで横になっている。
『おお、かたじけない。いただこう。……う~ん、いつ食べても主がくれる食べ物はおいしいな』
「そりゃよかった。そうだ、気になってたんだけどメイルやグランのことどうするの?」
『どうするの、とは?』
「いや、どっちと付き合うのかなーと思ってさ」
この竜、なんとメイルとユキトの契約竜のグランの2頭から同時にアプローチを受けているのだ。
まずあんなにいかつくて男前な見た目のグランがメスだったことと、一番メスっぽい見た目をしている音波の契約竜、シンがオスだったことが衝撃だったんだけどな。
『今のところそういうことは考えていない。よくわからぬのだ。だから付き合うもなにもない』
「か~、羨ましいやつだ。美人さん2人からアタックされてるのに」
シルバに教えてもらったのだが、人間風に言うと、メイルは童顔系のかわいらしい子で、グランは反対に大人っぽいお姉さんタイプらしい。うん、実にわかりやすい。てか羨ましい。
『主に言われたくはないのだが……』
「なんで? 俺なんて生まれてこのかたモテたことなんてないぞ?」
『……はぁ、わからないのならもういい。主は筋金いりだな。ある意味尊敬する。そしてあの人間の女性たちには同情を禁じ得ない』
「? たまにシルバってよくわからないこと言うよな。まあいいか、ほれ、追加分。鶏肉いりだぞ。それにシルバの好きなマスタード風味」
『やったぁ! ……ごほん、失礼』
「なぁ、その口調ってキャラ付けなの? それとも中二病?」
『断じてそのようなものではない! 母が言葉遣いに厳しくて……。もうこの話はいいではないか。それより主よ、こうしていると思い出さないだろうか? 我と契約を結んだあの日のことを』
「それずっと疑問だったんだよ。こっちの世界に偶然来て、気付いたら契約したことになってたし」
『そもそも主が今回こっちの世界に来たのは偶然ではない。邪竜の復活が確認されてから、我だけでは対抗できないと判断し、主を呼んだのだからな』
「え、そうだったのか!? なんで言ってくれなかったんだよ!」
『余裕がなくてそれどころではなかったではないか。それに、1回目に来たときは本当に偶然だった。主よ、思い出してくれ。我と主とは昔、お互いに幼いころに会ったことがあるのだ。そのときも主は腹をすかせていた我に食べ物を与えてくれた』
なん、だって。でもそれならすでに契約済みなのにも納得がいく。
「もっとそのときのことを教えてくれ」
『うむ。我はそのとき母竜とはぐれてしまっていた。腹がすいて動けなくなった我は谷底で休むことにしたのだが、そのとき頭上から1人の人間が落ちてきたのだ。それが主だ。なんとか抱き留めることに成功して、それからは種族の壁をこえてじゃれあった。その中で主が、我が腹をすかせていることに気づき、背負っていた黒いカバンのようなものから食べ物を取り出して、食べさせてくれたのだ。当時の我はその行為にいたく感動し、契約を結ぶ運びとなった』
黒いカバンのようなもの、って多分ランドセルのことだよな。
小学生、それも低学年くらいのとき……。俺が1日行方不明になったのも確かそのあたりだったはずだ。
草原。崖。谷底。そして、竜。
何か、思い出せそうな。
『契約を結び、晴れて契約竜となった我は主と会話した。人間と接触したのははじめてでたくさん話をしたのだが、会話の中で主が自分の家に帰りたがっていることを知ってな。覚えたての転移魔法を発動してみたのだが、成功してしまった。そのあと母と合流して経緯を話した。ひどく怒られたよ。もっと契約者は真剣に選ぶべきだし、どこか別の世界の人間だなんて考えられない、と。でも我はこれっぽっちも後悔していなかった。もちろん今も』
「思い、出したぞ! そうだ、確かに俺は一度だけここに来たことがある! そのときも広大な草原に感動して……なんで、忘れてたんだろう」
『だいぶ昔の出来事ということもあるが、つたない魔法のせいで一時的に記憶が封印されていたのかもしれない。でも、よかったぞ、思い出してくれて』
「ああ。記憶の糸口を引っ張ったらイモづる式に色々思い出してきた。あのとき、給食ででたレーズンパンが嫌いでランドセルの中に隠してたやつをあげたんだ」
『ただの残飯処理だったのか!? 知りたくなかった……』
「この世には知らない方が良いこともあるのさ」
そしてシルバと出会う少し前、はじめてこっちの世界に足を踏み入れたときのことも思い出した。短い間だったけど、一緒に遊んだ、女の子のことを。
このことを伝えなければ。
腰をあげ、シルバの上から飛び降りる。
草原から森の中に歩を進め、ある場所へと向かう。
今だに迷いそうになる。えーと、確かこのあたりだったような。
あたりをつけて歩いていたら、不意に草笛の音色が聞こえてきた。
耳に心地よい旋律。
それを道しるべにしながら進み、数十秒たったところで目的地に到着した。