表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「連載版」「備品を数えるだけの仕事だろう」と婚約破棄された宮廷台帳官ですが、台帳48冊なしでは王宮が回らないようです  作者: 夢見叶
第1章 仮保管の髪留めと49冊目

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/10

第2話 髪留めよりも、便り

 南部町に着いてから3日目の朝。私は家の中庭で、1冊の台帳が受け取れない書翰を読んでいた。


 王宮からの指令。午後2時、北の監査室へ出頭のこと。持参物なし。護衛なし。単独。


  記載理由欄は空白。署名は「王宮監査室」のみ。押印も見あたらない。


 指令書というより、脅迫に近かった。


「……いつ着いたんですか」


  南部の借家の侍女が、水差しを持って声をかけた。


「昨夜。馬での移動が予定より半日早かった」


  実際には、36時間の徹夜で走った。王宮を離れた直後、馬子に金を握らせて、立ち止まるなと言った。後ろを塞ぐためではなく、前に進むためだった。


 49冊目が鞄の底に入っているという事実だけが、私を動かしていた。


「出頭命令ですか」


 侍女の声が、かすかに震えていた。


「記載がない。つまり、記録不正の可能性がある」


 侍女の顔が白くなった。


 記録不正とは、王宮内部でも最も重い。出頭命令が本物か偽造か、その時点では判別できない。応じなければ逃亡罪に問われ、応じれば何をされるかも不明という、最悪の仕組みだ。


「ご判断は」


「午後2時。まだ時間がある。確認してから動く」


  実際には決まっていた。応じる。ただし、49冊目は持たない。右引き出しの髪留めも置いてきた。証拠は、王宮の側に預けてある。


 持てるのは、その記憶だけだ。


  北の監査室に着いたのは、午後1時55分。西の壁沿いの階段から入った。門衛は不在。あるはずの通行札の記載もない。


 不穏さの濃度が上がった。


「貴女で間違いないね」


 監査室の入り口で、灰髪の高位官が立っていた。宰相配下の監査官。王宮内でも限られた者だけが面会を許される層。


「記録に、ご報告させていただきたいことが」


「あろう。だがその前に」


 監査官の後ろから、書記官が動いた。手には封蝋封じされた羊皮紙。宝物庫預り札。


「宮廷備品第4802番。銀細工の髪留め。小花意匠。受取人未記載。状態、未使用。本日より特別査問の対象に指定する」


 私の呼吸が、一瞬止まった。


「即刻、返納を命じる。物質的返納、もしくは所在証明。どちらでも構わない」


 返納ではなく、返納の圧だ。髪留めの存在を知られていた。それだけではなく、右引き出しまで知られていた。


「物は王宮に置いてきた」


「そうだろう。だから返納ではなく、確認だ」


 監査官が視線を落とした。


「お前が持ち出したのは、ほかの物だ。台帳。第49冊。業務記録の外側。所感が記載されている筆記。返納を命じる。本日中に王宮へ」


  心臓が、止まった。


 49冊目を知っている。だけではなく、その中身が個人的だと知っている。


「確認させていただきたいのですが、どの法令に基づいた返納命令でしょう」


「婚約仮登録の破棄に伴う帳簿返納義務」


「婚約の対象は備品台帳48冊です。第49冊は、私的な記録簿。帳簿ではありません」


「私的ならなおさらだ。破棄に伴って、贈答記録の返納に含まれる」


 嘘だ。明らかに、嘘だ。


 でも、そう言われると、私は言い返せない仕組みになっている。


「記載理由が空白です。この返納命令は、記録として成立していません」


 背筋を伸ばした。台帳官の癖が出ていた。


「書き足すか」


 監査官が書記官を見た。書記官が新しい羊皮紙を出した。


「理由:業務帳簿の私情混入。帳簿管理者としての職責違反」


  職責違反。一言で、私は有罪になった。


「確認した。いかがか」


 記載理由が明記されれば、法的には返納命令が成立する。異議を唱える余地は、残らない。


「……期限は」


「本日中。差し入れは禁止。面会も禁止。直接返納のみ」


  差し入れ禁止。面会禁止。つまり、誰かに相談する時間を与えないということだ。


「承知いたしました」


  返答することで、私は自分から応じたことになる。拒否すれば逃亡罪が上乗せされ、応じれば職責違反で業務帳簿の持ち出しを認めたことになる。


 どちらを選んでも、詰みだ。


「ただし一つ」


 声が出ていた。


「返納前に、内容の確認をさせていただきたい。49冊目は帳簿ですが、帳簿の誤記や破損、価値減損がないかどうか、確認は返納者の責務です。これを記録に残してからの返納であれば、異議の余地がはっきりします」


  監査官の目が、細くなった。


「内容確認は、王宮で行う」


「それでは返納責任が曖昧になります。返納時点での物質状態確認は、法的に必須です」


 張り合っていた。それは危ないと、頭の片隅で知りながら。


「……帳簿管理官として、返納時の物質状態確認は記録に入れるべきです。でなければ、その後、内容が改竄されても証拠が残りません」


 監査官が、一度目を閉じた。


「確認する。ただし、内容の閲覧は禁止。表紙、装丁、頁数の確認のみ。いかがか」


 一歩譲歩した。表紙と装丁と頁数だけなら、所感の内容は見られない。


「かしこまりました」


  鞄を開けた。49冊目を出した。


 濃紺のカバー。革製。側面に銀の花押。頁数は、184頁。


 監査官が、短く頷いた。


「物質状態。破損なし。頁数184。内容確認なし。異議ありか」


「ありません」


「返納時刻、午後2時17分。返納者署名」


 書記官が署名欄を指した。


 私は、鉛筆を取った。


 手が、少し揺れた。


  でも署名した。自分で、確認した上で、返納する形に。


 書記官が羊皮紙を折った。49冊目を、その中へ入れた。


「本日中に王宮へ送付する。異議はないか」


「……ありません」


 嘘だった。異議で満ちていた。でも、異議を言う場所と言葉が、もう残っていなかった。


  執務室を出たのは、午後2時19分。頭がまっすぐ立たず、気温を数える余裕もなかった。


 これはまだ、始まりに過ぎないのだと、足の先から理解し始めていた。


  北の監査室から南部町へ戻るのに、35時間かかった。走る速度は落ちていた。49冊目が手にないことで、体が重くなった。


 家に着いた時の時刻は午後4時。昨日午後2時19分から、ちょうど26時間と41分。


 侍女が「お帰りです」と声をかけた。その声が、とても遠く聞こえた。


「物は」


「返納しました」


「返納ですか?」


「記録に残した上で」


  侍女が、何かを察した。顔が蒼ざめた。


「では、どうなるのですか」


「わかりません」


 はじめて、本当のことを言った。


  夜間。馬車の音が、家の外で止まった。


 侍女が、窓から外を見た。


「……顔が見えません。でも、大きな人が」


  オリヴィエだった。あるいは、彼の側近だった。


 玄関をたたく音の前に、鞄が置かれた。封蝋で厳重に閉じられた。


 そして、馬車は去った。


  鞄を開けた。その中には、羊皮紙が1枚。文字は短く、1行だけ。


「明日、南の宮。夕刻」


 署名はない。でも筆跡は、誰のものか、分かっていた。


 その直後、別の訪問者があった。


  王宮からの使者。1冊の封蝋書簡を、宮廷封蝋で送ってきた。差し入れ禁止の条件下での、唯一の抜け道。


「南部町領主代理の資格において、面談を求む」


  オリヴィエが、領主として動き出した。


 リゼット・クランフォールという個人ではなく、彼の領地に属する人間として。


  その時点で、初めて、あることに気づいた。


 49冊目の最後の頁に、私は何を書いたのか。思い出そうとしても、送り出した後のことだから、確認ができない。


  でも書いた。書いたはずだ。オリヴィエへの言葉を。受取人欄に彼の名がないまま、その台帳を大事に持ってきたあの夜に。


  あの時、私は何を書いたのか。


  その言葉が、いま、王宮の監査室のどこかで誰かに読まれているのか。あるいはまだ、誰にも見られていないのか。


  確認する手段がない。


  その確認がないまま、明日の夕刻、南の宮で、彼に会わなければならない。


  そして彼は、もう知っているはずだ。49冊目が私のものだったことを。その中に彼への言葉があること。でも、その言葉の全部を知ってはいない。


  知られたくない部分も知られたくない理由も、全部。


 いや、違う。


  知られたくないほどのことを、私は書いていたのか。


  指先の冷えが止まらなかった。左手で庇うべき西日も、もう南部の家にはない。


  明日の夕刻まで、あと14時間と、まだ数えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ