第42話:あたしも、おなじだよ……①
この町にも春が近づいている。
田んぼ脇の土手に敷かれた白い綿布団から、寝相の悪い子供みたいに、黒く湿った肌が覗いている。
皆が春を待ち侘びる中、僕は一足早く訪れた春の匂いに、日々心を躍らせているのである――
なんかこう……授業中に窓の外を眺めながら、詩的でステキな文章を呟きたくなっちゃう――そんな午後のひととき。
チャイムが鳴った。
退屈な授業の終わり。
「おい、阿部……」
席を立って、いつものように8組の教室に向かおうとする僕を、クラスメイトの男子Aが呼び止める。
「んー? なに?」
「おまえやっぱ、最近おかしいよ……」
「えー? そん事ないよー。めちゃくちゃ普段通りじゃん?」
「そんなことねーよ。この前は急にキモチ悪りーこと言い出したし……かと思ったら、今度は毎日ボーっとしてるしさ」
「うふふ♡ だって、ほら、春の匂いが、僕を優しく包み込むからさ……」
「うわっ、キモ……」クラスメイトAはビビった顔して一歩退く「そーいうところだぞ、おかしいって言ってんのは。お前、みんなに噂されてんぜ?」
クラスメイトAは眉根を寄せて、気の毒そうな顔をする。
「お前が、あの『8組の悪霊に呪われた』って――」
8組の悪霊――
ああ、影山さんの事か?
そっか、こいつもまだ知らないんだな。影山さんが実は、超絶かわいくて宇宙一素敵なツンデレ女子(僕の彼女)だって事……。
無知で哀れな子羊に、哀れみの念を覚えるけど、そんなおセンチな心に反して、僕の口の端は釣り上がってしまう。嘲笑というか。
「そっか……君はまだそのレベルなんだね……。いいと思うよ? 真実から目を背ける生き方だって、立派な選択肢の一つだから――」
暗黒微笑。
そう、この学校で僕以外は、影山さんが超絶かわいい(僕の彼女)って『真実』を知らないんだよね。
ああ、なんという優越感……。
「だから、そういうところがおかしいんだって――」
なんか言ってるクラスメイトを放置して、僕はすたこらさっさと8組の教室へ向かう。
* * *
「……ああ? リュウジのデートのお目付け役で着いていくから、付き合え……?」
リュウジが幽霊女子とデートするわけだけど、あの昆虫を一人で行かせて大丈夫か? 急にゴキブリを漁り出したり、勝手にどっか行っちゃったりしたら、幽霊女子との約束を反故にする事になっちゃう。
だからやっぱり、誰かがお目付けやくとして着いていかないと。
僕の提案に、影山さんはあからさまな嫌な顔をした。
バレンタインデーの一件から、僕たちは両思いだって事がわかった。うん、それは間違いないと思う、多分……いや、絶対そう……だよね?
でも、それから半月……。
僕たちは恋人らしいことを何もしていない。
あの夜以降は手も繋いでないし、デートみたいな事もしていない。いつも通り8組の教室にやってき来て、読んだ本とかやったゲームとか、どーでもいい事を僕が一方的に話すだけだ。
そもそも『恋人らしいこと』ってなんだ?
世の恋人同士って、普段は何をしてるんだ?
そういう考えを突き詰めていくと、最終的にエッチな事になってしまう自分が情けない。
エッチな事――
猫背で本に顔を向けながら、上目遣いに僕を見ている影山さんと目が合う。
想像できないけど……想像してしまう!
黒い制服の下に隠れた、影山さんのあられもない姿を……!
「どうしたの……? 阿部くん……」
「いや、なんでもないけどさ――」
妙な沈黙。
もしかして、影山さんと気持ちが通じ合って浮かれてるのって、僕だけなのかな?
影山さんの方は、案外『どーでもいいや』って思ってるのかな?
ううぅ、なんか気まずい――
「かぶちゃーん! 阿部くーん!」
教室のドアが元気よく開く。
松原さんが登場してくれたおかげで、この妙な沈黙は破られた。ありがとう、松原さん。
「バレー部のサポートを早めに切り上げて、松原ニコリ、参上しました!!」
松原さんはいろんな部活のサポートメンバーとして引っ張りだこだけど、ちょくちょく時間を作っては、僕と影山さんがいる8組の教室にやって来てくれる。
影山さんとの関係が少しだけ変わったことを、松原さんには伝えていない。
付き合っている? 恋人同士?
そんなありきたりな言葉に、僕らの関係性を当てはめようとしても、なんだか角のところが引っかかって、上手くはまらない気がする。
でも松原さんは、そんな関係性の変化を、なんとなく察しているように見えた。
部活のサポートが忙しいのは本当だろうけど、あえて時間を遅らせて、僕たち二人きりの時間を作ってくれてるような気がする。そして、妙な沈黙で間がもたなくなった時に限って、颯爽と登場して場を和ませてくれる。
この察しの良さも、陽キャ力のなせる技なのだろうか。
「――リュウジのデートかぁ。それってこの前聞いた、あの幽霊女子の4人とだよね?」
「うん。約束だったからね」
バレンタインデーの一件は、掻い摘んで松原さんに説明してあった。僕の告白シーンを除いて、だけど。
「面白そう! かぶちゃん、阿部くんと一緒に行って来たらいいのに!」
「やだよ……」
影山さんはそっぽを向く。
「なんで?」
松原さんが首を傾げる。頭の上にハテナが浮かんだ、デフォルメされたマンガっぽい表情も、ヤバいくらいにかわいい……。
いや、違う違う! 僕は影山さん一筋なの!
「だって……ほら、その……。それって『だぶるでーと』とかいう、クソ概念みてぇじゃん……」
みたい、じゃないよ! これはダブルデートっていうステキ概念なの!
こっちは、狙って提案してるんだよ!?
「ダブルデート! 楽しそうだよ!」
「でも、なんかわかんないけど、やなんだよ……」
「どうしても、嫌なの?」
松原さんが念をおすと、影山さんはコクリと頷いて、申し訳なさそうに僕を見る。
ああ、そうか。
きっと影山さんは、心の底から僕とのデートが嫌なわけじゃない。ただ、自分を取り巻く環境の変化に戸惑って、気持ちが追いついていないだけなんだ――
わかるよ。
だって、僕もそうだから。
「だったら、私も行く!」松原さんが手を挙げる。「私が行けば、友達同士のお出かけになるもんね!」
「えぇ……」
影山さんは困惑する。
「ほらほら、2人きりじゃなきゃ、デートじゃないでしょ?」
「あ、うん……」
グイグイくる松原さんに、影山さんはコクコクと頷く。それを確認した松原さんはニッコリ笑い――
「よし決まり! みんなでお出かけだよっ!」
そう言って右手を掲げた。
話の流れで、そういう事になってしまった。
松原さんは僕と目を合わせて、ちょっと小首を傾げて見せる。勝手に決めちゃってごめんね、って意味だろうか。
影山さんも僕を上目遣いに見て、唇を尖らせる。『でーと』じゃなくなっちゃってごめん、って意味だろうか。
それにしても、美少女二人に見つめられて、感無量だ。もしかして僕は、ハーレムラノベの主人公なんじゃなかろうか。
* * *
そして週末の昼下がり。
僕達はなぜか、山道の入り口に立っていた。
「デートって、言ってなかったっけ?」
『えっとー、この山をちょっと上ったところに、マジヤバい木があってー、ちょーすごいの」
「ヤバいって、どんな木のなの?」
『もー、すごいヤバいんだって! ハンパないの!』
幽霊女子のアヤさんは語彙力に難がある。
『クソたりーなぁ。こんなに寒くちゃ、ゴキブリもいないだろうし、早く家に帰ってエロ本読みてーんだけど?』
身体に纏わりついてくる4人の幽霊女子を追い払いながら、人間モードのリュウジは気怠そうに悪態をつく。
「リュウジ……人間の真似事をはじめると、ヤケに生意気になんだな……」
『え!? いや、そんな事ないっす! 滅相もないっす! 気に障ったらすいやせん、姐さん!』
しかし、影山さんの一言で舎弟に戻る。なんとも現金な昆虫だ。
「おい康平……俺は松原さんに何をお供えすればいいんだ? とりあえず、お年玉の残りは全額持って来たけど――」
僕のすぐ後ろでは、松原さんに誘われてデート商法を疑いながら参上した鉢山が、懐疑的な目で当たりをキョロキョロ見回している。
松原さんはスクールカースト最上位の女神なわけだから、供物的な何かがないと、自分のような下郎に声をかけるわけがない……そんなことを鉢山はブツブツ呟いている。
もちろん、松原さんにそんな下心があるはずもない。
「ねえ鉢山くん、私も最近メインクラフト(ゲーム)始めたんだ! ダイヤ装備の作り方教えてよ」
まごついていた鉢山だったけど、勝手知ったるゲームの話題に、その目が輝く。
「うっそ! え、松原さんメイクラとかやるんだ!? えー、意外! ちょっと俺、そのゲーム語らせるとガチだよ?」
でも松原さん、なんで俺がメイクラが好きな事知ってんだ? と首を傾げる鉢山だったが、松原さんがどんな人間か知ってる僕にとっては、つゆほどの疑問も浮かばない。
「いいねぇ! 聞かせてよ、ガチ話!」
そう言って鉢山の隣を陣取った松原さんは、クイっと僕の前に立った。そして振り返り、小さく親指を立ててみせる。
あーなるほど、と僕は勘づく。
松原さん、俺と影山さんを2人にしてくれたんだ。
僕ら3人じゃ、影山さんは絶対、松原さんの隣に行く。そうならないように、僕の友達の鉢山誘って、2人×2組のペアにしてくれたんだ。
何から何までありがとう。
「へぇー、鉢山くんすごい! それでそれで!」
「あ、あの、松原さん、近いって、あ、あばばばばばばば……」
あ、でもそれ以上鉢山にくっつくと、ぶっ壊れると思うんで、ほどほどに……。




