第56話:ぜったい、助けるから
魔女――三浦ハナのスマホに着信が入る。
業務日報を作成していた彼女は急いでそれを書き上げると、上司の目を盗むようにそそくさと退勤した。
田舎の終電は早い。通勤用の自転車を押しながら、人通りの途絶えた駅前広場を横切る。梅の花と潮の匂いが混じった、温かな風が心地よい。
電話の要件はおおよそ察しがついた。昨晩、阿部康平から届いた『ツキヒ』に関する情報を協会の担当にメールしたから、おそらくその返信だろう。
国道沿いの歩道までくると、ハナはスマホ画面をタップした。
『ああ、三浦サン? 忙しかった?』
やや軽薄な男性の声。協会に属していない霊能者であるハナの、窓口および監視役を担っている見口という協会員だ。
「いえ、ちょうど終わったところです」
『こんな時間までお疲れ様。いや、ほんと協会の専属にならない? 三浦サンなら、そんなブラック企業で残業に追われる生活とも訣別できるよ?』
「いいえ、結構です」
努めて事務的に返す。
協会のお抱えになれば、たまの依頼をこなすだけで今以上の収入が得られる。今よりも幾分人間らしい暮らしが送れるだろう。
しかし同時に、そっち側に突き抜けてしまう事への恐れもあった。
自分の最終目標は、恋人との『普通の生活』を取り戻す事であり、それが叶えば自身の持つ異能の力など足枷でしかなかった。そっち側に突き抜けてしまえば、二度と望んだ普通には戻れない気がする。
『まあ、気が変わったらいつでも言って』
見口は大して気にも留めない様子で返す。このやり取りはハナの拒否も含めて、一種のルーティーンになっている。
『それで、例のツキヒの件だけど――』少しだけ声を顰める。『三浦サンの情報を元に上の連中が協議してたみたいだけど、やっぱ除霊する事に決まったわ』
「そう、ですか……」
走りすぎるトラックのヘッドライトに照らされながら、ハナは頷く。
『協会もさすがにヤバいって判断したみたい。まあ、俺も妥当だと思うよ? 存在自体を変質させるとかいうイカれた奴が、その辺を散歩してるって今の状況……冷静に考えてイカれてるよ。正体不明で手の出しようがなかったから、今まで様子を見てたけど、三浦サンの情報で対処の目処がついたっぽい』
「……」
ハナは何も答えなかった。
街灯から街灯までの僅かな時間の中で、ハナは色々な感情や未来を整理し、それらと決別した。
『うーん、三浦サンには悪いと思ってるよ? 三浦サンは例の彼氏のために、ツキヒを研究したかったんでしょ? でもさ、しゃーないじゃん。もう、放って置けないんだよ』
「わかってますよ」
苛立たしげにハナは言った。頭ではわかっていても、心が納得するにはもう少し時間がかかる。
「でも、どうやって除霊するんですか? そう簡単にどうにか出来る相手じゃないですよ?」
ハナの問いに、見口はあー、えー、とフィラーを重ねる。
『……まあ、とりあえず、協会は最大戦力をぶつけるらしいよ。神源寺さんとか、そのレベルのやべえ人達が動くらしい。それで――』
その先の言葉は、機械が放つノイズのように、静かな夜の闇を無機質に揺らした。
「――それって……」それを聞いたハナは唇を噛み締める。「そのやり方って、あの子は安全なんですよね? そこはちゃんと、保証されてるんですよね!?」
『そんなの、当たり前じゃないですか』見口はわざとらしいくらいゆっくりと返す。『素人に危害が及ぶのは協会じゃ御法度だって、ハナさんも知ってるでしょ? それに神源寺さん達が結界を張るんですから、万が一にも失敗はないですよ』
信じていいのだろうか、とハナは思う。
しかし見口の言うとおり、一般人を巻き込んであまつさえ怪我をさせるなど、協会内では最大限の禁忌だ。人に見えざるものを扱うからこそ、彼等は見える者・見えない者の線引きを重んじる。その二つは本来、触れ合ってはいけない存在だからだ。
二つの世界をしっかりと区別する事が、彼等にとって最大限の矜持なのだ。
それに、悔しいけれど……ハナも、協会の提示するやり方しか思いつかなかった。
『スケジュールが決まりましたらまた連絡しますね。そっちの子達とのやり取りは、三浦サンにお願いしちゃっていいですか?』
「はい、大丈夫です」
ハナは無意識に、カバンにぶら下げたかぼちゃ頭の人形を握っていた。
『それじゃ、よろしく――』
そう言って電話は切れた。
ハナは立ち止まる。
気が付けば、曲がるはずの信号を素通りして、かなりの距離を歩いてしまっていた。
溜め息を吐いて、空を見上げた。
星は見えない。
小声で呪文を唱えると、ハナの身体は風に舞う綿毛のように浮き上がり――その姿は夜空へと同化し、見えなくなった。
* * *
影山蕪太郎は病室のベッド脇に立って、横たわる父親を見下ろしていた。
S島での一件で、蕪太郎は『母』を知った。
探求の末に垣間見る事ができた、母の人物像。
出来る事なら目の前の男に、母についてを語ってほしかった。それは断片的なものでも、偏見で凝り固まったものでも構わない。蕪太郎は目の前の父親から、それを聞きたかったし、小さな頃からずっと、そう願っていた。
相部屋の、カーテンで仕切られた隣のベッドからは、老人の低い呻き声が聞こえる。重たく、生温かい空気が、病室に充満していた。
このまま父親が眠り続ければ、きっと父の中にいる母も、生温かな檻に閉じ込められ続けるのだろう。
そして、母が父に見せた笑顔も声も仕草も、父の記憶の中に留まり、こごり、ごびりつき……そのまま朽ち果ててしまうだろう。
それはあまりにも悲しくて、苦しい。
蕪太郎はずっと、父親とのたわいもない会話を夢見ていた。
母のどんなところが好きだったのか、母はどんな声で、どんなふうに話し、どんな横顔をしてたのか。
自分のどんなところが、母に似ているのか……。
現実問題として、この父親がそんな凡庸な会話をしてくれるかどうかわからない。今までだって何度も裏切られてきたし、紙切れみたいに薄い希望に縋ろうとする自分が心底嫌いだ。
でも、もしかしたら――
蕪太郎は信じたかった。
もし、この危機から父を救う事が出来れば、彼は変わってくれるんじゃないか?
母が愛すべき母であるように、父もまた愛すべき父になってくれんじゃないか?
温かな目で自分を見て――『よくやった』って、『ありがとう』って、褒めてくれるんじゃないか?
その希望の火は、消えそうなほど微かなものかもしれない。
でも――
「ぜったい、助けるから……」
無精髭が生えてもなお、実年齢よりいくらか若く、幼くさえ見えるその顔に、蕪太郎は語りかける。
「まってて、お父さん――」
協会に対する三浦さんの不安と、父の愛を求めてわずかな希望に縋ろうとするかぶちゃん。
色んな思いが交差し収束しつつ、ツキヒ討伐が始まります!
どうぞよろしくお願いします(*´Д`*)




