第3話 3日以内に提出せよ
「宮廷の執務室に48冊しかなかった。番号が飛んでいた」
玄関先の男は旅装のままだった。灰青の目に朝日が映る。右手に銀細工の髪留め。左手に、私が隠した49冊目。
「48冊全部読んだからだ」
胸が静かに壊れた。23,000点を誰にも読まれないまま、この人は全部読んだのか。彼は室内へ入り、49冊目を開いた。付箋が干し肉、岩塩、白革手袋、蜂蜜酒、万年筆に挟まっている。全て、私が「業務の範囲外」と書いては消せなかった記述。
彼は最後の頁を開いた。
「——分類不能。保管場所、胸の奥。管理番号、付与できない」
「この行は消さないのか」
「……消しませんでした」
「お前は、この1冊を誰に読まれたいんだ」
答えが1本だけ見えた。
「あなただけです」
言い切った瞬間、この人の前でだけなら不適切な感情もそのまま開けるのだと知った。
「来い。辺境伯領へ。台帳は1冊あれば足りる。123点」
「仕事の話、ですね」
距離を保つつもりだった。だが彼は指した。机の上の49冊目へ。
「この1冊に書いてあるのは、仕事か」
「いいえ」
「だったら来い。1人ではない」
涙が顔に上がるのに気づいた。インクが滲むから泣かないと決めていた。49冊目が開かれている限り、文字が水に溶ける。
だが彼は49冊目を朝の光にかざした。光が透き通る。私の筆跡が浮かぶ。
「『所感欄が広く取れます』」
彼は最後の1行を読み上げた。
「書き足すことができる」
「はい」
「なら来たら。辺境伯領の台帳は、お前だけのものにする。所感欄も、この先の頁も。123点の備品は、お前が選んだ場所の証拠になる」
その言葉で、泣く許可をもらった。涙が滑り落ちる。インクが滲む。49冊目の最終頁がぼやけて見える。だが見えなくなるほど涙が落ちたということは、見てもらえたということ。
「48冊全部読んだ。残りがお前だけだ」
全部読んでくれていた。仕事だけじゃなく。記録の外も。
「……わかりました。行きます」
その時、玄関先で馬の足音が止まり、使者の声がした。
「王宮監査室より、公文書の配達です」
彼の目が氷のように透き通った。使者が差し出したのは赤い封蝋の羊皮紙。王璽の色。彼は受け取り、開かないまま読む。
「3日以内に、49冊目を王宮へ提出せよ。王宮監査室」
使者は去る。馬の足音が遠ざかる。
玄関を閉じた彼は、返還命令書を握ったまま私を見た。
「辺境へ来る覚悟は」
それは承認を求めるのではなく。私に戦う相手を示す言葉だった。
49冊目の最後の頁が朝日の中でまだ滲んでいる。
「はい」
その2語を言った瞬間、私の人生の選択が変わった。見てもらえない場所への逃げではなく。見せる相手を決めた、その決定へ。




