第43話:あたしも、おなじだよ……②
裸の木が並ぶ山道を歩いた。
くすんだ色だけが折り重なった小枝のアーチを見上げて、その所々に薄緑色の塊が芽吹いているのに気づき、なんだか柔らかい気持ちになる。
腐食が進んだ丸太の階段は、溶け始めた雪で湿っている。本格的な春になれば、ハイキングでこの山道を歩く人も多いのかもしれない。日の当たる土手ではふきのとうが顔を出していた。黒い腐葉土の上で、その命溢れる黄緑が目に眩しい。
幽霊女子4人がリュウジを引っ張ってふわふわ進んでいく。
リュウジは相変わらず面倒くさそうな顔だ。でも影山さんの前だからか、幽霊女子のされるがままになっている。
松原さんは最近食べたお気に入りのスイーツについて鉢山に熱弁している。
鉢山は松原さんの言葉を聞いてるんだか聞いてないんだかわからない――ヤバい薬を注射された人みたいな顔で、松原さんの胸辺りをぼんやり見ている。
そして僕と影山さんは、そんな2人から少し遅れながら、転ばないようにゆっくり、湿った山道を踏み締めている。なんだか、小学校の頃の遠足の記憶が蘇って、くすぐったい気持ちになる。
「そういえば、小学校の頃にさ……」
そんなどーでもいい話を臆面もなく口に出してしまったのは、きっと僕がこの状況に少なからず浮かれていたからだ。影山さんとのお出かけ。幽霊退治に向かう道中じゃなくて、純粋なるお出かけ。
「遠足でこういう山道を歩いてたんだ。そしたらさ、今みたいに前を歩いてる鉢山が、なんの前触れもなくすっ転んでさ。僕はそれに気づかなくて、鉢山の背中に躓いて同じようにすっ転んじゃって――」
あの時の事を思い出すと腹の底から笑いが込み上げてくる。僕に覆い被さられた衝撃で、潰すとブーブー鳴くブタのおもちゃみたいな声を出す鉢山。
ぷぷぷぷ……。
「影山さんは、小学校の遠足どうだった?」
僕の質問を受けて、影山さんは腕を組んで俯く。小さな運動靴で湿った土を踏み締めた時の、ギュッ、ギュッ、って音だけが聞こえる。
「なんもない……」しばらく考え込んだあと、俯いたまま影山さんは言った。「小学校の頃の思い出……、阿部くんに話せるような事、なんもない……」
「なんもない、って――」
何でもいいから、君の話を聞きたいのに。そう思ったけど、僕は固く口を噤んだ影山さんに気付いた。もしかしたら、笑い話にできるような思い出を、影山さんは持っていないのかもしれない。
ううん、面白おかしい笑い話が聞きたいわけじゃない。ちっちゃな出来事だっていい。僕と出会う前の影山さんが、どんな事を考えながら過ごしてきたのか……君は変だって笑うかもしれないけど、僕は知りたいんだ。
でも僕はこの気持ちを、どんなふうに言葉にすればいいのかわからなかった。
こんな感情、初めてだから。
「……ごめん」
僕を横目で見る影山さんの顔は悲しそうだった。
わからないなら、わからないなりに、僕は何かを言わねばならなかったと思う。
『着いたー! 着いた着いた着いたー!』
色々考えようとしていた僕の脳みそに、幽霊女子アヤさんのキンキン声が割り込む。
僕らは、彼女達が指差す先を見た。
* * *
そこには、何の変哲もない巨木が立っていた。
そりゃ、確かに立派な木ではあるけど、ごくごくありふれた古い広葉樹にしか見えない。
花もなければ、葉っぱもない。まだ3月だから当然だど。ゴツゴツした幹の表面には、色褪せた苔とカチカチのキノコが張り付いている。
『ほら、めっちゃキレイっしょ!?』
「あ、いや……」
この幽霊女子達は、見かけによらず盆栽を愛でるみたいな渋い感性を持っているのだろうか。キャピキャピして派手なものが好きな風体だから、そういう『映える』やつを見せてくれるんだろうと期待してたけど……。
『すごいピカピカしてて!』
「そうだね。苔に日光が当たって、光ってるような気が――」
『クリスマスツリー……みたい……』
「うん、そうかもね。こういうシンプルなツリーも、それはそれでいいね――」
『あれ? ああああー』アヤさんは何かに気がついたらしく、目を見開いてしきりに頷いた。『そっか、見えてないよね! みんな、視えない人だもんね! ちょっと待ってて!』
アヤさんが他の3人を集めて、何やらモゴモゴと相談を始めた。僕は不安な気持ちでそんな4人を見ている。一体何が始まるやら……。
話し合いを終えた幽霊4人は、それぞれ僕たち4人の後ろに立った。イタズラっぽい笑みを浮かべているアヤさんが不気味だ。
「え? なに?」
『いいから、めっちゃ楽にしてて――』
その瞬間、僕の頭を突き抜けて、目の前にアヤさんの手が現れる。僕の後頭部に霊体の手を突っ込んだらしい。
『あ、貫通しちゃった。にゃははは』
突然のことにビビってる僕の背後では、アヤさんのあっけらかんとした笑い声。霊体だから痛みはないけど、生理的に気持ち悪い……。
『こうやってくっつくとね、霊の力がブワーってなって、視えない人も目がバッキバキになって、ちょっとだけ視えるようになんの』
「はい?」
『部分だけ「取り憑く」みたいな?』
「取り憑く!? ちょっと、勝手な事すんな、って――」
投げつけようとした悪態は、途中で落っこちた。目に飛び込んできた色彩の洪水が、それら全てを巻き込んで、打ち消してしまったから。
――壮大だった。
枯れた巨木が、無数の光の粒を纏っていた。
本当にクリスマスのイルミネーションみたいだった。もしくは、遠い外国の森の中で真っ黒な夜の木が纏った、無数の蛍。
『この木、いろんな生き物に好かれてんの。鳥とか、アリとか、何かの幼虫とか。みんな死んでからもずっと、この木を離れたくないみたい』
そっか……。
これは魂の輝きなんだ。
普段は目に留めないような小さな命だって、ちゃんと『視える目』を持てば、こんなにも美しく輝いている。
すごい――
溢れ出しそうな感情を伝えたくて、僕は影山さんを見る。
影山さんもまた、僕を見ていた。
何の迷いもない、まっすぐな目で、僕を見ていた。
お互いの『伝えたい』気持ちが重なり合う。
影山さんの黒くて大きな目に映る光は、夜空の星みたいだった。
* * *
『美味そう……』
『うん、ロマンチックだよね』
『あのセミ、食べたい』
『食べたいくらいに綺麗……』
リュウジと幽霊女子4人のイマイチ噛み合わない会話を聞きながら、僕と影山さんは巨木の前にへたり込んでした。
ほんの数分間だったけど、霊視によってもたらされた疲労感は半端なかった。圧倒的な情報量が流し込まれて、それが途切れた今でもなお、頭が伸びたゴム風船みたいにダルダルになっている。
ただ、満足感はあった。
僕が『影山さんに伝えたい』って思った時、影山さんも同じ気持ちになってくれたのが、わかったから。
「今から、いっぱい作っていこうよ」
さっきの光景をひとしきり語り合った後、はしゃぎ回る幽霊女子4人を見ながら、僕は言う。
「なにを……?」
予想通りの表情で、影山さんは首を傾げる。
「2人で分け合いたくなるような、思い出だよ」
さっき影山さんは、僕に話せるような思い出は何もない、って言った。影山さんの事がもっと知りたかった僕は、その言葉が悲しかった。
だから、どんなに小さな出来事だって語り合っていきたい、って思った。
影山さんの口から、どーでもいい雑談が溢れるくらい、いろんな瞬間を共有していきたい、って思った。
「キモいって思うかもしんないけどさ。僕、もっと影山さんの話を聞きたいんだ……」
なんか小っ恥ずかしくなって、手のひらに触れる湿った苔の感触を弄びながら、僕は言う。
「それは――」
指先がなにか温かいいものに触れた。
それは、そっとこちらに伸ばされた、影山さんの指先だった。
「それは……あたしも、おなじだよ……」
僕は生まれて初めて、この瞬間が永遠になればいいと思った。
* * *
その日の夜。
人通りも途絶えた駅前のオフィスビルの足元。自販機でコーヒーを買った社畜の魔女――三浦ハナは、安っぽい苦味を舌先で感じながら、スマホのコミュニケーションアプリを立ち上げた。
届いていた長文を読み終えると、コーヒーの温かさを確かめるようにゆっくりと口に含み、夜空を仰ぎ見る。
東洋魔術――とりわけ日本の霊的なものはガラパゴス化しているって、この業界では世界的に言われている。
アニミズム的思想が行き着くところまで行って、『八百万の神』という考え方が存在する文化背景において、稀にああいったものが生まれ出るのは、自然摂理なのかもしれない。
それにしても、厄介な存在だ……。
自分の目的のために利用しようと考えていたけど、もはやそのレベルにはないのかもしれない。
ツキヒ――
あの存在を分解し解析するためには、やはりその出生を知る必要がある。
影山蕪太郎……かぶちゃんの過去――ううん、かぶちゃんが生まれる前まで遡って、アレがどのように『定義づけられた存在』なのか調べる必要がある。
ハナはコミュニケーションアプリで、仲介役である阿部康平のトークルームを開いた。
『三浦さんもお仕事頑張ってください!』
最後に書かれた一文が目に入り、心が痛む。私は、自分の私利私欲を満たすために、無垢な子供達を巻き添えにしているんじゃないか?
そう考えてしまうと、画面をタップする指が動かなくなり、結局は何も書けないままアプリを閉じた。
しかし結局のところ、ハナが自身の目的のために動こうが動くまいが……子供達はツキヒという存在に巻き込まれていく。
とりわけ影山蕪太郎の運命は――最悪な形で、再び彼女と交わる事となる。
温かなコーヒーは、温かな手の中でも少しずつ冷めていく。
ついに動き出す、ツキヒとかぶちゃんの因縁。
一般人の阿部くんは、かぶちゃんのそばにいてあげる事ができるのか。
本腰入れてクライマックスまで書いて行きます。
いろんな事がおきますが……ハッピーエンドで終わる予定です(`・ω・´)




