石垣島
石垣島は南西諸島の南の端にある八重山諸島の中にあり。
八重山諸島は、石垣島・西表島・竹富島・小浜島・黒島・新城島に最西端の与那国島と最南端の波照間島からなり有人島で言えば他に鳩間島や由布島がある。
沖縄県内では沖縄本島・西表島に次いで3番目に大きな島で八重山諸島の政治・経済・交通・教育の中心を担っていて。
緯度で言えばハワイやマイアミなどの高級リゾート地と変わらない緯度に位置している。
桃の花の様な色合いの緋寒桜が終わり、燃えるようなオレンジ色のディゴが咲いて。
4月だと言うのに太陽が顔を出せば汗が吹き出し泳げない僕ですら海に飛び込みたくなる。
「暑いなぁ」
見上げると広大な青空に真っ白な雲が浮かんでいた。
僕が石垣島にいた頃の空港は街の中にあったけれど今は白保の北側にあるカラ岳の近くに移設されている。
因みにカラ岳はパラグライダーの絶好ポイントになっていたはずだ。
そんな新石垣空港からキャリーケースをトランクに積んでもらってタクシーで市街に向かう。
30分もすると街中に入り沖縄独特の角だし住宅が目に付く。
どんな住宅かというと鉄筋コンクリートの住宅で1mに満たない1階や2階の支柱が角のように屋上に突き出ている。
そして角の上に土台を設けて大きな水タンクが乗っていたりする住宅やアパートもあり独特の表情になっていて。
何故、そんな構造になっているかというと上に増築する為だよと聞いたことがあるが角だし住宅が上に増築するのを見たこともないし、増築するのも色々と問題があるような気がする。
そんな角だし住宅に混ざりおしゃれな造りの家も増えているが台風銀座なんて呼ばれるくらい台風被害が多いので木造の住宅は少ない。
その代わりにコンクリートの住宅が多く最近では昔ながらの赤瓦の民家も減ってきている。
何でも赤瓦の民家には補助金が出るらしいが管理費に換算すると微々たるものらしい。
タクシーが一件の赤瓦の古い家の前で止まった。
家の周りは野面積みされた琉球石灰岩で囲まれ所々にピンクや白の日々草が風で揺れていて。
庭には台風などの為の防風として10メートルくらいのフクギが並べて植えられ、オレアンダーとプルメリアの木々の間から漆喰で塗り固められた赤瓦が見える。
庭に一歩踏み込むと野趣に富んでいると言えば良いだろうか。
確か幾何学的なフランスの庭園に対して自然な景観美を追求したイングリッシュガーデンだと幼いころに教えられた気がする。
何かが動いた気がして視線を上に向けると黒猫がこちらを見ていた。
「眞子婆ちゃん、ただいま」
大きく張り出した庇の下にある玄関を開けて声をかけたのに返事が無く。
代わりに屋根の上に居た黒猫が降りてきて僕の足元をすり抜けて行った。
「眞子婆ちゃん、いないの?」
「そんなに大きな声で呼ばなくても聞こえてるわよ」
「聞こえてるのなら返事してよ」
涼しげなワンピースを着た眞子婆ちゃんがやっと顔を出した。
真樹婆ちゃんは夏にはド派手なアロハだけど普段は着物をあまり着なかったけれど作務衣などの和風を好んで着ていた。
それに対し眞子婆ちゃんは沖縄風の生地だけど洋服以外の姿を見た事が無い。
「取り敢えず1番座に荷物をおいて」
「うん、分った」
1番座は客間としての部屋で床の間なんかがあったりするけれど眞子婆ちゃんの家は違う。
見た目は赤瓦の古民家だけどフローリングで落ち着いた色のソファーが置かれていて外国の家と見間違ってしまう。
縁側を通り1番座に荷物を置いて隣の2番座に向かう。
2番座は仏間になっていてここだけは縁のない琉球畳が市松模様に敷かれていて、神棚が真ん中にあってその横に仏壇がある。
神棚と仏壇の前に眞子婆ちゃんと正座した。
「神様とご先祖様にうーとーとーしなさい」
「うん」
うーとーとーとは沖縄で手を合わせお祈りをすることを指している。
『ただいま戻りました。これからも宜しくお願いします』
心の中で唱えると膝に重さを感じゆっくり目を開けるとあの黒猫が僕の顔を膝の上に載って見上げていた。
「眞子婆ちゃん、この猫って」
「蒼佑の事を気に入ったみたいだね。名前はネネ。可愛がっておくれ」
「うん、分った。ネネ宜しくね。うわぁ」
いきなりネネに頬を舐められてくすぐったい。
3番座で眞子婆ちゃんがお茶を出してくれたリビングと言えば良いだろうかテレビを見たり食事をしたりするのが3番座で奥に台所がある。
この部屋もフローリングでダイニングテーブルが置かれテレビも薄型のテレビで現代風と言うか和風のモノは一つもない。
台所もキッチンと言った方が良いくらいに使い勝手のよさそうな綺麗なシステムキッチンになっている。
そして1番座・2番座・3番座の奥に裏座があり寝室や物置に使われている。
因みにキッチンに近い3番座の裏座が眞子婆ちゃんの部屋で2番座の裏座が子どもの頃から僕の部屋になっていた。
1番座の裏座は物置部屋になっていたはずだけど眞子婆ちゃんに子どもの頃から入るなと言われていたので足を踏み入れたことが一度もない。
数日が過ぎて学校が始まる。
町の中ほどにある八重山高校が僕の通う事になる学校だ。
隣には登野城小学校がありそのはす向かいには八重山農林高校があって。
もう一つある八重山商工は少し離れていて町の東側にある。
少し早目に職員室に行って担任の比嘉先生とクラスに向かう。
「新学期早々だが転校生だ。神奈川県の湘南からこの春に引っ越してきたそうだ。自己紹介を」
「神奈川から来ました海月蒼佑です。子どもの頃は石垣島に住んでいたんですが不慣れなので色々と教えてください。宜しくお願いします」
深々と頭を下げて顔を上げた瞬間に釘付けになってしまった。
制服姿の女の子が窓際に座りつまらなそうに窓の外を見ていて、その女の子が僕が異形の者に襲われた時にびしょ濡れの姿で助けてくれた女の子によく似ていた。
「おーい、海月。お前の席はあそこの空いてる席だ。聞いてるかぁ?」
「は、はい。すいませんでした」
教室が笑い声で満たされ真っ赤になってしまう。
いきなりの失態で恥ずかしくて俯いたまま指定された席に着く。
「おれ、黒屋賢治。宜しくな」
「宜しくね、黒屋君」
「クロケンで良いよ。皆もそう呼んでるし」
「僕はクラゲとか蒼佑とか呼ばれてるから」
前の席のスポーツマンと言う感じの黒屋君が振り向いて声をかけてくれた。
名字が珍しい海月で普通に読めばクラゲと読む人が多い。ニックネームみたいなもので僕はあまり気にしていないし海を優雅に舞うクラゲは嫌いじゃない。
「私はクラス委員長の白間優里です。分らない事があれば聞いてください。それと教科書とかもお見せしますので」
「ありがとう。皆、優しくて安心したよ」
「うわ、委員長が真っ赤になってる!」
隣の席の誠実そうな黒縁メガネの白間さんが赤くなると黒屋君が囃し立てると直ぐに白間さんが黒屋君を睨みつけた。
休み時間になると僕の席の周りに人だかりができて質問攻めに合うけど転校生なんてそんなものなんだろう。
「海月君は何処に住んでるの?」
「婆ちゃんの家だよ。婆ちゃんは海月じゃなくて浅黄と言う名字だけど」
それだけを言うと数人のクラスメイトの顔が何故か引いているように感じる。
「浅黄ってもしかして占いオバァの?」
「多分そうだと思う。婆ちゃんは昔から占いとかしているから」
「あそこの占いは物凄く当たるから怖いんだよね」
「そうなんだ」
笑顔で答えるけどここが沖縄じゃなければこんな反応は無いと思う。
沖縄にはノロやユタと言う霊能者が存在する。
ノロは『祝女』と書いて沖縄と奄美の独特な信仰を支える女神官の事で聖地である御嶽を管理する。
祭事を司るのは女性に限られていて琉球王国から認証された神事を司る人々とその後継者でノロは公とすればユタは私だろう。
何故ならユタは村落や個々の家に対しての呪術信仰の領域に関与している。
だけど最近は両者を混同する事が多いのはどちらもシャーマンとして見られるからだろうか。
「でも、婆ちゃんはユタでもノロでもないって言ってたけど」
「だから余計に怖いんじゃないかな」
見えない力に畏怖の念を抱くという事なのだろうか。
そんな事より僕は窓際の彼女の方が気になった。
「あのさ」
「ああ、青波さんの事が気になるんだ。さっき見蕩れてたしね」
「そんなんじゃないけど」
「青波さんはあんまり他の人とコミュニケーションを取らないと言うか」
あまりいい話は聞けなかった。取っ付き難いとか壁があるとかツンドラって?
そんな周りの話に惑わされずに声をかけてみたけれど……
クラスメイトの言う通り壁がありツンとした冷たい態度であしらわれてしまった。
「また、撃沈したのか。クラゲは懲りない奴だな」
「クラスメイトなんだから出来れば仲良くしたいし」
「今日から体育はプールだから早めに行こうぜ」
渋々、黒屋君に言われて教室からプールに向かう事にする。水が苦手だから見学なので着替える必要は無いんだけど。
「クラゲなのに見学なのか?」
「うん、駄目なんだよね。水がトラウマでさ」
「子どもみたいだな。精神的ショックなら仕方が無いか」
着替えずにプールサイドに行くと黒屋君やクラスメイトに呆れられてしまう。
だけど誰にも譲れないものや苦手なものが有る筈で僕は水が怖いし苦手なだけだ。
体育教師の玉城先生の所に行くともう1人制服姿のままの見学者がいて。
「青波さんも見学なんだ」
「海月と同じような理由だ。な、青波。まただんまりか」
「あれ、その足どうしたの?」
青波さんのスカートから包帯が見えて聞いてみると青波さんから睨まれて玉城先生に怒られた。
「女の子にそんな事を聞くもんじゃないだろ。もし怪我の跡だったらどうするんだ」
「ごめんね。青波さん」
僕が謝ると何故か青波さんが気まずそうにした。
その姿を見ていると僕の事を助けてくれた女の子とどうしてもダブってしまう。
プールで行われる体育の授業時間も残り少なり自由時間になっている。
男女問わず仲良く泳いだりはしゃいだりしていた。
「なぁ、クラゲ」
「な、なに。黒屋君は遊んできなよ」
「一緒に遊ぼうぜ」
「駄目だって!」
多分、僕が泳げないから見学だと思ったのだろう。
トラウマと言ったのを面白がった黒屋君やクラスメイトに両手両足を掴まれてしまう。
そして気付くと保健室だった。
「気付いたか、クラゲ」
「死ぬかと思いましたって。ええ、緋山先生?」
体を起こすと見た事がある顔がすぐ隣にあってプールに投げ込まれた以上の衝撃だった。
何で鎌倉に居る筈の緋山先生が石垣島に居るのだろう。それもここは八重高の保健室で。
「転勤だよ、転勤」
「変ですよ。公立高校の教師は県内で転勤するのが普通でしょ」
「まぁ、採用試験を受け直せば移動も可能だけどな。トレードも出来るんだよ」
何でも自治体同士でトレードと言うものが存在して、都道府県どうしで同じ異動希望があれば融通をつけるシステムらしい。
それでも不自然と言うか僕にとっては有り難い事だけど。
「クラゲは私の事が嫌いなんだな」
「そんな訳ないじゃないですか。僕の体の事を知っている唯一の先生なのに」
「まぁ、それはどうでも良いから早くクラスに戻れ」
緋山先生に言われて我に返ったと言うか思い出して保健室を飛び出した。
クラスのドアを開けると視線が集まりそして僕をプールに落とした友達は俯いたままだった。
そんな中に1人だけ僕と同じジャージ姿の青波さんの姿もあった。
「海月君、委員長として度の過ぎた悪ふざけをした人にはきちんと言っておきましたから」
「ありがとう、白間さん」
「まぁ、私よりも怖い人がいたみたいだけどね」
プールに投げ込まれた瞬間に誰かが飛び込んできて助けてくれたらしい。
何故かトラウマになった子どもの頃に海で溺れた時の事がオーバーラップする。
「白間さん、僕を助けてくれたのはもしかして」
「青波さんよ」
「青波さん、ありがとう」
「人が溺れていれば助けるのは普通でしょ」
ぶっきら棒だけど初めて青波さんがきちんと会話をしてくれて嬉しい。そして僕の中で一つの確信が固まった瞬間だった。
青波さんは一筋縄ではいかないので放課後に手紙を書いて呼び出すことにした。
八重山高校に来たばかりの僕は呼び出しに適した場所を知らないので黒屋君に聞いてみて場所を決めた。
告白かなんて散々からかわれたけれど意図するところが違う。
そんな訳で教えてもらった待ち合わせ場所に先に来ている。
しばらくすると青波さんの姿が見えてホッとする。内心は来てくれないんじゃないかと思っていたから。
「君が海月蒼佑君か」
「えっ、僕に何か用ですか?」
突然、後ろから声がして振り返ると茶色いウェーブが掛かった髪をした制服姿の女の子が立っていた。
「私は3年の赤嶺穂花よ。蒼佑、私とデートしなさい」
「ええ、僕は青波さんをここで待っていただけで。赤嶺先輩とは初対面だし」
「大丈夫よ。母が言っていたわ。惚れるより慣れろって」
「青波さん、待って!」
僕と赤嶺先輩の事を睨みつけて帰って行ってしまう。
追いかけようとして赤嶺先輩に後ろから抱き付かれて身動きが取れない。
「赤嶺先輩、離してください。僕は青波さんに話があるんです」
「デートの約束をすれば離してあげる」
「分りました。後で日時を教えてください」
「それじゃ今週末ね。約束よ」
赤嶺先輩から解放され走り出す。
校舎内や体育館も探し回ったけれど何処にも見当たらなかった。
恐らく怒って帰ってしまったのだろう。不可抗力とはいえ青波さんと話すことが今まで以上に難しくなったしまった。