人間人形
都合のいい存在でありつづけること。それが可愛がられる人形の絶対条件。
求められる言葉を吐き、求められるがままに行動を起こす。
自分の意志は……殺して。
―――あなたが望むなら、この声で、この口であなたの望む言葉を囁きましょう―――
―――あなたが望むなら、この体で、この腕であなたを包みましょう―――
―――あなたがそう望むなら、私は気持ちを、考えを捨てましょう―――
―――あなたが望むなら、私はあなたに都合の悪い言葉は、言わないでしょう―――
―――あなたが望むままに、私を作り替えましょう―――
―――すべては、貴方の意のままに―――
「宮ちゃん」そう呼ばれた声に振り向いた。
私はただ笑顔で「なぁに?りゅー君」と返す。りゅー君こと、木崎 隆盛は、私より年上の異性である。
「ん、呼んでみただけ。」
「そっか。」よくこんな会話がある。
別に嫌な顔はしない。嫌な事ではないからだけど、飽きているのはもうずいぶんと前からで、私はそれを絶対に顔に出さない。
彼が、その感情を望まないことは十分にわかっていたからだ。
傷つき、心から人を愛せなくなった彼にとって甘えられる私のような人形の存在は、とても都合が良かった。
私も別に、それでも構わないと生きてきた。絶対条件は、彼を心から異性として愛してはいけないこと。
りゅー君こと隆盛は甘えたがりやなので、変に気を遣うこともなく、話す分には楽しかったし、年上だけあって物知りだから頼もしかった。
特別嫌な思いをすることも少なかったし、常に感情を捨てなければならないわけではないので、苦痛という苦痛もこれといってなかった。
私は、貴方の顔色を伺い、貴方の望む言葉を吐く。ただ、そのようにして生きていて、この両手はあなたが望めば貴方を包み込む。貴方は見えない心を嫌うから、私の心は常に空っぽでなくちゃいけない。その空っぽの空間に貴方が私に感情を流し込む。
貴方はきっと気付かないこの完璧なまでに構成されたプログラムを。貴方はきっと気付かない、私の隠した感情を。貴方はきっと……きっと気付かない。私の虚しさなど。
「宮ちゃん?」
「なぁに?」
「呼んでみたけど、元気ない?」
「ううん、元気だよ?」
「そっか。」
「大好きよ、りゅー君。」
「俺も大好きだよ、宮ちゃん。」
彼はそういうと、私を抱き締めた。
私は、ためらうことなく私の腕を彼の背後に回した。
貴方が望まない言葉は欠けらさえ言わないわ。ただ、飲み込んでじっと貴方を見据えるだけ。
あなたは私に「ありのままの私でいい、もっと甘えていいよ」と言うけれど、ありのままの私では、貴方を傷つけてしまう。貴方を好きになってしまう。どちらも苦しくなるだけなら、私はこのままで構わない―――……。
だから私は今日も嘘を吐くの。
「これが、ありのままの私だよ、十分に甘えてるよ。」―――甘えたふりをしながら、そんな自分を遠くで冷たい目をした自分が眺めてる。
貴方の人形は、貴方のためにある。私の体は、あなたの前ではあなたのために存在する。私の所有物ではなくなってしまう。そのために、見えない心をひた隠し、見える心を全面に出して、中身はいつも空っぽにしておかなければならないけれど、それであなたが満たされるなら、それをあなたが望むなら、この両腕は、この声は、この体は、貴方のためにあり続ける。
貴方はいつでも都合よく甘えさせてくれる相手を望んでいて、本当はその役目は私でなくても構わない。
だけど貴方は思わせ振りだから、「宮ちゃんじゃないと嫌だ、宮ちゃんがいい。」と私を生け捕りにして、生殺しにしてしまうの。
きっと貴方は気付かない。思わせ振りなことも、本当は沢山の貴方の為のDollが探せばいることも。本当は何も私が特別なんかじゃないことも、気付かない……気付かない……気付きは、しない。
貴方の腕に包まれたその動く肉の塊は本当に貴方に大事なもの?確かに仲良くなった。ある一定の所まで楽しかった、確かに言葉を交わす時間も気持ちを言う時間も増えて、貴方が甘える時間も、私が貴方に甘える時間も増えた。確かに貴方には貴方の甘えられる何かが必要だった。でも、それは、私である必要は、本当にあった?
もし仲良くなれてたら、私じゃなくてもよかった。そうでしょ?違う?貴方は、「宮ちゃんじゃなきゃ仲良くなれなかった。」「他の人じゃやだよ、宮ちゃんがいい。」と言うけれど、本当にそう?貴方を慕う人間は確かにいて、貴方もそれなりに仲良くしている人たちも多く、私もその仲の一人に過ぎなかった。最初の頃は、私にとって貴方は手の届かない存在で、当たり前に通過していく通過点だとしか思っていなかった。その中で私達が仲良くなれたのは、「偶然なんかじゃない」と貴方は言うけれど、でも、貴方は偶然ではない必然と、特別をどこかで吐き違えてはいない?
「何がどうであれ、宮ちゃんのその気持ちと、俺が宮ちゃんを特別だって思うこの気持ちが一番大切だと思うんだ。」
あぁ、どうして。貴方が言い放つ言葉はいつも私の裏まで読んだように私を苦しめるの。どうして貴方にとって私は特別なの?単純に都合よく甘えさせてくれるからでしょう?その言葉に、それ以上もそれ以下もありはしないのに。
私は私であることを望み続けていた。なのに今は、私が私でなくなることを厭わない。
私は、貴方によって作り替えられた。根本的な所から……。
「愛しいな……。」
「え?」
「宮ちゃんがすっごく愛しい。」
「……ありがとう。」
愛しい愛しい貴方の人形は、崩壊間近よ。貴方は、気付かないでしょうけど。
「俺の目は厳しいし、それだけ確かだよ。」いつか、貴方が言った言葉。
それ故に、私に固執する理由。貴方は誰にでも心を許すわけじゃない。狭い路地をたまたま潜り抜けられた私だけが、このような扱いの席についた。場違いであることは、薄々気付いていた。でも、降りようとするたびに、貴方は私でなければダメだと言って私を引き止めた。貴方の目は、確かよ。こんな人形、滅多に手には入りはしないでしょうから。
私達の関係は、お互いに都合のいい存在であり続けることで成り立っている。でもそれは、決して体の快楽と言う意味ではなく、自分の居場所を相手に見出だしながら、相手とある一線を越えた付き合いをしないという暗黙の決まりがある。それを破壊できるのは、彼自身だけ。彼自身が強く私を欲すれば、強引にでも私はその一線をこえなければいけなくなる。けれど私は、この一線を何があっても越えてはならない。万が一、彼が私を本気で欲したとしても。
「宮ちゃん。」
「なぁに?」
「大好きだよ。」
「ありがとう、私も大好きよ。ふふっ。」
「何で笑うんだよー。」
「何でもない。ただ、風でりゅー君の髪がボサボサになったなって、それだけ。」
聞かれた質問は、答えなければならない。そうでなければ貴方は、答えるまで待ち続けるから。笑ったのは、そんなことじゃない。でも、言えはしない。貴方に都合の悪い言葉の数々など。あれは嘲笑っただけ。今の自分を。
貴方は、その言葉を言う相手を間違えてる。その言葉を聞いていいのは私じゃない。私はそこらの|町娘(脇役)でしかないのに、貴方は私をお姫様と勘違いしている。貴方には守るべきお姫様がいる。でも、そのお姫様はまだ現われていない。貴方は近くを横切った町娘をお姫様と勘違いしてしまった。私は何度かお姫様ではないと言った。でも貴方は私がいいのだと言った。だから私は|お姫様の代理役(人形)を努めることになった。
私では貴方の傷は塞げない。私では貴方の傷は埋められない。私では、貴方の傷を治せない。貴方の本当のお姫様でなければ、それらは叶わない。
いつからか諦めていた。でも、そんな素振り、一度だって見せはしなかった。それは、貴方にとって都合が悪かったから。貴方が、諦めてしまうことを嫌っていたから。言えば貴方は、「はい、そうですか」と簡単に引き下がらない事は分かり切っていたから。
否定し続けた私を何度も貴方は否定する私を否定したように。
だから、言いはしなかった。言っても無駄、もはやここまで来てしまえば、貴方を傷つけるだけの言葉など吐きはしない。
でもね。叫んでしまいたいくらいよ。貴方のお姫様はまだ現われていないのだから、私にそんな言葉を言わないで、そんな顔を向けないで、と。どうせ、今の関係から少しでも離れてしまうのなら、こんなに近付きたくなどなかった。
離れようとするたびに離れた体は抱き寄せられ、逃げようともがく手は貴方を傷つけた。閉ざそうとした口は貴方を拗ねさせて、見せまいとした心は、貴方に嫌われた。
嘘もお世辞も、貴方には通用しない。でも私は嘘つきであり続ける。「本当の嘘つきは滅多に嘘をつかないよ。」これも、貴方が言った言葉だった。
貴方は自分の事を言ったのでしょうけれど、ええ。その通りよ。本当の嘘つきは滅多に嘘をつきはしない。根本的な場所をねじ曲げただけで私も嘘は言っていない。でも、全部が嘘なの。私は、真の嘘つきよ。きっと、貴方と同じ……ね。
貴方の目の前にいる私の存在事態が嘘だから、何を思っても、何を伝えても、それは嘘になる。でも貴方にはわからない。嘘の私しか知らない貴方には。
愛されたい、愛されたくない、どちらも真実よ。そして、どちらも嘘なの。
頑なに閉ざした隙間から、貴方が見え隠れしてる。貴方も本当は気付いてるんじゃない?何かが違うって。冷ややかな温度差はやがて、分裂し破壊するきっかけとなり、貴方もまたどうせ私から離れていく。それでも私は構わない。離れていくことが私の成長なら、別に構いはしない。
今はただ、人形としてここに居座るだけ。やがて貴方にも人形が不必要になるときがくる。それが何年後かはわからない。一瞬先かもしれないし、死の間際まで必要かもしれない。必要とされ続けるかぎり、私は貴方の人形で居続けるわ。
貴方好みに自分をカスタマイズしましょう。貴方好みに、変わるわ。いくらでも。
―――貴方が望むなら―――