すぎる しあわせ
それはしあわせを知らなかった、しあわせな女の子のお話。
あるふたりの間に、こどもが産まれた。
こどもはたいそうかわいらしい女の子で、世界中がよろこんだ。
よろこびはいつの間にかお祭り騒ぎになって、お祝いは三百六十四日も続いた。
あるおとなは彼女がお金に困らぬよう、ありったけの財産を差し出す。
あるおとなは彼女が着る服に困らぬよう、あらゆる年齢に合わせた衣装を送る。
あるおとなは一生分の食料を持ってきて、あるおとなは自分の大きくてりっぱな家を渡した。
そうするうちに、上げられるものがなくなった。
おとなたちは悩んだ末に、将来遊ぶだろう娯楽までも考え続け、彼女が幸せに生きられるように願った。
女の子はすくすくと育ち、皆が望むような心優しい子になっていく。
なにひとつ不自由のない暮らしに、彼女もおとなたちもいつも笑顔で暮らしていた。
ある日、女の子がたくさん歩いて息切れをした。
おとなたちは悲しみ嘆き、その道を壊した。
代わりに彼女の家の周りに、すべてを作った。
ある日、女の子が公園で転んでケガをした。
おとなたちは怒り狂い、その公園を壊した。
代わりにいつも一緒に遊んであげた。
ある日、女の子が病気になった。
おとなたちは死に物狂いで働いて、彼女が病気にならないように世界を作り替えた。
女の子はしあわせだった。
しあわせという言葉の意味がわからないほど、つらい思いをしたことがなかった。
けれど、同じくらい不思議だった。
「どうしてみんな、そんなにやさしいの?
なんでみんな、わたしのことを大事にしてくれるの?」
女の子の声に、おとなたちは答える。
「それはキミがかわいらしいからさ」
「それはキミが痛みを知らないからさ」
「キミがそこにいるだけで、ワタシたちは元気になれるんだよ」
「キミのしあわせが、ワタシたちのしあわせなんだ」
「うまれてきてくれて、ありがとう」
答えてくれたおとなたちは、どの顔も見覚えがなく、みんな一様にみすぼらしく貧相な格好だった。
小ぎれいに装っているものの、誰もがやせこけ、ひどく疲れて見えた。
でも、女の子はそんなおとなたちしか見たことがなかったので、それが変わったことだとは思わない。
自分以外はそうなのだろうと、当たり前のことと受け止めていた。
ただ、女の子は転んでケガをしたことがあったから、痛みなら知っているんだけどなと思ったけれど。
おとなたちのしあわせな顔を見ているうちに、なにも言えなくなってしまった。
「こちらこそ、ありがとう」
お礼を言って、女の子は笑顔を見せる。
そうすれば、おとなたちはもっとよろこんでくれるから。
月日は流れ、女の子は少女になり、学校へ行くことになった。
自分と同じ年頃の子を見たことがなかったので、少女は毎日新鮮だった。
彼らはいつものおとなたちのように、自分とは違うみすぼらしい格好だったけれど。
少女は自分以外そういうものなんだと思ってしまったので、それ以上考えることはなかった。
こどもたちもおとなたちのようにやさしくて、ますます少女はしあわせだった。
学校では知らないことをたくさん教えてもらえた。
世界が広がった気がした。
自分をしあわせにしてくれるみんなのために、もっともっと笑顔でいようと思えた。
けれど。
ひとりだけ、やさしくない少年がいた。
彼は別の街から引っ越してきた転校生だった。
いつも不機嫌そうで無口。
少女が話しかけても、他のみんなが話しかけても、返事ひとつしやしない。
みんなと行動するのが嫌いで、だからいつもひとりぼっち。
「どうして、いつもひとりで平気なの?」
少女の無邪気な問いに、少年は鼻で笑って答えない。
その態度に周りのみんなは怒るけど、少女は特になにも感じなかった。
しあわせの意味を知らないしあわせな少女は、拒絶を拒絶と思わなかったのだ。
そして最初のうちは騒ぎになったけれど。
しばらくすると少年のそれは「ふつうのこと」になり、誰も気にしなくなった。
そんなある日のこと。
少女は学校以外の場所で、少年に会った。
少年はおとなのひとと手をつなぎ、ひどく楽しそうに笑っていた。
少女は驚いた。
いつも不機嫌そうで、時にこの世の終わりみたいなため息をする彼が、まるで普通のこどもだったからだ。
いつも少女にやさしいみんなと同じく、しあわせをふりまいていたからだ。
だから。
「――どうして楽しそうに笑っているの?」
あいさつもそこそこに、少女は思わず声をかけてしまった。
こっちに気づいた少年の顔が歪み、いつもの不機嫌顔に戻る。
少女はなんだか悪いことをした気分になり、胸の奥が痛んだ。
「母さんといるからさ」
そう言って、少年は手をつないだおとなを見上げる。
つられて少女も目で追った。
やさしい目をした女性。
見覚えがないのは、他のおとなと一緒だ。
けれど、常に少女に向けられていたはずのおとなたちのやさしさは、そのひとに限って違った。
やさしさが向けられているのは少女ではなく、手をつないだ少年にだった。
「母さんって、なに?」
少女はたずねる。
「知らないのか?」
少年は不機嫌そうな顔をますます歪めて、
「かわいそうだな、お前」
そう言った。
少女はなにを言われたかもわからず、目を丸くする。
ただただ、去っていくふたりの背中を見ていた。
わからないことは聞けばいいのだ。
少女はそのことをおとなたちに話した。
すると翌日から、少年が学校に来なくなった。
少女はなんだか寂しかった。
やさしくされた思い出もなく、楽しかった思い出もない相手だけれど。
居なくなってしまうと、何かが欠けてしまった気がしたのだ。
けれど周りのみんなはいつものようにやさしかったので、そのうち忘れてしまった。
欠けたまま忘れてしまった。
しばらくすると、少年は学校へ来るようになった。
みんなの嫌そうな顔とは反対に、少女は少しだけうれしくなった。
けれど少年は、今までとどこか違う。
無口なのはそのままだったけど無視はしなくなった。
不機嫌な顔をしないし、乱暴な言葉遣いもしない。
――どうしたんだろう。
少女はどこか違う少年の、明らかに違う部分を見ながら不思議に思う。
彼は、頭が機械仕掛けになっていた。
機械仕掛けの少年は、みんなみたいに動くようになった。
少女が笑えば笑ってくれる。
少女がやさしくすればやさしくしてくれる。
悲しいときは一緒に泣いてくれるし、うれしいときは一緒によろこんでくれる。
それはそれでいいのだけれど。
何かが欠けているようで物足りない。
みんなは良かったねと言って、彼を自分たちの輪の中に入れてあげたけれど。
少女には何かが違っているように思えた。
機械仕掛けの少年の、機械の頭はよく目立つ。
うまく溶け込んでいるようで、実のところまるでなじんでいない。
少女はよくわからないまま、少年を見ると胸が苦しくなった。
おとなたちが、『それ』を知ってしまった。
「誰がやった」
「やりすぎだ」
「過保護」
「もっと徹底的に」
「消せば」
「手遅れ」
「彼女が痛みを」
「――知ってしまった」
おとなたちは、それからケンカをよくするようになった。
少女には変わらず笑顔だったけれど、遊んでくれなくなった。
ケンカにいそがしくて、それどころではないのだ。
少女のほうも学校のみんながいるから、別に寂しくはなかった。
気がつけば、まわりは自分と同じこどもだけになっていた。
もちろん、その中には機械仕掛けの少年もいる。
けれどやっぱり浮いている。
「どうにかして元に戻せないかなあ」
少女はみんなに相談する。
「なんで?」
「どうして?」
「今のがいいよ?」
「元に戻ったら、一緒に遊べないよ?」
「そんなのやだよね?」
みんなは、みんな反対する。
昔の少年が嫌いだから。
しかたがないので少女は自分ひとりで直すことにした。
でも色々がんばってはみたものの、どうにもどうして結果が出ない。
時間ばかりが過ぎていく。
少女は努力をしているのだけれど、それは機械仕掛けの少年と遊んでいるようにしか見えず。
みんなはそれが面白くない。
そのうち少女のまわりには、機械仕掛けの少年だけになってしまった。
おとなたちはまだケンカしているので、こどもたちの様子なんてまったく知らないままだった。
時間は次第に早くなる。
気づけば少女は、おとなの女性になっていた。
おとなたちはケンカをしているのがバカバカしくなった。
だからそれ以上、少女の――いや、女性のことを考えるのは止めた。
こども時代が終わってしまったのならば、もうおとなたちの役目がないからだ。
おとなになってしまったのならば、自分たちと一緒だからだ。
こどものころは誰よりも大切にされた女の子は、こうしてただのおとなになった。
何でももらえるこどもから、世界に放り出されたおとなへ。
けれど少女は、それを悲しいとは思わなかった。
もらうだけのこどもには無理だったことも。
おとなならば、出来るから。
「こんにちは、ごきげんいかが?」
女性は機械仕掛けの青年にあいさつする。
「別に」
青年は返事ともつかない言葉を返す。
しかし女性は満足げに微笑む。
かみ合わない話が出来る。
それはとてもとてもうれしいこと。
それは学者になった女性が、ついに彼を元に戻した証。
みんなと同じことしか出来なかったのがウソのように、青年はすっかり自分勝手に動けるようになったのだった。
ただ、機械仕掛けはそのままだったけれど。
「――ねえ、紹介するわ」
女性は自分の後ろにいたおとなたちを青年に見せる。
それは女性のもとから去らなかった、ふたりの男女。
多くのおとなたちの中から残った、ふたつとない存在。
多くのおとなたちに振り回され、消えかかっていた人たち。
「母さんと父さんよ」
言って、女性は笑みを深める。
青年は思いがけない言葉に驚いて、目と口を丸くする。
「他に言うことはないの?」
「そうよ」
「このためだけにオレを元通りに?」
「そうよ」
女性はどこまでもまっすぐに答える。
「……かわいそうだな、お前」
自分を直してくれた彼女に、どう言葉を返せばいいのかわからない。
ただただ青年は苦笑いする。
「わたしはそうは思わない」
悲しさなど微塵も感じていない陽気さで、女性は言い切る。
「だって、こうしてあなたとお話できるようになったもの」
そう言って、女性は今までで一番の笑顔を見せるのだった。
しあわせを知らなかった、しあわせな女の子。
彼女はしあわせを知っても、しあわせだ。