百鬼夜行の学園(前編)
奥州平泉の地で無念の自害を遂げた俺は、その後、黄泉路で愛する妻と娘との再会を果たし、極楽浄土で幸せな日々を送っていた。
――という夢をよく見る。
それも一度や二度の話じゃない。
週に一度はそんな夢を見ていると考えると、俺が死んだのがユリウス暦で言う一一八九年で、今は既にミレニアムを迎えて十数年が経ってる年だから、ええと――
もう考えるのも面倒だ。
それほどの長い間、俺は黄泉路にすら辿り着けないまま、全くの別次元を彷徨い続けている。
正確に言えば、一応住む所も社会的地位――“社会”と言ってもそれは、人の生きる場所とは違う、別次元の常識に乗っ取ったものではあるが――もそれなりに確立してはいるから、彷徨っているとは言えないのか?
どうしてこうなってしまったのか。
掻い摘んで言えば、俺はどうやら怨霊に成り果ててしまったということらしい。
俺は燃え盛る衣川の館で自刃したあの瞬間、兄に対してとてつもない怨念を抱いていたようで、それが災いして極楽へも地獄へも行けず、あの世とこの世との境に取り残されたままになっているのだ。
そして俺は、何十万回目かの退屈な一日を、またここで過ごそうとしている。
魑魅魍魎、和洋入り乱れた妖の者達が跋扈する、この不思議な学園で。
正直なところ、退屈はしていないのかもしれない。
ここには、人として生きていたあの頃のように、俺を慕ってくれる友人や、尊ぶべき恩師がたくさん居る。
同じだけ俺を敵視する奴や、妙な色の混じった目で見て来る奴が多いのもまた、事実ではあるけれど。
「おい、義経。お前実力テストの結果どうだったよ?」
俺の真向かいで椅子の背もたれを抱くように座り、傷と痣だらけのいかつい風体に似合わない“いちご牛乳”をゴクゴクと飲み干している大柄な髭男。
こいつの名前は武蔵坊弁慶。
俺と時を同じくして平泉の地で果てた、戦友だ。
昔は主従関係にあったが、気の遠くなるような時間を“学園”という場で共に過ごすうちに、同窓の仲間という認識が強まってしまい、今では上下関係は存在しないと思っている。
一本気で人情に厚い単細胞。要するにまあ、とてもいい奴ってことだ。
「どうって……別にどうってことねえよ。いつも通り学年トップだ」
「お前が言うと、厭味通り越して清々しいよなあ」
耳元を彩るたくさんのピアスをジャラジャラと揺らし、がははと大口を開けて笑った弁慶は、手にした“いちごジャムパン”を豪快に頬張っていた。
「俺さ、九十二点だったんだよ!」
「な……何だって? 万年赤点ばっかのお前が!?」
こいつの欠点は、頭が悪いこと。
百戦錬磨の喧嘩好きである弁慶は、ひとたび喧嘩となれば冷静な判断力を発揮することが多いのだが、勉強に関してはからきし不得手で、テストの度に補習の常連をやっている、分かりやすい落第生だ。
勉強しないのは、死ぬ間際に全身に浴びた矢のせいで“先端恐怖症”になっちまって、ペンを握るのが怖いからだ、なんてもっともらしい言い訳をしているが、それじゃあお前が喧嘩の度に振り回してる薙刀に、何の恐怖感も感じないのはどういう訳なんだ? それに、単細胞なのは今に始まったことじゃない。死ぬ前からこいつはずっと、今と大して変わらない性格だったのだ。
そんな弁慶が、満点にほぼ近い点数を取る事があるなんて――学園のある“中有界”が例年にない大雪に見舞われているのは、こいつのせいなのかもしれない。
「語学と数学と、理科と社会……基本教科四つ合わせて九十二点だ!」
くしゃくしゃになった赤字だらけの答案を引き出しの奥から引っ張り出した弁慶は、やはりにこにこと満面の笑みを浮かべていた。
やっぱり馬鹿は、死んでも馬鹿のままだったか――
「へらへら笑ってんじゃねえよ。結局どれも赤点じゃねえか」
これ以上突っ込んでも疲れるだけだ。合計点数の計算が間違っていて、結局八十八点だったということには目を瞑っておこう……
「あら、やっぱり弁慶も赤点なの? 奇遇ね、今回あたしもさぼっちゃってさあ」
山積みになっていた未開封の“いちごジャムパン”を思い切り踏み潰す格好で、悩ましげな白い太ももを見せ付けるようにしながら俺の机に腰掛けてきたのは、見えそうで見えない危ない丈の白装束を羽織った、やたらと艶っぽい女――雪女郎の六花だった。
びっしりとネイルアートの施された細い指で弁慶の無精髭をなぞった六花は、これ見よがしにはだけた胸元をアピールしながら、弁慶の首筋に絡みつくように手を回している。
「ねえ、弁慶。今度の補習は私と一緒に受けましょ、ね? それでね、補習が終わったあとは――」
「おい、六花。どうでもいいが、その服いい加減に何とかしろって。見たくもねえもん見えたらどうしてくれんだよ」
「うるさいわね、義経。賢い学級委員は補習受けなくていいんだから黙ってなさいよ、この童顔野郎」
中指を立てた六花は、俺に向かって軽蔑の混じったような視線をぶつけ、ぺろりと舌を出していた。
俺が童顔なのは、死んだ後、その人間が一番肉体的に充実した年齢の姿に戻って黄泉路につくって法則に乗っ取った結果だ。
人の気にしてることを抜け抜けと言いやがって。
身にまとう冷気を抜きにしても、六花の容姿が鳥肌のたつような美人なだけに、その言葉は棘のように鋭く俺の心に突き刺さってくるような気がしていた。
女だとはいえ、こいつはれっきとした妖怪だ。斬り付けたって死にはしないのだからと、怒りに任せて俺が腰の刀に手を掛けようとしたその時。
でかい図体からは想像もつかないようなスピードで立ち上がった弁慶は、そのはだけ具合を微塵も気にすることなく、六花の胸倉を勢い良く掴み上げると、烈火のごとくいきり立った様子で何やら喚き出していた。
「てめえ――このアバズレ! 俺のジャムパン、ぺしゃんこにしやがって!」
「ちょ――やだ、こんなところで――みんなが見てるわよ、弁慶」
「グダグダうるせえんだよ、クソが! 今すぐ弁償しろ! 購買のジャムパン残らず買い占めて来やがれ!」
立ち上がった弁慶の目線で六花の方を見たら、間違いなく服の中が全部見えてしまっていることだろう。
しかし、本人の体の構成要素の殆どを占めているであろうジャムパンをフイにされた怨みの方が、奴にとってはよほど由々しき事態なのだ。
六花の服の中には目もくれず、ヤクザの如く鼻先数センチのところまで彼女に顔を近づけた弁慶は、鋭い三白眼を吊り上げて憤慨していた。
ところが、紅葉を散らしたように頬を染めた六花は、その至近距離を明らかに別物の意味だと勘違いしている。
――そういえば、こいつも弁慶のこととなると大概の大馬鹿だったっけ。
呆れ返った俺はただただ口を開け、二人の様子を唖然と見守るしかなかった。
「ジャムパン買って来たら、一緒に補習受けてくれる?」
「上等だ、コラ! 但しいちごジャムパン以外をジャムパンとは認めねーからな!」
「うん、分かった――あたし、買ってくる! 購買になければ、あたしコンビニまで走って買ってくるから!」
「買えなきゃ帰ってくんな! ついでに寒いから二度と近寄んな!」
青筋を立てて弁慶が六花を突き飛ばしていた。
確かに雪女郎の六花が側に居ると、真冬の外気に直接さらされているのと変わらないほど寒い。
冷たく突き放されたはずの六花は、何故かキラキラと照れたような笑みをこぼし、しきりにくねくねと身を捩っていた。
何なんだ、この女は――どこまでドMなんだよ。
弁慶のことが好きなのは一目瞭然だが、あそこまで冷たくされて、普通悦ぶもんなのか?
弁慶の鈍感さも毎度のことだが、この女……冷たくされることに快感を感じているように思えるのは気のせいなんだろうか。
妖怪の趣味ってのは、分からねえ――――
「弁慶ったら、時々ああやって大胆なことするのよね。まあ、そこがワイルドでかっこいいんだけど」
去り際、勝ち誇ったような顔で俺の方を振り返った六花は、満足げに微笑みながら悠々と俺を見下ろしてくる。
「お前が幸せなら、俺は何も言わねえよ……」
小走りに掛けていく白装束の背中が、何とも憐れに見えたのは俺だけだろうか。
お前、絶対に勘違いしてるぞ――六花。
対する弁慶は、名残惜しそうにぺしゃんこになったジャムパンを重ね上げ、どこからか取り出した数珠を片手に泣きながら経を上げている。
珍しく僧侶らしい一面を見せたかと思ったら、パン相手に念仏かよ。こいつも根本的なところが間違っている。
溜め息を零しながら、俺が購買の梅おにぎりを口に入れようとした瞬間の事。
けたたましい音と共に、教室の窓ガラスの一枚が弾け飛ぶのが分かった。
「きゃあああああっ!」
ガラスのすぐ側に立っていた小柄な女が、頭にひょっこりと生えた獣の耳を押さえ、悲鳴をあげてしゃがみ込んでいた。
前後に並んだ俺と弁慶の席は、割れた窓のすぐ側の位置にある。窓の割れる間際に危険を察知していた俺は、咄嗟に窓ガラスと獣耳の女との間に割って入り、無意識に庇うようにしながら、女の体を抱き締めていた。
「大丈夫か? 夏霖」
オレンジ色の夕陽を受け、粉のように飛び散ったガラスが空を舞いながらキラキラと輝いている。
ガラスの雨が止み終わり、怖々と顔を上げた夏霖は、俺の顔を間近に見るや否や、細長い眉を吊り上げて激怒し始める。
「さ――触るな、下郎め! 下等な怨霊の分際で、妾に触れるでない!」
反射的に庇ってしまったが、動いてから嫌な奴を庇ったと思ったんだよな。
夏霖は“九尾の狐”と呼ばれる高等妖怪。
本人の話によれば、生まれも育ちも俺達怨霊や他の妖怪とは桁が違うらしく、クラスメート達を酷く見下しているような節があるのだ。
黙っていれば美人だし、成績もトップクラスなのにと、こいつを見ているといつも残念な気持ちになってしまう。
「あー、はいはい。折角庇ってやったのに、可愛くねえ奴だな」
「ぶ、無礼者め! さっさと離れんか、このっ!」
生白い肌を真っ赤に染めているのは、怒っているからなのか、それとも――
まあこいつに限って、そんな心があるはずもねえか。
言葉にならない言葉を撒き散らしながら手足をばたつかせる夏霖を尻目に、俺は割れた窓ガラスの下に見える景色を、牛乳パックを片手に立ち上がった弁慶と共に覗き込んでいた。
「何事ですか、父上。誰かの差し金でしょうか」
見れば、いつの間に現れたのか、おかっぱ頭の茜のやつも、相変わらずの無表情を引っさげて階下を覗いていた。
茜は俺自身が衣川の館でこの手に掛け、黄泉路の道連れにしようとした、俺の実の娘だ。
しかし、こいつは俺と同じ怨霊などではなく、“座敷童子”と呼ばれる妖怪としてこの中有界へやってきたらしい。座敷童子とは元々、胎児や物心つく前の幼子が死ぬことで生まれる妖怪らしく、彼女も御多分に洩れず、その運命を辿った魂の一つだということである。
それにしても、座敷童子っていえばもっとこう――それこそ、死ぬ間際の茜のような、あどけない幼子の姿をしてるもんなんじゃねえのか?
毎日顔を合わせていて思うのだが、こいつはどう見ても俺や弁慶と変わらないくらいの歳に見える。
とても自分の子供だとは思えないんだが――
「あれは、“吸血鬼”のエドワードではありませんか」
「ああん? エドワード? エドワードって、隣の?」
窓枠に残った窓ガラスを刀の鞘で叩き落とした俺は、窓の下でぼんやりとこちらを見上げる褐色肌の男と目が合っていた。
「エドワード――A組の窓ガラスを割ったのは、てめえか?」
可能な限りドスの効いた声を響かせ、唖然とするエドワードを睨みつける。
するとエドワードは、残像がちらつくほどの勢いで何度も首を横に振り、必死に弁明を始めていた。
「ぼ、ぼ、ぼ、ぼ、僕じゃありません! 僕はただ貧血気味だったから、ここで休んでいただけで……」
端正な顔立ちを恐怖に歪め、火がついたようにぶるぶると首を振り続けていたエドワードは、急激な運動で貧血が悪化してしまったのか、そのうち綿のように積もった雪の上にぱたりと倒れこんでしまった。
まあ、端から気弱なコイツが犯人だとは思っちゃいないんだが――
エドワードは吸血鬼のくせに暗所恐怖症で暴力嫌い。人に牙を立てて血を吸い取る勇気がなく、いつも貧血気味。おまけに趣味はひなたぼっこで、浅黒い肌はその副産物だ。一見チャラついた軽薄そうな外見だが、こんなモヤシみたいに貧弱な男が、いきなり他のクラスの窓ガラスを割るなんて、大胆な行動には出ないだろう。
「嘘つけ、てめえ! ふざけやがって! 今すぐスマキにしてや――」
そんな事情も何のその、ジャムパンをフイにされた八つ当たりとばかりに特攻をかけようと窓枠に手を掛けた弁慶の顔面に、白い何かが激しく衝突し、千切れ飛ぶのが分かった。
隣の俺にまで振りかかってきた白い爆弾は、体温によってすぐに跡形も無く融け落ちてしまう。
雪玉……?
こんな子供染みた真似をやらかす連中は、おそらく奴らしかいない。
弁慶とほぼ同じレベルの単細胞にして、何かと争いの耐えない隣のクラスの問題児コンビ――狼男のカールと、妖精猫のジョニーの奴だ。
「ぎゃははははは! 顔面ストライクだぜ! 見たかよ、ジョニー!」
「あちゃー、石入れるの忘れてたぜ……殺す気で投げたのにさあ」
只でさえ細長い切れ長の目を真一文字に近いほど細め、カールは腹を抱えて雪の上を転がり回っている。
一方ジョニーの方は、吊り上がった猫目を何度も瞬かせ、悔しそうに舌打ちをしていた。
完全に調子に乗った二人を見ながら、小麦色の肌を幾分白っぽく染めたエドワードがおろおろとすがり付き、怒りに歯軋りしている弁慶に向かって懇願するような眼差しを送っている。
「や、やめようよ……二人とも……また弁慶くんに殺されちゃうよ」
「うっせえんだよ、エドワード! 俺らがいつもあの弁慶にやられてるって言いてえのかよ」
「おらおら、ぼーっとしてねえでそこのデカブツとオカマのコンビ――出てこいやあ!」
人間界のテレビで見た誰かのマイクパフォーマンスを真似て、すっかり調子に乗ったジョニーが、頭から生えた深緑の猫耳をピンと立て、体を仰け反らせてせせら笑っている。
“オカマ”の一言にムカっ腹のたった俺だったが、俺が反応するよりも早く、茜のやつが無言のまま、近くにあった黒板消しを掴んで投げつけたことで、俺は充分満足していた。
せせら笑う二人の間を通り抜けた剛速球は、剃刀のごとき勢いでカールとジョニーの頬の皮膚を抉るように掠め、やがて豪雪のカーテンの向こうに消えて見えなくなってしまっていた。
「ははは……酷えな、茜ちゃん。可愛い顔して球速はメジャー級かよ」
「その無表情がたまんねー。恥ずかしがってないで今度デートしてくれよ、なっ? なっ?」
「お前らに娘はやらねえぞ!」
思わず窓枠に手を掛けた俺の服の裾を、恥ずかしそうに頬を染めた茜が咎めるよう引き、ぶるぶると首を振っていた。
茜はこういうとき、何故だか俺に“娘”扱いされるのを嫌がる。
親馬鹿だと言いたいんだろうか――これだから、年頃の娘の気持ちはよく分からねえ。
「お前まだ茜ちゃんのこと“娘”だとか言ってんの? キモいからやめろって、それ。“俺の嫁”の方がナンボかマシだぜ」
「茜ちゃんは俺の嫁ー! ぎゃはははははっ!!」
「うるせえんだよ、お前ら! 殺すぞ!」
しかし俺は親として、一人娘があんな気持ちの悪い不良どもに言い寄られるのだけは我慢がならねえ。
親馬鹿が何だ、年頃の娘が何だ。
「うざってえ――お前が止めても俺は行くぜ、義経」
「上等だ、弁慶。俺も手伝ってやる」
ほぼ同時に窓枠に足を掛けた俺達は、真っ白な雪の絨毯目掛けて、颯爽と飛び出していた――