表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
51/53

第51話:あの子のこと③

挿絵(By みてみん)

表紙:武頼庵(藤谷K介)さん


挿絵(By みてみん)

かぶちゃん(影山蕪太郎):コロンさん

 夕暮れの公園。


 誰もいない公園。


 朧げな少女は、自らの首に巻き付いたナメクジを撫でる。


『なめくじおとこ――』


 その囁きは、音のひとつひとつに、じんわりとした熱がこもっていた。

 

 まるで、愛する人の名前を呼ぶように。



   *   *   *

 


 1階の奥に小さな食堂があった。

 古いけど味がある木製の食卓テーブルが2つと、それぞれに椅子が4脚置かれている。


 テーブルの上には味の染みた煮魚と、プリッとした白身のお刺身。別皿にはウインナーとハンバーグが、シンプルなナポリタンの上に添えられていた。

 ご飯は大盛り。ツヤツヤで美しい。


「予約なかったから、あるものになっちゃったけど、まあ食ってくれや!」

 

 若い茶髪の女将さんは、わかめのたっぷり入った味噌汁を食卓に並べ、瓶のオレンジジュースの栓を抜く。


 なんだかこそばゆい。

 両親とこんな感じの旅館に泊まったことは何回かあるけど、子供だけでってのはもちろん初めてだ。大人になったような、背伸びしちゃってるような――

 踵が地面から浮いちゃってる感覚。


 向かいの席に座った影山さんは、箸で慎重にお刺身を摘んで、お醤油につけて、小さな口に滑り込ませる。


 いつもの鋭い目が、まんまるになった。


「!!!!!!!」


 箸を握ったまま、小刻みに震えている。

 わさびでもつけすぎた?


「めちゃくちゃ、うまい……! なにこれ……!」


 ――と思ったら、あまりの美味しさに感動してるだけだった。

 僕も一切れ口に入れる。

 淡白だけど、濃厚な旨みが口いっぱいにひろがったて、死ぬほどうまい。魚臭さを全然感じないのは、新鮮だからだろうか。


「ウスメバルって魚だよ。うまいっしょ?」


 僕と影山さんは同時に頷く。


「この煮魚も、おいしい……」


「ハンバーグも手作りだ。めっちゃうまいよ!?」


「魚苦手かなー、って思って肉も用意したけど……こりゃ完食してもらえそうだ」


 隣の食卓テーブルに頬杖をついた女将さんは、もぐもぐ夕食をかっこむ僕たちを嬉しそうに眺めている。


「給食よりも、おいしい……」


「給食って――」


 どこかピントのズレた影山さんの感想に、僕は思わず笑ってしまった。影山さんは怪訝な顔で僕を見る。


「給食……めちゃくちゃ、おいしいじゃん……?」


「美味しいけど、普通じゃない?」


「あたし、今までの人生で……給食が一番……おいしい食べ物だったんだけど……」


「あ、あー……」


 そうか、意味はわかった。

 わかったけど……いやわかったからこそ、なんともリアクションに困るよ影山さん。

 僕が大人になったら、給食より美味しいものをいっぱい食べさせてあげるからね!


「うちの子も、あと10年もすりゃ、君たちみたいになるのかねー」


 女将さんはしみじみ呟くと、席を立ち、隣の部屋から赤ちゃんを抱いて戻ってくる。


「ほら、かなちゃん、お兄ちゃんとお姉ちゃんに挨拶しな」


「ちやー」


 こんにちは、って言ってるのだろうか?

 

 影山さんはオドオドしてる。

 ふふふ、戸惑ってるな。でも僕は歳の離れた妹がいるから、小さい子の扱いはまぁまぁ慣れていのだ。

 さあ、僕の溢れ出る父性にキュンキュンしてくれ。

 

「かなちゃん、なんさいですかー?」


 ゆーっくり尋ねると、赤ちゃんは指を一本……出そうとしてるんだろうけど、中指と薬指もついてきちゃってるから、何歳だかわからない。


「一歳だもんなー?」


「いちゃい」


 か、かわいい……


 かなちゃんにキュンキュンさせられちゃったのは、僕の方だった。


「ぴーきゅあ!」


 僕がとろけていると、かなちゃんは影山さんを見て、謎の呪文を叫ぶ。


「????」


 驚いて、目を白黒させる影山さん。


「ぴーきゅあ! ぴーきゅあ!」


「ああ、ピリキュアね」女将さんはかなちゃんの頭を撫でる。「ピリキュアに、長い黒髪のかわいい子がいるから、その子だと思ってるんじゃないか?」


「ぴーきゅあ!」


 女将さんの腕から逃れて、影山さんに抱っこをせがむかなちゃん。


「影山さん、抱っこしてあげたら?」


「ううん……怖い……」


 そっか。確かに影山さんの気持ちはわかる。赤ちゃんはやわらかくてぐにゃぐにゃしてるから、変に力を入れると壊れちゃいそうな気がするんだよね。


「ぴーきゅあ!」


「はいはい、おねえちゃん、って言ってごらん?」


「ぴーきゅあー!」


 ピリキュアを連呼するかなちゃんと、それを宥めすかす女将さん。影山さんは真っ赤になって、ハンバーグをちょびちょび摘んでいる。


 僕は、まだ見た事がない影山さんの表情を見れた事が、ほんのりと嬉しかった。



   *   *   *



 僕たちの客室は、母屋の裏手の『離れ』にあった。裏口を出て石畳を少し歩くと見える、小さな平屋だ。

 母屋と比べて少し新しいところを見ると、規模を拡大するために増築したのかもしれない。

 

「宿泊客用のお風呂は母屋の1階にあります。一つしかないので、男性が入る場合は黒、女性の場合は赤の札をかけて下さいね。ただ……すみませんが、24時から朝6時まで、母屋への移動は禁止となってます。トイレや水道は離れにもありますので、絶対に守って下さいね」


 部屋に案内された時、旦那さんは垂れ目を鋭く細めて、厳しい口調で言っていた。

 まあ、母屋は家族のプライベート空間も兼用してるわけだから、そのくらいの配慮は必要なんだろう。


 夕食を食べ終え、時刻はまだ19時前。


 風呂でも……入ってくるか……。


 風呂でも……。


 畳の床にあぐらをかいた僕は、部屋の隅で荷物を整理している影山さんをチラチラ見る。


 影山さんも当然お風呂入るんだよな?


 という事は、風呂上がりの影山さんとエンカウントせざるをえないわけで……。


 あああああ! 僕の脳みそはなんでこんな事ばっかり考えてしまうんだ!!


「僕、先にお風呂行ってくるね……」


 シャワーで冷水でも浴びて、頭を冷やそう。押し入れに置かれた浴衣を手に取ると、ふらふらと部屋を出た。


 お風呂でいつものルーティーン。

 この後に影山さんが入るわけで、変なものが浮いてたら恥ずかしいから、身体中が赤くなるくらいタオルでゴシゴシ擦った。

 湯船は家のお風呂よりも少しぬるいけど、その優しさが、疲れた体には心地よい。

 

 タイル張りの壁が纏っている水滴を指先でいじりながら、僕は今日一日の出来事を思い出した。


 百々(どうどう)さん――あの曲者のおばあちゃんは、ちゃんと僕たちと向き合ってくれのだろうか。明日出直して、それでも追い返されてしまったら、それこそもう打つ手がない。


 寝そべって、頭の後ろ半分を湯船に浸した。

 波打つ水の音が、胎動みたいに響く。


 

   *   *   *



 押し入れにしまってあった布団を敷いてから、あぐらをかいてスマホを眺めていると、影山さんが風呂から戻ってきた。


 浴衣の影山さん。


 長い黒髪は、ゴムとタオルで器用に丸めてある。そんなところに女の子らしさを感じてしまって、僕は影山さんから目を逸らした。


 無言――


 圧倒的な無言である――


 影山さんがこの状況を、どれだけ意識してるのかはわからない。でも僕は、今まで生きてきた中で一番くらい、影山さんの『女の子』を意識していた。


「あ、あのさ……」


「ん……?」


「疲れたし……もう、寝よっか?」


 変な意味に聞こえてないだろうか。


「そうだな……」


 影山さんは髪の毛を解いた。

 同じシャンプーを使ったはずなのに、そうとは思えないくらい、甘い匂いがフワッと広がった。


 電気を消す。


 掛け布団を捲る。


 その中に体を滑り込ませ、布団をかける。


 一つ一つの動作が、異様なくらい今のシチュエーションを誇張してくる。


 電気を消した部屋は、障子窓から入り込む月明かりで、ほんのりと明るかった。


 眠れない。


 眠いのに、眠れない。


 鎮静と興奮が身体の中心でせめぎ合っている。


 時計がチクチク言う。


 少し離れた、窓際に敷かれた布団の方から、まだ影山さんの寝息は聞こえない。


 そっちを、見てもいいのだろうか?


 頭を倒してもいいのだろうか?


 なんだか意識してしまって、身動き一つ取れない。


 お互いの感情がかわからない、宙ぶらりんによって生まれるこの行き場のない興奮は、いつまで続くんだろう。


 何か一つ――


 それこそ、衣擦れの一つでもあれば、途端に崩れてしまうような均衡状態。


 影山さん……もう寝た?


 その一言が――


「阿部くん、もう寝た……?」


 均衡を崩したのは、影山さんだった。


 いや、今の状態を『均衡』と感じていたのは、僕だけだったのかもしれない。


「起きてるよ」


 そう言って顔を向けると、影山さんは障子窓にぼんやりと映る月明かりを見ていた。


「風呂の中で……色々考えてたんだ……」


「うん」


 寝ぼけたような、どこかあどけない影山さんの声に、僕は耳を傾ける。


「……子供って、最初に話す言葉は、『名前』なんだなよな……パパ、ママだったり……わんわんだったり……ぴーきゅあだったり……」


「僕の妹も、最初の言葉は『かーたん』だったって、聞いたことある」


「そうなんだ……」


 影山さんは布団から上半身を起こした。

 薄闇をさらに黒く染める、少し乱れた浴衣姿のシルエット。


「あたし……思ったんだ……」


 衣擦れの音。

 影山さんが、乱れた浴衣の襟を整えている。


「名前を呼ぶってのは、いちばん最初の……愛情表現なのかもしれない、って……」


 そして、指先でそっと障子を開けた。

 窓の中央に、絵画みたいな月が浮かんでいる。


 その光が、影山さんの全身を包み込んでいく――そんな幻想に駆られる。

 

「好きなものを、好きなものとして……自分の中に留めさせる、いちばん最初の手段……」


 僕は言葉が出なかった。


 月明かりが影山さんを縁取る。

 黒い髪の一本一本が、金色の光を纏う。


「ツキヒが名前をつけるのって……案外そんな、単純な理由なのかもしれない……そう思ったんだ……」

 

 影山さんが僕を見た。


 その姿まるで、月陽(ツキヒ)のようで――


 

   *   *   *



 深夜0時を回る。


 結局僕は眠れないまま、天井の暗がりを眺めていた。


 隣からは、影山さんの小さな寝息が聞こえる。


 今日は色々ありすぎた。

 いつもの固い地面から離れ、ふにゃふにゃで心許ない砂地の上を、ひたすら歩き続けたみたいな感覚だ。


 それは身近な大人の庇護から離れて、自分自身の責任のみで歩く道だ。そこではいろんな出会いがあって、誰かに貶されたり、助けられたり。

 

 今は14歳の僕だけど……。

 あと数年もすれば成人になり、親元を離れて、大学に行ったりして――本当の意味で、1人で歩き始めなきゃならない。


 そんな未来が、不安で、でも少しだけ楽しみだった。


 ねえ、影山さんは、どう思う……?

 


 少しずつ、まどろんでく――


 幕が下りるみたいに――



 泣き声――


 小さな子供の、泣き叫ぶ声――



 かなちゃん?


 

 僕は目を開けた。

 スマホを見ると、深夜0時30分。


 汗が染みた枕から頭を起こして、耳を澄ませる。その泣き声は、現実のものとして確かに聞こえていた。

 夜泣き?

 でも、それにしては、嫌な予感がした。


 寝ている影山さんをそっと乗り越えて、窓を開ける。泣き声は大きくなり、女性の叫び声と、呪文みたいな単調な音が加わる。


 ――かな! かなっ!


 ――なるみ、ダメだ!


 女将さんと旦那さんの声。


 僕はこれが夢なのか現実なのかわからなくなる。


「なにか……あったみてえだな……」


 いつの間にか、影山さんは目を覚ましていた。


「影山さん? これって、夢?」


「ねぼけんな……現実だよ……」


 なるほど。

 

 僕は再び窓の外を見た。


 母屋の部屋の一つで、光が不自然に揺れている。

 

 夢じゃないなら、今起きているのはきっと()()だ。

 この嫌な予感――何度も経験した僕たちには、もはや馴染みの感覚だ。


「いこう……!」


 影山さんは駆け出す。


 僕もその後に続いた。

お読み頂きありがとうございます(*´Д`*)


ひとは、誰かへの愛情を言葉で言い表せない時、ただそのひとの名前を呼ぶように思います。

それは本能に根付いた愛情表現なのか?

そんな事を考えながら『名前をつける』というツキヒの性質を考えています。


続きも、どうぞよろしくお願いたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
>次の長編は絶対に3人称にしよう……その方が書きやすい……(´;ω;`) 言えてる。。(笑) カズオ・イシグロ、一人称うまいですよねー。 実は『真実はいつも』はそのへん意識しながら書いてみたんです。…
かなちゃんかわいい! そして、何が起こってる? この章好きです。 展開も、言葉運びも。 それにしても、昭和の宿みたいですね。
そういえば、世界中にパパママみたいな発音と同じ意味の単語が多いのは赤ん坊が一番呼びやすいというか初期に話す言葉だからっていう説があったようなないような。 つまり赤ん坊がそう名づけたからそういう単語があ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ