第二章 「怪現象が起こりました」
第二章「怪現象が起こりました」
その頃美穂は写真のことが気になってか中々寝付けずにいた。ベッドの上で何度も寝返りを打ちながら何とかして眠ろうとしているのだが、あの画像が頭から離れないのだ。別のことを考える努力を脳内で格闘していると、不意に中山圭介の姿が脳裏に浮かんだ。
色々な人達からアプローチを受けたが、中山圭介のような人物は初めてだった。大体美穂の容姿から入り一緒に連れて歩くことで優越感に浸りたいだけの人が多く、中身の無い飾り人形のような扱いで決して美穂の内面を見ようとする人はいなかった。中山圭介も今回の撮影会の勧誘の際、どうせ外観だけの判断だと思い断り続けていたが、
「早川君を選んだ理由? そうだな……プライベートなことはよく知らないけど、校内で見る限り何となく意固地に無理をしているような感じがあるんで、もう少し肩の力を抜いて自分を出したらもっと楽になるのにと思って、その鎧のとれた早川君を写せたらいいと思ったからかな」
そう言って屈託のない笑顔を向けた圭介に初めて自分からドキドキを感じたのだ。
この学校で中山圭介という名前を知らない者はいないだろう。常に全国トップで十七歳にして世界に通用するといわれている。校内の定期テストで圭介に合わせた問題を作ったせいで、平均点が一桁ということもあったくらいだ。他校からも中山圭介というのはどんな人物なのだろうと偵察に来る人もいる。見た目は普通でガリ勉タイプというわけではなく、他の生徒とも気兼ねなく接し、奢ることもなく一生徒として学校に溶け込んでいるどこにでもいるような人物である。
悪夢のような画像から、圭介の話題に頭が切り替わると、気持ちに落ち着きが出てきたのか少しずつ睡魔が襲ってきた。
“ゴロン、ゴロン”
何かが転がるような音がする。やっと眠りに付けそうだった美穂はその音に反応するようにゆっくりと目を開けて頭を横に向けた。ベッド横にあるナイトテーブルの上に置いてあった目覚まし時計が左右に揺れている。眠り初めでボーっとしているのか、直ぐには何が起こったのか理解できていなかった。視線の先には時計が倒れそうで倒れない達磨のような動きをしている。しかし睡魔には勝てずそのまま眠りの途に入っていった。
翌朝、美穂は早くに目が覚めた。昨夜は中々寝付けず遅かったのだが、短時間で熟睡していたのだろうまだ少しボーッとしているがベッドから起き上がる。そして現在の時間を確認しようとナイトテーブルの上にある目覚まし時計に目を向けた。
「!」
不思議な感覚にとらわれた。
『十時五十五分?』
美穂は体を起こしもう一度時計を確認する。よく見ると時計が天地逆さまになっている。時計を手に取り正位置に戻し時間を確認した。『四時二十五分』まだ少し早いからもう少し横になっておこうと思ったが、
「ん?」
奇妙な異変に気が付いたようだ。手に持った時計の形をよく見ると、それは半円で安定性は抜群な形をしている。円の頂点にはアラームの停止ボタンもあるのだ。綺麗に逆さまになるということは基本的にはあり得ない。誰かが支えるか、何かに吊るすか、あるいは左右バランスよく支えるようなものがなければ無理な態勢だ。時計の周りにはそういった仕掛けのようなものは見当たらない。
不思議に思いながらも、寝ぼけていたと自分に言い聞かせもう一度ベッドに身を潜らせた。
美穂が再び眠りにつくと、先程正位置に置いたはずの目覚まし時計が、カタカタと小さく振動し始め、見えない何らかの力が加わったかのようにゆっくりと横向きに回転し始め再び逆位置に絶妙なバランスで倒立した。
翌朝、八時に起床した圭介は、昨夜確認した画像を整理して奇妙なものが写っていると思われるものをL版サイズの写真用紙に印刷していた。写真は全部で四枚、見落としもあったかもしれないが、それなりにはっきりと写っているものを選択して全景のものと、怪しい部分のアップを各々二枚ずつ印刷する。
最後の一枚をプリンターが排出し終わった時、机脇に置いてあった携帯電話が着信を告げるメロディを発した。昨夜連絡先を交換したばかりの美穂からだった。
「はい、中山です」
『早川です』
いつも冷静な物腰で話をすり美穂の声が少なからず上ずっているように感じた。
「おはよう!どうしたの、こんなに朝早くから?」
『中山君に相談したいことがあって』
「相談?」
『昨日の夜というか今朝方早くに変なことが起こったの。昨日の事もあるから何だか気になって』
「変なことって?」
美穂はほんの数時間程前に起こった出来事を話始めた。目覚まし時計があり得ない体勢なっていて、一度は寝ぼけていたのだろうと思っていたが、先程目を覚ましたらまた同じ状態になっていたことや、最初に起こったと思われる時間、四時五十五分で時計が止まっていたこと。時計は止まっているのに朝の八時に目覚まし時計がセットした時間通りに鳴ったことなど掻い摘んで説明した。
『あと、ベッドの横に長い髪の毛が数本落ちているのを見つけたけど、私の髪あんなに長くないし家族にもいないはずだから何だか気持ちが悪くなってきちゃって』
話を聞い終えた圭介は、
「ん~。よく解らないな。今から早川君の家に行ってもいいかい? 現場と状況を確認して起きたんだけど」
普通、高校生が異性の家に行くということに多少の抵抗がある。ましてや親しくなって間もない間柄だとなおさらだと思うのだが、いまの圭介にはそんなことよりも起こった事象の方に興味がいっているようだ。
『えっ! い、いいけど私の家知ってるの?』
「いや、知らない。昨日別れたところまで行ったらまた連絡するよ」
今までの経験上自宅の住所を教えるのに抵抗があったが、事情が事情だし気になり始めた人物ということもあり教えることにした。
「一応住所言っとくね。連絡貰ったらすぐに迎えに出るから」
そういって、住所を教えると電話を切った。
圭介は身支度をし、家から出ようと玄関ドアに手を伸ばした時、不意にドアが開き、急なドアの動きに着いて行けず前のめりに勢いよく飛び出し誰かとぶつかった。
「きゃっ!」
小さな悲鳴があがり、圭介はその人物に抱き付くような体勢になる。
「すみません」
咄嗟に謝罪の言葉を発しその人物を確認すると、ミニスカートに白のトレーナーというシンプルな格好をした真理恵の姿があった。
「何だ、真理恵か。どうしたこんな時間に?」
真理恵の自宅は圭介の家の真正面になる。お互いの玄関から出て十歩も歩けば相手先の玄関に立っているというぐらい近い。
「圭ちゃんこそどうしたの、こんなに朝早くから」
近づき過ぎていた真理恵から少し距離をとりそのまま玄関先に出ると、
「今、早川さんから連絡がって今朝方奇妙な出来事が起こったと言うから彼女の家に行こうとしていたところだよ」
真理恵はわずかに顔をしかめて、
「どうして圭ちゃんが早川先輩のところに行かないといけないの?」
「どうしてって。昨日の撮影会で奇妙なものが写っていたし、……」
少し間を空け、
「昨夜あれから家で残りの写真を一通り見たんだけど、その中に同じような人の顔にみえる何かが三枚あったんだ。その日の夜に妙なことが起こったとなると、やはり写真と関連があるかもしれないし、声を掛けて協力してもらった責任上、ほっておく事もできないだろう」
圭介の言葉に一理あると思ったのか、
「じゃあ、私も一緒に行く。ちょっと待っていて」
そういうとオウム返しに振り返り自分の家の方に向かって走った。ものの二秒ほどで玄関の奥に消えていったかと思うと、三十秒も経たないうちに小さなポシェットを肩から掛けて出てきた。
真理恵は圭介の腕を取ると、自分の腕を巻き付け寄り添って歩き始めた。こんなところを学校の生徒に見られたら、あの中山圭介の彼女という噂が校内に一気に広まりそうだ。圭介はそれほど有名な人物なのだ。気付かなければ普通の高校生カップルに見えるだけかもしれない。
「圭ちゃん、早川先輩の家知ってるの?」
「さっき電話で教えてもらった。昨日別れたところまで行ったらこっちから連絡して出てきてもらうようにしている」
納得したのか、していないのか複雑な表情で圭介を見ながら、
「変な出来事っていったい何があったの?」
その真理恵の問いに、今朝の電話で聞いたままの内容を説明した。話をしながら圭介は頭の中で内容を整理して自分なりの所見を考えていた。写真との関連、写真に写った人物とおぼしきものの正体、あれは本当に心霊写真なのだろうか?
そこうしているうちに美穂の自宅周辺に着いたので電話を取り出し美穂に連絡を入れた。しばらくすると少し先の曲がり角から美穂が出てきて、
「中山君、こっち」
左手を高く上げて手招きをしながら圭介を呼ぶ。真理恵は慌てて圭介の腕から手を離し少し距離を取った。ゆっくりと美穂の方に近づくと、
「あらっ、あなた一年の長谷川さん。どうしてここにいるの?」
美穂が不思議に思うのも無理はない。三年と一年、同じ部活動の先輩後輩という認識しかなく二人の関係性を知らないのだから。
「家が近所なんで、たまたま会って早川君のことを話したら一緒に行くと言うから、まあ男一人で女性の家に行くより女の子がいれば安心に思うかなと思って」
圭介のその説明に少し後方に控えていた真理恵は小さな声で、
「どうして早川先輩が女性で私が女の子なの」
独り言のように呟き美歩の方を見る。薄手のピンクの長袖シャツの上から目の大きな白のカーディガン、そしてかなり短いと思われるミニスカートから綺麗な長い足が伸びている。容姿も伴ってか女性から見ても可愛いと思うし、どう考えても異性を意識した格好にしか見えない。真理恵の中で不安と嫉妬心がもわもわと湧き出てきた。
圭介はというと格段何とも思っていないようで、いつもと何も変わらない表情をしている。
「取り敢えず家に入って」
そう言って圭介の手を取る仕草に、真理恵は血液が逆流する程の嫌悪感と嫉妬を覚えたが、何とか理性を保とうと大きく深呼吸して圭介達の後に続いた。
美穂の家に入ると、両親に軽い挨拶をして美穂の部屋に行く。真理恵を連れてきたのが正解だったのか、両親は気兼ねない対応で迎え入れてくれた。
美穂の部屋は女性らしく綺麗にそして可愛らしい雰囲気でまとめられている。圭介は下心のない目で部屋を見渡すと、ベッド脇のテーブルの上に置いてある目覚まし時計で視線を止めた。
「あれが問題の時計?」
そう言いながら近づいていく。
「そう、でも取り敢えず座って」
美穂はベッドと机の間に置いてある小さな丸テーブルを勧める。その時部屋のドアからノックの音が聞こえたかと思うと、ドアが開き母親が手にトレーを持って入ってきた。
「こんな物しか無いけれど、ゆっくりしていって下さいね」
社交辞令な言葉を述べながらテーブルの上に置いた。
「有り難うございます。遠慮無く頂きます」
圭介は立ったまま頭を下げお礼を言った。真理恵も後に続いてお礼を言う。母親は圭介の顔をまじまじと見ながら、
「中山圭介さんは、失礼な言い方かもしれないけど、あの中山さん?」
「そう、あの中山君よ」
代わりに美穂が即答した。
「もし良かったら美穂に勉強教えてあげてね。この子が世界から天才と呼ばれている中山君と知り合いだったなんて……」
不躾な言葉に、
「もういいから下に行って」
母親の言葉を最後まで言わせず、恥ずかしそうな表情をして、両手で押し出すように入口の方に誘導した。部屋の外に母親が出ると自らドアを閉める。
「ごめんね、気にしないで」
初めて見る美穂の動揺した姿に、圭介と真理恵は少し親しみを感じた。これだけの美貌の持ち主だと高飛車なイメージが一般的にあるが、ドラマや小説のようなことは実際には無いということを実感してくる。綺麗に生まれてくると言うのも一概に良いことばかりではないようだ。
「ところで例の時計見せてくれない」
圭介がナイトテーブル上に置いてある時計を指差しながら言うと、美穂が時計に歩み寄りそれを手に取ると圭介の前に持ってきた。圭介はその時計を受け取り色々な角度から細見いしていたが、なんの変哲もない一般的な時計だということを確認すると、真理恵の前にそっと差し出した。今度は真理恵が手に取り、同じようにまじまじと見ていたが、やはりどこにでもある時計だと判断したようだ。
再び圭介に渡し、圭介はその時計を上下逆さまに立てらそうとするが、アラーム停止ボタンが邪魔をして上手く立てることが出来ない。
「本当にこの時計が逆さまに立っていた?」
圭介の疑問に、
「多分……」
自信のなさそうな言葉が返ってきた。今更ながらその事象に現実感が無くなってきたようだ。
「ひょっとしたらサードマン現象かもしれないな」
「サードマン現象?」
真理恵と美穂がシンクロしたように同時に言った。
「昨日の奇妙な写真のせいで、早川君は不安を感じたはずだ。ひょっとして早川君は極度の怖がりじゃないか?」
美穂が小さく頷く。その動作を見て圭介は話を続けた。
「人間というのは大きな不安や自分ではどうしようもない絶望感を心に抱えると脳の中の角回というところが現実と想像をつなぎ合わせて一種の幻覚を見せるんだ。多分昨夜僕の言った何か起こると大変だからという言葉と極度の怖がりが潜在意識に反応してそういう現象が起こったのだと錯覚したんだと思う」
話を聞いていた二人は、多分全く理解できていないのだろう。ぽかんとした顔をしている。
「圭ちゃ……、部長、相変わらず訳の分らないことをよく知っていますね」
理解するつもりすらないような言葉を焦ったような口調で真理恵が言った。
「あくまで科学的に見た仮説だから、実際のところは分らない。本当にオカルト掛った現象かもしれないし、別の現象で説明できるかもしれない。僕なりにもう一度例の写真のことも踏まえて考えてみるよ」
その後、例の現象に解決点を見いだせなかった三人の話は、膝を突き合わせ座談会のように他愛のない会話となり、真理恵の会話に圭介がフォローを入れるという場面が度々あった。
「どうやったら中山君のように頭がよくなるの?」
一度聞いてみたかったのだろう、美穂はここぞとばかりに圭介に尋ねた。
「僕は決して頭が良い訳ではないよ。たまたま人より少し知識があるだけだよ。知らないことだって沢山あるし、それに頭良いというのは知識があって勉強ができるということではなくて、どれだけ周りに対して臨機応変な対応ができるかどうかだと思うけど」
圭介は自論を述べると、
「中山君が言うと、嫌味に聞こえないのが何だか少し悔しいような気もするけど、長谷川さんはどう思う?」
急に話を振られて、真理恵は“えっ!”という顔をしたが、少し考えるような素振りをして、
「そうですね。中山先輩は確かに頭が良いけどそれをひけらかす訳でもないし、誰に対しても分け隔てなく接するから取っ付きやすいと思います。私は中山先輩の性格は好きですよ」
「それって告白?」
美穂は冷やかすような口ぶりで言うと、
「べ、別にそういうわけでは…」
真理恵が口籠っていると、
「長谷川君、そろそろ帰ろうか」
隣にいた圭介が助け船を出してくれた。既に昼が近くなっている。これ以上居ると迷惑になりそうなので立ち上がろうとした時、思い出したように、
「そうだこれを早川君に渡しておくよ」
圭介はズボンの後ろポケットからなにやら紙を取りだして美穂に渡した。美穂はそれを受け取り中を確認する。そこには『二舌の護剣』という文字が書かれており、その後になにやら奇妙な文章が書かれていた。
「これ何?」
美穂は気味悪そうに圭介を質す。
「スエーデンの中部地方に伝えられる一種のお守りみたいなもので、邪悪な物を退散させると言われている。今回のものに悪意があるかどうかは分らないけど、万が一のために持っておいて」
ここまであっさりと言われると、“ありがとう”と言うことしかできない。圭介なりに何か出来ないかと考えたのだろう。日本のお札では無く西洋の魔除けを選ぶところは圭介らしいかもしれない。
美穂はその紙を折りたたむと机の上に置いた。
「お邪魔したね。何か気になることが出てきたらいつでも連絡して」
圭介はそう言って部屋を出た。玄関先で美穂と母親に見送られながら家を出ると、その足で近所の時計店に行き美穂の時計と同じものを購入した。そのまま圭介の家に向かい圭介の部屋で同じ二つの時計を見比べ、それを縦にしたり横にしたりと色々と検証してみた。
「本当にこの時計が逆さまに立ったのかしら?」
真理恵の疑問も当然かもしれない。色々と試してみたがどうやっても正位置以外で立てるのは不可能のように思える。周りに受けを作って支えると立つことは立つがあんなものが在ると絶対に気が付くだろう。紐か糸で釣り下げるにしても時計の方に固定するのが難しい。
「早川君が嘘を言っているとは思えないし……。やはり幻覚のようなものを見たのかな?」
圭介も腕を組みながら考え込んだ。
「そういえばさっき言っていた“サードマン現象”というのはどう?」
二人の間で疑問符が飛び交う。
「“サードマン現象”というのは生死に係る時に起こる現象だから、あの時はそう言ったけどちょっと違うような気がする。何か物理的な作用が働かないと逆さまに立つのは難しいと思う。それか見えない何かが時計を支えていたとか」
「それって少し怖くない?……まさかあの写真の女性?」
自分の言った言葉を想像したのか、肩を小さくすぼめながら圭介の顔を見た。
「うーん。一体どういうこと何だろう?」
いくら考えても、説明できる検証が思いつかない。しばらく沈黙が続き静かな時間が過ぎていく。
「駄目!何も思いつかない。圭ちゃん気分転換にどこか行かない?」
真理恵は考えるのを諦め、別の提案をした。
「折角の休み何だから何処かへ行こうよ!」
圭介は真理恵の方に向き一テンポおいて、
「そうだな、気分転換したら何か別の発想が出てくるかもしれないな」
「そうそう。私観たい映画があるんだ」
「わかった、二人で出かけることなんかほとんどないから玉にはいいか!」
「やった!」
真理恵は圭介の腕に絡むようにしがみつくと嬉しそうな表情で圭介を見上げた。二人の間に甘い時間が流れようとしたその時、圭介のスマホが着信音を鳴らした。
「はい、中山です」
『由貴だけど、昨日の写真の件どうだった?』
いきなりの疑問符。これをあっさりとしているというのか、非常識というのかはわからないが、相変わらず気さくな性格をしている。圭介も慣れているのか、
「今、早川君のところに行ってきたところだよ」
いつものように答える。
『えっ!何で?』
「今朝早川君から電話が入って、昨夜奇妙な出来事が起こったらしんだ。それで早川君の家に行って何が起こったのか聞いてきたんだ」
圭介は今朝の出来事を簡単に説明すると、
「それに昨夜写真を確認していたら、例の女性らしき写真が四枚写っていたんだ。そうだ!もし時間が取れるなら昼から部室に集まってみんなの意見を聞きたいと思うんだけど他のメンバーに連絡してくれないか?早川君に起きた事象もその時説明するよ」
その提案に隣にいた真理恵が不機嫌そうな顔をして圭介の肩を軽く叩いた。
「痛っ」
『どうしたの?』
「いや、何でもない」
圭介は真理恵の方に向いてしかめっ面をする。
『じゃあ、早苗と真理恵に連絡するから、橋本君には圭介から連絡しといて。時間はこっちで決めていい?』
「ああ、頼むよ」
『わかった、そしたら後でまた連絡する』
そういって電話を切った。圭介がスマホを机の上に置くと、
「圭ちゃん、映画は?」
真理恵が不満げに質す。
「ごめん、また今度にしよう。今はこっちの方を優先した方がいいと思う」
午後一時、写真部の部室にメンバー五人と美穂の計六人が集まった。圭介から昨夜美穂に起こった出来事をみんなに説明する。
「これが昨日確認した写真で、どれも同じ女性のように感じるんだけどどう思う?」
圭介は今朝プリントアウトした画像をテーブルの上に出しながら言った。悟志が身を乗り出すようにしてそれを見る。
「これって、全て同じポーズじゃないですか、角度はそれぞれ違うけど写った時間はほぼ同時刻ですよね」
「気が付いた?そうなんだよ。これって何か意味があるのかな?」
その写真の中の一枚に日時が表示されているものが在った。時刻は十四時三十二分、他の写真もポーズがほぼ同じなのでどの写真もその時刻に撮影されたものだろうと推測できる。
「ねえ、もう一度この時間に写真を撮ってみない?」
これは由貴の提案だ。
「私は嫌よ、何だか怖いし、もしまた何かが写っていたら気持ち悪いもの」
美穂の言い分も最もなので、流石に強くは言えないようで由貴も一旦口をつぐんだが、
「じゃあ、他の人で撮ってみたら?…私も怖いからここは部長が代表してどう?」
何とも勝手な言いぐさではあるが、何かしらのアクションを起こさないと先に進まないと思ったのか、
「分かった、僕が被写体になるよ。後もう少しでその時間帯になるから試しに撮ってみよう」
「本当に撮るんですか?」
真理恵が心配そうに声を掛ける。表情から見て本当に心配しているようだ。公にしていないとはいえ仮にも婚約者である、圭介に変なことが起こるのでないかと危惧しているのだろう。
「大丈夫だよ」
優しい視線を真理恵に送った。
「それに、行動を起こさないと前に進まないし、一応部長だからね、何らかの原因を突き止めないと早川君も不安だろうから」
そう言って今度は美穂の方を見ると、信頼しきった目で圭介を見つめ返した。
「でも……」
真理恵はまだ納得できないようだったが、その先の言葉は言わなかった。
「今日、美術室は使われていないはずだから、許可をもらってくるよ」
「開けてくれるかな?」
由貴の問いに、
「忘れ物をしたからとかいえば鍵は貸してくれると思うから、みんなは先に美術室に向かっていて」
既に部室のドアに手を掛けながら圭介は言うとそのまま部屋から出ていった。部員達も揃って腰を上げ行動を起こす。
彼らが美術室に着いた数分後には圭介が鍵を持ってやってきた。鍵を開け中に入る。
「今日はカメラを持ってきていないからスマホで撮ろうか。ステージは無いけど前回早川君が立っていた位置はあの辺りだから、少しイメージは違うけど」
圭介はそう言って昨日美穂が居たであろうその場所に向かった。向きとポーズを確認しながら同じ場所で同じポーズをとる。美穂のような可憐さはないが、それほど滑稽な姿ではなかった。よく見ると圭介の顔立ちは綺麗で結構様になっていた。
「割と様になっているよ」
由貴が茶化すように言ったが、その横で真理恵と美穂は少しボーとした顔で見とれていた。
「恥ずかしいから早く終わらせてよ」
圭介のその言葉に部員たちは立ち上がり、圭介を取り囲むように昨日の撮影会と同じ位置に移動すると一斉に撮影し始める。美穂も圭介が撮っていた場所でスマホを圭介に向けていた。十四時三十二分を中心に前後五分程を目安に撮る。
撮影後各々のスマートフォンで確認してみたが、それらしいものは何も写っていなかった。
「時間は関係なかったのかな?それとも男子だと駄目なんですかね」
真理恵が安心したような口ぶりで言った。
「早川先輩に関係があるとか?」
悟志の言葉に
「嫌なこと言わないでよ!」
即座に美穂が反論した。
「そういえば」
由貴が何かを思い出したのか、顔を上げ遠くを見るような目で天井を見上げた。回りの者が由貴に視線を送る。
「少し前に聞いた話なんだけど、昔この学校に写真部があったらしいのよ。私達の活動とは違う普通の写真部だったらいいけど、どうして廃部になったのかしら?」
「それはいつごろの事?」
圭介が由貴に問う。
「それは知らないけど。遠藤先生なら知ってるかも」
遠藤先生は古文の教師で、この学校で三十年間強弁をとっている化石のような先生だ。御年六十四歳で来年定年を迎えるはずだ。
「遠藤先生は一年の副主任だったよな。長谷川君、それとなく聞いてみてくれないか?」
圭介に指名された真理恵は小さく頷いた。圭介とのアイコンタクトで何を聞けばいいのかも理解しているようだ。そんな二人を美穂は何かを感じるような視線で見ていた。
その日の夜、美穂は圭介のことを考えながら床に入った。男性に対する接し方は慣れているはずで、自分のペースに持っていくことに難しさを感じたことはない。だが圭介に対しては思うように事が運べない。確かに彼は頭脳明晰だがそれと人間関係や恋愛というのは全く別のものだと認識している。勉強ができる人というのは本人も気付かないうちに人を見下したような態度をとるというイメージがあるが、圭介はそんな素振りを全く見せないし、そんなことも思っていないように感じる。それにしても長谷川真理恵とはどういう関係なのだろう。まだ入学して一ヶ月の真理恵と圭介との関係はそれ程長くはないはずだ。真理恵に対する圭介の接し方がどうも怪しく感じられる。あの二人どうもぎこちない割には意思の疎通がとれているようだ。
(今まで私が接してきた男性とは全く異なるタイプで何だか新鮮……ひょっとして私長谷川さんに嫉妬している?)
思いもしなかった自分の感情に驚愕しながらも、それを納得している自分を冷静に観察していた。自分の方から異性を意識するなど今まで経験のないことだった。
その時、急に耳鳴りが美穂を襲ってきた。キーンと頭に響くような耳鳴りにしかめ面をしながら上半身を起こす。
しかし起こしたつもりだった身体は全く動いていなかった。
(金縛り!)
瞬時に脳裏によぎった言葉に意識が動揺している。落ち着こうと深呼吸をしようとするが息苦しさを感じ思うように呼吸ができない。耳鳴りは続いていて、治まるような感じは微塵も感じられない。
どの位経っただろうか、耳鳴りが落ち着き始めると、それと共に周りの音が耳に入ってくる。脇で何やら動きのある音がし、ベッドの端を押さえられたような感覚が全身を襲った。
(誰かいる!)
その感覚に意識がパニックを起こし始めていた。きつく目を瞑り、
(誰か、誰か、助けて、助けて、誰か)
そう唱えるように念じていると、不意に身体が軽くなった。ここぞとばかりに身を起こし直ぐに部屋の電気をつけた。
いつもの自分の部屋の景色が網膜に映る。美穂は大きく息を吸いそれを吐こうとしたがそれがままならなかった。ベッドの脇にある小さな窓の前に見覚えのあるものがぼんやりと立っていた。
「ひっ!」
それは完全な実体として目に入った。腰ほどもあるだろう長い髪に虚ろな瞳のない目、前髪が無造作に垂れていて、顔の半分を隠している。あの写真に写っていた女性だということは一目瞭然だった。
窓の前に立っていたその女性は、体は動いていないが滑るように、かつゆっくりと美穂の方に近づいてきているようだ。
部屋の明かりは点いているというのにここまではっきりと見える見知らぬ女性に恐怖を感じないわけがない。美穂は声を出すことさえできず、その場に佇むだけだった。
更に女性は近づき、美穂との距離が一メートルもない。その女性の手が前に突き出すように上がった。その時点で美穂との距離は数十センチにまで近寄る。その時机の上にあった紙が“ふわっ”と動いたかと思うと、風に飛ばされるように舞い上がりその女性の背中に張り付く、圭介から貰った魔除けだ。すると女性の動きが止まり、苦しそうな表情で悶え始めた。
女性が美穂から離れていく。背中に着いた魔除けの紙を取ろうともがく姿は見るに堪えないほどおぞましく美穂はその恐怖のあまり気を失ってしまった。
第三章に続く