百鬼夜行の学園(中編)
「雪合戦だあ?」
「その通り! 喧嘩だからってな、お前らそんなギラギラしたもんばっか振り回そうとしねーで、少しは季節感ってもんを考えろよな」
腰に手を当ててにやりと微笑んだカールは、キザったらしく人差し指をちらつかせ、切れ長の瞳を細めてみせていた。
喧嘩に季節感もクソもあるかという意見は、おそらくこいつには通用しないのだろう。
二階の窓から飛び降りるなり、真っ先に刀と薙刀を構えた俺と弁慶は、訝しげに顔を歪めて視線を交わしていた。
「俺は嫌だね。雪合戦なんてまどろっこしい。子供の遊びじゃいつまでたっても勝負なんざつかねえだろうが」
「俺は別にいいぜ。てめえらの顔面にさっきの雪玉のカウンターをお見舞いしてやりてえしな」
てっきり不服を唱えると思っていた弁慶は、素直に薙刀を校舎の壁に立てかけると、夕陽の沈みかけた空を眺めながら不敵な笑みを零していた。
三度の飯よりも好きな殴り合いを脇に置いて、他の方法で喧嘩の勝負をつけようとすることは、コイツにとっては幾分珍しい話だ。何か腹に考えでもあるんだろうか――
仕方無しに俺も、弁慶に倣って“薄緑”を鞘に収め、目の前で得意げにせせら笑う不良どもをちらりと一瞥していた。
「義経よお、お前中有界にここまでドカドカ雪が積もるのなんざ何十年振りの話だと思ってんだよ。ここでやんなきゃ、男がすたるってもんだぜ」
手の平の雪玉を握り潰したカールは、またも得意げに訳の分からない自論で俺達を論破しようとしている。
「おい、やるんならさっさとやろうぜカール。じっとしてると寒いんだよ」
隣で背中を丸めるようにして両腕を組んでいたジョニーは、寒さという苦痛に表情を歪ませ、じたばたと足踏みを繰り返している。
雪女郎の奴に普段から鍛えられてるせいもあってか、俺も弁慶も寒さには強い。しかし、ジョニーは風船玉みたいに着膨れするほどダウンジャケットやマフラーを着込んでいるというのに、それでもまだ防寒が足りていないようである。
一方、タンクトップにサルエルパンツと、人間界とほぼ変わらない気候の中有界で、真冬に外に出る格好としては狂っているとしか思えない格好のカールは、震えるどころか、この上ないほどテンションを上げているように見える。こいつの体感温度ってのはどうなってやがるんだろう。狼ってのはそれほど寒さに強い生き物なんだろうか。
――狼?
まさか、こいつ。
俺の頭の真ん中を、ある一つの仮説が横切っていくのを感じていた。
「お前さ――カール。ホントは喧嘩がしてえんじゃなくて、ただ雪合戦して外で遊びたかっただけなんじゃねえだろうな……」
俺の発言に、カールは両目を白黒させながら、しどろもどろになって怒りをぶちまけようとしてくる。
「ばっ――なっ――――おまっ――! 何てこと言ってやがんだ、んな訳ねーだろうが! この気高い人狼のカール様が、そんな子供みてえな理由で……! おいこら、ジョニー! お前も何か言い返してやれよ!」
「え……俺、寒いの苦手だから、どっちかって言うとコタツで丸くなってる方が好きなんだけど。コタツでババ抜きでもやってる方が平和的で良くね? 女の子も一緒にやれるしさあ」
次の瞬間、情けないことを言うんじゃないと、頭頂部をどやしつけられたジョニーが、不服そうにカールを見つめていた。
俺の言った事はおそらく、図星だ。カールのケツの後ろでばたばたと暴れている柔らかそうな尻尾が全てを 物語っている。
犬は喜び庭駆け回り、猫はコタツで丸くなる――ってやつか?
まあ、カールの奴は正確に言えば狼だが、シベリアンハスキーと変わらないと思えば似たようなもんだ。
数十年ぶりに雪を見たカールは、居ても立ってもいられずボルテージを振り切ってしまい、勢いに任せて外に飛び出してしまった。そして、悪さばかりで友人の心当たりのなかった彼は、喧嘩をしようという体で俺達を誘い出したって寸法なんだろう。
「ふふ――まあいい。どーせそんなこったろうと思って、秘策を用意してあんだよ。お前らがどうしても俺の挑んだ勝負を受けざるを得ない、決定的な秘策をな! おい、エドワード! アレ持ってこい!」
気を取り直してとばかりに不自然さ丸出しでほくそ笑んだカールは、離れたところでぼんやりと立っていたエドワードに意味有り気な目配せをしていた。
「え――アレって何? 僕、ずっとここに居たからよく分かんないんだけど……」
しかし、エドワードは紫色のつぶらな瞳をぱちくりと瞬かせ、ぽかんと口を開けて突っ立っている。
「アレっつったらアレだよ! だいたい分かんだろーがよ、そーいうのは! 空気読めよな!」
たぶん打ち合わせ的なことは何もやってないのだろう。バツの悪そうな顔で、エドワードのウェーブのかかった亜麻色の髪を殴りつけたカールは、何やらこそこそと一言二言、気弱な吸血鬼に向かって囁き掛けている。
何かやりたいならお前が動いたほうが明らかに早いだろうが……
見れば隣の弁慶は既に、すっかり待ちくたびれた様子でしゃがみ込んでしまっていた。
数分の後。
おそらく腕力も相当に貧弱なエドワードが必死になってこちらに向かって引き摺ってきたのは、短めの横棒と長めの縦棒が垂直に交わった、物々しいモニュメント――そう。簡単に言えば“十字架”ってやつだ。
ようやく貧血の症状がおさまってきたばかりだったというのに、エドワードは褐色の肌を土気色に染め上げ、四つ足をついて激しく餌付いている。
確か、吸血鬼って十字架アレルギーなんじゃなかったか?
暗所恐怖症のおかげなのか、エドワードは陽の光に対する弱点は克服しているようだが、十字架嫌いはどうにもならないらしい。
つくづくかわいそうな奴だ――頭の悪い不良に目を付けられているばっかりに。
彼の決死の努力を思えば、それよりも――と言い回すのは少々気が引けるのだが、厳かにそそり立った十字架は、人間界で見られるそれのように、神聖なシンボルとしての用途を果たすものではないらしかった。
まあ――相手が神聖な存在からは掛け離れたものなんだから、当然といえば当然なのだが。
よく見てみると、十字架の中心部には見慣れた人影が磔にされていたのである。
「六花――」
乱雑に絡んだ荒縄でそこに磔にされていたのは、先程弁慶が購買にパンを買いに走らせていたドM女の六花だった。
どう見ても屈辱的なシチュエーションでしかないはずなのに、奴の表情がほんの少しばかり嬉しそうに見えるのは……気のせいだと、思いたい。
「弁慶――捕まっちゃった」
「アッサリ捕まってんじゃねーよ、お前」
さすがの弁慶も驚いたのか、むくりと起き上がって面倒臭そうに頭を掻いている。
「ぎゃははははは! どーだ貴様ら! この淫乱薄着女は俺達が預かった! 返して欲しくば俺達と雪合戦で勝負しろ!」
悪の権化のような下卑た笑いを浮かべたカールは、雪の上に立てられた十字架を自慢げに何度も叩いてみせた。
しかし、喧嘩を売られた弁慶に堪えた様子は無い――まあ、予想はしていたが。
「別に返して欲しくねーよ。好きにすりゃあいいだろ」
「な……何だと、てめえ! こいつ弁慶の女じゃねえのかよ! 本人がそう言ってたぞ!」
「馬鹿ね、弁慶――何もこんなときにまで照れなくたって――」
寒さで頭も冷やされたせいなのか、すっかりやる気の無くなった弁慶は再びしゃがみ込み、体のあちらこちらを叩きながら何やら探っている。おそらく煙草を探してるんだろうが――
確かに六花の話をいちいち真に受けていたらキリが無いのかもしれないが、この無関心さは憐れにすら思える。但し、それは彼女が弁慶の行動に一喜一憂していた場合に限る話だが。
「てめえ――嘘つきやがったな! 犯すぞ、このアバズレ!」
「きゃああああ♪ 弁慶、おーかさーれるぅー♪」
六花の辞書に、おそらく“一喜一憂”の文字はない。それどころか、どう考えても弁慶さえいれば、何があろうと百発百中で悦んでいるようにしか見えない。
あんな態度を取られても、彼女は“きっと弁慶は自分を助けに来てくれる”と信じ込んでるんだろうか。
何を根拠に?
何を希望に?
やっぱりあいつ、カワイソウだ――――
「ったくよぉ。俺のジャムパンをフイにしたくせに、何偉そうなこと言ってやがんだよ、あの女――」
しゃがみ込んで煙草を吹かした弁慶は、傷だらけの悪人顔を歪ませて紫煙を吐き出していた。
もうどっちが悪役なのか、全く分からねえ状態だ。
しかし、少しも堪えた様子のない六花は、わりと自由に動かせるらしい右手をひらひらと振りながら、何やら透明な袋のようなものをちらつかせている。
「弁慶、ジャムパンならここに買ってきてあるから! だから私を迎えに来てぇー♪」
「な、何っ!? ジャムパン――だと?」
こと食い物の話となると現金になれる弁慶は、六花の台詞を聞くや否や、勢いよく立ち上がって吸殻を踏み潰していた。
「よし……受けて立ってやる! 俺のジャムパンを人質に取ろうたあ、ふてえ野郎だぜ!」
六花の存在自体が、弁慶の中で既に完璧なまでに“ジャムパン”と化していることに関しては、目を瞑った方がいいんだろうか――
口元を引きつらせた俺は、立ち上がった弁慶に呼応するようにボルテージを上げ始めたカールを見つめていた。
「なら、こっちも人質をくれてやる! おい、エドワード……お前が行けよ! どうせクソの役にも立たねえんだからよ!」
「ええええっ! 僕、もう体の調子が――わあああああっ!」
抵抗の余地も無くカールの馬鹿力で投げ飛ばされたエドワードは、小奇麗なミリタリーコートのカーキ色と雪の純白とを激しくミックスさせながら、成す術も無く俺の足元に転がってきていた。
「おい――お前、大丈夫か? 唇紫色になってんぞ」
「大丈夫じゃないです――ただでさえ貧血だったのに、アレルギーの十字架まで…………」
どうしてこうも、この学園には憐れな連中が多いのだろう。
やるせなくなった俺は、二階の窓から静かにこちらを見守る茜を見上げていた。
「茜、こいつを診てやんな」
「はい、父上」
しなやかな身のこなしで純白の雪化粧の上に降り立った茜は、いつもの無表情をいくらか和らげ、怯えるエドワードを介抱し始めていた。
「大丈夫ですか、エドワード。我慢できなくなったら、一緒に保健室へ行きましょう」
「あ、茜さん……こんな僕に優しくしてくれるなんて――ありがとうございます、ありがとうございますぅぅっ!」
西洋かぶれた吸血鬼のくせに、エドワードは仏を拝むかのごとく、俺達の前でしきりに両手を合わせている。
こいつ、ホントに普段あいつらからどんな扱いを受けてるんだろう――悪魔とか不浄のものとか、そういう概念を根本から覆してしまえるほどいい奴に見えて仕方ないんだが。こいつもこの上なくカワイソウだ。
刹那。
余所見していた俺に無言で距離を詰めてきていたらしいひとつの剛速球が、俺の額に激しく衝突していた。
しかもその雪玉は、怨念でも込めたかのように固く固く握られた、雪というより氷に近い硬度を持った一球だったと思う。
でなきゃ、こんなに血は出ねえはずだよな。
足元にぽたぽたと落ちた血痕を見つめ、俺はゆっくりと前方に歩み出ていた。
「おのれ、貴様らよくも――!」
語気を尖らせて立ち上がった茜を手で制し、額から鼻の側面を伝って流れてくる血液をぺろりと舐めた俺は、静かに笑っていた。
「わ、わ、わ、カール! お前そりゃあいくらなんでもやべえだろ!」
「いいんだよ、ジョニー! お前だって最初“石入れてやれば良かった”とか言ってたじゃねえかよ!」
「そりゃ勢いってもんが先走っちまっただけで、本気で言ったわけじゃ――」
「うるせえんだよ! お前らもぺちゃくちゃ喋ってねえで、さっさとかかってこい!」
もう赦さねえ、調子に乗りやがって。
手にした雪玉にありったけの怨念を込めた俺は、開戦の合図とばかりに思い切りそれを投げつけていた。
「おっと――当たるかよ、そんなヒョロ球!」
得意げに雪玉を避けたその動きも、もちろん予測の範疇だ。
躊躇い無しにカールのすぐ側まで踏み込んだ俺は、がら空きになったカールのニヤけ面を思い切り殴りつけていた。
「うわあっ! お前、いきなり殴るとか、意味わかんねえし!」
バランスを崩して倒れ込んだカールを目の当たりにしたジョニーは、呆気に取られたようにぽかんとその光景に見入っているようだった。
その隙を突き、すかさずジョニーのがら空きの額を捉えたのは、校舎の脇から弁慶が投げた雪玉――ではなく、薙刀だった。
刃のある方を前に向けて投げなかったのは、ジョニーの素行がカールのものよりも良好だったと判断したせいなのだろう。
不死の俺達にとって、喧嘩に刃物を持ち出したり、骨ごとぺしゃんこにしたり、場合によれば首を飛ばすなんてことは日常茶飯事だ。
金属のぶつかるような音が聞こえ、陥没した眉間から紅いシャワーを吹き出したジョニーは、足元に落ちた弁慶の薙刀――岩融を憎憎しげに蹴り飛ばすと、天性の脚力を使って、信じられない距離を跳躍しながら、弁慶に向かって躍りかかっていた。
「野郎――ふざけやがってえぇっ!」
骨の軋むような鈍い音が校舎に響き渡っていた。
それからはもう、B級スプラッタ映画のような怪奇音の応酬がひたすら続くだけだった。