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禁じられた遊び(中編)

「おや、君たち。また喧嘩かい? 授業中なのに、相変わらず元気いっぱいだねえ」


 電気もガスも通っているはずのその部屋は、何故だかいつも妙な薄暗さと湿度に満ちている。

 レトロな重々しい木製扉をくぐると、そこでは養護教員のジャックが、綺麗な怪しい微笑みとともに俺たちを迎え入れてくれていた。

 エドワードを担いでいたカールは、こないだの一件のトラウマが抜けきっていないのか、すぐには彼の誘導に反応せず、怯えたような顔つきで廊下に突っ立ったままでいる。


「今日は喧嘩じゃありません。エドワードがまた倒れたんで、連れてきたんです」


 よくよく見てみると、俺の後ろに続いて保健室の敷居を(また)ごうとするものは誰も居ないようである。

 薄い瞼にごちゃごちゃと下手くそな落書きを施した弁慶も、底冷えのする廊下の温度に明らかに凍えているジョニーも、怯えるカールをぐいぐいと中に押し込もうとしているだけで、部屋に入ってくる気配は一向になかった。


「今日は珍しく保健室が賑やかだなあ。君たち以外にも先客が居るんだよ」

「先客?」


 そんな俺たちのことを気にした様子もなく、ジャックは切れ長の碧眼を更に細めてにこにこと笑っている。


 しょっちゅう貧血を起こすせいで否応なしに保健室の常連になりつつあるエドワードを除けば、元・凶悪殺人犯が(あるじ)をつとめるこの保健室に立ち入ろうとするものなど、よほどの重病人でもなければ居ないのが実状だ。


 その不幸な“先客”とやらの身に、一体何が起こったというのか。

 興味本位で部屋の奥を覗いてみると、そこには見知った顔ぶればかりが並んでいた。


「父上、もう校長のお話は終わったのですか?」


 奥を覗き込んだ俺の存在に真っ先に気が付いたのは、同じA組のクラスメートであり、俺の娘でもある茜だった。


 もしかして、先客ってのはこいつのことなのだろうか。

 茜はいつもの和柄ポンチョのフードを押さえ、居心地悪そうに眉を寄せながら、開けっ放しになった扉をじっと見つめている。


「茜? 何でこんなところに居るんだ?」


 いつまでも押し合い()し合いを続ける弁慶たちのおかげで、本来ならしっかりと暖房の効いているはずのその部屋には、一向に暖かさが戻ってこない。

 迷惑顔を浮き彫りにしている室内のメンバーに気が付きもしない様子の彼らを見兼ねた俺は、嫌がる面々を無理矢理引っ張り込んで扉を閉め、改めて娘の姿を上から下までじっくり観察していた。


 少し寒そうにしていること以外、茜の様子にいつもと違うところは見受けられない気がする。

 けれど、見た目に分からない何かがそこに潜んでいなければ、彼女がこんな“辺境の地”にわざわざ足を運ぶはずはない。

 心配を募らせた俺が、体温を診てやろうと自分の額を彼女の方へ軽くぶつけようとすると、茜は普段殆ど動かすことのない顔の筋肉を大きく強ばらせ、怯んだように後退(あとずさ)っていた。


「な、何をなさるおつもりですか!?」

「何って、保健室に居るから熱でもあんのかと思って」


 目を丸くした茜の顔は、熱のせいなのかどこかほんのりと紅潮しているように見えた。


「違います、そうではなくて……ちょっと怪我をしてしまって」


 怪我!?

 言われてすぐに、俺は打撲、捻挫、骨折と、見た目にはっきりと現れそうもない外傷の可能性を順繰りに思い描いていた。

 一体こいつに何が起こって、この危険な保健室に足を運ばなければならないほどの怪我を負わされる事態になったというのだろう。

 凍り付くような緊張感を背に負って、俺は茜に飛びつこうとした――のだが。


「え、茜ちゃんが怪我!? それ、大丈夫なの!?」


 天性の反射神経において、こいつにだけはどうも敵わないらしかった。

 俺よりも数瞬早く茜の言葉に反応したジョニーが、キョトンと瞬きを繰り返す茜の両手を握り、さっきの俺と殆ど変わらないほど鼻先を近づけて、気持ちの悪い声をあげている。

 思考回路が一時完全停止を遂げるほど苛々とさせられた俺は、口元を引きつらせてジョニーを押し退けると、再び掴みかからんばかりの勢いで茜に喰らい付いていた。

 くそ――ジョニーのときとは違って、俺が近づいた時にだけ、過剰だと思えるくらいに離れようとするのは、俺がこいつの父親だからなのか……


「茜、どこを怪我したんだ! 見せてみろ!」

「いえ、あの……私ではなく、怪我をしたのは夏霖(かりん)です」

「何だ、夏霖か――」

「何だとは何じゃ、この無礼者が!」


 それならどうでもいい、と付け加えそうになったところをグッとこらえて唾を呑み下すと、あからさまな包帯を人差し指にぐるぐると巻き付けた九尾の狐の夏霖が、いつもの倍以上ほど眉間に皺を増やした状態でズカズカとこちらに近付いてくるのが分かった。


 こいつ、俺のことが気に入らないのは充分理解しているが、それならそれでいつもいちいち突っかかってこなけりゃいいのに。


 おそらく俺は、そういう面倒臭い気持ちも露骨に押し出してしまっていたのだろう。満面朱をそそいで憤り始めた夏霖は、それを(いさ)めようとする茜の言葉も一切耳に入らない様子で、俺に向かって何やらくどくどと説教を始めていた。


 冗談じゃねえ、もう説教はこりごりだ。

 うんざり顔で肩をすくめた俺は大きく溜息をこぼし、ニタニタと薄ら笑いを浮かべるジョニーに思わず救難信号を送ってしまっていた。


「義経ー、夏霖ちゃんだって美人なのに、差別するからそういうことになるんだぜ?」


 夏霖を特別扱いしているようなつもりは毛頭無い。

 ついでに言えば、茜を心配しているのは“美人だから”という理由ではない。

 むしろどちらかと言えば、俺を毛嫌いして差別してるのは夏霖の方じゃねえかよ。


 しかし、ここで文句の一言も漏らそうものなら、また無礼だの何だのと、倍返しの勢いで罵詈雑言の嵐を浴びせられかねない。

 脇からジョニーとよく似た含み笑いをぶつけてきたジャックを怪訝がりながら、俺はまたも言葉と共に唾を呑み下していた。


「夏霖、あまり無理して声をあげると傷にひびくよ。何せ指を切り落としちゃったんだから、重傷だ」


 廊下に続く出入り口の扉を閉めたおかげでようやく室内に暖かみが戻ってきた頃だと言うのに、ジャックはそんな事情は塵ほども気にならない様子で、グラウンドに面したガラス窓に悠々と手を掛ける。

 一応のところ生徒の前であるにもかかわらず、しれっとした様子で手にした煙草を口に(くわ)えたジャックは、白衣のポケット、デニムのポケットと、体のあちらこちらを叩きながらライターを探しているようであった。


「指を切り落としたあ? 一体何をやってたんだ、お前ら」


 煙草のニオイが嫌いな俺は、ジャックの探しものについては見て見ぬ振りをすると決め込み、ほんの少し短くなった夏霖の指を再びまじまじと見つめていた。


「調理実習です――夏霖たら、指を包丁で切り落としてるのに気付かなくて、うっかりそれをそのままミキサーに入れてしまって」

「睡眠不足でぼんやりしておったのじゃ」


 いやいや、何をさも当たり前のように言ってんだこの女は。偉そうに威張れるようなことじゃねえだろ。


 寝不足になったくらいでいちいち指を切り落としていたら、指が何百本あったとしても足りることはない。

 妖怪にはよくある体質なのだが、おそらく夏霖は怪我をしてもさほど痛みを感じない体質で、外傷に対する抵抗感が、俺たちとはまるで違うのだろう。


「もうすぐバレンタインだから、昨日一緒に昼遅くまでチョコレートケーキを作る練習をしてたんですよね」

「あれは絶品だったのう、茜。来週ももう一度焼こうではないか」


 ねー、と小首を傾げてにこにこと笑い合った茜と夏霖は、心底楽しそうにはしゃいでいるように見えた。


 そういえば夏霖の奴、茜にだけは他のクラスメートのように見下した態度を取らないんだったか。

 いつも残念に思っていることだが、普通に話していればジョニーの言うように美人だし、可愛らしいところもあるのにな。

 体のどこかがくすぐったくなるような感覚に思わず口元を歪め、俺は小さくため息をこぼしていた。


「ね、そのチョコケーキは当然俺のために作ってくれてるんだよね? 嬉しいなあ、俺のために寝る間も惜しんで努力してくれるなんて」

「ば、馬鹿者! 何が悲しゅうて(わらわ)がお前のような低級な妖精ごときに、時間を割いてやらねばならんのだ!」

「えー……そんな、照れなくてもいいのにー♪」


 和やかに流れていく時間をせき止めるような勢いで、薄っぺらい微笑みを貼り付けたジョニーが、歯の浮くような台詞を並べて夏霖との距離を詰めていた。

 こいつのどこまでも陽気で前向きな思考傾向は、もはや特技であると言ってもいいものかもしれない。

 自分が周りにどんな態度で接しても決して嫌われることはないのだと、ここまで自信を持って毎日を過ごせることは、ある意味幸せなことなのかもしれないと思う。


 嫌悪感を露わに耳と尻尾をぴんと逆立てた夏霖は、上から目線の言葉をぶつけようとしながらも、体を縮こまらせてこそこそと茜の背後に逃げ込んでいる。


「夏霖がケーキを渡そうとしているのは貴方ではありません」


 呆れ顔を浮かべた茜は、怯える夏霖をなだめようとしながら、嬉々として都合のいいプラス思考を曲げようとしないジョニーに冷たい視線を送っている。


「え、じゃあ茜ちゃんが俺にくれるの? 嬉しいなあ」

「そんな事は一言も言っていません」


 茜がお前みたいなアホにチョコなんざ渡すわけがねえだろうが!

 いや、もし渡すとしても、それだけは親として意地でも阻止してみせる!


 降って湧いたように起こってきた感情の波に押された俺は、気が付くと、再び先ほどのジョニーともさして変わらないような勢いで茜との距離を詰めてしまっていた。


「茜――誰にあげるんだ! 深く詮索しないからお父さんにだけは言いなさい!」

「ち、父上まで一体何を――」


 窓辺に立っていたジャックといつの間にか並んで煙草を吹かしていた弁慶が、親馬鹿だのなんだのと小さく呟く声が聞こえたような気がしたが、俺にはもはやそんな些細なことは気にならなくなってしまっていた。


 ちくしょう――こんなことで一喜一憂するくらいなら、バレンタインデーなんて無くなっちまえばいいんだ。


 だいたい俺は甘党の弁慶と違って、甘いものは好きではない。

 そのまま弁慶の胃袋に横流しになるのがわかっていて、学園を歩く度に毎年毎年大量のチョコレートを受け取らなければならないことが、とても面倒で仕方ないのだ。


 俺の好みのことを知っている茜のプレゼントだけは、毎年親として楽しみではあるのだが――


「何笑ってんだ? お前今、茜のこと考えてただろ」

「か、考えてねえよ! 馬鹿野郎!」

「父上――そろそろ本気で恥ずかしいのですが」

「お前まで何言ってんだよ! 考えてねえっつってんだろ!」


 各々で複雑な表情を浮かべた弁慶と茜を睨み返した俺は、ほくそ笑む弁慶の横顔を殴りつけてやろうかと思ったのだが――今日のところはやめておいてやることにした。


 何故かって?

 短い言葉にまとめるとするなら、“背が届かない”からだ。

 ここ中有界(バルドゥ)において、元々はっきりとした姿形が決まっている妖怪や怪物たちとは違い、俺たちのような霊体の類は、生前最も肉体的に充実していた頃の姿形を取るという法則がある。

 俺としては、出来れば死ぬ間際の三十歳前後の歳のままで居たかったのだが、この中有界そのものが、俺の肉体充実年齢を“元服の頃(※1)あたり”だと勝手に判断したのだから、どうしようもない。

 だから、俺の身の丈は五尺五寸(※2)に足りるか足りないかの瀬戸際あたり。現代の日本人にしたら、女子の平均身長よりもほんの少し高いくらいだが、それでも当時の日本では標準以上の部類に属していたのだ。


 しかし、弁慶の身の丈は七尺に近い。これは俺たちの生前の環境を思うと、桁外れもいいとこだ。

 奴の身長は、現代人に照らし合わせたって破格であることには違いない。だから俺がこいつの背丈に届かないのは、別に俺が特別小さいわけではないのだと――奴の隣に並んで立つ度に、俺はそう思い込むことにしていた。


「で、その夏霖の指の合い挽き肉で結局何を作ろうとしてたんだ?」


 ゾッとするような皮肉を織り交ぜ、弁慶がぷかぷかと紫煙をくゆらせながら再びこちらを見つめている。

 しかし、露骨に顔をしかめ、降りかかってくる煙を追っ払おうとぱたぱたと手を振った夏霖に、返答する気は無かったようだ。

 代わりに隣の茜が何か答えようと口を開きかけた瞬間、背後の扉が壊れんばかりの勢いでどかんと開け放たれたことで、俺たちの注意は否応なしにそこへ釘付けられてしまっていた。


「あ、弁慶! 調理実習でハンバーグ作ったの、ホントはジャック先生の分だけど、弁慶食べてっ♪」


 ここが泣く子も黙る切り裂きジャック(ジャック・ザ・リパー)が主をつとめる保健室だと――分かっていても、こいつはきっと気にするような性格じゃないんだろうな。

 ミトンに包まれた手で、満面の笑みとともにジュージューと音を立てるステーキ皿を持って現れたのは、雪女郎の六花(りっか)だ。

 しかし、彼女の大好きな弁慶は、そんな六花をちらと一瞥しただけで、何の興味も示そうとしない。


「要らねえよ、俺は甘いものしか食わねえ」


 しかも六花は茜たちと同じ(グループ)のはずだから、あのハンバーグは確実に夏霖の指入りってことだしな――という事情はもはや、弁慶には関係ないのかもしれない。

 毎度のことながら哀れに思うのだが、おそらく弁慶は六花の相手をすること自体に嫌気が差しているのだ。


「六花ちゃん、こっち! 俺が食べてあげるよ!」


 もはやそれは本能的な行動と言ってもいいのかもしれない。

 着崩した雪輪柄の着物の裾からこれ見よがしに露出させた、透き通るような白い肌。

 その六花の胸元と太股に数瞬で心を奪われたらしいジョニーが、目元にハートマークをちらつかせながら彼女の元へ駆け寄ってきていた。

 しかし、パイのように投げつけられた熱々のステーキ皿が、見事にそのしまりのない顔面を直撃したことで、彼のテンションは一気に地の底へと叩き落とされたようだ。

 一度もジョニーの方を振り向かない状態での、あの絶妙なステーキ皿投げのコントロールは、絶対に何か他のことに生かすべきではないかと思うのだが――


「もう、照れちゃって可愛いんだから♪ あ、それともハンバーグじゃなくて弁慶が欲しいのはわた――――え?」


 ミトンごと荷物を放り投げたことで自由になった両手を頬に当て、六花はしきりにくねくねと体を揺らして照れている。

 しかし、そんな彼女の様子を、肩に止まった蠅を見るかのような目つきで鬱陶しそうに()めつけた弁慶は、どこからか突然プラスチック製のチューブのようなものを取り出す。

 そして、六花の頭の上にかざしたそれを、馬鹿がつくほどの握力で何の躊躇もなく易々と握り潰していた。


 弁慶の握り拳からぶちまけられたのは、透明な液体だ。それも、妙に粘液質な――例えて言うなら、水飴のような液体である。

 ドロドロの液体まみれになってしまった六花の姿は、何だか見ようによっては物凄くいかがわしい絵面(えづら)に見えなくもないような――


「おい、弁慶……これってもしかしてロー」

「違えよ。お前じゃあるまいし、何で俺が日頃からんなモン持ち歩かなきゃなんねーんだよ」


 ほかほかと湯気のたったハンバーグを頭に乗せたまま、ジョニーはよくやったと言わんばかりの満面の笑みを浮かべ、六花の妖艶な絵面に魅入られているようだった。

 ジョニーの奴、さっきあいつに熱々のステーキ皿をぶつけられたことはもう忘れているのだろうか――いやむしろ、その切り替えの早さがなければ、ここまでポジティブに毎日女の尻を追っかけ回すことなんて出来やしないんだろうな、きっと。


「やだー♪ 弁慶ったらこういうのが好みだったの? それならそうと言ってくれたら――」

「あれ? 弁慶、ここに置いてあった着火材、どこ行ったか知らない?」


 いつの間にか、部屋の薪ストーブの前で火加減の調節をしようとしていたらしいジャックが、キョロキョロしながらストーブの周辺をうろついていた。

 

 着火材?

 そういえば弁慶の持ってたチューブ、キャンプファイヤー用の着火材に似てたような――


「すんません、ムカついたんで握り潰しましたー」


 地響きの伴うような爆発音とともに、六花の体が一瞬にして真っ赤な炎に包まれる。

 起爆の原因となったのは、おそらく弁慶が放り投げた煙草だ。


「ああぁぁん♪ 弁慶の愛が熱いぃぃぃぃぃぃ!!」


 妖怪だから死ぬようなことはないと思うが、何もここまで派手な手段を講じなくても――

 まあ、やられた本人は悦んでるみたいだから、あまり野暮な詮索はしないでおくか。 


「お前、本物の鬼だな――女の子にこんなことするなんて、俺には信じらんねえよ」

「おう、生憎俺の幼名は“鬼若”だぜ」

「いや……そういう意味じゃなくてさ」


 さすがの能天気男ジョニーも、弁慶のしれっとした態度には納得が行っていないようである。


「おい。それよりエドワードの奴、ミイラみたいになってんぞ。さっさと輸血しねえと灰になっちまうんじゃねえのか」


 話が脱線の一途を辿っていたことと、エドワードを担いでいたカールがぼんやりしたまま一言も言葉を発していなかったことも相まって、俺たちはすっかり当初の目的を忘れ去っていたらしい。

 ジョニーとはまた違った意味で切り替えの早い弁慶が号令を掛けたことで、皆の視線は一斉に後方のカールへ向かって注がれていたのだった。

 

「ああ、そうだったね――それじゃ、そこに寝かせてもらおうかな」


 はっと我に返った様子で、干物のようにひからびたエドワードを見たカールは、慌ててジャックの後を追いかけ、下手をすればひび割れてしまいそうなほどに枯渇したエドワードの体を慎重にベッドに横たえてやっていた。

 そこに、手慣れた様子でてきぱきと輸血の準備を施したジャックは、“入ったら最期”と噂される薄暗い奥の部屋からいくつかの血液パックらしきものを持ち出すと、いそいそとそれを点滴のチューブに繋いでいた。半開きになったドアの隙間から、息を呑みながら奥の部屋を覗こうと身を乗り出してしまっていた俺たちに、意味有り気な妖しい笑みを向けながら。


「よし、これで大丈夫だ。エドワード、早くこっちへ戻っておいで」


 ジャックの呼び声に呼応するようにして、エドワードの肌はみるみるうちに元の瑞々しさを取り戻し、数回瞬きを繰り返す間だけで、彼は意識を取り戻していた。

 目を覚ましてすぐ、エドワードは紫色のぱっちりとした瞳を(かげ)らせ、校長室を出てから一度も口を開いていないカールを心配そうに見つめていた。


「ねえ、カール。昨日言ってたこと、義経くん達に相談してみたら? 何とかしてくれるかもしれないよ」

「昨日言ってたこと?」


 俺がオウム返しにエドワードの言葉を繰り返すと、弾かれたように顔をあげたカールが、今までの沈黙が嘘のように、声を荒げて怒鳴り散らしていた。


「馬鹿野郎、いちいち気にしてんじゃねーよ! 何で俺様がこいつらに相談なんか――」

「でも……カール、最近ちょっとおかしいから。全然元気ないみたいだしさ」


 いつもならカールとジョニーの陰に隠れてオドオドしているだけのエドワードが、いつになく強い口調でカールの言葉を遮っている。


 こいつは驚いた。エドワードの奴がカールを気遣うことがあるなんてな。

 彼は、俺からすればカールとジョニーの二人からいつも酷く苛められているようにしか見えていなかった。

 当然のごとく、苛められっ子のエドワードは、苛めっ子の二人を完全に毛嫌いしているのだとばかり思っていたが、実際はそうではないということなのだろうか。

 俺が目にしている彼らの様子はほんの一部分でしかなく、この三人には三人なりの友情の構図というものが成立しているということなのだろうか。


 その隠された内面のことを思うと、今までただの鬱陶しいアホだとしか思っていなかったカールの奴にも、多少なりとも親近感めいたものが芽生えてくるような気になる。

 そう思うことが出来たのは、仲間を思いやる心意気を持ったエドワードの存在が大きいことだけは確かだが。


「え、そうか? いつもとあんま変わんなくね?」


 しかし、当人たちがそれを自覚しているかどうかということは、また別問題だ。

 気が気でない様子のエドワードとは対照的に、脳天気振りを丸出しにした様子のジョニーは、俺ですら気付いたカールの変化に、少しも気が付けていない様子である。


「あ、当たり前だろ! この俺がこっくりさん如きでどうにかなるわけが――」

「こっくりさん?」


 さっき校長に忠告を受けてたことと関係があるのだろうか。

 エドワードの時とは違い、俺が刺すような眼差しを向けてオウム返しに呟くと、分かりやすく尻尾を逆立てたカールは、藪睨みのように鋭い瞳を白黒とさせ、あたふたと手足をばたつかせていた。


「やっぱお前、何か面倒なことやらかしやがったな……?」


 分かり易すぎるその反応が、何よりの証拠だろう。

 厳しく言及する意味合いで距離を詰めてやると、いつもなら負けじと睨み返してくるはずのカールは、更に分かりやすく瞳を反らし、だらだらと脂汗を流していた。


「こっくりさんかあ……懐かしいなあ。そういえば僕が生きてた頃もそんなのが流行ってたなあ。“テーブル・ターニング”のことだよね」


 ジャックの言う“テーブル・ターニング”とは、心霊を呼び出して質問に答えさせるという、“こっくりさん”と同じ性質を持った簡単な降霊術のことである。

 不安定なテーブルの上に参加者が手を置き、そのテーブルの傾き具合などで霊の発した質問の答えを読み取るというもので、降霊術と言うよりはもっとお手軽で、“占い”に近いような感覚で行われていたもののはずだ。

 こっくりさんは、そのテーブル・ターニングを元に、霊との交信をより精密に行えるよう改良を加えた日本独自のもので、得られる回答の具体性を追求している代償なのか、制約やリスクが非常に多く、もっと神秘的で怪奇的なものとしての位置付けがなされているらしい。

 こっくりさんの原型となったテーブル・ターニングが日本に伝わったのは明治時代の話だ。俺が生きていた時代にそんなものは影も形もなかったわけだから、詳しいことはよくわからないが――俺も多少なら知識らしきものは持っている。


“ウイジャボード”と呼ばれる五十音の書かれた紙に十円玉を乗せ、そこに宿った“こっくりさん”と呼ばれる霊に直接語り掛けることで、質問の回答を得る。

 基本的なやり方自体は簡単なのだが、そこに付き纏う諸々の決まり事を守ることが出来なければ、最終的にはその“こっくりさん”とやらに呪いを掛けられてしまうという、危険な要素もあるらしいのだ。 


「何だ、カール。お前さっきクマ校長が言ってた話聞いてビビってんのか?」

「び、ビビってねえよ! 俺様がそんな子供の遊び如きでビビるわけが――」

「そのわりに、さっきから妙に口数減ってねえ?」

「減ってねえよ!」


 ここぞとばかりに勝ち誇った笑みを浮かべ、明らかに意気消沈しているカールを弄る弁慶。

 そんな弁慶に意固地になって食い下がろうとするカールは、これ以上ないほどの大きな赤字で“ビビってます”と書かれているような面持ちだ。


「てゆーか、地味。男のくせにそんな地味な遊びしてるなんて信じらんないわ」

「だよね、六花ちゃん! 俺も一回カールに誘われてやってみたけどさあ、そりゃもう地味で地味で!」


 先程まで完全に炎の熱に溶かされて液状化していた六花が、早くも驚異的な回復振りを見せている。

 着物のあちこちが焼け落ちて目も当てられない姿になっていること以外はすっかりいつも通りだ。

 しかし六花がこちらの姿で居る方が、うるさいジョニーが釘付けられてくれているおかげで、ややこしい話を挟まれなくて済むのはありがたい。


「よりにもよって、こっくりさんとは――お主らも一応のところは(あやかし)の端くれであろう。低級な動物霊と話すことの何が面白いのじゃ? 下賤の輩のやることはこれだから分からぬ」


 夏霖の言うことも(もっと)もだ。

 校長の話を聞く限り、人間界での通説が、この中有界での法則にどこまで当てはまるのかはよく分からないが、こっくりさんの正体は大抵が低級な動物霊であるらしい。“(きつね)”、“(いぬ)”、“(たぬき)”の字が充てられて“狐狗狸さん”と名付けられているのはそのためだ。一応のところそれよりも上の立場にいる俺たちが、低級な動物霊の力を借りて吉凶を占うなどということは、学園で例えるなら、教師が生徒に勉強を教わる行為とあまり変わらないような気がする。夏霖はきっと“お前にプライドはないのか”ということを言いたいのだろう。


 おそらく、発端となったカールがこっくりさんに手を出したきっかけは、プライド云々の精神論よりも、ただ“禁則事項を破りたくなった”という、身勝手で単純な好奇心からではないかと思う。禁じられていることにいちいち手を出そうとするような行動は、カールのような不良生徒にはよく見られるものだからだ。

 こっくりさんという“禁じられた遊び”が、もっと目を引くほど派手なものだったとすれば、弁慶の奴も面白そうだといつか手を出していたかもしれない。この二人、相当に仲は悪いが、根本にあるのはだいたい似通った思考パターンなのだ。


「んな事言って、ほんとはお前らがビビってんじゃねえの? 悔しかったら俺と勝負しろよ、こっくりさんで!」

「嫌だね、その手には乗らねえ。あのクマの言ってることが本当だとしたら、面倒臭えことになんのは御免だ。独りでやってろよ」


 そして、都合が悪くなると“ビビってる”だの“勝負しろ”だの何だのと言い出して、相手を同じような目に遭わせようとするのも、こいつの常套手段だ。

 だいたい、“こっくりさんで勝負”って何なんだよ。意味分かんねえだろうが。


「ああ、でもねえ義経。こっくりさんて確か、独りでやると怖いんだよー? 確かね、こっくりさんに取り憑かれて、頭がおかしくなっちゃうんだって」


 とても怖い話をしているとは思えないほどの爽やかな笑顔を浮かべ、ジャックがさらりと補足してきていた。

 彼の言葉を聞いた瞬間、それまで何とか自力でコントロールが出来るレベルに保たれていたはずのカールの精神状態は、一気に崩壊寸前にまで持って行かれてしまったらしい。

 カールはとうとう、誰も居ないはずの背後をキョロキョロと振り返ったり、綺麗にセットされた銀色の髪をわしゃわしゃと掻きむしったり、明らかに平常を失ってしまっていた。


 そんな彼の様子を見ても、にこにこと笑顔を崩さないジャックは、自分の放った言霊が呪詛となってカールに取り憑いてしまっていることに、果たして気が付いているのだろうか――


「な、何か本気でビビってねえ? ヤバいことしちまったならちゃんと言えよな、カール」

「そうですよ、カール。何か困っているならきちんと話さないと助けてあげられませんよ」

「な、何言ってんだお前ら! 俺がそんな情けねえ真似するわけねえだろうが! 馬鹿じゃねえの!」


 しかしカールは、心配そうに声を掛けるジョニーと茜に対しても、(かたく)なに意地を張り続けようとしている。


 エドワードだって心配してるのに、本当に分からねえ奴だな、こいつは。


 苛付いた俺は、“こんな奴は、身を()って痛い目を見ればいい”と、本気で考えるに至っていたらしい。

 青白い顔で慌てふためくカールからふいと瞳をそらした俺は、何とかカールの心の隙間に入り込もうと必死になっている茜の肩を叩くと、静かに首を左右に振ってしまっていた。


「いいって、茜。放っとけ。そいつは他人の気遣いを素直に受け入れられるような性格じゃねえんだよ」

「で、ですが――――」


 思えば、このときのカールの言動は、度を超えて異常そのものだったんだよな。

 しかし俺はこのとき、エドワードがクッションになってくれたおかげでやっと芽生えた親近感を、他ならぬカール本人の言動によって、あっさりと壊されてしまったことに対する失望感でいっぱいになってしまっていたのかもしれない。


『こんな奴は、身を以って痛い目を見ればいい』


 あの時、呪詛のような負の力を放っていたのは、ジャックでもこっくりさんでもなく、俺自身だったのかもしれない。


 自らの軽率な心持ちを、俺が深く後悔させられることになるのは、それからじきのことだった――――



※1 元服の頃=現代で言うとだいたい中学生くらいの年齢の頃が一般的。義経の生きていた平安時代には、元服の年齢にあまりはっきりした決まりはなかったようです。義経は鞍馬寺を飛び出して勝手に元服したので、そのときの正確な年齢は不明のようですが、ここでは中学生くらいの年齢というニュアンスで使っています。


※2 古代日本の長さの単位=尺は約三〇.三センチ、寸はその十分の一です。平安末期の一尺はそれよりもやや曖昧で小さかったようですが、ここではややこしいので明治時代に制定された尺貫法を使っています。

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