いつか、きっと、再び
最後の言葉を交わそうとしたとき、すぐ近くに竜が降りてくる音が聞こえてきた。
蒼い、蒼い竜。
「やったわ、グレイヴの本体を倒すことができた! ソーマ、兄さん、は……」
そうか、グレイヴの本体を倒せたのか。みんな、やり遂げたんだな。
あとは、アレクの魂に癒着したグレイヴの魂のみ。本体がなくなり、魂の力も弱まっているのだろう。アレクが完璧に意識を保っていられるのだから。
意識の中だけの世界から一旦現実世界に戻り、ティオと話す。
「アレクは、自ら死を選んだ。グレイヴの魂を連れて……」
「そ、んな……せっかく、せっかくグレイヴを倒せたのに! なんで、なんで兄さんが死ななきゃいけないの!」
俺には、答えられなかった。こんなティオを見ていられなかった。
だって、ティオにとって、お兄さん、アレクの存在は生きがいだったのだ。
そのために家をでて、何年もメイルとともに旅をしてきて。
俺が一緒に旅をしたのはとてもとても短い時間だったけど、クリスの死や、アレクが失踪中に何をしていたか知ったときなど、ティオが傷つくのを何度も見てきた。
それでも、諦めなかったのだ。その結果が、これだ。
俺の旅の目的は、最初はこの世界のことを知りたい、だったが、いつしかティオの目的を叶えてやりたい、になった。だからこの結末は、俺の旅の終着点でもあるのだ。
俺が黙っていると、代わりにアレクが口を開いた。そうだよ、俺なんかよりよっぽどアレクの方が話したいはずだ。血のつながった妹なのだから。
「ティオ、すまない。城で再会したとき、ひどいことを言ってしまったな。グレイヴと意識が混同していたとはいえ……。最後に、お前に伝えておきたいことが、ある。こんな兄の言葉だけど、耳を傾けてほしい」
「うん。聞か、せて。でもその前に私から言わせてほしいことがあるの」
「なんだい?」
すうと息を吸い込み、大音声で、言葉をたたきつける。
「にいさんの、ばかあぁぁぁぁああああ!!! なによ、血のつながった妹より彼女の方が大切だっていうの!? 私がどんな思いで兄さんを探し続けてきたか! それでなに? ひどいこと言って、最後の最後になって兄貴面? じょうだんじゃないわよ! それなら、最後まで妹のことなんか利用するだけの存在だとか思ってたひどい兄さんでいてよ……ずるいよ……あやまらないでよ……もっと気にかけてよ……優しくしてよ……ううぅ」
当時、幼い妹は除外するとして、家族の中で唯一頼れる、信頼できる存在が兄だけだったティオの叫び。
何年かぶりに大好きな兄に甘えられることができたんだ。短い時間だったとしても、それはティオにとってこれから先生きてく中で、宝物になるに違いない。
アレクはそれをただ黙って受け止め、ごめんな、ごめんな、寂しい思いをさせてごめんなと小声でつぶやいていた。
「ティオ、お前の想いは伝わったよ。ごめん。僕には謝ることしかできないんだ。この数年心配かけたことも、それに、実の妹であるクリスを、殺したことも」
「でもそれはグレイヴに意識を乗っ取られてたからなんでしょ?」
「確かにそのあたりの記憶はあいまいなんだけど、復讐のためならなんでもする、邪竜であるグレイヴだって受け入れると決めたのは僕自身なんだ。……もうそろそろ時間だ。こうやってもっと話したかったけど、今となってはもう遅い。次は僕が話す番だね」
宝玉が瞬く間隔がどんどん短くなり、光も目をこらさないと確認できないほどだ。
「いいかい、ティオ。もう僕にとらわれるな。君は、僕にとてもよく似ている。本当は心の底ではわかっていたんだろう? 僕が家に戻ることなどないということを。それでも君は僕を引き戻そうと家出してまで追いかけてきた。……僕は、もういなくなる。どうかこれからは僕の影を追うようなことなどせず、自分の道を、自分の足で、歩んで行ってほしい。わがままな兄からの最後のお願いだ」
「……本当に、わがままで自分勝手な兄さんなんだから。大丈夫。大丈夫よ。私はもう。今まで旅をしてきて、お城の中では経験し得なかったことを経験してきた。悲しい思いや苦しい思いを沢山してきたけど、楽しかったこと、嬉しかったことも数え切れないほどあった。今の私は、兄さんが出て行ったときの私とは違う」
それにね、と今までの真剣な語調とはうって変わってくだけた調子で続ける。
「自意識過剰なのよ、兄さんは。私が兄さんを追いかけてきたのは……そう、義理よ、義理。家族として道を外れようとしているのを止めようとしただけよ、うん」
うそがヘタだなぁ。このブラコンさんめ。
「……そうか、それは余計な心配だったね。これで心おきなく旅立てるよ」
「あ、言い忘れてた。あのね、兄さん」
「ん?」
「ダメダメな兄さんの代わりに、私が父様を説得するなり王位を継ぐなりして、身分違いの結婚を実現させるから。だから、安心して」
その言葉を聞いたアレクはぽかーんと呆けたあと、天使の羽毛のようにやわらかな微笑をたたえて静かにありがとうとこぼした。
ティオはえっへんと胸を張り得意げだ。すごいやつだよ。兄を心配させまいとあんなに気丈に振る舞って。
バレバレだよ。笑顔はひきつってるし、指先だって震えてる。
俺にわかるぐらいだからアレクはなおさらだろう。その意味もこめての「ありがとう」なのかもしれない。
「それと、別に兄さんのためだけってわけじゃないから。私のためでもあるのよ。なぜかっていうとね……」
ティオはこっちをちらりと一瞥してから内緒話をするかのようにアレクに耳元に唇を寄せた。ううむ、ここからじゃ聞き取れない。
ごにょごにょと話している間にティオやアレクが意味ありげな視線を送ってくるのですごく気になります。
「そうかそうか。やっぱりね」
「やっぱりってどういうこと!?」
「そういうことだよ。わかりやすいったらありゃしない。……ソーマ」
突然名前を呼ばれてびっくりする。
「うん?」
「ティオのこと、頼んだよ」
なんだ、そんなことか。
「むしろこっちからティオにお願いしたいくらいなんだけど……任せろ、お兄様。なんせ俺はティオの相棒だからな」
「それは頼もしい。どうかこれから先もずっと相棒でいつづけてほしいな」
「? うん、そりゃもちろん」
「ちょっと兄さん!」
「はは、いいじゃないか」
なんか俺だけどこかズレてるような気がするけど、2人が幸せそうだからいいか。
「さぁ、今度こそお別れだ。……ソーマ、改めて礼を言わせてくれ。ありがとう。僕を止めてくれて。とても感謝している。だから、僕を刺したことは気にしなくていい」
その一言で、救われた気がした。
剣を突き立てた感触は、きっと忘れることができない。
でも、その感触とともに、この情景を思い出すことができる。嫌な記憶ではなく、思い出として。今のアレクの一言のおかげだ。
「どういたしまして。あっちでリーサと仲良くやってけよ」
「もちろんだとも。……ティオも、ありがとう。こんなろくでなしな兄を気にかけてくれて。きっとこの世で今でも僕のことを家族だと認めてくれるのは君とリーサだけだろう。ティオの未来に、幸あらんことを」
そう言って、俺とつないでいる右の手とは逆の、左手を差し出す。
ティオはその手をじっと眺めてから、両の手で包み込んだ。
「に、兄さんの、未来、にも、幸、あらん、ことを。……さようなら、兄さん」
あえて未来という単語を使ったティオ。
言葉こそつっかえていたが、もう泣いてはいなかった。泣かないように、まぶたをかたく閉じていた。
アレクはティオの、神に祈っているかのような姿を愛おしそうに、慈しむように見てから、瞳を閉じる。
俺も同じように瞳を閉じ、意識の世界にもぐる。
『よかった。ティオちゃんにきちんとお別れの言葉を言えたわね。えらいえらい』
『そうやってすぐ子ども扱いする。今度は君の番だよ、リーサ』
『そうね。まあさっきアレクがアーサーと話してる間にもうほとんど済んでるんだけど。……あ、そうだ』
おもむろに近づいてきたと思ったら、ギュッと抱きしめてくる。
意識だけの世界だから実際に触れているわけじゃないんだけど。
『お、おい!』
今まで声だけの存在だったのにいきなり生前の姿で会ってるからか、妙に気恥ずかしかった。
『なあに、照れてるの?』
『し、仕方ないじゃないか! リーサがこんなに、きれいな人だって、知らなかったわけだし……』
つやつやとした栗色の長い髪に、かわいらしい笑顔。こんな美人なお姉さんに抱きしめられたらそりゃドキドキもするってもんだ。
『え、なに? 聞き取れなかったからもう1回言ってくれない?』
『言えるか! しかもその反応だと絶対聞こえてただろ!』
『むふふ』
それからはお互い黙ってお別れの時間までただただ抱き合っていた。
俺はその間、リーサと過ごした日々を思い出していた。
奇妙な出会い。奇妙な関係。たたき合った軽口。これからもう会えなくなると思うと、自然に涙があふれてくる。
くそ、さっきは我慢したのに。これじゃリーサに心配をかけてしまう。
ぎゅっと強く強く閉じても、おさえきれなかった。
『今まで、ありがとう。ありがとう。ありが、とう』
泣きながら、伝える。万感の想いを込めて。
リーサはおちょくってくるかと思ったが、ただ丁寧に頭をなでてくるだけだった。それが余計に胸を苦しくさせて、涙があとからあとへとやってくる。
数十秒がたち、やっと涙がおさまったところで、身体をはなす。
少し離れたところにいたアレクがリーサの肩に手を置いた。
『リーサ、そろそろ』
『ええ、わかってる』
だんだんと意識の世界が崩れはじめてきていた。タイムリミットだ。
何回かリーサを引き留めるようなことを言いそうになったが、必死でのみこんだ。
リーサは俺から魔力供給を受けている限りこの世に留まり続けるここができる。でも、アレクがあの世に旅立とうとしている今、留まり続ける理由もないだろう。もう未練はないはずだ。
運命に翻弄され、1度は離ればなれになったものの、奇跡としか言いようがない形で再会を果たした2人。
その2人を、笑顔で送り出すんだ。
『じゃあな、リーサ、アレク。達者で』
『君こそ、達者で。……そうだ。肝心なことを言い忘れていた。僕の胸元にマフラーが入ってるんだけど、君に託そうと思ってたんだ。いいよね、リーサ?』
『ええ、もちろん。大事に使ってくれると嬉しいわね』
それってもしかして、アレクの記憶の中の。
『でもそのマフラーって……』
『いいんだ。僕はそのマフラーに十分助けてもらった。これから死にゆく僕たちが唯一あげられるものだ。やっぱり形有る物が1つはあった方がいいから。……それじゃあ、もう、行くね。君の未来にも、幸あらんことを』
先にアレクの姿が薄くなりはじめる。
そして、その数瞬後、リーサも。
『ばいばい、ソーマ。もう、そんな寂しそうな顔しないの。私たちがお空の上から見守っててあげるから』
『なら、変なことはできないな。……また会おう、なんて言わない。だから……さようなら、リーサ』
こういう場面なら、「さよならなんて言わない、だから、またね」なんて言うんだろうけど、あえてそうしなかった。言うなればこれは、この世に残された者としてこの先最後まで生き抜く、という誓いだ。
『そうね。次会うとしたら何十年後だし。そのころには生まれ変わってるかも。すぐ私たちの後を追ってきたりなんてしたら許さないんだから』
そう言ってリーサは俺にウインクと、花が咲き、そして散っていくかのような切なげな笑顔を向けた。
『……さようなら、ソーマ』
その言葉が耳に届いたときには、もう、そこには誰もいなかった。
俺は、ゆっくりと、かみしめるように、まぶたを開く。
アレクの亡骸は、陳腐な言い方だけれど、まるで眠っているかのように安らかだった。
俺はその胸元にあったマフラーを取り出し、自分の首に巻いた。
リーサとアレクのにおいが鼻をくすぐる。
すでに冷たくなった手を握り続けるティオ。声をかけることは、できなかった。
外套を羽織り直し、マフラーに手をかけながら。
空を、見上げる。
どこまでも、蒼く、蒼く。
瞳はただひたすらに、蒼を映す。
こうして俺たちの旅は、幕を閉じた。