第57話:人間ってのは、あんがい不合理なもんだ
春休みになった。
高校に進学する先輩達を見送って、僕たちは2年生とも3年生ともつかない曖昧な存在になった。
世の中の『卒業』の空気感にのまれた僕は、自分も大きな事をやり遂げたような、心地よい妄想に酔いしれていた。
影山さんと一緒のクラスになれたらいいな。
修学旅行楽しみだな。
受験勉強ダルいな。
いたって普通の喜びや悩みが、この先もずっと続いていく。そう、なんの根拠もなく信じていた。
でもそうじゃなかった。
この春休みは僕にとって――そして影山さんにとって、言葉通り『命を賭けた』日々となった。
僕はまだ、何もやり遂げていない。
* * *
春休み2日目。
パーカーを羽織ってきた事を後悔するほど、季節感を無視した陽気が降り注ぐ昼過ぎ。
僕たちは魔女の三浦ハナさんに呼び出されて、近くのマックに集合した。僕たちとは、僕と影山さん、そして松原さんの3人。あの神隠しの日、ツキヒと遭遇したメンツだ。
田舎のマックはやけに混み合う。ランチタイムのピークを過ぎても、来店者が途絶えることはない。でも、みんなこの陽気を楽しもうと、テイクアウトで店を出ていくから、イートインの席はそこそこ空いていた。
奥の席に座る三浦さんは、やけに疲れた表情をしていた。仕事が忙しいのもあるだろうけど、それとは別の心配事があるようにも見えた。
でも僕たちを見つけると、それを隠すように笑ってくれた。
ポテトとコーラを注文して、席に座る。
「もう、春休みだよね?」
「そうですね」
「三浦さんも春休みですか?」
「ニコリちゃん……大人は春休み、ないの……」
ていうか普通の休みですら――と項垂れる三浦さん。季節の変わり目に長期休みがあるのが当たり前の僕たちと違って、大人の社会は厳しい。なんで人は、こんなにも働かねばならないのか。
「おお、やけに大人数だな――」
背後から声がした。
聞き覚えのある声だ。
振り向くと、小柄なおばあさんが立っていた。
「百々さん!」「おばあちゃん!」
僕と影山さんの言葉が被る。
「久しぶりだな。しっかし、なんなんだこの店は、くそ騒がしい……」
僕たちを見てニヤリと笑うと、悪態を吐きながら空いていた三浦さんの隣にドスンと座った。
「阿部くんに連絡先を教えてもらってたから、私の方から連絡したの。これからの事、みんなで打ち合わせしようと思って――」
三浦さんが百々さんにペコリと頭を下げる。
「さっきフェリーで到着したところさ。まあ、元々こっちに来る予定でいたからな」
このでっかいキャリーバッグは、そういう事なのか。影山さんを見ると、いつもの無表情の中心で大きな目が爛々と輝いていた。おばあちゃんが来てくれて嬉しいんだろうな。
「うん……それじゃあ、みんな揃ったから、まずは情報を共有しようと思います」三浦さんは真剣な顔で、頬に垂れた髪を指先で掻き上げる。「例の……『ツキヒ』について――」
* * *
三浦さんは『ツキヒ』が協会の正式な討伐対象になったと告げた。
今までは正体や行動原理わからな過ぎて、手を出す事も出来ずただただ様子を見ていた。でも、僕達がS島で得た情報を加えた事で、ようやく実現可能な討伐方法が見つかったらしい。
「かぶちゃんには、嫌な決断になるかもだけど……」
影山さんとツキヒの関係性を考えれば、ツキヒを討伐する事への影山さんの胸中は、想像が難しい。
三浦さんはどんな言葉も受け入れようと身構えている。でも影山さんは口の端を上げて笑い――
「……あいつをぶん殴りてぇって気持ちは、今でも変わらねぇよ……」
店の喧騒にかき消されそうな、いつも通りの小声だけど、はっきりとそう言い切った。
合意が取れた事に安心したのか、三浦さんの肩がストンと落ちた。
そして、僕達に腹落ちの時間を与えるように、たっぷりと時間をおいてから、再び話し出す。
「それで、協会が提案してきた討伐作戦が――」
それはとてもシンプルなものだった。
すごい霊能者達が作った結界の中にツキヒを誘い込み、閉じ込め、討伐する。
言うのは簡単だけれど、神出鬼没なツキヒを閉じ込められる程の結界は、その場しのぎで作れるものじゃない。だから今まで実現できなかった。
でも、万全の策を講じた結界を作り上げた上で、そこにツキヒを誘い込めれば……。
それは都合が良すぎる展開だけど、影山さんというツキヒとの『縁』を上手く利用することで、それが可能になるらしい。
「それって、影山さんが囮になるって事ですか?」
頑丈な檻の中央に置かれた餌として、影山さんが利用される……。ツキヒを討伐するためとはいえ、彼女をそんな危険な目に遭わせたくはない。
「かぶちゃんの安全は保証するよ。ツキヒの『名付け』への対策もちゃんと考えてるし、閉じ込める結界は並大抵の悪霊じゃ破れないほど強力なものだから――」
そんな言葉とは裏腹に、三浦さんの表情は不安気だった。
「そう、協会は言ってるらしいな」三浦さんの胸の内を代弁するように百々さんは言う。「だが、他に手があるかといえば、残念ながらあたしにも何も思いつかん」
「詳しく言うと、隣のM市の廃校を協会が借り切って、校舎全体を強力な結界で覆うの。そこにひとつだけ出入り可能な『入り口』を用意して、かぶちゃんにはそこにいてもらう。もちろん、影山さんの事も強力な結界で護ってね……。そして影山さんとツキヒの間にある『縁』の糸を手繰り寄せれば、結界の檻の中にツキヒを誘い込めるはず。事前にかぶちゃんだけ出られる道を用意いておけば、ツキヒだけを結界の中に閉じ込めるカタチになる」
理解はしたけど、影山さんが餌になるって事実は変わらないじゃないか。こんな作戦、影山さんはどう思ってるんだろう?
「なるほどね……」影山さんは腕を組んで頷く。「たしかに……シンプルだけど、なかなかいい作戦なんじゃねぇか……?」
「かぶちゃんを、危険な目には合わせないからね。私が、絶対に――」
「ありがたいけど……この作戦にはひとつだけ、重大な欠陥があるぜ……?」そう言って影山さんは右手を握る「結界に邪魔されてたんじゃ……あたしはあいつを、ぶん殴れない……」
「ははっ、言いよるわ」百々さんが小さく吹き出した。「まあ危険な策ではあるが、このままアイツを放置しとけば、いずれ再び合間見える事になるだろうからな。他人の助けを得られるこのタイミングで祓ってしまうのが、安全ではある――」
影山さんと百々さんのポジティブな言葉に、三浦さんはホッと胸を撫で下ろしたようだった。
協会とかいう組織から提示された作戦に、一番不安を感じているのは三浦さんも同じなのかもしれない。
「でね、ここまで知って貰った上で――阿部くんとニコリちゃんにお願いがあるの」
三浦さんが崩れかけた表情を再びキリッと引き締める。僕は息を呑んだ。
「二人には、この件から離れてほしいんだ」
「え、離れる?」
予想外の言葉だった。
「うん。これ以上、二人を危険な目に合わせるわけにはいかないの。二人には今まで助けてもらったし、本当に勝手な物言いだけど――これ以上は、大人として止めなきゃいけない」
てっきり協力をお願いされると思ったから、拍子抜けしてしまった。それと同時に、言いようもないモヤモヤした気落ちが浮かんでくる。
松原さんを見ると、口をゴモゴモさせている。きっと僕と同じ気持ちなのだろう。
「もうこの件は、私たちの手を離れてるの。教会が本腰を入れて動き出した今となっては、私たちに出来ることなんて何ひとつない……」
「でも、お前さんは最後まで関わるつもりなんだろ? もはや部外者なのは、協会専属じゃないお前さんも同じだろうて」
「私には……みんなを巻き込んでしまった責任があるから」
「勝手を言いよるわ。こう言うのを、今の言葉でなんて言ったっけな? ダ、ダ……」
「ダビスタ……」
「ダブスタだよ松原さん……。ダブルスタンダード」
それじゃ競走馬育成シミュレーションだよ……。
「おい孫、どう思う?」
百々さんが試すような目で影山さんを見つめる。
「あたしは……」影山さんは何かを言おうとして言い淀み、口をゴモゴモさせながら言葉を紡ぐ。「あたしは、二人には危険な目に合ってほしくない……。あたしにとって……一番大事な、二人だから……」
隣に座る僕たちの方を見ずに、影山さんは俯いたままだった。
「まあ、確かにな……。じゃあ、お前ら二人はどうだ? どうしたい?」
どうしたいって……そりゃ本心じゃ影山さんを一人で戦地に行かせたくはない。
でも、三浦さんの言う通り僕たちはただの足手纏いだ。邪魔になったり迷惑になったりで、この作戦に支障が出てしまうなら、行くべきでは――
「わたしは、最後までかぶちゃんを応援したいよ」
色々グチグチ考えている僕の事など気にも止めず、松原さんがあっけらかんと答える。
「だって私たち友達だもん。友達に応援されたら嬉しいし、一番の力になるもん」
「まあ、一理あるわな」
試すような百々さんの目が細められる。
「僕だって、影山さんを一人で危険な目に合わせるのは嫌だ!」
結局、僕は考える事を放棄した。
物分かりのいい子供としての自分は、この常識外れの日常に放り込まれてから、どこかに捨ててきたはずだった。
『視えない』『知らない』――そんな大人達が作った常識より、僕は自分自身の心に従いたい。
「……だ、そうだが?」
百々さんは三浦さんを見る。三浦さんは困った顔で、切り揃えられた前髪を指先でかき上げた。
「あたしは、今年で75になる。この年まで色んな悪霊を祓ってきたし、死にそうになった事だって何度もあった」独り言みたいに百々さんは語る。「でもなぜか死ななかった。霊も視えないし、戦う力もない、そんな足手纏いでしかない旦那と、いやいや戦ってきたはずなのにな――」
百々さんは、思いを馳せるように窓の外を眺める。小さな子供を連れた夫婦が、駐車場から歩いてくるのが僕にも見えた。
「病気で旦那が死んでわかったよ。実は大事な足手纏いがいた方が、人は慎重になれるし、生きたいって強く願えた」
そう言ってから、再び三浦さんに視線を戻した。
「人間ってのは、あんがい不合理なもんだ」
三浦さんは小さく頷いた。座面に置いたバッグの、カボチャ頭の人形を撫でながら。
店の入り口から笑い声が聞こえる。部活帰りみたいな数人の高校生が、注文のタッチパネルの前であーだこーだ言っている。
悔しそうな声で悪態を吐く一人を、他の数人が鼓舞している。次は負けんなよ。俺達がついてっから――
「お前はどう思う? 孫」
そう問う百々さんの声は優しかった。
影山さんはおずおずと、左隣の僕と、右隣の松原さんを交互に見る。松原さんは力強い目で影山さんを見つめて、大きく頷いた。
影山さんも頷く。
それだけで、答え合わせは済んだ。
きっと専門家さんにとって、僕達は迷惑な存在だろう。なんの力も知識もないまま、無遠慮に首を突っ込んでくる、身の程知らずの素人達にすぎない。
でも、影山さんを気持ちを一番に助けてあげられるのは、きっと僕達なんだ。
「そう言う事だから、すまんが、協会にあたしらの我儘を通してほしい」百々さんは三浦さんに頭を下げる。「除霊の場に、こいつらを立ち合わせてやってくれ。絶対に危険な目には合わせない。このあたしが、責任を持ってな――」
「……わかりました」
その言葉の重みを全身で受け止めるみたいに、三浦さんは力強く頷いた。
影山さん。
ツキヒ。
協会の人たち。
そして僕達の、最後の戦いが始まろうとしている。
僕の手は震えていた。
それを悟られまいと、僕はその弱虫な右手を、左手で強く押さえつけていた。
次回からは、ツキヒ討伐とさらにその先の展開へと、ノンストップで進んでいく予定です。
あと10話くらいで完結させたい。
よろしくお願いいたします(*´Д`*)




