二日後の、外出先のことなのですが
レイモンドにエスコートされながら、ソフィアがチャリティー会場の庭園に足を踏み入れると、会場は既に多くの来客で賑わっていた。
庭園の奥に簡易の舞台がしつらえられ、中央には三十を超えるテーブルと椅子が並んでいる。それを挟んで、左右に長く伸びる長机には軽食がズラリと並び、もはやパーティー会場のようだ。
ソフィアが会場全体を見渡すと、見知った貴族や夫人とその子供たち。また、会場の端のテーブルには、首都の軍部に務める将官たちの姿も混じっていることがわかる。
(盛況ね。流石、ブルックリン伯爵夫人だわ)
ブルックリン伯爵は慈善家で有名だが、その評判を押し上げているのは紛れもなく、妻である夫人だ。
夫の価値は、妻の社交の仕方次第でいくらでも変わってくる。それは同時に、妻自身の評価を引き上げることにも繋がる。
――が、ソフィアは、夫人がそのような利己的な感情で動く人間ではないと知っていた。
夫人は、夫である伯爵を愛しているのだ。それが彼女の動力源であることを、ソフィアは尊敬しつつも、心のどこかで羨ましく思っていた。
(本当に愛し合うふたりって素敵よね。受け取ったプレゼントを突き返そうとした自分とは、大違いだわ……)
そんなことを思っていると、「侯爵夫人」と不意に横から声をかけられる。
「来てくださって嬉しいわ」
それは、ブルックリン伯爵夫人だった。
ソフィアは笑みを浮かべる。
「ごきげんよう。本日は素敵な催しにご招待いただき、ありがとうございます」
当たり障りない言葉を返すと、夫人は、ソフィアに腕を貸しているレイモンドを見上げ、頬を緩めた。
「ふふっ。腕まで組んで、本当に仲がよろしいこと」
「まぁ、そんな。夫人ほどではありませんわ。ところで、伯爵はどちらに? ご挨拶申し上げたいのですが」
「あら、いいのよ、挨拶なんて。主人は奥でカードゲームをやってるわ。まだ劇も始まっていないのに。何も賭けていなきゃいいけど。あの人、弱いのに負けず嫌いだから」
夫人は片手を頬に当て、「困るのよねぇ」と眉を下げるのだが、実際のところは、全く気にしていない様子である。
「ところで、侯爵閣下はゲームはお好き? 軍人は賭け事を好むと聞きますけれど」
今度はレイモンドに話を振りながら、奥のテーブルをちらりと見やる夫人。
確かに、その視線の先の将官たちは、賭け事の話で盛り上がっているようだった。
レイモンドは眉尻を下げる。
「どうでしょう。誘われればしますが、少なくとも、首都にいる間は断るようにしています。妻と過ごす時間が減ってしまいますから」
すると、夫人はパッと目を見開いて、「まあまあ! 昼間からお熱いこと!」と満足げに微笑んで、去っていった。
そんなこんなで、見知った貴族たちと一通り挨拶を交わし終えたソフィアは、空いたテーブルに腰を下ろす。
そこでようやくレイモンドの横顔を見ると、彼の口元が、いつもより緩んでいる気がした。
(……やっぱり、外出の約束のせいかしら。いつもより、機嫌がいいわ)
そんなことを考えたのも束の間、レイモンドに微笑みかけられる。
「飲み物を取ってこよう。希望はあるか?」
「いえ、特には」
小さく答えると、レイモンドは笑みを深め、颯爽と飲み物を取りに行く。
そうして、ソフィアにグラスを手渡すと、「上官に挨拶してくるよ。君はここで休んでいて」と優しく声を落とし、将校たちの座るテーブルに向かっていった。
その背中を見つめながら、ソフィアはそっと息を吐く。
(紳士、なのよね、旦那様。ずっと演技だと思ってたのに……そうじゃないとわかってからは、社交も少し、気が重い)
ソフィアは思い出す。
馬車の中で、『宝石をすべて返す』と伝えたときの、レイモンドの傷付いた表情を。
(あのとき、旦那様は明らかに素顔だった。本当に傷付いていたんだわ。だから、つい外出の誘いを受けてしまったけれど……やっぱり、出掛けるべきじゃないんじゃないかしら)
そんなことをすれば、後になって、一層レイモンドを傷付けるだけなのでは。
(かと言って断るのも……。それに断ったら、本当に宝石を海に捨ててしまいそうだもの。あんなに綺麗な宝石を捨てるなんて、そんなのもったいなさすぎる。やっぱり、外出は受け入れるしかないわよね)
やがて、弦楽器の低い和音が響き、庭の中央に設けられた特設舞台に視線が集まった。
舞台の幕が上がり、開始の拍手が沸き上がる。
舞台すぐ前に並べられた椅子には、子どもたちが座っていた。髪には小花や羽根飾り、足元には磨き上げられた靴——いずれもこの場にふさわしい家柄の、子息・令嬢たちだ。
貴族と言えど、子どもたちは劇場に行くことはないので、皆、目をキラキラさせて舞台を見ていた。
(可愛いわね)
思わず頬を緩める。
けれど同時に、何とも言葉にしがたい感情も沸き上がった。
(孤児院への寄付を募るチャリティーなのに、ここには、当事者は誰もいない)
当然だ。当然なのだが、孤児院の子どもたちが、この舞台を見ることはない。
もしかしたら、生涯、一度も。
その違和感を、ソフィアはこれまで何度も抱いてきた。
けれど、この国の貴族社会で、そのようなことを口にすればどうなるか。説明するまでもない。
――そんなときだ。上から、レイモンドの声がする。
「退屈か? それとも、どこか具合が悪いのか?」
「――!」
顔を上げると、レイモンドが心配そうにこちらを見下ろしていた。
「ただ少し、考え事を」と微笑むと、レイモンドは微かに目を細めながら、着席する。
「何か、君の気分を害するようなことが?」
「いえ、そういう訳では……」
言いかけて、ソフィアはふと思った。
もし今のモヤモヤを伝えたら、レイモンドはいったいどんな反応をするだろうか。
貴族らしからぬ言動に呆れ果て、自分への興味を失ってくれるのではないだろうか。
――ソフィアは、周りの皆が観劇に気を取られていることを確認し、そっと唇を開く。
「旦那様、二日後の、外出先のことなのですが――」
「何だ、もう行先を決めたのか?」
意外そうな顔をするレイモンドに、ソフィアは膝の上の拳に視線を落とし、ひとつ息を吸って――告げる。
「わたくしと一緒に、孤児院へ慰問に行ってはいただけないでしょうか?」




