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「連載版」「備品を数えるだけの仕事だろう」と婚約破棄された宮廷台帳官ですが、台帳48冊なしでは王宮が回らないようです  作者: 夢見叶
第3章 49冊目の返還命令

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第9話 宝物庫の記録が噛み合わない

 宝物庫の前に立った瞬間、棚札の位置がおかしいことに気づいた。

 第7棚と第12棚の磨耗度が逆だ。


 馬車の中で気づいた42冊目の違和感から、ここまでの半日は緊張の連続だった。王都の門で同行責任札を押されて、重い意識のまま監査室へ呼ばれて、マティアスの目で照合灯の使い方まで確認された。全ては公的な手順だった。


 けれど棚札は、手順では説明できない。


「まず棚番号の確認をします」


 私は声を低く保ったまま、門番に向き直った。


「第7棚と第12棚の使用頻度が記録と逆になっているようですが」


 門番は眉をしかめた。むしろ眉をしかめるべき側は、彼ではなく私だったはずだ。置き忘れられた側、後任に任された側、王宮に立ち入ることさえ許可形式で確認された側。なのに――


「前任者の管理ですから、詳しくは――」


「いいえ。私が昨年新しくした札の配置です」


 喉が少し乾いた。


 昨年の秋。前任でなくなる直前に、第7棚と第12棚を新しい位置へ入れ替えた。同じサイズの二棚を年1度のメンテナンスで磨き直すため、新しい札は表面が白く、その配置を逆にするだけで管理の半減を見通していた。


 今その札が、古い方が第7棚に当たっていた。新しい札が第12棚に。


 つまり、この半年で、棚の位置が戻された。


 後任の3人が。あるいは他の誰かが。


「宝物庫内部への立ち入りを許可していただきたいのですが」


 マティアスが背後から1歩前へ出た。


「照合をお願いします」


 鍵が開く音。冷たい石床の底冷えがまた足首に纏わりついた。


 中へ入った瞬間、棚を数える指が止まった。


 異常は棚札だけではなかった。


「現在記録帳の第7棚の13番。銀製の燭台、王紋入り、5個1組。所在、第12棚」


 私が呼び出すと、ノエルが走り書きをした。


「旧記録帳ではどこですか」


「第7棚の別の頁に、3個1組で第7棚に所在と記されています」


「謝罪品帳では」


「――の所在が、神殿への寄贈品として第12棚に」


 同じ品が、3冊の帳簿で3つの所在を持っていた。


 完全に異なる場所に。まるで意図して、誰かが記録を噛み合わせなかったように。


「これは」


 マティアスが背後から身を乗り出した。


「帳簿ミスでは説明がつきません」


 私は答える代わりに、別の棚へ目を走らせた。


 数えろ。読め。見つけろ。


 それは職能であり、もう半年前から手放していたはずの行動だった。なのに、立ち入りを許された瞬間に、その感覚が爪の先から戻ってきた。


 痛いほど的確に。


「第31冊。謝罪品ながら返却不可と記された品目の欄に、同じ品が3度出ます。1度は引き渡し済み。1度は返却待ち。1度は所在不明。同じ識別番号で」


 呼吸が浅くなった。


 これは混乱ではない。これは、混乱に見せかけるために、誰かが細かく、慎重に、入れ替えたものだ。


「ノエル。42冊」


 補助室に戻ったのは、その場では言葉にならないものがあったからだ。


 並んだ冊を見たノエルが、ゆっくりと付箋に指を走らせた。


「あの、第42冊の予備鍵欄だけ、ページの癖が違うようです」


 私は頭の上を通り過ぎる彼の言葉を、半ば受け取りながら、自分の手で確かめた。


 栞がある。後付けの栞が。


 誰も、この冊を開かなかったはずだ。引き継ぎでも触れられず、王宮の誰も読まず、そのまま積まれたままだったはず。


 なのに今、新しい栞が入っている。


「第42冊。予備鍵管理。この栞の――」


 薄墨で誰かが名前を書きかけている。けれど書き終わらず、引き返した痕跡がある。


「何をしているのか、わかるか」


 言葉が勝手に出た。


 ノエルが顔を上げて、小声でつぶやいた。


「閉じたままなの。読まなかったのに。誰かが、今さら開いて、それで――」


 その通りだ。


 本当に読まれていなかったから、その後の出来事は記録されなかった。記録されなかったから、後から誰かが、その空白に、自分に都合のいい痕跡だけを足すことができた。


「記録します」


 その言葉は、もう6ヶ月前の私を思い出させた。


 泣く前に、やることがある。そう言って、48冊を置いていった時の自分。


 けれどいま、その記録の空白から見えるのは、単なる無能ではなく、もっと意図的な何かだった。


「宰相のお手すきの時間はおありでしょうか」


 マティアスに告げると、彼は少し目を細めた。その直後に、理屈の側へ切り替わった表情だ。


 宰相執務室へ戻った時には、既に日は落ちていた。


「無能で済むなら、私も楽でした」


 ベルナールは我々の報告の途中で、そう呟いた。


 損害額の計算を終わらせ、議事控の端で数字を見つめながら。


 オリヴィエが私の背に1度だけ呼吸を寄せた。公の場では許されない距離で、けれど誰にも見えない角度で。


「問題は混乱ではないということか」


「はい。混乱に見せるための操作です」


 私の言葉に、ベルナールは少し溜め息をのんだ。


「敵が外ではなく、内にいるのか」


 それは、誰も言い切らなかった。


 ただ、宰相の指先が薄紙を2度叩いた。その沈黙が全てを言っていた。


 宝物庫外の回廊に出た時、既にオリヴィエは夕方の石畳を見ていた。


 一言も声をかけずに、私が来たことを知っていた。


「台帳だけでしたら」


 言いかけた私の言葉を、彼は指先で1度だけ押さえた。


「渡さない」


 声ではなく、それに近い音。


「49冊目ではなく、その側に立つお前を奪わせない」


 触れない距離で、けれど全てを守るようにして。


 その姿勢が、私を壊すよりも多く、復活させるのだと、その時初めて気づいた。


 王都に戻ってから、私は何度も「必要とされている」ことの痛みを感じていた。


 有能さは、やはり最後には、仕事の外へ出してくれない。


 けれど彼が立っている場所は、その仕事の側ではなく、その仕事の向こう側だった。


 記録されない彼の選択が、記録される私の全てを守っていた。


 翌朝、命令書の照合が、全てを変えた。


 照合灯の下で浮かぶ、2重に輝く封蝋。


 再熱の痕跡。


 正式命令だと言われた書簡が、正式前に、誰かにすでに読まれていたのだ。

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