とある王子の記憶
地面に落ちるとき、麻痺しきる一歩手前だったおかげか少しだけ制動をかけることができた。
しかし勢いを止めきることはできず、大きな木の根元の方に衝突してしまった。
アレクの背中からとび出た魔宝剣が木に突き刺さっている。
その姿はまるで、磔にされた聖人のようで。
「……あ、ありがとう、ソーマ。これで、逝ける」
「……本当にこんな結末しか、迎えられなかったのか」
「そう。きっと、僕が死ぬという結果は、変えられなかった、だろう」
アレクは復讐にとりつかれ、その過程で多くの人間を殺してきた。
ユキトは最愛の父を殺された。
俺は、助けてくれた村人たちを失った。
なのに、なぜ俺は涙を流しているんだ。なんで、こんなに悲しいんだ。
リーサに、アレクの境遇を聞いていたからだろうか。
『ソーマ、アレクの手を握ってあげてくれないかしら』
「……うん」
剣を血がでそうなほど強く握りしめていた両手のうち、右手を離して、だらんと垂れているアレクの腕に伸ばし、その手をつかむ。
『あと悪いんだけど、わ、私、の言葉、を、アレク、に』
「うん。わかってる」
そんなに声が震えてちゃ聞き取れないよ。
全神経を傾けてリーサの声に耳をかたむけていたとき、不思議な現象が起きた。
握っていた手から、ほのかに光がもれている。
それに、重なっている【竜の爪痕】が、熱い。
もしかして。
このとき俺は、過去にティオと交わした会話を思い出していた。
『なんで【竜の爪痕】が手のひらにあるか知ってる? それはね、竜契約者同士が証のある方の手を繋ぐことで魔力を供給し合うためなのよ。それだけじゃない。付随効果でお互いの意識を結び付けることもできる』
そして、こうも言っていた。
『ざんね~ん、うっそでした~! そんなことできるわけないじゃない』
そう、これはティオの作り話のはずなのだ。
他に何か奇妙な点はないかと周りに目をくばった結果、魔宝剣ドラグサモンの宝玉部分がかすかに光っているのを見つけた。
右手と剣を通して俺とアレクは繋がっている。
何かが起こるかもしれない。
そう思って、苦労しながらも、ごくごく微量の魔力を通してみた。
瞬間、頭の中にプラグを差し込んだかのような衝撃が走る。
気絶しそうになるほどのショックのあと、頭の中に映像が流れ始める。
これは、もしかして――――。
「リーサ、何をつくっているんだい?」
「決まっているじゃない、あなたへのプレゼントよ」
そう言ってほほえむ彼女はまるで天使のようだ。愛しさが込み上げてくる。
「なんでまた?」
「だってもうすぐあなたの誕生日じゃない」
「もうすぐといっても2月も先じゃないか。ちょっと早すぎるんじゃないかい?」
「当日は会えないから、早めに渡さないと困るでしょう?」
確かに。僕の誕生日はいつも国民総出で行われる。その中で僕を心から祝ってくれる人はどれだけいるだろうか。おそらく数えるほどしかいないだろう。王族は嫌われているから。
でもそんなことは気にしない。なぜなら…
「去年は手編みの手袋をくれたね。今年は何をくれるんだい?」
「まだなーいしょ。でも楽しみにしててね。私は貧乏だから高いものは渡せないけど、そこは愛情と技術でカバーするからっ!」
「愛情って。よくそんなこと恥ずかしげもなく言えるね」
「あたりまえじゃない。あなたを愛していることは事実だもの。でもこんなこと2人きりの時じゃないと言えないわ。ばれたら大変だもの」
王族と平民。結ばれることは決してない。
でも、第一王子であるこの僕なら、変えられるかもしれない。
「そうだねーー僕も愛しているよ、リーサ」
その瞬間、みるみる彼女の顔が赤くなっていく。僕はそれを見るのがこの上なく好きなんだ。まあ彼女の表情の変化は全部好きなんだけど。
「もーなんでそういうことをサラッと言えるのよ。そんなだったらさぞ貴族のお嬢さん方におモテになるのでしょうね」
ぷいっと怒ったように顔をそむけるのも、もうほんとにかわいい。それが照れ隠しによるものだとわかっているから余計に。
「ごめんごめん、でも君だって同じじゃないか」
「私は自分から言うのは平気だけれど言われるのは苦手なのっ!」
「はいはい、よく知ってるよ。そんなところも好きだ」
白磁のような白に戻りつつあった彼女の顔がまた赤色に変化していく。でも、今度は顔をそむけなかった。
「私も好きよ、あなたのこと。心から、愛してる」
彼女が胸に飛び込んでくる。僕はしっかりと受けとめ、強く抱きしめる。そしてその美しい栗色の髪をなでる。
こんな時間が永遠に続けばいいのに。
彼女と最後の瞬間まで一緒にいたい。
そう思うことは罪だろうか? 罪なのだろう。今のこの国では。
なら、変えてやる。変えてみせる。僕が王位を継承すればこの国を変えることができる。身分に関係なく愛し合うもの同士が結ばれるように。
しかし、父は絶対に許さないだろう。厳格で伝統を重んじる、絵に描いたような王である父は。
だから、この思惑を悟られてはならない。制度を変えるまでリーサと会っていることも何が何でも隠しとおさなければ。
いくら第一王子とはいえ、妹や親戚たち以上に優秀であり続けないと王位を継ぐことはできない。
やるべきことは山積みだが、少しも苦ではない。
だって彼女が、リーサが近くにいてくれるから。
「リーサ、僕はやるよ。身分に関係なく、たとえ王族と平民でも結婚できるような、そんな国にしてみせる。
「……待ってる。いつまでも」
そう言って僕と彼女は、唇を重ねた。
数日後。
その日は、雨が降っていた。地面を叩く音が聞こえるくらいの、雨。
その場所は、僕と彼女が人目につかないよう隠れて会っていた、森の中の小さな空き地。
いつもは緑と陽の光にあふれ、燦然と輝いているその場所が、今は豪雨と暗闇により不気味な様相を放っている。
普段二人で腰掛けている大きな木の根本に、彼女はいた。
物言わぬ体となって。
真っ先に浮かんできた感情は、疑問だった。
なぜ。どうして。
疑問や悲しみ、様々な感情がうねり、ぐちゃぐちゃになった頭は上手く働かない。
僕はリーサの亡骸を抱きしめ、ただただ涙を流す。雨が涙を洗い流していくが、溢れでる涙はとどまることを知らない。まるで僕の悲しみのように。
どれだけそうしていただろう。
時間も忘れて抱きしめていた彼女の体は氷のように冷たい。もう、動くこともない。
死してなお、その姿は美しく、愛しさと悲しさが同時にやってくる。
誰だ。誰が彼女をこんな目に合わせた。
蛮族か。グレン王国の兵か。それとも僕のことを快く思っていない王族のやつらか。
許さない。許さない。ゆる、さ……
「うっ、うううう」
嗚咽を抑える。だめだ、こんなざまでは仇を討つことなどできない。
暴走しようとする感情を必死に押さえ込み、手がかりを探す。何か、何かないか。
ただでさえ狭いこの空き地を見回すが、何も落ちてはいない。あとは、彼女の体だけだ。
傷は、首にある交差した切り傷のみ。
きれいにクロスした傷跡は痛ましい。目をそむけ、泣くな、泣くな、と自分に言い聞かせる。
手がかりはこの一つのみ。それだけでもありがたかった。こんな特徴的な殺し方をする人間はそうそういないだろう。必ず見つけだし、この手で殺してやる。そいつが誰かに指示されていたなら、その依頼主も殺す。そいつの大事にしているもの、すべてを奪ってやる。
雨はリーサの血液と僕の涙を容赦なく洗い流していく。でも、僕の、身を焼くような復讐心まで消し去ることはできない。
このまま亡骸を放置するわけにもいかない。身よりのない彼女のためにも僕が墓をつくらなければ。
痛い。胸が痛い。
痛みを忘れるために無心で穴を掘っていく。木の根本付近の地面は根が無数に張られており、なかなか進まなかったが、むしろありがたかった。この作業が終わるということは、彼女との永遠の別れを意味するのだから。
人一人が入るくらいのスペースは確保できた。
彼女の体を動かそうとしたとき、体の下に紙袋の端が見えた。急いでそれを引っ張りだし、中を見る。
そこには、手編みのマフラーがあった。
「そうか、明日は生誕祭か…」
彼女の匂いがするそれに顔をうずめ、また、涙を流す。
そうしていると、彼女の笑顔、愛らしい声、僕にかけてくれた優しい言葉を思い出す。
ケンカしたこともあったけど、彼女と過ごした一日一日は、どうしようもなく楽しかった。充実していた。
継承権争い、父や他の貴族へのご機嫌とり。 無味乾燥な毎日に、彼女が色を与えてくれた。僕の、すべてだった。
穴に彼女を降ろし、その唇にキスをする。温かく、柔らかな感触は、もうそこにはない。
「君に誓う。必ず復讐を遂げると。君に、リーサに永遠の愛を捧げることを」
そう彼女の亡骸に告げ、最後の別れをすます。
墓碑となるような石は見あたらなかったため、代わりに腰に帯びていた剣を突き立てる。
もう、悲しむのは終わりだ。
涙をぬぐい、形見のマフラーを首に巻き、彼は歩きはじめる。何者にも消し去ることのできない復讐の炎をその身に秘めて。