竹富島
「クラゲは赤嶺先輩とデートか。羨ましいな」
「僕が言いだした事じゃないし。仕方が無かったと言うか」
「で、赤嶺先輩がクラゲに抱き付いたのを見た青波は機嫌を損ねたと」
「それを言わないでよ。赤嶺先輩があそこに居るとは思わなかったんだから」
あの件以来、青波さんは学校を休んでいる。
そして、赤嶺先輩と約束をしてしまった週末を迎えてしまった。
待ち合わせ場所は離島桟橋だと言われ僕が覚えていた離島桟橋に向かうとそこには船は殆どなかった。
「すいません。ここって離島桟橋ですよね」
「離島ターミナルはあっちさ。ここは元離島桟橋よ」
近くのお店の人に聞いたらいつの間にか石垣空港と同じように離島桟橋も新しくなり場所が変わっていた。
指さされた方には確かに赤瓦で白い壁の綺麗な建物が見えて浮桟橋に沢山の船が停泊している。
慌てて駆け出して新しい離島ターミナルに向かう。
離島ターミナルからは主に安栄観光と八重山観光フェリーに石垣ドリーム観光の船会社の船が就航している。
僕が石垣島に居た時にはもっと沢山の会社が有ったけれど再編が進んだのだろう。
そして各船会社のチケットカウンターがあってその中に平田観光と言う一際目立つカウンターがある。
平田観光ではそれぞれの船会社の切符を購入する事が出来て色々なプランもあるらしい。
ターミナルの中には軽食程度なら食べられる場所もありお土産品やマリングッズも取り扱うお店もあるみたいだけど一言いえば無駄に広い。
そんな中で目立つ赤嶺先輩を一目で見つける事が出来た。
「遅刻だぞ。蒼佑」
「ごめんなさい。離島桟橋が新しくなっていたなんて知らなくて」
「まぁ、良いや。行くわよ」
「待ってくださいよ」
アクティブと言うか程よく焼けた肌に白いタンクトップが眩しく、すらっとした足がジーンズの短パンから伸びている。
そんな先輩が浮桟橋に向かい歩き出して慌てて追いかける。
「何処に行くんですか?」
「ん、竹富島かな」
竹富島は石垣から船で10分程の重要伝統的建造物群保存地区に指定され綺麗な赤瓦の集落がある観光客に人気の島で。
浮桟橋から高速船に乗り込み開放感のある後ろの席に座る。船室にも席はあるけれど泳げない僕も開放感がある後ろの席が好きだ。
理由は多分だけど綺麗な海が好きだから。
ソーダ水の様な海の上を真っ白なクリームの様な水飛沫を上げて船が走っていく。
港を出てしばらく走ると海の色が変わってくる。石垣島と西表島の間は大型船が航行できるくらいの深さがあり、深くなっている所は青さが増す。
「綺麗ですね」
「そうか蒼佑は子どもの頃に石垣に居たんだよな」
「なんでそんな事を、うわぁ!」
綺麗で湖面の様な海を見ようと体を乗り出し僕の子どもの頃を知っていた理由を聞こうとした時に衝撃を感じ、高速船が跳ね上がった水面から見えない流木に乗り上げたのだろうか。
まるで大きな波に突っ込んだかのように船首が上を向いている。
次の瞬間、体が浮いて後方に流れていき必死に手を伸ばす。赤嶺先輩も腕を伸ばすが届かず強烈な炭酸水の様な泡に呑み込まれた。
上か下か左右さえ分からない。
判るのはこのままでは溺れて死ぬかもしれないという事だけで必死にもがく。
確かあの時も…… そう思った瞬間に海の中で目を開ければ海水が沁みる筈なのに何故か視界が開けた。
海の中を何かが物凄いスピードで向かってくるのがはっきり見える。
それは黒髪の女の子で手を伸ばしていて僕も無意識に手を伸ばすと意識が途絶えた。
優しい風が頬を撫で。
目を開けると眩しい太陽に照らされたカラフルなビーチパラソルが見え思わず目を細めた。
ゆっくり起き上がると真っ白な砂浜の向こうにアクアマリンやペリドットの様な海が広がっていて。
「赤嶺先輩。ここはもしかしてコンドイビーチですか?」
「そうだよ。綺麗だろ。今日は観光客も少ないしね」
隣で海を眺めていた赤嶺先輩に何気なく聞いてみた。
船から投げ出されたのに何故コンドイビーチで寝ていたのか聞く前に確認しておきたい事があった。
「青波さんは何処ですか?」
「はぁ、先を越したと思ったのに。あそこだよ。青波の所に行く前に蒼佑の記憶の中にある青波の事を教えて欲しいな」
「良いですよ」
あれは小学校に入る前だろうか僕は確かに石垣島で眞子婆ちゃんと暮らしていて海にも良く遊びに行っていた。
島では海は危ない所だと教わるが子どもには関係ない。漁港の防波堤から飛び込んだりして中学生や高校生は遊んでいる。
そして僕も海が大好きだった。
眞子婆ちゃんの知り合いにサバニに乗せてもらって遊んだ事もある。
その日も波の静かなリーフの中側のイノー(礁池)で誰かと舟に乗っていて突風が吹き急に船が動いてバランスを崩した僕は海に放り出され舟は風で流された。
イノーには歩けるほどの深さの場所から大人でも背の立たない場所もある。
泳げる大人でもパニックになれば浅瀬でさえ溺れ子どもなら尚更で僕も溺れた。
意識と共に海面が遠ざかった時に黒髪の女の子の顔を見た気がして。
気が付くと砂浜で近くに海の中で見た女の子がいた。
「君が助けてくれたの? ありがとう」
「あのね、私の事を忘れないでね」
「えっ、どうしてそんな事を言うの?」
「こ、これをあげるから。忘れないでね」
再び意識を失って名を呼ばれて目を開けるとそこは砂浜じゃなくて病院だった。
「目が覚めた時に手に握っていたのがこれです」
「人魚の鱗かしら。一枚でも鱗を失うと人間の姿になれないと聞いた事があるけれど」
僕が財布から取り出したのは大きな鱗で太陽の光を反射して七色に光っている。
あの時から大切に肌身離さず持ち歩いていた。あの女の子の事を忘れない為に。
何故、赤嶺先輩が人魚なんて非現実的なことを言ったのか分からない。それでも僕は非現実的な体験をして僕自身も非現実的な体で。
理由なんて今は分からない、それでも僕は一歩を踏み出す。
彼女の事を知るために、その延長上に何かがある気がして真っ白い砂浜を踏みしめて歩き出す。
その先では生成りのワンピースを着てつばの大きな麦わら帽子をかぶり膝を抱えて座っている女の子の姿があり、こんなに綺麗な海を見つめる瞳は何処までも澄んでいて悲しみの色に染まっている。
「青波さん、江の島で助けてくれたのも青波さんだよね」
「覚えてなかったくせに」
「忘れた事なんて一度もないよ。だって僕の初恋の女の子だから。でも、あの時は顔も見えなかったし。プールで助けてもらって確信したんだ」
学校にいる時と同じように青波さんはつまらなそうに海に視線を投げている。
その視線の先に肌身離さず持っていた鱗を出すと青波さんが驚いて僕を見上げた。
「ど、どうして」
「言ったよね。僕は一度も忘れた事が無いって」
「嬉しいけれど。本当の事を知ったら私の事を嫌いになる」
「そんな事ないよ」
僕の言葉を遮るように青波さんが海に入っていくのを追う様に膝まで海に入る。すると青波さんの足が鱗に覆われて人魚の様な姿になってしまった。
でもその姿は太陽の光を反射して。
「凄く綺麗だね」
「い、今なんて言ったの?」
「綺麗だねって。怖くもないし驚かないよ。だって初めて出会った時もその姿だったでしょ」
石垣島の海で溺れた僕を助けてくれた女の子には魚の様な尾鰭があったのを赤嶺先輩には敢えて伏せていたのは半信半疑だったから。
でも、目の前には人魚の姿をした青波さんが僕と向き合っている。
すると抱き付かれてバランスを崩し尻餅を付くと水飛沫が舞い上がり光り輝いた。
「青波さん? ちょっと」
「駄目だ。もう止められない」
「青波! ちょっと待った! ズルいぞ」
青波さんの顔が僕の目の前にあって鼓動が跳ね上がり。慌てて走り出して向かってくる赤嶺先輩が叫んでいる。
驚いて赤嶺先輩の方を向いた瞬間に口元に柔らかい物を感じた。
「クソ! 先を越された。まだ、仮契約だからな。本妻は私で青波は2号だからな」
「赤嶺にそんな事を言われたくない。蒼佑の初恋は私なんだから」
呆気にとられていると僕が持っていた鱗を青波さんが包帯の巻いてあった右足の部分に差し込むようにすると人間の姿に戻っていた。
「おーい、クラゲ」
「えっ、黒屋君に白間さん? どうして」
「羨ましい限りだな、両手にカトレアとカサブランカを侍らせて」
黒屋君の言っている意味は良く分かる。
オクシデンタルなカトレアが赤嶺先輩でオリエンタルなカサブランカが青波さんなのは良く分かるけれど両手に侍らせているつもりはないし。
現に2人は顔を突き合わせて睨み合っている。
「赤嶺先輩も青波さんもお止めなさい。猥雑ですよ。海月君を取り合う気持ちはわかりますけど」
「み、三つ巴の三竦みか。やるなクラゲは」
「クロケンは冗談を言ってないで止めてよ」
誠実そうな委員長の白間さんの口から猥雑なんて言葉が飛び出しとんでもない事を言って青波さんと赤嶺さんの3人が顔を突き合わせた。
それを見ながら黒屋君は無責任に楽しそうに笑っている。
「なんで黒屋君は竹富島に来たの?」
「面白い事が起こりそうだったからかな。来る途中で委員長に見つかってさ」
「私は不純異性交遊なんて許しませんからね」
「でも委員長も言うよな。猥雑ってみだらで下品という事だ……ひっ」
顔を突き合わせていた3人の視線が突き刺さり思わず後ずさりすると黒屋君の顔が引き攣り。
赤嶺先輩に両手を掴まれ右足を青波さんに左足を白間さんに。
そして遠浅の海の外れまで……水柱に向かって両手を合わせた。
強引な赤嶺先輩に竹富島まで連れ出されて結局5人で遊び竹の子で八重山そばを食べて石垣島に戻った。
僕的には青波さんとも仲良くなれて嬉しかったのだけど。
「もう、どうして3人は仲良くしてくれないのかな。ネネが人間なら色んな話が出来るのにな」
「にゃ?」
ツンツンとしているのは変わらないけれど竹富島で遊んでから青波さんとも打ち解けて良かったのだけど。
赤嶺先輩と白間さんの2人が加わると相変わらず顔を突き合わせて3人とも一歩も引かない。
周りからは冷やかされるし黒屋君は我関せずで笑っているし。
親しい黒田君はこんな感じで委員長まで渦中の人だから相談できる人もいなく頭を悩ませてネネに愚痴を言ってベッドに潜り込んだ。