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酒を飲む、今日この頃

掲載日:2013/11/16

 妻が注いでくれる酒が、世界で一番うまい。

 あの時の俺は、かなり単純な男だった。

 仕事から疲れて家に帰ると、妻が『お帰りなさい』と迎えてくれる。

 温かい飯と熱い風呂が用意されていて、結婚当初は本当に幸せすぎて怖かったものだ。

 そのなかでも一番楽しみだったのは、酒だ。

 夏は冷えたビールを、冬は日本酒を熱かんにして飲んでいた。

 それもただの酒ではない、妻の酌で飲む酒が最高だったのだ。

 独身の時は、付き合いでしか飲んでいなかった酒。

 しかし今では、晩酌を飲むことが当り前になってしまった。


 結婚してから五年、とうとう娘が生まれた。

 実は最初、俺は男の子が欲しかった。

 虫取りやキャッチボールを、一緒にやりたかったからだ。

 しかし、いざ娘が生まれるとそんな思いは吹き飛んでしまった。

 初めてはいはいをした時、初めて立って歩いた時、初めて言葉を喋った時。

 妻からその話を聞くたびに、俺は頬を緩ませずにはいられなかった。

 

 子供の成長というのは、本当に早い。

 この前まで赤ん坊だったのが、今度は小学生だ。

 俺は嬉しい反面、一抹の寂しさを感じていた。

 前までは妻から聞いていた話を、今では娘が自分で答えてくれる。

「今日はどんなことがあったんだ?」

 気づけばそれが、お決まりの台詞になっていた。


「お父さん、お酒ってそんなに美味しいの?」

 ある日、娘がそんな質問をしてきた。

 とにかく好奇心が旺盛で、最近は酒のことが気になるらしい。

 俺は少し迷ってから、こう答えた。

「いや、酒がうまいんじゃない。女房が注いでくれる酒が一番うまいんだ。」

 娘は首を傾げて、不思議そうに俺を見ていた。


 妻や娘との会話が、めっきり減った。

 小学校の卒業式にも、中学校の入学式にも行ってない。

 仕事場の方が落ち着くようになり、俺は進んで働いた。

 残業が増え、妻との衝突が増えた。

 いや、俺が一方的に当たっていただけだ。

 それに気づいていたのか、ただの反抗期か。

 娘は俺に冷たくなった、残業だけが増える。

 

 高校生になった娘に、きちんとおめでとうも言ってない。

 娘との距離が離れていく、仕事場だけが憩いの場になる。

「あの子、東京の大学に行きたいって」

 妻が突然、そんなことを言い出した。

 俺はすぐさま娘を呼んで、三人で話し合った。

 もちろん俺は反対した、娘はそれに対抗して、妻はあくまで中立だった。

「進路のこと相談したかったのに、父さん、全然家にいなかったじゃん!」

 反論はできなかった、する気もなかった。

 俺は娘の東京行きを許した、辛くなってすぐ帰るだろうと思ったからだ。

 しかし予想に反して、娘はうまくやっているようだ。

 妻の話を、俺は他人事のように聞いていた。

 再び二人きりの生活に戻り、俺は妻との溝を少しずつ埋めた。

「別に気にしてませんよ、あなたは私たちのために頑張ってくれてたんですもの」

 俺の妻は、やはり彼女だけだと実感した。

 

 娘が正月に帰ってきた、おそらくは四年ぶりだ。

 複雑な心境で、俺は娘と再会した。

 喋り方も服装も垢抜けた娘は、いきなり俺に謝ってきた。

 進路のこと、冷たい態度を取っていたこと、全然帰ってこなかったこと。

 おかげで俺も、ようやく謝ることができた。

 寂しい思いをさせてたこと、相談に乗れなかったこと。

 お互いすっきりした後は、他愛のない話ばかりした。

「あ、そうだ。私ね、お父さんに紹介したい人がいるの。明日には来るから」

 和やかな雰囲気に紛れこませるように、娘がとんでもない発言をした。

 

 本当はすぐにでも、その男を追い出すつもりだった。

 難癖をつけて嫌味も言って、二度と我が家の敷居を跨がせないようにする気だった。

 しかし娘が連れてきたのは、揚げ足のとりようがない男だった。

 将来性も社交性も十分で、酒も強い。

 何よりも諦めが悪い、しつこく俺をお義父さんと呼んでくる。

 最後に根負けしたのは、俺だったのだ。


 結婚後、娘夫婦は休みが入る度にやってきた。

 孫はまだか孫はまだか、俺は二人が来るごとにそう言った。

「お父さん、お酌してあげる」

 すると娘ははぐらかすように、毎回その文句を返してくる。

 しかしその日は違った、娘も婿も俯いたままだ。

 俺と妻は万歳三唱をした、娘夫婦の顔は真っ赤だ。

 妻と娘が洗い物をしている時、俺は婿と二人になった。

 俺は人生の先輩として、娘の父親として彼にひとつアドバイスをした。

「子供はな、女の子がいいぞ。可愛くて手放したくなくなるからな」


「おじいちゃん、おさけっておいしいの?」

 俺の膝の上に乗った孫が、そんなことを聞いてきた。

 俺は少し迷ってから、こう言った。

「いや、酒がうまいんじゃない。娘が注いでくれる酒が一番うまいんだ」

 じゃあ二番は?なるほど、母親以上に好奇心旺盛な子に育っている。

「二番は女房が注いでくれる酒さ」

 俺と孫の会話を聞いて、婿と妻が笑った。

 もうすぐ娘が酒を持ってきて、酌をしてくれる。

 その幸せを噛みしめながら、俺はある未来を想像した。

 娘の酌した酒のうまさが、二番目になる日のことを。

「じいちゃん頑張って生きるから、今度はお前がお酌するんだぞ」

 孫の頭を撫でながら、俺は幸せすぎて怖くなった。

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