彼女に不審な点は一つもない
その頃、レイモンドは首都内の訓練場にて射撃訓練を行っていた。
午後の陽射しが射場の砂地を白く照らしている。
射撃線上では、分隊員たちが訓練用小銃を肩に構え、標的を睨んでいた。
レイモンドは射撃姿勢を一人ひとり確認して回る。
「三番! 銃口が下がっているぞ! もっと上げろ!」
「そこ、頬付けが甘い! 五番は息を止めすぎだ! 酸欠で倒れたいのか!」
「十二番、どこを狙ってる! 外せば船が沈むと思え!」
「どいつもこいつも、やる気のない奴は一兵卒からやり直してこい!」
低く通る罵声が射場に響く。
次の瞬間、「放て!」と言う号令とともに一斉射撃。
乾いた銃声が連続し、硝煙の匂いが風に乗って漂った。
標的の確認を終えると、レイモンドは手を上げて合図を送る。
「休止! 安全装置を掛け、銃口を下げろ!――休憩十分、水分補給を忘れるな!」
兵たちは小銃を肩から下ろし、弾倉を外して安全を確認すると、三々五々日陰へと散っていった。
レイモンドもタオルで首筋の汗を拭い、深く息を吐く。
そのとき、別方向から軽い足音が近づいてきた。
「は~、相変わらず鬼教官だな。俺、お前と別の隊で良かったわ」
そんな声とともに現れたのは、エミリオだった。
レイモンドは眉をひそめる。
「何しに来た。まだ訓練中だろ。持ち場に戻れ」
「俺も休憩中なんだって。それより聞いたか? マルケス大尉、明日復帰するらしいぞ。これでようやく定時で帰れるな! いや~、よかったよかった!」
エミリオは笑いながら、レイモンドの背中をバシバシと叩く。
ここしばらく、レイモンドは第三沿岸防衛隊中隊の指揮官、マルケス大尉の代わりに、臨時指揮官を兼務していた。
マルケス大尉がぎっくり腰で休養に入って以来、自身の隊務と中隊の指揮を掛け持ちする日々が続き、帰宅はいつも遅かった。
「そうか」
短く返すレイモンド。
だが、その声音に喜びはない。
エミリオは怪訝そうに眉を上げた。
「何だよ、辛気臭い顔して。嬉しくないのかよ」
そう言いかけて、ふと何かに思い当たったように目を細める。
「もしかして、何か夫人の情報を掴んだのか? ここのところ、夫人について調べてただろ?」
レイモンドは眉をひそめる。
「どうしてそれを知っている」
「どうしてって、そもそも言い出したのは俺だぞ? で、どうだった?」
実のところ、この一週間、レイモンドはソフィアの過去の交友関係を洗っていた。
帰りが遅かったのは、マルケス大尉の代役を務めていたからだけではない。
訓練の合間や夜間に、彼女の素行を調べていたのだ。
だが、一週間かけても埃一つ出なかった。
男の影はなく、借金の記録もない。 全くもって潔白な身だった。
唯一掴んだのは、ソフィアの実家――ハリントン家を辞めた元メイドからの証言だ。
曰く、「ソフィアが学生だった頃、ときおり街で会っていた男がいた」という。
レイモンドは息を吐き、躊躇いがちに告げる。
「彼女には学生のとき、定期的に会っている男がいたことを、かつてハリントン家に務めていたというメイドから入手した」
エミリオは目を見開く。
「うわ。メイドにも当たったのか? 本気だな」
「元、だ。それに、お前が言ったんだろう。彼女には男がいるんじゃないかと」
「まぁ、そうなんだけどさ。それで、その男っていうのは?」
「東方人に見えたと言っていた。歳はソフィアと同じほど。髪は黒に近く、身なりは整っていたと。だがそれ以上は不明だ。男の素性も、二人の当時の関係性も」
元メイドの証言をもとに、この三年間のソフィアの行動も洗った。
だが、男と会った形跡も、手紙のやり取りも一切見つからない。
「この三年間、彼女が個人的に接触した相手は、親族以外では社交界の女性のみ。少なくとも、俺の知っている相手ばかりだった。つまり、現状彼女に不審な点は一つもない」
レイモンドが言い切ると、エミリオは「東方人か」と呟き、目を細めた。
その表情には、何か引っかかりを覚えたような色が浮かんでいる。
「どうした? 何か気になることでもあるのか?」
「あ……いや」
珍しく口ごもるエミリオに、レイモンドは眉をひそめる。
「何かあるなら言え」
数秒の沈黙のあと、エミリオは顔を上げ、問いかけた。
「お前、『サーラ・レーヴ』っていう帝国の服飾ブランド、知ってるか? 一年くらい前から、社交界の女性たちの間で密かに話題になってるんだが」
(『サーラ・レーヴ』?)
聞いたことがない。
レイモンドは眉間の皺を深くする。
「知らないな。それと彼女に、一体どんな関係がある?」
訝し気に訪ねると、エミリオは神妙な顔で答えた。
「そのブランドを最初に広めたのは、夫人だって聞いたことがあるんだよ。しかも、そのブランドの窓口はヴァーレン商会。あの商会は東大陸発祥だ。もしかしたら、何か関係があるかもしれないと思ってな」




