第53話:あの子のこと⑤
こいつが初めて現れたのは、小学生の頃だった。
参観日に向けて、蕪太郎は作文を書いた。
先生が与えたテーマは『自分の家族の好きなところ』。クラスメイトは思い思いに、父親の頼もしさや母親の優しさについて、力強い筆で原稿用紙にしたためていた。
そんな中で、蕪太郎は嘘を書いた。
自分の父親は優しく、聡明で、子供思いであると。
この作文は参観日当日に、親の前で読む事になる。自分の書いた作文が父を貶すようなものなら、父はきっと恥ずかしい思いをするに違いない。
バレないように、バレないように……丁寧にエピソードを創作して、蕪太郎はありもしない父の優しさを書き連ねた。
参観日に来てくれた父が、少しでも嬉しい気持ちになってくれるように。また、参観日に来てくれるように。
結局、父は参観日に来なかった。
家に帰ると、父の部屋から壮大なイビキが聞こえた。今日という日でも、父はいつものように図書館で本を読み、部屋に篭って小説を書き、上手くいかずにイラついて酒を飲み、そのまま寝入ってしまったらしい。
冷蔵庫の扉にこれみよがしに貼っていた『授業参観の案内』をむしり取って、蕪太郎は自分の部屋に篭った。
みんな嫌いだ。
自分をキモいと蔑む男子も、陰で『幽霊』って囁いてる女子も、薄汚れた身なりにあからさまなため息をつく先生も。
そして、自分にはこれっぽちも目を向けてくれない父親も――
蕪太郎は、世の中の全てが大嫌いである事に気がついた。
嫌いなものしか存在しないこの世界で、自分はなんて孤独なのだろう。
まるで世界が『嫌い』で塗りつぶされているようだ。
それならば――目の前の嫌いなものをひとつずつ殺していけば、嫌いの中に隠されていた『好き』を見つけられるのではないか。
そんな恐ろしいげな妄想を繰り返しながら、固い敷布団へ乱暴に寝転がる。その衝撃で、痩せっぽちな身体の薄い皮膚に覆われた背骨が、ギシギシと痛んだ。
誰か、助けて――
目を瞑り、そう願って、再び目を開ける。
薄闇の中に、白い蛍光灯の輪っかが見えると思っていた。もしくは、亡き母親の幻が見えればいいなと願っていた。
しかし、どちらも見えなかった。
蕪太郎の視界には鬼が映っていた。
自分の嫌いなものなど全て破壊してくれそうなほど、筋骨隆々でたくましい、銀髪の鬼が――
* * *
激動の夜が明けた。
正直、あれからあまり眠れなかった。
眠い目を擦りながら母屋の食堂へと向かうと、僕たちを見つけた女将さんの顔が綻ぶ。ニコニコしながら背中を押して、僕と影山さんを食卓テーブルへと座らせた。
テーブルの上には昨日の夕食以上に豪勢な料理が並べられていた。
これはもはや、朝食ってレベルじゃない……
「あの、これ――」
「いーっていーって! 昨日のお礼だよ!」
そう言って女将さんは僕の背中をバシバシ叩いた。
寝不足で食欲が湧かないなぁ……そう思いながらも箸をつけると、意外や意外、どんどん箸が進む。
旅館の朝食はなぜか異様に美味しいものだけど、それに加えて女将さんの優しさが感じられる味付けだ。
影山さんはもうご飯をおかわりしている。
あの細い体のどこに、これだけの量の食べ物が収まっているのだろうか。
結局僕たちは、テーブルの上の朝食を米粒ひとつ残さずに平らげてしまった。
「うん、若者の食べっぷりは気持ちがいいですね」
かなちゃんを抱いた旦那さんが顔を出した。腕の中のかなちゃんはも、ぞもぞ動いて下りたがっている。
旦那さんがそっと床に下ろすと、かなちゃんはトテトテと影山さんの方にやってきて、脚のところに抱きついた。
「ぴーきゅあー!」
「あ、ああああ……」
困ってしまう影山さん。かなちゃんが動くたびに浴衣の裾が肌けるから、それをしきりに直している。
僕はかなちゃんを抱っこして膝に座らせると、影山さんの方に向けさせた。大好きなぴーきゅあの顔が近くにきて、かなちゃんはご満悦のようだった。
膝の上で嬉しそうに跳ねる。
満腹のお腹が押されて、なかなかに苦しい――
かなちゃんは影山さんに手を伸ばした。
影山さんは恐る恐る、伸ばされた小さな手のひらに触れる。
柔らかくて温かそうな手だ。
影山さんの表情が、不安から慈しみへと変わった。
朝食の後は早々に民宿を発つ事にした。
昨晩、影山さんのおばあちゃん――百々さんは『夜が明けたらうちに来い』と言っていた。
僕たちを厄介者扱いして突き放す百々さんから、どのようにして話を聞き出そうかと思いあぐねていたけど、思わぬところから突破口が開いた感じ。
荷物をまとめて玄関に向かう。
奥の居間に声をかけると、三人総出で見送りに来てくれた。
「えっと、料金は――」
「お代はいいよ」女将さんはニヤリと笑う。「二人は、かなの命の恩人だ。こっちがお礼を払いたいくらいさ」
「でも……」
「いいんだよ」そして照れくさそうに頬を掻く「利害じゃなく、助けたいって気持ちだけで誰かを助けられる。そんな二人の優しさが、自分に返ってきたんだよ」
僕と影山さんは顔を見合わせた。
女将さんはそんな僕らを見て小さく頷く。
「あたしら大人だって、やさしい世界になればいいなって、みんな本当は思ってんのさ」そう言って、かなちゃんの頭を優しく撫でる。「そんな世界への投資だよ、これは――」
「ありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとう」
「ぴーきゅあー、バイバーイ」
「うん……かなちゃん、ばいばい……」
別れの挨拶を交わして、影山さんが先に玄関を出る。
それに続こうとしたところで、僕は肩を叩かれた。振り向くと、真剣な顔の女将さんが僕に目線を合わせていた。
「彼女の事……ちゃんと守ってやんなよ」
「……はい」
「それと、昨日はお楽しみを邪魔しちゃってごめん」
「いやいやいや、お楽しみとかそんな事なくて!」
僕の反応に満足したのか、女将さんはもう一度だけ強く僕の肩を叩いた。
「阿部くん……どうしたの?」
「あ、ごめん今行く!」
僕はもう一度三人に手を振って、玄関を出た。
熱ってしまった頬に、春の朝の冷たい空気が心地よかった。
* * *
「月子は、不可思議な子だった――」
遠い目をして百々さんは言う。
昨日の押し問答なんてなかったかのように、影山さんと僕はあっさり百々さん宅の客間へと通された。
家の中はよくわからない物が置かれていて、それが客間にまで雪崩れ込んでいた。ガラスケースに入ったくすんだ人形、経年劣化でボロボロの本、藁で作られたヒモみたいなやつ。
普通の民家ならガラクタの一種と思っちゃいそうだけど、僕たちは百々さんが『普通じゃない』って事を、昨晩の一件で知っている。
影山さんの口からは、堰を切ったようにいくつもの疑問が溢れた。
月子――お母さんはどんな人だったのか。
お母さんの日記に書かれた『月陽』という名と……それと同じ名をした怪異『ツキヒ』は何なのか。
百々さんは一旦廊下の奥に消えると、古びたアルバムを持って戻ってきた。そしてアルバムから一枚の写真を取り出す。そこには満面の笑みを浮かべた『影山さん』が写っていた。
ううん、違う。これは影山さんのお母さん――月子さんだ。
「お前の知りたい事はおそらく、月子という存在を知れば自ずと見えてくるはずだ」
月子という存在――
自分の娘に対する少し突き放した言い方に、僕は違和感を覚えた。それがこの親子のどんな関係性からこぼれ落ちた言葉なのか、僕は後々知る事になる。
「鬼か……。お前の場合は鬼なんだな。同い年の、鬼の子供」
百々さんは影山さんの背後の空間を見ていた。
「ちょっと前まではそうじゃなかった……。デカくてムキムキの、鬼だった……」
影山さんは首を小さく横に振る。
「そうか……」
その事について百々さんは何も言わなかった。ただ一瞬だけ僕の方を見て、かすかに口の端を上げた。
「月子の場合は女の子だった。月子に似た、ヒトの姿をした女の子。心の形の具現化……」
その言葉に、僕は身を乗り出した。
心の形の具現化――影山さんの鬼と同じ。
「月子は友達を欲していた。今時は、イマジナリーフレンド、とか呼ぶのだろうな。それは空想の中の月子の友達であり、分身であり、そして月子自身でもあった……」
影山さんが頷く。
「ただ、月子の力はあまりにも強すぎた」そう言って百々さんは溜め息をついた。「月子は、不可思議な子だった。そして――恐ろしい子でもあった。」
古い時計の針がチクタクと時を刻む。
「少し、昔話をしよう――」
久しぶりの更新です(*´Д`*)
まだ、エタってないですよ!!
引き続きよろしくお願いします!




